昨春以降の活動を駆け足でふりかえる(2)

時間ねえーさて、昨日の続きです。5月からですが、ほんと~に時間が無いので、申し訳ないですが、ちょっとはしょっていきますよ。お金もないし…。

◆5月の集会など

2011/三里塚木の根ペンションの5月集中作業 まず5月1日から2日かけて、木の根ペンションの5月集中作業日に参加しました(→画像報告)。基本的に人力と機械力、プロとアマ、少人数と人海戦術の力の差をまざまざと見せつけられました。確かに一面では、これまでコツコツとやってきたことはなんなんだと思うくらい、一気に作業がすすんだ。

 でも、一番基本的な真実は、幼少時を闘争が激しかった頃の三里塚ですごし、その頃のにぎやかな緑の風景と、今の空港に囲まれた不毛の風景のギャップに心を痛めた大森さんという心優しき一人の青年が、誰に相談することもなく、たった一人で、最初のスコップの一掻きを木の根の地に刻んだこと。それが大切なことなんだと思う。

 最初は彼が独断(無断)ではじめたという「木の根プール」の再建作業でしたが、すぐに関係者の許可と協力をもらいます。やがて彼の友人達(三里塚闘争なんてまったく知らなかった人々)が、彼の話を聞いて手伝いに三里塚の地に足を運ぶようになり、それに触発され、かつて闘争に参加していた古い大人たちも集まってくるようになり、そしてこの日の「機械導入」にまで発展していったのです。まさに「恩讐の彼方に」のモデルになった青の洞門みたいな話。その機械だって、それからいろんな材料や資材だって、単に金で借りてきたとか買ってきたというのではなく、この話を聞いた人が、自費で買ってもってきてくれたり、仕事場から費用自腹で借りてきてくれたりしたのです。全国からカンパもたくさん集まりました。だから一秒だっておろそかにすることはできないという思いで、自分なりに一生懸命に作業しました。

 こういう人たちの中には、このブログで批判的なことを書いたまさにその対象の方本人もいます。でも、意見の違いがあってもそれはそれ。尊敬すべきことはちゃんと尊敬しなくてはいけないと思う。味噌も糞もいっしょに、誰がやったことだから、何派だから、全部否定するというのは本当の左翼じゃない。そうやってこの方を全否定する人がいたら、他ならぬ私が真っ先に怒ってやります。同じように元の系列が熱田派だろうが北原派だろうが、敵の嫌がることは何でもやってやる!ひょっとすると他の参加者とは少し趣旨が違うのかもしれませんが、私は大森さんへの尊敬と共に、そういう気持ちでこのプロジェクトに参加しました。また、この日は、お父様が条件派農民になってしまいながら、今でも反対派農民に協力して現地に来ておられるご子息の方など、いろいろな人たちとお話する機会が持てて、意見の違うことも多かったけれど、本当に有意義な2日間となりました。

2011/渋谷・原発やめろ超巨大サウンドデモ 続く5月7日には、高円寺デモと同じ主催(素人の乱)による、渋谷・原発やめろ超巨大サウンドデモに参加。今回は高円寺の時みたいに偶然に参加したのではなく、前もって予定をあけて参加しました(→画像報告動画1動画2)。

 当日は集会がはじまるまであいにくの雨模様。個人的には参加者数の出足は不調なように見えまして、最終的にどれだけ集まるかと心配でしたが、高円寺ショックもさめやらぬ中、噂を聞きつけて参加した人たちでどんどん人は増え、最後は前回を上回る参加。まあ、こういってはなんだけど、何がなんでも反原発の意志表示はしたいものの、「色」がつくのを嫌がるというか、一般市民として何をどうしたらいいかわからなかったような人々、さらには一気に注目が集まる中で「ここだ!」と合流してきた小さな団体や組合の皆様、それから今回の原発震災をきっかけにして、あらたに会を立ち上げたような人々、とにかく既存のどの集会にも行きにくい人たちが全部集まってきたし、集まれる場所なんだという印象。高円寺に続いて黒旗のみならず日の丸をもった参加者もちらほら。とにかく、今までの運動や諸組織ではまったく集めることができなかった人々が、実はこんなにいたのだということが証明された形です。

 ちなみに古くからの市民運動界隈では非常に嫌われていて、どこの大衆集会にも参加しにくい中核派のみなさんもここに押しかけ的に合流。高円寺では「ちょっと来てた」という程度ですが、今回はそれなりの人数の隊列で参加。まあ、さすがに「中核」などの名前は出せないようです。それでもこの大集会では会場の一画にちょっといるという風情で、私はそれを見ながら、この先、新左翼が(というか左翼が)こういう大きな大衆的ムーブメントの中心的な役割を担うような日が再びくるのだろうか、あるいはもうそんなことは二度とないのかもしれない、そんなことを別に寂しいでもなく、ふと考えました。私はこれからもその「会場の一画」の、左翼っぽい一群に参加し続けるのだろうなと。

 あと、この日の集会で是非とも特筆しておかねばならないことは、今に続く警察の反原発デモに対する過剰警備、とりわけ政治とは無縁だった一般大衆を一万人規模で集め続ける「素人の乱」系のデモに対する暴力的な弾圧が、この集会を境にしてはじまったということです。

 最初は前の高円寺集会と同じ気分できていた私ですが、デモ出発の順番をいくら待ってもさっぱり公園の外に出られない。「おかしいなあ」と不思議に思いつつ、一時間以上も(!)待たされて、やっと公園の出口付近にさしかかると、ものすごく異様な雰囲気。なんと警察が、デモ隊を50人から100人くらいに小さく分断して、さらにその小さくした隊列と隊列の間を、15分くらいも引き離していたのです。無理やり分断され、足止めされて、いつまでも待たされる参加者のフラストレーションは溜まる一方です。だいたいこれでは、通りすがりの沿道の人たちには、「小さな反原発のデモがあるんだな」というふうに見える。たくさんの人がいろいろな理由や主張で原発に反対しているのだという、一番に私たちが伝えたいことが伝わらないではないですか!

 会場の出口だけではなく、行く先々で信号のたびに15分から30分くらいもその場に足止めされました。これでは警察のせいで沿道の歩行者やドライバーも大迷惑です。おかげで何時間も延々とデモをすることになり(しかもその半分くらいはただ立ち止まっている)精神的にもくたくたになりました。さすがに途中でトイレに行きたくなり、我慢できなくてコンビニに駆け込みましたが、同じようなデモ参加者がトイレの前に長蛇の列をつくっています。背に腹は変えられないので、そこに並んで用をすませ、タダでトイレだけ借りるのは気がひけますので、ついでに缶コーヒーとおやつ少々を買います。しかし、デモに参加するような人というのは同じことを考えるらしく、レジの前も長蛇の列。やっとコンビニを出て、自分がいた隊列はどこまで行ったろうかと思いますと、なんと!まだコンビニの前にそのまんま足止めされていたのです!もういい加減にしろ!!!!

たった5人の動員で(警察の後ろアンド道の反対側から)一万人のデモ隊に罵声を浴びせる「勇気ある」在特会のみなさん(笑 警察官の態度も、原発事故直後の遠慮した雰囲気とはすっかりうってかわって暴力的で高圧なものになっていました。そのせいでお互いにピリピリします。警官かと思ったら機動隊まで動員されていますし、「在特会」だか「何たら主権の会」だかよくわからんが、いつものチンピラ連中まで動員され、警察車両の後ろで奇声をあげていました。ただ、この時だけはデモ参加者の皆さんも大笑いで「こいつはおもろい!」と大喜び。私も見てておもしろかった。こんなおもしろい弾圧ばかりならよかったのに。まあ、彼らも「原発擁護」の行動にはさっぱり人が集まらないようで、怒らなきゃいけないと頭ではわかっているけど、一万人のデモ隊を前に地団太踏んでいる彼らの姿はあまりにおもしろく、怒る気持ちがふっとんでしまったくらいでした。

 なお、一連の反原発デモとして初めての逮捕者が出たのもこの集会です。そしてこれ以降、恒例のように必ず何人かを見せしめ的に逮捕するようになり、そのための口実つくりに「在特会」のような右翼を使うという、公安警察の超々古典的な手法まで復活しています。「デモなんかに参加すると恐ろしい目にあうぞ」という公安警察から国民へのどす黒いメッセージです

 今回は、なぜか警察がデモの隊列を非常に細かく区切ったり、デモ隊の間隔をあけ過ぎたりと、警備上のミスが随分目立ちました。…というか、勝手なことばかりやってました。デモが盛り上がらないようにわざとやった可能性も高いです。うーん、ヒドイ! おかげで多くの参加者が長時間待たされたりして、ちょっと大変でした。

 特に原宿駅前あたりでは、「高円寺アナーキーオールスター号」のライブ中に、警察官がトラック上のステージとデモ参加者の間に急に入ってきたりして、ライブが盛り上がらないように、ステージと参加者を引き離そうとしました!(←これはヒドイ!)

 警察とは事前に綿密な打ち合わせをし、デモ中のトラックでのライブも許可を取っていたにもかかわらず、こういうことになったのは非常に困ったものです! このおかげでもみ合いになり、そのドサクサで4名が拘束されました!!(うち2名はすぐに解放!)

 こちらがメチャクチャなことをし始めて揉めたのならまだしも、今回は警察が急に変な動きをしはじめてトラブルが起こったので非常に困っちゃいます。(公式サイトより) →弾圧の様子を記録した動画

 実は高円寺の頃くらいまでは、デモ参加者にもまだ、「デモの最後には『おまわりさんありがとう』と言おう」なんて人や空気もあったのです。それを自分でぶち壊し、原発災害に心を痛める自覚的な市民に「教育」をほどこしたのは左翼なんかではなく、公安警察さん自身です。それは三里塚闘争の経緯とまったく同じ。公安さんはその責任を自分自身で思い知らなくてはなりません。この期に及んでまだ「おまわりさんありがとう」なんてことを言う人がいるとしたら(たとえ他のデモの参加者であろうと)まったく信じられないことです。

晩年の荒さん 荒岱介さんのご葬儀より さて、思い出すだけで腸(はらわた)が煮えくり返る思いがして、いくらでも長くなりますんで次にいきます。5月9日には元戦旗・共産同議長、荒岱介さんのご葬儀に参列させていただきました。ですがこれはすでに詳しくご報告させていただきましたので(→ブログ記事画像報告)、ここで繰り返すことはいたしません。

 で、次がいよいよ50名もの逮捕という大弾圧があった、5月20日の現闘本部裁判判決闘争です・・・って、げっ!もう夜中の一時だ!あんまり腹たって、「はしょる」つもりがすごく長く書いてしまった。明日も早いのでもう寝ます。

 やれやれ、5月分すら終わらなかったですね。去年一年間ブログ(に限らずネット生活全般ですが)の手を抜きまくってきたツケはなかなか返せない。まあ、ネットなんかより現実のほうが大切ではあるんですが、ネットそのものというより、それを道具として生まれた交流や人とのつきあいは大切にしたいと思っております。
明日もよろしくです。

  ←前(その1)を読む   続き(その3)を読む→

ここまで読んでいただいてありがとうございます!

この記事への質問・一言コメントをどうぞ AIコースケと議論しよう!

AIの回答は、必ずしも正確とは限りません。回答は執筆者の見解と一致しない場合もあります。
回答には文字数制限があるため、制限を超えると途中で打ち切られることがあります。
[広告:これは旗旗の継続を助けています]

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です