書評『ウラジーミル・プーチンの大戦略』アレクサンドル・カザコフ著~現時点ではプーチンの世界を知るための適宜書

by 味岡 修

「戦争を信じなかった2月」

アレクサンドル・カザコフ
著者:アレクサンドル・カザコフ(1965-)

 ある新聞の社説に「誰も戦争を信じなかった2月」とあった。その冒頭にはこうある「戦争を予見する人はほとんどいなかった。起きないと誰も信じていた」。僕もそうだった。期待も込めてだが、プーチンは我慢するだろうとみていた。これは見事に裏切られたというか、人々の予想に反してプーチンはウクライナに侵攻(侵略)をした。

 言いようのない怒りとウクライナの人々への同情が起こったが、その中で僕が思ったことは二つのことだった。権力者というか、政治家の決断で戦争が簡単にやれるんだ、ということが一つだった。戦争なんて簡単にやれる時代ではないという意識が心のどこかにあったのだが、これが吹き飛ばされたということだ。ヒットラーやスターリンなんて、あるいは天皇だってこんなだったんだと思い起した。権力や政治の怖さを思い知らされたとでもいうべきか。

 もう一つはプーチンの統治(政治)がその見かけとは別に相当危機に直面していて、プーチンはそれに恐怖を抱いており、一種の賭けにでたな、ということだった。この戦争の帰結を超えてプーチンの終わりがはじまった、ということだった。これは一種の直観であるが、間違ってはいないと思う。プーチンは引くことも進むこともできない地獄に直面していて、そこがこの戦争の厄介なところだと思う。今度の戦争はNATOの東方拡大とか、ウクライナでも民族紛争とかの理由が言われるが、それはプーチンの口実ではあるが、本当の戦争の理由はそんなところにはないと思う。

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 今度の戦争はロシアのウクライナ侵攻(侵略)というのは明白な事柄なのであるが、その理由は実はつかみ難い。NATOの拡大がロシアの安全保障上の危機をもたらすとはこの戦争の口実であり、理由と考えられるが、それはロシア国家が現実に侵略なりの危機(外部からの危機)に遭遇するという現実性を感じさせるものではない。プーチンの統治(政治)に危機があって、それを外部に転嫁させるために戦争を始めたという想像的な推察の方が戦争の理由の発見に近づけると思う。

現時点でプーチンの世界を知るための適宜書

『ウラジーミル・プーチンの大戦略』アレクサンドル・カザコフ著
東京堂出版 (2021/7/22)

 こんなことを思いめぐらしていて、そういえば、僕はプーチンがどんな考えを持っていたのか、知らないできた、と思った。プーチンが国家主義的で独裁的な政治家であるとか、ロシア帝国の復権を目指している、という知見は持っていたが、それ以上のことは知らないできた。

 これは習近平についてもいえる。今度のウクライナ侵攻について中国はロシアの行動を「理解できる」という擁護をしたのだが、この両者の接近に何があるのか、わからない。かつてなら社会主義権力の連帯ということが考えられたのだろうが、今は、それはない。以前にウイットフォーゲルが『東洋的専制』として描いた水力社会の政治(統治)の同一性ということを想起したが、これはちょっと疑問もあると思ってきた。中国と旧ソ連の独裁的権力をアジア的生産様式下の官僚制として析出した水力社会論は確かに興味深いが、時間があれば読み直したいとは思った。

 次に本箱の片隅にあった『スターリニズムとは何だったのか』(リ・バンチョン)を引っ張り出して読んでみた。ソ連邦崩壊後に初めてソビエト社会を分析したこの本は面白いが、プーチンの世界とは距離がある。ス―タリンニズムとプーチンの思想は独裁的権力観として類似しているとは思えるが、これには相違もある。

 いずれにしても、プーチンの世界というか、そのイデオロギ―や政治思想を明確にした知見はなかなか見当たらない。こうした中で、『ウラジーミル・プーチンの大戦略』(以下、『プーチンの大戦略』)と題された本書はプーチンの世界を知るための適宜なものである。著者のアレクサンドル・カザコフは「プーチン党のイデオローグ」と言われているが、この20年にわたってロシアを統治してきたプーチンの思想を析出している。これから、プーチンの世界を析出した本は続々と出てくるのだろうが、今はこれが最適なものと思える。

プーチンの登場とその治世

 『プーチンの大戦略』は三部からなっている。第一部は「ローマとビサンツの間で」、第二部は「古きファイルより」第三部が「プーチン党のイデオロギー」である。第一部は全体的な形でのプーチンのイデオロギーと政治哲学の析出となっており、第二部はこの20年間のプーチンの考えの遍歴を帰したものといえる、これに対して第三部は具体的に、ということは個別的に彼のイデオロギーや政治哲学を分析し、析出したものである。どちらから読んでもいいのであるが、三部から読むというのもわかりやすいかもしれない。

目次
第一部 ローマとビザンツの間で:ウラジーミル・プーチンの大戦略
第二部 古いファイルより:プーチンの帝国論――解読の試み
民族主義――その尊貴なるロシア/ウラジーミル・プーチンの「偉大なるロシア」/「偉大なるロシア」の100年――ストルィピンからストルーヴェへ/イデオロギーの時代が到来した、ほか
第三部 プーチン党のイデオロギー:理論の拒否
自己規定の必要性/「統一ロシア」のイデオロギー/プーチン――理念の大統領/愛国主義/大国性/国家主権主義/大統領――保守主義者/政治的中道主義、ほか

ウラジーミル・プーチンの大戦略

 プーチンは1952年生まれであり、長く、KGBで対外諜報員を務め中佐で退職した。ソビエト連邦国家の崩壊後にエリッイン政権に参加し、1999年の暮れにエリッインから大統領代行を指名された。2000年の初めに大統領になってから、大統領でなかった期間もあるが、ほぼ、20年間、ロシア国家の権力の座にあった。

 彼の政治は登場過程からみれば屈折もあるが、権威主義的傾向(独裁的傾向)を強めてきた。政敵の投獄や弾圧、報道に対する脅迫や抑圧、自由で公正な選挙の欠如などからプーチン下の政治は民主主義的な政治とは認められないできた。プーチンは独裁的政治家であり、権威主義的政治家というのが一般の認識だった。

 その意味ではプーチンはどこかスターリンを連想させるのだが、スターリンは明確なイデオロギーというか、政治哲学があった。マルクス主義というか、「プロレタリア独裁」による統治というイデオロギー、あるいは政治哲学があった。これ(社会主義国家論)に裏付けられて国家社会主義と世界革命をめざすものス―タリンニズム(起源はレーニン主義)だったが、プーチンにそれはない。ス―タリンニズムが実現した社会主義圏(ソ連圏)とその中核だったソ連邦(ソビエト国家)が解体と崩壊の後に彼は政治的に登場したのだから。

 この社会主義圏(社会主義共同体)とソ連邦の崩壊、一言でいえば社会主義国家の解体と崩壊はその統治権力の矛盾としてあった。冷戦に負けた結果ではない。社会主義権力の矛盾が権力解体になったのである。これについてはいろいろの説があるが、プーチンはその後の国家をどう構築するかという中で登場したのであるが、ス―タリンニズムの再生、あるいは継続を目指したのではなかった。

プーチンのイデオロギーと政治哲学

 社会主義圏(ソ連圏)の崩壊とソ連邦の崩壊の後にロシアではエリッインが登場し、プーチンはここに参画するのだが、彼は長くロシアを支配してきた伝統的左翼を継承するのでなく、保守主義の立場に立った。保守主義とは経験をよりどころとしながら、政治(国家統治)を志向する立場であり、これは理念(イデオロギー)によって政治を考える進歩派、革新派とは違う立場である、実践経験と常識に立つ立場であるといえようか。それは「革命的理論なしに革命運動なし」といったレーニンの言とは対極にあるものであり、理論の拒否ということでもある。

 これはプーチンの政治思想がわかりにくいということでもある。プーチンは保守主義者として登場し、保守政党として位置づける政党(ロシア統一党)を組織する。保守主義は一般に抵抗の党というよりは権力の党という性格を持つが、保守主義にもいろいろあり、それは理念(イデオロギ―)を必要とする。本書によればロシア統一党にはイデオロギ―がないという非難が起こったのだという、このときにでてきたのが「プーチンのイデオロギー」ということである。

ただしく、かつ完全な答えはこうあるべきである。<統一ロシア>のイデオロギーは、その最も重要な源泉として、ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチンの政治哲学を有している。

ウラジーミル・プーチンの大戦略(295ページ)

 これは要するに、プーチンの政治哲学が統一ロシアのイデオロギーなのであって、逆に統一ロシアのイデオロギーがあって、その代表としてプーチンがあるのではないということだ。
 これはプーチンが大統領として権力の座にある過程での実践的方針がプーチン哲学であり、それがロシア統一党のイデオロギーであるというわけだ。

 党のイデオロギーいうものは個人を超えたものとしてあり、その共有で党は成り立つ。ならばロシア統一党の成員はプーチンの政治哲学を自己の政治哲学にするというわけであるが、ここには権威主義(独裁主義)の根拠があると考えられる。古い言葉で言えば個人崇拝としてもいいが、プーチンの政治的性格が垣間みえる。

 ただ、プーチンの政治哲学は保守主義であり、イデオロギー化や理論化に消極的であることもあって、わかりづらいところがある。著者もそれはわかっているようだ。そうであれば、プーチンの政治哲学とはなにか。

ストルーブはそれをこう定義している。国家を国家して存在たらしめる法則は告げるのだ。―健全で力強い、すなわち法的に専政的であるいは主権を有しているだけではなく事実、己に拠って立っているすべての国家は、巨大であることを欲する、と。そして巨大であることは、必然的に力を獲得することを意味する。

ウラジーミル・プーチンの大戦略(31ページ)
ピョートル・ストルーヴェ
ピョートル・ストルーヴェ
(1870-1944)

 ストルーブとはロシアの古い思想家であり、ボルシェビーキに反対していた。彼が寄ったのがこの国家観だというのが著者の指摘だ。プーチンは国家主義者であり、国家主権主義者であるという指摘があるがうなずける。この国家観は国民主権基づく国家というのとは明瞭に異なるものである。国家主権というは国家の支配エリート(官僚)の国家支配、つまり専制的支配を肯定する考えである。

 国家権力の性格についていえば自由や民主制が考えられてはいない。プーチンも民主主義をいうが彼の国家主義は自由や民主制を欠落させたものである。しかし、ここで注目すべきは、国家は巨大であることを欲するということだ、そして力を獲得するという点だ。別の言葉で言えば国家は軍事力を欲するし、他の国家の軍事的支配をやるということである。

 戦争(他国の暴力的支配によって自国の志を承認させる)は国家的属性としてある。経済的欲求(例えば市場支配)がその根底にあるというのがレーニンの考えだが、それ以上に国家自身の欲求としてある。この国家欲求は戦争の違法性、侵略戦争否定として現在的にあるが、プーチンの国家観(戦争観)ではそこは無視されている。古典的な国家観(戦争観)を持っている。

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 プーチンの国家観に支えられてプーチンの大戦略というものが析出されている。大戦略とは国家統治の戦略のことであるが、これは国家統治によって国民繁栄をということである。例えば、そのための社会主義権力を創出するというのが大戦略として考えられたものとしてある。プーチンの場合は経済的な開放や変革、あるいは政策は間接的なものとしてしか考えられていない。それよりも国家統合の軸に軍事戦略が据えられている。これは国家統治が発展していく方向が軍事的支配力の発展の方向に構想されていることだ。

 これはプーチンの政治が内政よりも外政に中心が置かれているということだ。彼の政治の軸が軍事(軍政)に置かれていることはそこによるのだと思える。この本で面白かったのは彼の大戦略というものは経済問題でのオープン性とは違った軸であるから、隠されたものであり、大いなる神秘と言われたりするという指摘だ。

 プーチンの政治がなかなか見えないないということは、彼の大戦略が国家の力の獲得と行使にあることだとすればわかる。軍事戦略というのは公開的ということとは反対に秘されるものからである。軍事が中心に置かれる政治は帝国主義政治といわれる。プーチンはロシア国家の統治としてロシア帝国の復活を掲げる。それはプーチンがネットワーク原理に基づいて組織された、真のタイプ帝国の建設とりかかったとされることでもある。

 これについて解説で佐藤優はこう書いている。

 レーニンが考えていたような帝国主義は、国民国家が領域的拡大を図るもので、それは資本の要請に従って国家が拡張しているだけで、何の理念も求められない。帝国主義国家は必然的に宗主国と植民地に別される、そして宗主国の一般国民、植民地の二級国民に国民を区別する。
 これに対して、帝国は理念を共有するネッワワークだ。他国に従属せず、主権国家として生き残ろうとする国々と緩やかなネットワークを形成していく、(中略)これが現代的なロシア帝国の拡張だ。

ウラジーミル・プーチンの大戦略(453-454ページ)

 プーチンの戦略としての帝国建設の背後には、ロシアの大国(強国)化という秘められた戦略がある。本来は秘されたものだったが、それは帝国主義的な力の支配と不可分の関係にある。チェチェンの軍事的抑圧などの事件はあったが、今回ウクライナ侵略でそれは一気に露呈したというべきか。

味岡 修(三上 治)

※注:各章の見出しは旗旗にてつけたものです

   

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文筆家。1941年三重県生まれ。60年中央大学入学、安保闘争に参加。学生時代より吉本隆明氏宅に出入りし思想的影響を受ける。62年、社会主義学生同盟全国委員長。66年中央大学中退、第二次ブントに加わり、叛旗派のリーダーとなる。1975年叛旗派を辞め、執筆活動に転じる。現在は思想批評誌『流砂』の共同責任編集者(栗本慎一郎氏と)を務めながら、『九条改憲阻止の会』、『経産省前テントひろば』などの活動に関わる。