近況報告であります。
連休中は仕事が死ぬほど忙しいので更新などはできない状況であります。以上。
と、いうだけではあんまりなので。(^_^;
とりあえずは30分、1時間と暇を見つけてはちょっとづつコメントやメールへの返信を書いたりしております。連休あけにはまたいくつかエントリーも書きたいと思います。私はエントリー1本に下調べや推敲で5~10時間くらいかけて書くタイプなので、今はちょっとお休みです。
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ちょっと面白そうなものということで、某掲示板で紹介していただいた映画について書いておきます。
井土紀州監督作品『レフト・アローン』です。まだ見てはいないのですが、主に60年安保闘争を担った人々へのインタビューを中心に構成された映画のようです。私はそのうちの西部邁さんへのインタビューにちょっと興味があります。
西部さんは共産主義者同盟(ブント)の代表的なアジテーターとして「政治の世界」に登場した人です。私も政治的な運動に入ったのは、ブント系の一員としてですから、そういう意味で、いわば西部さんは(冗談ではなく)私の先輩にあたる人なわけです。
西部さんは自身のブント時代の体験談を本にして出版されたこともありましたが、その時のタイトルが確か「センチメンタルジャーニー」だったと記憶しています。このタイトルからわかることは、西部さんは自身のブント体験を、単純に「思い出すのも嫌な忌まわしき過去の過ち」とは思っておられないということですね。
もっと複雑な。つまり思想は入れ替わって「別人」になったかに見えるけれども、実は西部さん自身は当時も今も変わっていないんじゃないか、自分が自分らしく、自己に忠実に生きてきただけの結果だった。だから西部進という人は「変節漢」ではないんではと思ってきたんですね。むしろ運動に残り続けている人の中には、当初の理想を忘れた「変節漢」がいるのかもしれないと。
実は左翼が思想を変えて保守や右翼になってしまうというのは非常によくあることで、アメリカの「ネオコン」も、出自をリベラル派に持つ人が多く、あまつさえトロキスト出身もいると言われています。まあ保守派の鬼っ子ってとこでしょうか。
現役活動家時代には、こういう人のことはさっぱり理解できなかったし、もともと自己に拘泥する極端な個人主義者が、思想的に脆弱だった結果ではないかとか思っていたわけです。
実際、自分も活動をやめて、一度は人生を賭けたはずのものから逃亡する、そのあまりの苦しさを経験してからは、ああなるほど、ここで「自分のやってきたことはすべて間違いだった」とさっぱり総括できれば楽になるんだろうなという理解だったわけです。実際、佐藤悟志さんのように反共右翼になってしまった人の中には、こういう総括の仕方(変節・転向)をしたタイプが多いのかもしれません。
それ以外に西部さんの場合は、自己のブント時代を、確かに振り返れば痛苦ではありながらも、いわば「センチメンタル」に本にまでしてしまうことも可能なわけです。これはまたちょっとタイプが違うかもしれない。
私自身も以前のエントリで「私にとってのコミュニズムは、いわば自分の生をまっとうするための『手段』にすぎなかった。コミュニズムそのものが『目的』であると感じたことは、一度もなかったように思う」と書きましたが、僭越ながら西部さんも同じタイプだったのかもしれないなと思うわけです。
つまり本人の中身は全然変わっていない。単に自己の人生を全うしようとしているだけだと。私との違いは、あちらには才能があったので保守派になり、私にはなかったから今でもこんなブログでつぶやいている。それだけかもしれんと。
もう時間がなくなりました。とりとめもなく思うことを書き散らしただけになりましたが、ご容赦下さい。
次回は来週の前半くらいには何とか書きたいと思っております。
『正気の保ち方』を読んで以来の西部さんのファンです。『歴史の復権』を隣町まで買いに行き、『論争の手引き』での喫煙に関する考え方に膝を打ち、『知性の構造』で挫折し、『学問』では、学生運動に対する氏の複雑な心情の吐露を受け止めようとしました。
自由人たる西部氏の最近の漫画家Kとの共闘には辟易しましたが、反米の舌鋒は昔取った杵柄で、拍手喝采を送りたい気持ちです。
ところで、60年安保の闘士たる氏が絶望的な情況であった70年安保の頃は何をしていたか、発言していたか、とても気になります。
私のようなノンポリ貧乏学生には90年のソ連消滅もいささかピンと来ませんでした。と言うのも、ソ連がアメリカと対等に国際政治を行ってきたとはどうしても納得できなかったし、北方領土問題などを見ても、日本の米軍基地も問題だが、日本固有の領土を不当占拠しているソ連のほうが心情的に見てもっと悪いし、何か好きになれなかった。
左翼は嫌いだし、右翼は馬鹿だしやっぱりどちらかというとアメリカは単純に良いクニだと言う気持ちがいまだにあります。あれだけ移民を受けれるアメリカのほうがフラットに見ていい国だな、明るいし、正義感溢れるいい国だなというのはあります。
完璧な国など無いし、日本も、自分の祖国だから嫌いではないが、悪いところもいっぱいあります。
原爆を2発も落とし非戦闘員たる日本人一般市民を虐殺した事実は私が生きている間は忘れないですし、許しはしない。ただ、だからと言って、アメリカすべてが悪いし、全て嫌いだと言うことには一直線に繋がらない。良い面もいっぱいあるし、あれだけ他国から批判されても、魅力ある国であるのは間違いないでしょう。
西部さんもその辺は分かっていて敢て反米主義の姿勢を取れざるを得ない苦しさみたいなところを赤裸々に語ってほしいものです。
「あの時代にあなたは何をしていたか?」というのを是非聞いてみたい人というのはいますね。
アメリカについては良い所も悪い所もあるということですが、やはり資本主義の「建て前」というのを無邪気に信じきっている国民性というところから出てくるもんではないでしょうか?
たとえば「自由競争」の建て前からすれば、チャンスは平等でなくてはならないし、何より「フェア」で「オープン」なことが求められるわけです。そこにいくと日本は建て前と本音を使い分けるのに慣れているから「どうせ裏では金持ちと偉いさんが得をしてるんだ」というある意味正しい認識になるわけですが、これが「臨機応変」や「閉鎖的仲間意識」などというものとあいまって、必ずしも「建て前を守らなくてもいい」という、外部から見れば陰湿で閉鎖的な、内部の人間にはヌクヌクとしたぬるま湯的な馴れ合いの方向に行ってしまうのではないでしょうか。
だからアメリカとか西欧社会では「自己責任論」などという、いかがわしいものは発生しないし、日本におけるその論調は(イラク戦争に賛成する人も含めて)支持はおろか、まったく理解さえされなかった。ほとんど「オー!イッツア・クレイジー!」の扱いでしたよね。そういう意味で「アメリカの民主主義」というのは、決して侮れないし、良くも悪くも正当な評価をしていかないといけないと思います。
今、整理して後世に伝えなければあの左翼運動は何だったのかということになりかねません。左翼運動のあの盛り上がりに対する、後世の人から正確な評価を受けるためです。私などは、左翼運動の残り香を嗅いだくらいですが、大学に入ったときは、小室直樹氏に言わせればいわゆるアノミー状態、左翼運動が経済的バブルに追い越され、昭和天皇が亡くなり、世が平成元禄に浮き足立って一種の狂乱状態であったので、目的を完全に見失いましたね。あれだけ企業が悪い、日本が悪いと言っていた輩も気がつけばちゃっかり一流企業のサラリーマンになっていて、左翼運動は一種のポーズ、麻疹にかかったようなもんだとばかりの、その変わり身の早さには驚きを通り越して呆れてしまいました。ひとつずっと気になっていたことなのですが、左翼運動の終わりの頃、アジアの問題(経済・政治・社会)が大きくクローズアップされましたよね。日本のODA、従軍慰安婦、開発独裁、戦争責任などです。
しかし、左翼はあくまで共産主義革命を目的にするものですよね。大きく見れば共産主義を世界に広めることが目的ですが、日本一国でさえ革命はできなかったのに、共産主義がアジアの民衆を救えるなどと思ったのはなぜですか?そもそも共産主義運動にアジアを含めたことが間違いであったのではないでしょうか?カンボジアのポルポト派による大虐殺などには目をつぶり、反米共産主義運動の結末が人殺しにいきつくことが”頭のいい”大学生に分からなかったわけではないでしょう。まぁ左翼運動に対するリアクション運動である戦後右翼運動(新右翼運動は別にして)には肩入れするつもりはないですけれど。共産主義による被害者は一億人位だという説も有りますしそこは総括していただかなければいけないと思っています。壮大なゼロに終わったということに自己満足していただけでは何も生み出さなかったと同じことではないでしょうか?
ここのところ、実際の生活が苦しくなっている人々が、声を挙げようにもその声も出せないのではないかと推測される。昔なら有効か有効でないかを別にして大衆運動があったわけですね。
横の繋がりを絶たれて、剥き出しの個人としてこの複雑な現代社会に対峙しなければならなくなっている。
世間並みというものが分からなくなり、一体自分は何のために仕事なり、勉学なりをしているのだろうと思っている人が多いと思う。殺伐とした未来が見える。
一億総中流の時代のあとには、微細なフェティシズムに狂った極端な二極化時代がやって来た。
ついに、西洋近代化が完成したのだと思う。今まで西欧に追いつきたいと願って、いろいろなもの、学問にしろ何にしろ輸入してきたが、社会の隅々まで西欧化してみたら、一体自分はどこに住んでいるのか見当もつかないという仕儀になってしまった。
西欧近代化は人間一人ひとりが自立した個人として世界を構築していけるという幻想を振りまいた。そしてそれはある程度、ある時代まで有効だったのであろう。
しかし、マルクス主義にしろ何にしろ向こうの歴史・文化・風土の中で培われた代物に過ぎない。国際化してみて気づくことは、わたしは日本語を国語とし、日本国籍を有する日本人であるという当たり前の事実である。それは別に武士道などを振りかざさなくても、連綿と続いてきたし、これからも続いていく。ただそれだけのことなのだ。共産主義も民主主義も人間を一個の記号とみなし、画一化していく。共産主義が滅んだのを、硬直し、腐敗した官僚制に原因を求めるのは問題の一部分しか言い当てていない。根本的な欠陥として、人間を社会の中の単なる一個の細胞と見做したことが原因ではないかと思う。その上に党が君臨する。一体何の根拠があってなのか?
今、しなやかな連帯が必要なのではないか?