安倍晋三氏の死を心から残念に思います

2019/6/28 G20サミットにて トランプ・安倍・プーチンの各氏

 皆さんもそうでしょうが私も驚きました。本日、安倍晋三元総理が撃たれて死亡というニュースです。仕事の休憩中にスマホでニュースを見ていた同僚が、声に出して思わず私に教えてくれたくらいですが、私は自分でマスコミの記事を確認するまで、その同僚はありがちなネット上のデマを見たのかと思ったくらいでした。近親者の皆様にはこの場を借りて衷心よりのお悔やみを申し上げます。

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従来型の「テロ」とは違う不気味さ

60年安保 岸首相、官邸を去ろうとして右翼に刺される
60年安保 岸首相辞任し官邸を去ろうとして右翼に刺される

 現時点での報道によると、奈良県での参院選挙の応援演説中に、背後から散弾銃のようなもので撃たれたとのこと。凶器はおそらく犯人自作の銃で、彼は自衛隊の出身者ということですが現時点であまり詳しいことはわかっていません.。いずれにせよ、断片的な報道で憶測を重ねるのはよくないですね。

 こうした権力者、あるいは在野の反体制派へのテロルは、時代や場所によって変化してきました。伝統的な左翼陣営では、レーニンの革命論が「テロ戦術」を明確に批判・否定してきた歴史があります。一方で封建時代は「刺客」だの「壮士」だの「天誅」だの言って英雄ロマンみたいに語ったり、戦後史の中でも右翼陣営がその発想を引き継いで、有名なところでは浅沼稲次郎の刺殺事件や、岸信介襲撃事件などを引き起こしたりしました。

 ただ今回の犯人は、逮捕後の供述で「安倍の政治主張に不満があったわけでない」とか、その場にいもしない「某宗教団体の幹部を殺すつもりだった」など、よくわからないことを言っているという報道もあり、その動機などは未だ不明です。

 何というか、そういう報道を聞いて感じるのは「従来型のテロ」とは違う、いわば自分とは異質と断じた部分への襲撃や暴力、あるは社会への絶望を他人のせいにして攻撃してもいいんだという歪んだ感情です。そういうものが最初は2ちゃんねるなどのネットから派生し、ネット内で力をつけ、ザイトク勢力などが街頭にそれを持ち出し、さらにザイトク的な存在がなんとなく「ありふれた」光景として傷つくマイノリティの人々の痛みを無視して容認されていく、そういった流れの果てに今回の安倍氏の死があるように思えて不気味です。

安倍さんの死をあらゆる意味で悼みたい

 とにもかくにも、安倍氏には本当に死んでほしくなかった。これで残ったものどもによって、これ幸いとばかりに「モリ・カケ・サクラ」や「安倍瓶三」などの数々の疑惑の山は、すべて「お悔み」と「暴力批判」と「故人への称賛」の中にまぎらせ、うやむやにされていくことでしょう。それは「議論をしない(できない)安倍以降のイデオロギー先行政治」の継承と共に、民主主義を腐らせていくに違いありません。

日本の将来はロシアかウクライナか

2016/12 プーチン来日

 その中で私が一番に思うのは、ロシアによるウクライナ侵略の問題です。2016年に「外交の安倍」は、2014年のウクライナ領への軍事介入とクリミア併合で国際的に孤立したプーチンを日本に招き、経済協力で救いの手を差し伸べると共に、「ウラジーミル、僕たちは同じ未来を見ている」とまで言い切った。繰り返しますが、最初のウクライナ侵略(クリミア併合)後のことです。また、チェチェン紛争において、現在はロシアがウクライナで行っていると日本政府を含めて批判している民間人虐殺やレイプなどがウクライナを超える規模で行われていたのにです。

 この時点からすでにプーチンを批判していた「武器取引反対ネットワーク(NAJAT)」に所属する人々は、この醜悪な日露癒着に一言でも抗議しようと、首相官邸前での抗議を行ったところ、普段は普通に行われている抗議行動に対して、警視庁はなんと営業中の地下鉄の駅のシャッターを閉めて閉じ込め、路上にさえ出さなかったというのです。そこまでして安倍政権は「プーチン歓迎」のムードを守ろうとしたということです。もし抗議が「違法」ならさっさと全員検挙してしまったでしょうから、これはただの警視庁の越権行為です。

 「外交の安倍」はあたかもプーチンと対等みたいな印象をふりまき、ロシアからいわゆる北方四島のうち二島返還の言質を引き出し、「歴史に名を残す」野望があったということでしょうが、まんまと経済協力でプーチンに利用され、その手のひらで転がされたただけのことです。

 だいたい二島返還論は、小泉政権時代には鈴木宗男氏が暖めていた構想で、彼が汚職で叩かれまくっていた頃は「国賊」とか「売国奴」扱いされていたはずの構想なんだがなあと単純素朴に思いました。当時の小泉首相は「(与野党に関係なく)日本の政治家がそんなことを言うとは信じたくない」とまで言っていた記憶があるのだが、もう別にそれでいいになったということか。

 それが首相を辞めてウクライナへの本格的な侵略がはじまり、アメリカが対ロシアの音頭をとりはじめたとたん、まるで「私は昔からウクライナの味方でした」みたいな顔をして「ゼレンスキー大統領との想い出」を投稿したり、あげくに「ウクライナみたいにならないために」はアメリカの核兵器による日本核武装(核共有)、軍事費の倍額への超増額(GDP2%)、憲法改悪などが必要などと言い出した。

 安倍さんはもとから支持率をあげて自分のイデオロギーを実現するためなら、その時々でなんでも言う人でした。第二次政権初期には「お約束します!」を連発して、そのほとんどは実現させなかった。そのことは知っていましたが、さすがに私はこの時点で吐き気がする思いでした。「安倍晋三は恥をしれ!」と。そのことについて生きて語ってほしかった。

 その時に私はこの人たちにまかせておいたら、日本は将来「ウクライナみたいになる」のではない、「ロシアのようになる」と確信したものでした。確かに2016年段階で二人の国家主義者は「同じ未来を見て」いたのだろうなと。

安倍夫妻・桜を見る会

 安倍さんがそうだったように、安倍さんの死さえ含めて何でもイデオロギーのために利用しようとする糞どもは、私がこのように書くと絶対に「死者に鞭打つな」とか言い出しかねない(嘲笑)。人の死を政治運動に利用しようとする冷血漢に、暴力反対だの言論がぁなどと言う資格は欠片もないとだけ言っておきましょう。

 彼の死など決して誰も望んではいなかった。死んでいい、死ぬべき人間などこの世に存在しない。ただちゃんと、常識的に責任をとるべき時と人に責任をとってほしかったという、ごく当たり前の庶民的な思いがあっただけです。

 あるいは安部政権のやらかした、トンデモ立法の数々、戦争法(集団的自衛権)、秘密保護法、共謀罪など、「戦争を遂行できる国家」への転換やら、それを受けた、主に沖縄を犠牲とすることをも厭わない、米軍との癒着による軍事体制の整備、その総仕上げとしての安倍改憲。これらのもたらす結果についても見届け、その責任をとるべきだった。

テロで歴史は変えられない 未来は私達の判断にかかっている

 だいたい封建時代ならまだしも、要人テロそのもので歴史は変わりません。安倍政権のやらかしてきたことは、それ以前からの左翼(の不甲斐なさ)をもその一部として含めた歴史の流れの中にあり、誤解を恐れずに表現するなら一つの「必然」でもあります。昭和史に続く平成・令和史くらいならいざ知らず、日本史とか、ましてや人類史の中で、彼の存在など小さな歯車の一つにすぎません。安倍政権がもくろんだ、イデオロギー先行で国の形を変えてしまおうという試みについても、安倍氏一人がいなくなっても、何も変わりはしない。

 そしてそれらが「あの時がターニングポイントだった」と言われるような悲惨な末路を私たちにもたらすか否か、それもすべて今後の私たち日本社会の全員の判断にかかっています。

 選挙運動のリアリズムで言えば、安倍さんの死は自民党に有利に働くでしょう。予想以上の大勝になることも考えられます。また、治安維持を理由として、より一層、ウクライナ反戦の運動など、反戦平和への弾圧(国家権力や右翼の)が強化されることになるでしょう。実際、今日の今日で、すでにネット上には「安倍暗殺」「背後に外国勢力が」などという、安倍さんの「何でも利用主義」を引き継いだ、安倍さんという人間の死をダシにした、冷酷なレイシズムや排外主義の扇動がはじまっているのです。

 今のところは権力者も「戦争だって選択肢の一つだ」とは言えない。「俺たちだって戦争は望まない」というしかない。親玉であるアメリカも、そこで子分である日本政府を一気に苦境に立たせかねない、あからさまなことまではいきなり要求すまい。その程度には気を使っている。だがそれも、すべて私たちの反戦の意識レベルにかかっているのです。ウクライナ情勢や安倍氏の死などさえも利用しつつ、それを少しづつ浸食しようと試みてくるでしょう。今一層警戒していきましょう。

 最後にもう一度繰り返します。死んでもいい、死ぬべき、あるいは犠牲になっても仕方のない、そんな人間なんてこの世に一人だっていません。

草加耕助

ネット上の反応
安倍晋三元首相銃撃事件(無為雑感ブログ)
お悔やみ申し上げま せん(反戦な家づくり)
テロの犠牲者は安倍だけではない(アフガン・イラク・北朝鮮と日本)
最も民主主義を踏みにじった者が民主主義を踏みにじる者によって地獄に送られる(たたかうあるみさんのブログ)
暴力的に銃殺された安倍晋三元首相への最も平和的な追悼の方法(村野瀬玲奈の秘書課広報室)
安倍元首相の銃撃死がもたらす更なる日本の保守化のおそれ(新党憲法9条/天木直人のブログ)