日の丸で6・13緊急行動に参加した皆さんへ

この方々の参加は嬉しかった 6・13対抗行動は、「ボクらは民族排外ではありましぇん」と言い訳していた在特会側が、そういうタテマエが面倒になったのか「在日を追い出せ」とシュプレヒコールして歩くといういう、彼らの本音満載のモノクロームなデモだったのに対し、対抗行動には桜井誠氏の扮装をして子猫ちゃんやウンコマークを可愛くデザインした日章旗を掲げて踊り歩くパフォーマンスグループや、反対に大真面目に日の丸を掲げて歩く人、沿道から飛び入り参加した市民や中高生、さらにはいかにも過激派っぽい人(爆)まで、実に多士済々でユニークなものになりました(写真の数々はこちら)。このように、誰でも参加できる場を設けて、主義主張で区別せず、いろんな立場の人に表現の機会を与えてくださった主催者の皆様のご苦労にはあらためて感謝申し上げます。

 さて、その中でも日の丸掲げて6・19行動に参加された方々はちょっと珍しかったもんで注目を浴びる結果となり、他のサイトでも紹介されたりしています。そのご趣旨は参加者に寄稿していただいた報告文にはちゃんと書かれていますので、良くも悪くも変に誤解されるようなことはないと思いますが、もし皆さんがここをご覧になっていて、なおかつ「ちょっと違うよ」みたいなことがありましたら、メールでもコメントでも結構ですのでお知らせください。

 まず私はこの方たちをほめたい!なぜほめたいか?それは必ずしも集会の趣旨に賛同した人たちだとか、そういう自分の主義主張を正当化するための材料としてほめたいわけではない。何よりも、「オレにはできねえ!」「すげえ」と思うからです。だってさあ、逆の立場で考えてごらんよ、たとえば「北朝鮮糾弾国民大会」とかいう名称の集会にさあ、赤旗掲げた集団が「金正日なんて左翼じゃねえ!」というプラカードを持って飛び入り参加するようなもんなんだぜ。

 いや、決してそういう行動自体は間違ってはいないよ。実際、チベットや北朝鮮関連の行動や集会に、左翼は大勢参加しています。とりわけ長野での北京五輪抗議の闘いでは、旧第四インター派の諸君が亡命チベット人の地道な行動をサポートし、それを台無しにしかねない街宣右翼の跳ね上がりに対しても「そういう行動はやめろ」と、周りの市民と一緒に制止しながら中国への抗議活動も展開するとか、結構かげながら頑張ったりしているわけですよ。
 けれどね、左翼のほとんどの人はそういう場所に何も持たない手ぶらの「個人資格での参加」なんです。だから左翼が来ていることは全然見えないわけ。けれど私だって、そういう集会に参加しようと思ったら、おそらく(いや絶対に)手ぶら参加したと思う。会場にはモノホンの街宣右翼がごろごろしてんじゃねえかとか、そうでなくても右巻きの人が多くて、せっかく純粋な気持ちで参加しているのに、なんやかやとイデオロギー主義的な立場から難癖つけられんじゃねえだろうかとか、それで、「まあ、主催者に迷惑かけてもいかんしな」とか「自分の怒りや気持ちが表現できればいいや」とか適当に自分で納得して、当たり前のように手ぶらで行ったでしょう。

 けど、あんたらは違った!ちゃんと「これは『左右対決』ではなく人間性の問題だ」「在特会の主張に違和感を持つ人は主義主張にかかわらず誰でも参加できる」という集会の趣旨を真正面から受け止め、その中で自分の主張を気負いもてらいもなく自然体で表現した。そこが偉い!あんたは偉い!「草加は日の丸を認めるのか!」とかそういう議論ではないのです。ついでに言えば日の丸を掲げたい人も、掲げたくない人も、その両方が認められるような社会でなければそこは「自由の国」ではありえないのはもちろんですね。

 それで確かにさ、私みたいに京都にいて、今回みたいに個人参加で成り立っているような反戦集会に参加した経験のあるものなら、おそらくこういう真面目な人が参加しても全然大丈夫ということはわかるわけです。むしろ交流会にまで来てもらえたら、いろいろ話しに花が咲くこともあるだろうなとか思うわけよ。けど、あらかじめそういうことを知らずに初見で来たわけですから、「ひょっとして左翼ばっかりなんじゃないか」とか、「文句言う奴もいるんじゃないか」とか思わなかった?

 あなたたちを見てさあ、ちょっと考えさせられたよ。少し前のエントリーで、在特会への抗議を「左右対決」にしてはいけないという主張を書きましたよね。そのとき、拉致問題を右翼的な主張とセットにして打ち出し、左翼を意図的に排除すると共に、右翼主張の支持者拡大に利用する「抱き合わせ販売戦術」に不満を表明しました。
 もちろんそのこと自体は全然まちがっていないまっとうな主張だと思うけど、拉致問題や北朝鮮難民支援の運動の中には、「主義主張を問わない」としているところも少数派に属するけれどあるし、右翼が牛耳るような多数派でも、表向きは「全国民的」というタテマエで集会をやることもあるでしょう。そういうところにちゃんと赤旗や自分の主張を掲げたプラカードもって参加するなんてこともあっていいんじゃないかと思わされたわけです。

 甘えていないで、左翼としてそういう場所でも今までみたいな個人資格での参加ばかりでなく、堂々と自分の考えや主張を押し出して、その上で排除とか妨害とかされたら、それから「こんな羊頭狗肉の偏った運動ではダメだ」と文句言ってもいいんじゃないかと思いました。ただ、これを読んで実践されたあげく、北朝鮮の人権侵害への抗議を「全国民化」することに恐怖や反発を抱くような心無い右翼に吊るし上げをくらっても、わたしゃ責任はもてません(笑)。

 もちろん皆さんが「右翼なわけではない」ことは承知した上でなんですが、実は寄稿された報告記事に書いてあるあなたがたの主張は、ネトウヨさんや在特会などによって、人間という存在に心底失望させられる前に私がもっていた「右翼のイメージ」そのものなんですよ。街宣右翼はその中に入りませんよ。彼らは言論弾圧と弱い者イジメが仕事ですから。ただ、私が思っていたのは、それ以外に本物の右翼思想というものがあって、そこで生きている人は考え方や方法は違っても、すべての人の幸せを願う気持ちや、弱い者イジメはしないという人間としての誇りとか正義感とか、そういうものは持ってるんだろうなと漠然と思っていました。しかしそんな右翼がどこにいるのか?見えるのは、ネトウヨさんや在特会のような、言論弾圧と弱い者イジメを楽しんでやっているような人ばかりではないかと。女の子一人を100人の大人でニヤニヤ楽しそうに笑いながら吊るし上げに行くような行為は、「言論」でも「運動」でもなんでもありません。それ以前に人間ですらありません。

 左翼が長い年月をかけて理想を忘れて腐っていった中、近年の右翼バブルでわらわら出てきたような部分も、やはり同じような経緯で腐っていくんかなあと思っていたところに、在特会のような「左翼の悪いところ」ばっかりを切り出して、ポンと裏返したようなんが出てきた。あそこは左翼の最悪の部分を最初から全部持っている。時々、「あれって右翼というより左翼崩れなんじゃないの?」という人がいるんですけど、本当にそういう臭いがぷんぷんする。左翼の10倍のスピードでこんなのが出てくるようでは、ウヨサヨ言う前に、もう人間なんてダメダメかもしれんと絶望しかかりました。

 しかし、みなさんの存在は、「考え方は違う(対立する)が心に理想をもっている人」との緊張ある関係、なんというか「くそ!負けてはいられん!」という気持ちにひさびさにさせてもらいました。そういう意味で、ありがとうございますと言いたいです。

1件のコメント

人の営みが先か、国家の価値が先か (2)

少し間があきましたが、「人の営みが先か、国家の価値が先か (1)」の記事の続きをもう少し。
「国家とはすべてに先んじる不可侵の絶対的存在でもなく、自然人である人民が常に服従すべき絶対的価値でもない、ということを共通認識として持つことなしには現代の『国家』について論じることは現実にそぐわないし、無効である」と前回の記事で書きました。
前回の記事をもう一度お読みいただきたいのですが、誤解を恐れずに簡単に要約してしまうと、「『国家』という『形式、枠組み』の価値は、そこで生活している『現実の人々』にくらべて、そんなにご大層なものですか?」ということです。
以下にさらに説明します。…

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です