「小説三里塚」第一章 開拓

戸村一作:著『小説三里塚』(目次へもどる

第四話 むしろ旗がゆく(1)

戦前の御料牧場放牧地 武治が帰郷してから、間もなく農地改革が始まった。これはアメリカ占領軍マッカーサー司令部の占領政策の一環として行われたもので、財閥や地主を完全に解体しようとするものではなかった。
 現人神・万世一系の天皇「裕仁」も、日本の「象徴」としてそのまま皇居の中に残ったのである。それをまた象徴するかのように、三里塚の天皇家の財産――下総御料牧場三五〇〇ヘクタールの、その一〇分の一を宮内庁の所有として残すごとになった。この残された土地が禍根となって、その後、三里塚に空港問題が起きるのである。

 終戦直後、武治のように戦地から或いは戦災地から郷里の生家に帰ってきた者が、辺田部落ばかりでなく近隣の農村地帯には相当数いた。彼等はみんな農家の、次、三男だった。耕すに土地なく、といって今更兄貴から土地を分けて貰って新宅するわけにもいかず、宙に浮いた存在となっていた。といっていつまでも兄貴の処に居候をするわけにはいかず、他に仕事を物色中のところ、はからずも御料牧場解放の噂が周辺に広まったのである。

 御料地は、今まで何人たりとも鍬一つ入れられず、木一本伐っても後に手が回るという御法度の土地だった。それが農地改革として解放されるというのだから前代未聞の出来事である。すると、解放以前に実力的な開拓が始ったのである。「餓えて死ぬよりは、遊んでいる土地は耕して、食物を作れ」これは誰かに煽動されたものではなく、ごく自然の成りゆきだった。

 たしかに耕すに土地のない農家の次、三男の眼の前には、御料牧場という広大な土地が休眠していた。そこが全面解放されれば何百世帯という家族が、土を耕すことによって食を得ることができるのだ。

とんび鍬 一九四六年五月一六日の未明だった。
 むしろ旗を先立てた四〇人余りが、武治の家の下の道路に整列した。やがて人々は隊列を作って歩き出した。
 むしろ旗が朝風に靡いて、揺れた。各自は鳶鍬(とんびくわ)を肩にし、木の根の方向に向かって進んでいった。先頭のむしろ旗には筆太に、「御料地解放、食料自給」と書かれていた。木川武治の書いたものだった。

 未明の静けさを破るざわめきに、只事でない雰囲気を感じた部落の人々が、雨戸を手繰って道路を見下した。むしろ旗を先頭に堂々と続く隊列を見ることができた。
 庭先に立ってむしろ旗の字を読んだ庄兵衛の老人が、呟いた。
「いよいよ、おっぱじまったか。先頭は武治じゃねえかよ」

 武治は鳶鍬を肩に、先頭を切って進んでいた。木の根の原に到着したのは六時頃だった。むしろ旗を松林の際に立て、芝生に集合した。男女合わせて四五人がいた。顔ぶれは芝山から大栄町、中には富里村から来た者までいた。その多くは三〇代だった。
 指揮者は辺田都落の帰還兵、戦後になって海軍少尉に昇進した木川武治である。彼は不動の婆勢で、皆の前に立った。髪の毛は総髪で、口髪が伸びて、彼の威容を保っていた。

「みなさん、今日はご苦労様です。われわれは日本の敗戦によって塗炭の苦しみをうけ、帰還した者であります。今や日本は、樺太、千島は奪われ、その上、朝鮮、台湾を失なった。これからの日本はどうやってやっていくというのでしょうか。われわれに対しても政府は何も方針を出していない」
「その通り」
 と、その時、群衆の中から誰かの声がかかった。そして、拍手が起きた、武治は一瞬とまどったがゴクリと生唾を飲み込むと、その声援に力を得たかのように、再び続けようとした。が、緊張したせいか、声がつまって思うように出ない。それでも武治は、咳払いを一つして後を続けた。

「われわれは郷里に復員した。しかし農民として耕すに土地なく、住む家なく、家族を抱えてその食さえこと欠く始末です。天皇のため国のために生命を捧げてまで戦ったわれわれに対して政府は何ら報いようとはしない。みなさん、これを見て下さい。わしはこのように一六の菊の紋章入りの恩賜の煙草を貰っているのです。しかるに今の政府のわれわれに対する態度は何だっ」
 彼は軍服の内ポケットから大切そうに恩賜の煙草を一箱、一同の前に高く捧げて見せた。
「みなさん、みなさんの前に広がる木の根の原を見て下さい。私たちは食料を作るために、この原を自らのカで開拓しようではありませんか」
「そうだっ、その通りだっ」
 パチパチとあちこちで、拍手が鳴った。

 四五人の者は二手に分かれ、並列して木の根の一角から、一斉に鍬入れを開始した。その辺りは昔から牛馬や緬羊の放牧地であって、土は岩盤のように硬かった。重い鳶鍬の刃は跳ね返って、なかなか思うようにいかなかった。それでも彼等は威勢よく掛け声もろとも、一鍬一鍬と打ち込んでいった。

 大勢だからお互いに張り合いも出て、昼頃までには五アールのあらく(荒起)を見るまに起こしてしまった。彼等は異様な雰囲気に包まれて、超人的な威カを発揮したのだった。こんな能カが人間にあるとは、誰もが信じ切れなかった。天皇の土地に鍬を入れる集団行動で、初めて人間の力の恐ろしさを知らされた。

 一二時になっても仕事は続いた。二、三落伍者が出たが、新手が鍬をとって交替した。仕事は驚くほどはかどっていく。
「少し腹が減ってきたぞ」と、誰かがいった時である。
「おーい、みんな一二時だぞーっ。昼だぞーっ」
 木川武治が両の手をメガホンにして大声で叫んだ。
 彼等は鍬を持つ手を休めて、むしろ旗の立つ芝生にゾロゾロと集まってきた。各自の持ってきた手弁当を開いて昼食を始めた。

「今まで天皇陛下のもんで指一本だって手のつけられねえ土地だったがなー」
「うーん、もうこうなったら天皇もへったくれもあんめえ」
「誰が何といったって家族を飢え死にさせることあできねえからなー」
「それによ、俺らいつまで兄貴の家に身を狭くして居侯してもいられねえからよ」
「そうだよ、俺だって戦争から帰ってみれば兄弟は多いし、猫のふてえ(額)みたいな土地を分け合ったって共倒れだし、何とか土地をめっけねぇとな――。まあこの際、遊んでいる土地は全て国のもんであろうと誰のもんであろうとひっくり返すべきだよ」

 昼食は、農民でありながらも、米の飯を食っている者はなく、副食物もなく、ほとんどがメリケン粉を練ってふかした団子や、さつま芋などであった。これでよくこんな重労働ができるものだと、お互いに弁当を見合って怪しむばかりだった。
 誰が連れてきたか、赤いセーターの三歳位の女の子が現われて、団子を食う人の前に立った。小さな人さし指を口にくわえて、無心に口元をみつめていた。その人は残っていた団子を一つ子供に差し出した。女の子は団子を手に握って、母親のところに一散に走っていった。

 その時だった。一頭の白馬に跨った一人の背広服の男が、松林の陰から現われ、こちらに進んでくるのが見えた。

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