機動隊のガス銃に関する国会議事録 ー国際法で禁止される毒ガス兵器だった

 「D君は、おそらくもっとも悲劇的である。彼は、右眼球摘出手術を近く受けねばならない。彼は、いまそれを知らぬ。彼は、右眼がまったく動かない、右半分の歯もぜんぜん利かず、右頬も、要するに右顔面全部の神経をやられていると語った。『ぼくの右眼はダメになるんでしょうか』と彼は医師に聞いた。医師は黙って答えなかったという。彼の左の眼も二、三日はぜんぜん開かなかった。指で無理にこじあけるようにして彼はものをみた。」

 それから、ずっと状況が書いてあります。

東大闘争「ねらい撃ち 工学部列品館屋上にたてこもる学生に、法文1号館屋上からガス弾を打ち込む機動隊員」朝日新聞1969.1.18夕刊「彼は、背中に直撃弾を一発受けた。背中一面が熱く痛く背骨がガーンと殴られたような感じで、フニャフニャとD君は屋上にしゃがみこんだ。緊張していたので背中の痛みは間もなく消えた。友人がさすってくれたからだろうか。ともかく彼は起き上がり、ふたたび立った。そのとき彼は、水中眼鏡を目からばずして口にあてた。呼吸が困難なほどガスが立ちこめたからである。と同時にD君は、右眼に直撃を受けた。彼がちょっと横を向きかけたとたんにガス弾はななめ前方から飛んできた。隣接する建物の屋上から、彼のいた屋上に、機動隊員は水平ねらい撃ちを続けていた。一瞬なにもわからなくなった彼は、担架に乗せられロープで降ろされる自分をかすかに感じたまま失神した。」
 「D君は、二、三日前、自分の左眼で右眼を鏡にうつしてみた。『眼の周囲が全体に黒くなり、いく筋も縫ってあって、眼球はパチンとふさがったまま、まぶたも閉じたまま、まばたきもできません』と話した。いまも、タンといっしょに血が出る。歯や唇の右半分は利かない。」

 これは手術前の状況であります。そしていまから二十日ほど前に右眼を摘出手術したはずであります。こういう事実をつかんでおられますか。

東大闘争で顔面に機動隊のガス銃を受けた学生○川島(広)政府委員 お答え申し上げます。
 一月十八、十九日の東大の事件に関しまして、けがをしました学生の総数は、東大病院、一切の病院を含めまして、私どもで承知しておりますのは百四十一名でございます。その中では、いま御指摘のような眼球の手術をしたという事例は聞いておらないわけでございます。
 御参考まででございますけれども、現在なお入院加療しておりますのは一名でございまして、それ以外は全部完治をしている、こういう状況でございます。

○楢崎分科員 それでは、この右眼球摘出、失明は知らないとおっしゃるのですか。東大病院のただいま申し上げました戸張、清水両先生に連絡をとられればすぐわかることですが、全然御存じないですか。

○川島(広)政府委員 いままでの調査では私どもは承知しておらないわけでございますので、さっそくに調査をいたしたいと存じます。

○楢崎分科員 ほかにもここに顕著な例が五つほど報告されておるのです。全部十五メートルないし二十メートルの至近距離から撃っておるのですね。そうして特に顔面をねらえということになっておる、そうすると、ただいまあなたがおっしゃいました指導方針あるいは配慮事項と全然反するやり方を現場の指揮官はやっておる、こういうことになるわけですが、どうですか。

○川島(広)政府委員 お答え申し上げます。
 先ほど申しましたように、東大で使いましたのはおおむね三カ所でございますが、いずれも至近距離からは使用しておりません。一番短い距離が七十メートルの距離で使用しておる次第でございます。

○楢崎分科員 顔面をねらえということはありませんか。

○川島(広)政府委員 さようなことはございません。

○楢崎分科員 あるのですね、それが。これはこのときの状況がさる放送会社から放送されております、そのときの実況が。それで私は、いま警察がおっしゃっていることと、現場の指揮官がガス銃を持っている警官に指揮をしている内容が全然違いますから、私は資料をもってそれをここで示したいと思うわけです。テープをここに持ってきておりますが、資料としてここでかけさしていただきたい。食い違っておるから。

○橋本(龍)主査代理 今日までの委員会の慣例としては、テープを委員会の場で資料としてかけた例はございません。――例はこざいません。
 楢崎委員に申し上げます。いままで委員会においてテープを資料としてその席上でかけたことはございませんので、ただいまの御要望、非常に重大な点であると思いますから、資料として御提出を願い、その旨御要望のあったことを理事会に御報告をしておきたいと思います。

○楢崎分科員 ただいまの点は、過剰警備というか違法警備を論証する重要な資料になるわけでありますから、警察がそれを否定されている以上、私どもとしてはそれを反論するための資料として、どうしてもここで明らかにしたいところであります。しかし時間の関係もあり、また、主査の御配慮もありますから、理事会にこの資料を提出をして、そしてこの問題についての審議の取り扱いを理事会におまかせしたいと思います。その結果によって、また私は問題を発展させなくちゃなりませんから、その問題は一応保留しておきます。

○橋本(龍)主査代理 ただいまの御趣旨をよく理事会のほうに報告をいたします。

注)この時、橋本龍太郎によって再生が禁止された文化放送の録音テープ(69年1月19日の東大安田講堂からの実況中継)は後日、国会内で再生された。そこには、機動隊と共に安田講堂に入ったアナウンサーの「ラセン階段をはさんで、投石とガス弾の応酬が続いています。『顔を狙え』と叫んでいます」という実況に続いてガス銃発射の轟音、ついで指揮官の「顔を撃て!顔を!」という声がはっきりと数回録音されていた。

○楢崎分科員 私は、このガス銃は使い方いかんによると思う。われわれの調べたところでは、二十メートルぐらいの至近距離から撃つならばベニヤ板も貫く。この御提出をいただきましたガス銃の写真はわかりましたが、実はこれに込めるガス弾を私は見たかったわけであります。私どもの関知しておるところによると、これは非常にかたいたまになっておる。それで至近距離で撃たれるならば、これは致命的な打撃を与える、もしくはそれこそ殺人兵器になりかねない。(中略)
 総理は私の要望に対して、慎重にこれば考慮する。そして委員会終了後私のところに参られまして、私が出しましたいろいろな問題点が明確になるまではこれは中止させる、そう約束されました。で、去年の予算委員会以降今日まで、いわゆるクロールアセトフェノン、略してCNと呼びたいと思いますが、CN液を実戦として使われたことがあるかどうか。

○川島(広)政府委員 お答え申し上げます。
 ガス液は、今回の東大において使用いたしております。

○楢崎分科員 今回の東大紛争のとき、ヘリコプターからまかれたものがそうである、そのように思ってよろしゅうございますか。

○川島(広)政府委員 お尋ねのとおりでございます。(中略)

○楢崎分科員 それでは警察のほうにお伺いをしますが、この催涙液を浴びて警察病院に入院しておった患者であります。名前も明確にわかっております。Eとしておきましょう。E君は明大の学生であります。入院後三日間は警察病院で危篤状態であった。全身の二分の一が炎症を起こしておる。そして入院二週間後に皮膚の移植手術を行なったはずであります。現在東京拘置所にいる。そういう事実に間違いありませんか。

○川島(広)政府委員 ただいまお尋ねのE君でございますが、お尋ねのとおり、私のほうもそのように承知をいたしております。(中略)

○楢崎分科員 結局確認されたわけですね。――そこで結論に入ります。
 もう一ぺん厚生省にお伺いいたしますが、このクロールアセトフェノンの製造方法を御存じですか。

○下村説明員 お答えいたします。
 詳しい工程は存じておりませんが……。(中略)

○楢崎分科員 それでは、モノクロール酢酸を使いますか。

○下村説明員 使うと思います。(中略)

○楢崎分科員 モノクロール酢酸は劇物指定になっておるでしょう。

○下村説明員 そのとおりでございます。(中略)
 先ほど申し上げましたように、劇物の指定をいたします条件といたしまして、毒性について検討している次第でございます。まざった分の場合の毒性については、検討ができてないと存しておりますので……。

○楢崎分科員 違いますよ。条文を読みましょうか。(中略)モノクロル錯酸を使って、そうしてクロルアセトフェノンをつくるのですから、だから当然これは劇物指定の対象になるはずです。(中略)どうしても、これほどの被害が現実に出ておるのですから、私は私を素材にして実験をしてもらいたい。私は昨年の佐世保のときに被害を受けたのです。幸い軽くて、早く洗ったから予後がよろしゅうございましたけれども。私を素材にして実験していただきたい。委員長、ああいうごまかしを許すわけにいかないです。

【失明や口蓋破裂 ガス弾当り重傷者続出】
 朝日新聞1969年1月19日号(引用)

『18日の東大構内での反代々木系学生排除の際、機動隊のガス弾が顔にあたり、このため目をえぐられたり、くちびるが裂けた重症の学生5人が出た。
ガス銃撃は医学部中央館屋上でまず始まり、塔屋の学生に百発近いガス弾をあびせた。(中略)ガス弾は長さ約20センチ、直径約4センチ、プラスチックの弾体の先端に木部と長さ約1センチの鉄パイプがついている。重さが約150グラムあり、20メートル離れてベニヤ板を打ち抜くほどの威力
警視庁は「仰角30度に、できれば50メートル離れてうつよう指導しており、直撃させたことはない」といっている。』(野次馬雑記さんより)

参考リンク

『東大落城 安田講堂36時間の攻防戦・・・40年の真相SP』を途中から見た(由紀子さんの会員日記)
嗚呼、東大安田講堂(土佐高知の雑記帳)
東大安田講堂事件の真相を見て(けんちゃんの吠えるウォッチング)
安田講堂落城 “あの日”から40年学生たちのその後を見て(けんちゃんの吠えるウォッチング)
40年前の1・18(同)
40年という年月(土佐高知の雑記帳)

胸うつ、女性たちの歌。69年、東大安田講堂(東雲通信)
東大安田講堂攻防戦外伝 攻撃者たち(野次馬雑記)
銃じゃないョ?(変人日記)

そしてカルテだけが残された~毒ガス工場大久野島(備忘録)
うさぎ島は毒ガス島だった、大久野島の歴史(Tabetainjya)

⇒懐古的資料室のトップにもどる

東大全共闘

5件のコメント

三一書房の新書「催涙ガス」ではこの国会質疑も踏まえて危険性を告発した本では「催涙性毒ガス」と呼ぶべきだと書いてありました。東大闘争の時にヘリコプターからドラム缶に入れた原液をぶちまけた事も。 https://t.co/htFzWGUmvD

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です