注)このエントリーは、ブログ「どこかにある場所」の「ここの管理人」さんが当方に送った「批判」への返事として書かれたものです。意味のわからない方は、このエントリー後半にある事実経過からお読みください。
**************
「どこかにある場所」管理人様。
お返事を差し上げたこと、「迷惑」と言いつつ「返事が楽しみ」と書かれているんで、正直「どないせいちゅうねん!」と思いました(笑)。
>俺は小泉大臣のやってることを一方で支持しているし、一方で非難している。
>これは何に分類されるんだろう?
いや、別に、単に「小泉さんより少し右」ってことじゃないですか?同じファシズム右派の内部問題でしょ。
そんなこと言い出したら、過去一貫して共産党と全面対立して、今でもブログで批判を続けている私は何になるのって話ですよ。あなたから見れば「同じ左翼の内部対立」でしょうに。
>「保守」を左の一部としている
とは何を指しているのでしょう?私は社民党さえ「もはや左翼とは呼べない」と思っているくらいですが。穏健保守もファシズムも「右」であることに変わりはありません。ただ「右は全部敵だ」とは思っていないことは確かです。これからの運動は左翼的な思想に凝り固まるのではなく、いわゆる護憲派や穏健保守などの右側にもウイングを伸ばしていくべきだとは思っています。
>別にあんたの意見なんざ聞いてないよ。
あら、そうですか(笑)。先に意見を言ってきた(もしくは喧嘩を売ってきた)のは管理人さんであって私ではありません。私はあなたが「草加耕助なる人物」などという無礼な言葉つかいでつきつけた「意見」に、礼儀を守って返信しているだけではないのでしょうか。それを勝手にひねくれて解釈し、「偉そう」だの「迷惑だ」のとは、何と言う言い草でしょうか!
「偉そうな人ってのは」 管理人さん、まさしくあなたのことです。違いますか?
だいたい自分の方から「意見」を送りつけておきながら、こちらの意見には「迷惑な話である」というなら、最初からトラックバックなど送らなければいいでしょう。自分のブログ内でだけ批判してればいいんです。それなら私も放置します。私は「活動家」ではないので、自分の意見を言っているだけであって、他人様の考えを変えてやろうなんて気はさらさらありません。私の意見を他人がどう思おうが、それはその人の自由です。
しかるにあなたは自分は他人の意見をボロクソに批判しておきながら、他人からの意見は「迷惑だ」などと言いいなします。
「とっちゃん坊や」 ってのは、そんな自分勝手でわがままな、あなたの態度のことです。違いますか?
もう一つ言うなら、私は「理想の国」なんぞ目指しておりません。特定の理念に社会を従わせようなど、オウムの例を見るまでもなく、危険極まりないことだと思っています。ただ抑圧され、殺され、困っている人が世界のどこかにおれば、それを何とかしたいと思うのは人情でしょう。私なんざそれだけの存在です。自分が「左翼」だなんて自覚すらありません。そのことはちゃんとブログでも表明(解説)しております。
私のブログでは、私と考え方が真逆な保守系ブロガーや、正真正銘の右翼活動家の方々が、常連として多数のコメントを書き込んでおられます。そしてそれが罵倒ではなく、ちゃんと噛み合った議論として進行しています。私はむしろ自分と考え方の違う人の意見(アホな罵倒はのぞく)は、お金を払ってでも聞きたいし、そこから学びたいと思っています。こういう私の態度が「迷惑」であるとおっしゃるのなら、私もこの文章を最後にあなたとかかわるのはやめにしましょう。ならばあなたも私に、うざいお子様なちょっかいを出さないで下さい。自分だけに批判の権利があり、相手の反論は迷惑だというのなら、言葉本来の意味ではなく、罵倒語として使われているそのままの「ファシスト」と断定されても仕方ないでしょう。
最後に言うなら、「これにより犯罪者が世に放たれ」るわけでは全くありません。なぜなら元被告達は、もう20年以上前に、全員が刑期を終えて釈放されているからです。長い人で12年も獄中にいました。もし、彼らに「罪」があるとしても、その「償い」は充分に終わっています。そして彼らはこの20年間、何らの違法行為を犯していない。むしろ普通の市民よりも穏健に生活してきた「ただの人」です。あなたは刑期を終えて社会復帰しようと努力する人まで「犯罪者」呼ばわりし続ける人間なんですね?さらに言うなら政府運輸省(当時)は、反対派に対して第3者をまじえた「成田公開シンポジウム」の席上で、暴力的な空港建設の非を全面的に認めて謝罪しています。
さらにあなたは他人のエントリーを全く読んでいないので、開港すらしていない空港の「運輸・運送を滞らせ」たなどとトンチンカンなことを書かれたり、非難の内容も単に「犯罪者」すなわち「法律に違反している」ということのみにつきています。決して被告達の行為の中身に踏み込んだ批判はされておられないようですね。
では逆にお聞きしますが、「法律に違反した犯罪者」はすべて「悪人」ですか?明治維新の志士達は?奴隷制に反対して奴隷を逃がしたりかくまった人達は?北朝鮮から官憲の目を逃れて密出国した難民は?南アのマンデラ元大統領は悪人ですか?チベットのダライ・ラマは?ヨーロッパでは当時のドイツの法律に忠実に従って罪のないユダヤ人を虐殺した人を、後から「犯罪者」として裁いています。しかしその当時はユダヤ人をかばった人のほうが「犯罪者」だったのです。この逆転をどう考えるのです?
もしあなたが「それは当時の法律のほうが悪かったのだ」とおっしゃるなら、「その通り!」と私は答えるでしょう。では三里塚闘争と管制塔占拠闘争はどうだろう?それとは別の問題として国の成田空港建設方針とその手法は妥当だったのか?そこから噛み合った討論をはじめることもできたでしょうに残念です。
それでは。今後のご健勝をお祈り申し上げます。さようなら!
[Sponsor Ads]
【事実経過】
1)旗旗の「彼らは英雄なんかじゃない!」というエントリーに、「どこかにある場所」さんよりトラックバックが送られてくる。タイトルは隠してあったが、行ってみると「ヤクザの資金調達」という題名だった。
「(1億円を集めるために)いったいどんな脅しをかけたのやら」
「犯罪者でしかない連中を支援する者がいるとは」
「よくもまあここまでデッチアゲる事が出来る、と呆れてものがいえません」
「ヤクザや右翼が金をせびってるのと同じである」
「他人にどれだけ迷惑をかけたのかが評価の基準なのだろう」
「これで大人のつもりであるならば、とっちゃん坊やと呼ばれても仕方あるまい」
「どうせこれも共産党や社民党、あるいはその他の団体が背後に存在してるのだろう」
2)こういう書き方をする人は、過去の経験からは粘着な人が多かったので迷ったが、こういう意見の人と落ち着いて真面目に討論できたら、自分の考えを広げる上でも勉強になるだろうという誘惑に勝てず(笑)、ついつい返信コメントを残してしまう。まずは敵意がなく、交流を望んでいることを示し、できるだけ威圧感を与えないように以下のコメントをした。考えが違う人へのコメントは神経質なくらい気を使ってしまうが、そのくらいでちょうどいいと思う。
*** (ここから) **********
投稿者:草加耕助2005/11/22 19:25
あまり穏やかではないタイトルを消してのトラックバックなど、いろいろとお気遣い(?)ありがとうございました。いろいろなお考えもあると思いますが、多くの方の善意(その目的が正しいかどうかのご意見はあるでしょうが)にふれることができて、幸福な4ヶ月でした。
どのような取り上げ方であれ、事態を他の方々に知らせていただき、感謝しております。今後ともお互いの人生が交差することはないでしょうけれど、管理人様のご発展と幸福を祈念いたします。
*** (ここまで) **********
これだけでは私の考えや意見がないので、「小泉首相は(日本を変えようとしているから)革新派に分類される」という驚くべき定義のエントリーにも、以下のコメントを残すと共に、こちらの「勝利宣言、我々は、再び不可能を可能にした!」 をトラックバックしておいた。
*** (ここから) **********
投稿者:草加耕助2005/11/22 20:33
ケチをつけるつもりはないのですが、左翼的には小泉さんのような立場は「革新」ではなく「ファシズム」と定義されます。今まで「ファシズム」はせいぜい「軍国主義」と同義の政治的罵倒語として定着してきましたので、かえって誤解をまねいて使いにくい言葉なのですが、本来は「ある資本主義体制が行き詰った時、その変革と突破を右から主張する勢力」の総称です。普段は通常の保守勢力に抑圧されて登場を許されませんが、いざ、体制崩壊の危機の時代には、民衆の不満を右翼的に吸収して体制を守る目的で使われます。これを左翼的には「擬似的革命(革新)性」と呼びます。
主な支持勢力は都市部中産階級とその師弟です。彼らは体制の行き詰まりの被害を最も受けて没落しています。今まで経済的には力を持ちながら、これといった圧力団体にも組織されていないので発言力もなかった不満もたまっています。2ちゃんねるのユーザー層とも重なりますね。日本の場合は「都市部中産階級の払った税金を地方にばらまいて利権をむさぼっている旧来の保守政治家」が攻撃対象です。
ファシズムにもいろいろあって、こういう「旧来の保守と大資本家の結託」「対米従属派」との闘いを重視して、左翼との共闘も辞さない「ファシズム左派」もいます。しかしだいたい最後は「左翼とは徹底的に闘うが、大企業や米国とは妥協する」ようなファシズム右派に収斂され、「新しい体制」が存続可能になったらお払い箱というのが結末でしょう。軍国主義とファシズムは親和性が高いですが、必ずしもイコールではないです。
なお、管理人さんがこういうファシズム右派を支持することに文句を言うつもりはないです。それはそれで自分の信じる道を行くしかない。ただ、用語の不適切さを指摘しておきます。
*** (ここまで) **********
3)これに対して即日に「呼び方は数あれど」という返信エントリーが立つ。冒頭こそ「旗旗というブログに張り付けていたトラックバックの返事をいただいた。予想外の事にびっくり」とか「加えて「妄想妄言極まれり」に解説を残してくれてありがたい」などと期待を抱かせたけれども、それも束の間だった。これは邪推かもしれんが、書いているうちにどんどん筆がのって(頭に血がのぼって)くるタイプの人なのかもしれない。
「迷惑な話であるという事では何の差もないってのを再認識しました」
「こういう偉そうな態度が左翼の共通事項なのかもしれない」
「犯罪者の保釈金の為に涙ぐましい募金活動をしていたのはよーく分かりました」
「これにより犯罪者が世に放たれ、また悲惨な出来事が起こるのかと思うと頭が痛くなります」
「理想の国が欲しいなら、無人島にでも行って勝手に生活してればよろしい」
「ともあれ草加耕助なる人物が・・・」「草加耕助視点の話でしかない・・・」
「別にあんたの意見なんざ聞いてないよ」
4)で、頭かかえて、「もう討論は無理」とあきらめるにいたった。んで最後にこのまとめエントリーを書いて終わることにした次第である。今後何か書くとしても、このエントリーのコメント欄限定のつもりです。
実はこのエントリーをトラバすんのも迷ったが、まあこの人は、自分のブログで吼えているだけの方であり、それは他人の人権を踏みにじらない限りは文句のつけようがない人だ。別に他人のブログや掲示板を荒らしまわって快感を覚える人(いわゆるネットウヨ)ではないようだしね。これでお互いに2回づつトラバを送りあったわけだから、こちらからはこれで終わりにしようと思う。後はどうなと好きなように言ってくれちゅう感じかな。
だいたい「損害賠償」を「保釈金」と勘違いし、元被告たちがいまだに獄中にいると思い込んでいる時点で、もうこちらの主張は全く理解する気もないということがわかって気がぬけた。もし「お前らの意見なんぞ理解する必要もない」ってんなら、最初から討論ふっかけてくんなよ!と、いうところです。あー疲れた。がっかりした。
おもろいなあ
またまた旗旗から返事もらっちゃった。らっきー。
とりあえず最後の方から引用。
3)これに対して即日に「呼び方は数あれど」という返信エントリーが立つ。冒頭こそ「旗旗というブログに張り付けていたトラックバックの返事をいただいた。予想外の事にびっくり」と…
草加さん、お疲れ様でしたー。
彼の場合はホットな管制塔ネタでたまたまトラバってたから忙しい草加さんも手間をかけたでしょうが、
この手の 「自称中道⇒実は自覚のない政権よりも右派」 というパターンは、blogには掃いて捨てるほどありますよねー。
『それはさすがに違うやろーお前さん・・』と唖然とするケースもたくさんある。
(もっとも・・たまに私自身が演じることもあるが・・笑)
最近特に感じるんですが、「普通の人の普通の生活においてポジティブに関われるような・・」
そんなイメージの左派の主張や活動って、出来ないもんですかね。。
ま、左派そのものが政権与党のアンチなんだから、単純に考えて、かなり難しいだろうと思うんだけど、これだけ世の中が壊れてくると、案外やれそうな気がするんだが。。
例で言うと・・管制塔関係で、例の「A氏」の気持ちを、一切の制約無くちゃんと汲み取れるような主張や活動こそが、求められているような気がするんですが。。
「正しい正しくない」の議論の前に、まず「席についてもらう」ことが最重要だと思う。。
(おっと・・またピントズレテルか–苦笑)
(無題)
さー、どんどん行こう!
さらにあなたは他人のエントリーを全く読んでいないので、開港すらしていない空港の「運輸・運送を滞らせ」たなどとトンチンカンなことを書かれたり、非難の内容も単に「犯罪者」すなわち「法律に違反している」ということのみにつきています
まだまだ続いてます。
いかん、さっきタイトルを入れずにトラックバックしてしまった。「無題」になってるよ、どうしよー。
それはそれとして。
で、草加というお大尽は、ステキにまとめてくれた経過報告をなさってます。参考までに。
【事実経過】
1)旗旗の「彼らは英雄なんかじゃ
続いてます
なおかつ、勝手にこちらの意図をねじ曲げないで欲しいもんである。
これだけでは私の考えや意見がないので、「小泉首相は(日本を変えようとしているから)革新派に分類される」という驚くべき定義のエントリーにも、以下のコメントを残すと共に、こちらの「勝利宣言、…
あーあ、やっぱり書けば書くほど頭に血が昇るタイプの人だったんだねえ。なんかトラバどんどん送りつけてきているよ。
こういうタイプの文章を書く人は例外なく「粘着さん」だという私の予感は的中しちゃったね。:mrgreen:
ざっと見たけど、未だに三里塚闘争とか。3・26闘争を、自分の頭の中だけで、現実におこった事件とは全然別物の事件に思い込んでいるようです。んで、自分の頭の中だけにある架空の対象に一生懸命な批判(ならぬ単なる遊び半分のからかい)を繰り返しておられます。
自分から「保守・革新の分類」という話題をふっておきながら、それに応じてあげると「そんな分類は意味ない」と言い、自分で「小泉こそ革新なんだよ」と書いていたので、そのまま引用すると「曲解すんな」とくる分裂ぶりで、これでは議論に応じても、「あー言えば上祐」で、少しも話は前に進まないでしょう。
批判は全然オッケー!なのですが、あれだけ失礼な文体の罵詈雑言(しかも内容は事実無根のデマ)を送りつけておいて、こちらがどういう対応をすればこの人は満足するんでしょうか。ちゃんと丁寧な言葉で返信したのですが、最初のエントリーのデマに対する当方への謝罪もなく、相変わらすの態度。今度は「草加というお大尽」という呼称で人を呼んでいる。「どうかしている」としか言いようのない、このエラソーで「自分だけが正しく、相手の主張に意味はない」と言わんばかりの尊大な文体から見るに、きっとモニターの向こうにいるのが自分と同じ「対等の人間」であるということや、他人の痛みや人間の心といったものが、まったく理解できない、「ゲーム感覚」の人なのであろうと思う。「わはは、おもろいな」という言葉でそれを自白しています。「おもろい」ですか?そうですか。人の生き死にや人生がかかっていることが、そんなに「おもろい」ゲームですか。
これでは正常な社会人とはいえますまい。社会人だと思って対応してきたけれど、真面目な話、ひょっとして中学生くらいの人なんかもしれませんね(あるいは極端な二重人格で、普段は表に出さないとか)だとしたらあまり突き放した対応はしないほうがいいかもしれないと思いますが、もしそうだとしても、全然人の話を聞かないで、自分の頭の中だけで「事実」をつくって突っ走って「罵倒ゲーム」を楽しむ人なんで、正直もう私では救えない。放置しておくしかないのか?(ないんだろうな) 😐
あー、そうそう、「どこかにある場所」の管理人さん、今後、当ブログに粘着するなら、内容にかかわらず、あなたのトラバ等は全部このエントリーにお願いしますね。無差別にトンチンカンなトラバを大量にばらまかれると、他の人の議論の迷惑になりますから。それくらいの礼儀は守ってね。
ここに送る分には消さないと約束しますが、あまり粘着が酷くて当ブログや、ここで議論している方の正常な(目的にそった)運営を実力で威力業務妨害していると判断した場合、当方は自分達の言論の自由を守るために、妨害行動へのしかるべき防衛措置をとります(つーても、消すだけだけど)。
あなたのことだから、自分で粘着しておきながら「消された!」とかわめきかねない人なので、あらかじめ警告しておきます。ま、「そこまでお子様ちゃうわい!」ということでしたら、お詫び申し上げます。
これ、他の板で書いた原稿なんですけどね、権藤成卿とかここの左派の方々はご存知ですか?戦前右翼の重要な思想家・運動家なんですけど。むしろ新左翼には日本アナーキズムの流れで評価をされていたと思います
戦前の「国民運動」の中で、多分唯一成功したのは彼がイデオローグだった農村救済運動でした。権藤の周囲には、5・15事件に連なるテロ・クーデターを求めるいわゆる「昭和維新派」もいましたけど、彼はその志は評価しつつも、自分は全国各地を巡り、明治政府への圧力をかけて農村救済政策を取らせるよう、東京に集結する事を呼びかけました。そして、全国から駆けつけた農村の代表者たちは、政治的スローガンは避けて具体的な農村救済・経済支援などを訴え、しかもあくまで平和的に全国会議員に面会や陳情を繰り返し、確かに限定的なものだったとは言え政府から救済政策を引き出したんですね。この運動に疲弊し、しかも病身だった権藤が日中戦争直後に世を去ったのは残念でしたが、この運動は現在もっと評価されていいものと思います。
権藤の「右の側からの明治国家批判」は、江戸時代までは武家政治の元保護されていた「社稷=地域共同体」が近代専制国家の元破壊されてゆくというのが基本的な視点でした。
彼の思想を簡単に要約すると、権藤は江戸時代までの、いわゆる武家政治を大変高く評価してるんです。それは、村の自治に決して介入せず、安定した秩序や民政に心を配る政権としてですね。特に鎌倉時代を評価してます。これは藤原=貴族官僚専制支配を、農村と直結した民衆の保護者=武士階層が打倒したものと見なしているからです。南北朝では後醍醐天皇に批判的で、後醍醐天皇が民政を省みず、貨幣乱発で経済を混乱させた事を批判し、本来の社稷の長としての皇室のあり方(神を崇め、社稷を重んじて民に範を示す)を逸脱したと見なしています。
皇室については「社稷の象徴」としての意義を認めているので、明治国家による近代天皇制には多分批判的なんですよ。あくまで「社稷=民衆の自治共同体」の安定と平和、繁栄の象徴としての皇室を権藤としては評価しています。黒色戦線社が権藤を評価した時は、多分彼のこれらの姿勢をアナーキズム的なものとして読んだんでしょうね。ただ、実際にはむしろ、江戸時代的なものに価値をおく日本の真の「保守」の姿勢なんだと思います。
ですから、民衆に対しては、衣食住が確保され、職が安定し、あと結婚ができれば幸せなんだ、という上から眺める視点が確かに権藤にはあるんですね。勿論そう簡単ではないけど、その様に取られかねない一面はあります。(急いで付け加えますが、逆に衣食住と、地域共同体が安定すれば、人間は必ず人道的精神を得るだろう、という権藤なりの理想主義や楽天性もあって、必ずしも民衆蔑視ではないんですが)政府、支配層にはそのために民衆を保護する責務があり、それを怠る事は絶対に許されない、という考えもある種の理想化された武家政治の精神だと思います。官僚支配や明治国家に反逆したのは、要するに国家が民衆の保護という義務を怠り、村落自治を破壊していると見たからなんですね。また企業の労働者切捨てにも同様の視点から批判しています。
一方で近代化や産業の発展には好意的で、それも要するに人口の増加の中で民衆の衣食住を豊かにするためには経済発展大いに結構という感覚なんですよ。同時に、その近代化、産業化が、格差を広げ共同体の連帯意識を破壊することには当然批判的で、経済発展を成功させ民衆に幸福を真にもたらすためには、逆に近代社会こそ、その基本的価値を社稷(地域共同体)に置かなければならないとしています。社稷を守る姿勢の無い経済発展は、格差と共同体の破壊を招き、個々人を疎外する。社稷が破壊された国家では、民衆は官僚エリートの支配する国家体制に統合・隷属されざるを得ず、真の自治が失われ官僚独裁体制が全国民の生活も内面も支配してしまうという視点が、権藤の明治国家への根本的批判の視点だったと思います。ですから民主主義や個人主義には余り触れないんですね。権藤からすれば、社稷に根ざさない民主主義、個人主義、自由主義は、明治国家と同じく日本には根付かないと考えていたんだと思います。民主主義も彼の中では、社稷自治を確保するための手段として価値が認められておりまして、国会よりも、村議会、まあいまで言えば市町村議会に大きな権限を持たせ、富の格差が生じたらば公的権限を持って是正させるべきだと考えています。
そして共産主義、社会主義に対しては、そんなに否定的じゃないんですよ。「やたら難解な議論をしたり恐るべき思想であるかに言う人もいるが、要するにあれは国家を家族有機体と見なす考えであり、私有財産否定というのは、家族の中では財産が共有されるように、国家の中でも国家の富が困っている人にも共有され保護されるようにするということだろう」と、まあ完全な誤解ではあるんですけど、そんなに悪くは言ってないんです。ただし暴力闘争や過激な運動には明確に批判してます。権藤にとっては、西欧の思想も制度も、そんなに否定すべきものではなく、英国の農村保護や、ビスマルクの開発独裁のいい面(上からの福祉政策)などは、近代化の中での社稷保護のためにも有効だから進んで取り入れるべきだ、というわりと柔軟な姿勢を示しています。
あんまり左派系の板で右翼の宣伝は自粛してきたんですけど、右派のステロタイプ的に見られたくないのでちょっとこういう中々ユニークな思想家を紹介してみました。
草加さんの所にも色々と迷惑な人が出没していたのですね。お忙しい状態にもかかわらず対応されたとは。本当にご苦労さまでした。トラバをたどって見に行ってみましたが、まともに論議できる相手ではないようですね。支離滅裂な駄文がつづら手いるだけでした。
三浦さん>
こういう右翼の思想を紹介してくださるのは、ちっとも迷惑ではないですよ。右翼の政治主張や「行動提起」だと荒れるかもしれませんが、こういう根本的なものの考え方などは、むしろ新鮮でもっと知りたいとさえ思います。自分達の思想や人生観と比較してみるのは無駄どころか大切なことであるとさえ思います。
>右派のステロタイプ的に見られたくないので
あー、大丈夫。あの人は右派とも右翼とも言いがたい。ただの自覚なき小泉信者ですから。もののわかったまともな人なら、これらのリンク先の文章を読んで「だから右派のやつらは」とか「これだから右翼は」とか思わないですよ。単に「ひえー、こいつすごいな」と思うだけでしょう。
それにしても、こういう輩が増えてきて、真面目な保守や右翼の人も、頭痛いというか、大変ですね。
アッテンボローさん>
対話を試みたんですが、時間の無駄でした。爬虫類とコミュニケーションするほうがまだ楽です。
こういう輩に対して「アホはほっとけ」とかいうことを言う人が多いのがやっとわかった。こういう言い方には同意してなかったし、向こうも同じ人間なのだから、話して対話して学びあうべきだと思ってきたんですけどね。お互いに人格を尊重しあうという、言うまでもない当然の前提が通じない人との対話は成立しませんね。「アホはほっとけ」に同意するまであと5秒です。
相手先のブログ読んでみましたが・・
なんか感情的な罵声が並んでいるばかりで、議論というものができない人なんだなぁってことはわかりました。
やはり言葉を使うからには、理論でやりとりしたいものですね。
『感情的な人』認定
旗旗におけるこちらの評価は「感情的な人」「議論の出来ない人」という月並みな所に落ち着いたようで。
これによりあっしはあちらの住人からめでたく排除される事になりました。
自分を高尚な存在にしておきたい方々にとって、「自分らのルールに従わない連中」とい…
荒らしの王道 キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!
いや、「感情的な人」ではなくて「失礼な人」。「議論のできない人」と言うよりは「最初から議論する気がない人」なんだけど、まあそれはどちらでもいいや。しかしついにでましたね。まだインターネットなど影も形もないパソコン通信の時代からの古典芸能が。
1.「なんだここは、くだらない奴らがくだらないことばかりくっちゃべっているな」等、とにかく相手を怒らせるような事を書きまくって荒らす
2.当然に住人が怒って猛抗議、「嫌ならくるな」とか言われる。
3.そこで待ってましたとばかりに、「気にくわない奴は排除かよ」とか、「言論の自由」とか言い出して引き回す。
と、言うのが80年代末期頃からの荒らし(という言葉すらなかったが)の常套手段だった。よって1.の段階で「荒らしは放置、華麗にスルー」が基本的対処となる。
しかしいまだにまったく手口が変化してないんだなあ。まあ、荒らしに「文化」をもとめてもせんないことか。
さらに昔は意図的な手口だったものが、最近は大真面目に「排除かよ!」と言っているやつもいるようだ。荒らしや2ちゃんばかり見て育った輩が、そちらのほうが「普通」と思い込んでいるみたいだ。
しかしそんなことして楽しいのかなあ?人とコミュニケーションとったほうが豊かな人生送れるとおもうのだか、そういうのが苦手でうざくて、匿名で人を傷つけることにしか、他人との関わりをを持てないようになったのだろうか。それともそういうのが「コミュニケーション」とか「議論」だと思い込んでいるのだろうか。どちらにせよ、「わはは、おもろいなあ」と言いながら人の悪口雑言を書く人と交流しても、有意義な何かを得られるはずもない。何と言われようと、そんな非常識きわまりない「ルール」は受け入れられない。
しかし今回は、「一つの文章を書きながら、それをいくつものエントリーに分割して大量のトラバを送りつける」という、トラックバックスパムをまねたような嫌がらせが目新しかった。まあ、今後はこういう、一つの文章を無意味に分割して送りつけるトラバは、一番最初のものだけ残してあとは消すことにすればそれで「トラックバックというシステム」の趣旨からは充分だろう。
「自分らのルールに従わない連中」って・・
「理論的に議論する」っていうのは人と人とが議論しあう上での「社会全体のルール」だと思いますよ。
理論的に議論しようとしただけて「高尚」ととられるなんて、「高尚」のレベルも落ちてしまったものです・・
(無題)
相手にしたくないならコメントなど書かずに済ませば良いのだが、それができないのが草加耕助らしい。
やはり旗旗に新しいコメントが掲載されていた。ご苦労な話である。
>いや、「感情的な人」ではなくて「失礼な人」。「議論のできない人」と言うよりは「最初から
初めて書き込みさせて頂きます。
こちらの旗旗さんはよく拝見させて頂いております。
実は世の中の右左というありがちな分類からいえば、私は完全に右に属する者です。
以前は当時出始めていた(語弊があるかもしれませんが)所謂”新右翼”と呼ばれる組織におりました。旧来型の民族派右翼とは多少異なりますが、これまた”左翼”に分類される方々見れば所詮同根の集まりなのでしょうが。
私自身は右左という分類自体が不毛であり、意味の無いものだと思っております。またあらゆる主義・主張はその差異こそをまず認めるべきであって、そこに優劣は存在しない筈です。然るに”左であるから”、”右であるから”、という前提で全ての議論を組み立ててしまう者こそ、了見の狭い独裁者へ通ずる者だと(言い方おかしいですが)考えています。
さてこちらの旗旗さんを拝見するに実に論旨一貫しており、
個人的に賛成しかねるところもありますが、見ていて多々勉強になります。自分と異なる価値観、意見を見るのは良い刺激になるものです。
今回”どこかにある場所”さんを見ましたが、一応私と同じ様に右を自称される(していなければ失礼)方だけに、余りにも論理的でない(そういうのも完全には否定しませんが、時と場合によりませんか)、話の展開にあきれ果ててしまいました。相手にする程の価値もありませんね。顔の見えないところで礼儀もわきまえない外道以下であると感じました。
私自身この文章を見ていただければわかりますが、どう考えても論理的な”保守派の論客”ではありませんが、筋だけは理解しているつもりです。
旗旗さんおかれましては今後も外道な声に邪魔されること無く、己の主張を貫いて頂ければ、一読者として幸いです。
長文失礼致しました。
たこさん>
書き込みありがとうごさいます。実は私もサイト開設当初はまったく想像もしていなかったのですが、このブログは右派の方々に非常に広く読まれているようです。しかもわりと好意的に評価していただいているようで、ありがたいと思いつつ、一方では少々複雑でもあります。
確かに意見の違う方に評価していただけるというのは、同意見の方に評価していただく以上に光栄なことではあります。そして違う価値観の持ち主同士で交流できるのは本当に嬉しいことで、「良い時代になったなあ」とも思います。
「複雑だ」というのは、サイト開設当初の私は、右派や右翼なんぞ、どうせみんな、上の「どこかにある場所」管理人さんみたいな輩ばかりだろうと決めつけていたわけですね。ところがサイトを運営しているうちに、このブログには三浦さん、省港旗兵さん、「こっちへおいでな」のRRさん、「手前ら、日本人なめんじゃあねえ」のhideさん、「夢の島」のChic Stone さんら、右派の方々にも多く集まっていただき、非常に冷静なコメントをいただいたり、「頑張ってください」とまで言われたりして、最初は面食らいました。
で、そのうちに、やはりこれはやばい事態ではないかと。こういう「普通の感覚の人」が右派潮流に入ってくると、右派の主張が洗練された上品なものになり、一般に受け入れやすいものになっていくんではないかと思いました。だって左派は今まで右翼と言えば「暴力団」、「ファシスト」と言っておればすんだわけです。そしてそれは根拠のないことではなかったわけです。でも、こういう人々を「右翼暴力団」って言っても、説得力がない。逆にこちらが「どこかにある場所」管理人さんみたいな立場になっちまう。そして実際にそういう立場に立っちまった左派の人もいるだろうと思うわけすね。
実は右派の方々、とりわけhideさんみたいなブログを書いてる人との交流は、左派的にはリスクがあって、同じ左派仲間から後ろ指さされたり、裏切り者扱いされる危険がある(しかもかなりある)わけです。誤解を恐れずに言えば、やはりhideさんとかには「差別者」「ファシスト」とか言って糾弾しておくという対応が「無難」だったりするわけです。でも、もう、そんなこと言ってたら、時代に取り残されるのではないかと思います。
結論のない問題意識のみの吐露を長々と書いてしまいましたが、まあ、そんなこんなで、お互いの自由な意見表明へのプレッシャーや制動にならない範囲で、今後とも切磋琢磨していけたらと思います。
ぼくとさん>
彼は本当に人を罵倒しているつもりで、またしても実に冷静に自分のことを語っているわけです。曰く「議論において、人に自分だけのルールを押し付けようとする、自分だけが絶対だと思い込んでいる独善的(←「高尚」をこう読みかえればよい)な人」
彼のブログから私達が学べるのは、「一般社会で通用しないルールは、ネットでも通用させてはならない」ということです。そうでなければ、ネットはただのアウトローや外道、不良の溜まり場に成り下がります。そこでの各人の主張は他者との交流を前提としない、単なる自慰行為にすぎません。
それをあたかもネット独特の長所である「多様な意見の自由な表明」とはき違えるのはまさに噴飯ものであって、「自由のはき違え」そのものです。ネットが社会の人々に受け入れられるようなムーブメントになるには、社会人としての最低限の常識を欠いてはいかんと思います。それでは現実に影響をもつことなどできません。まさしくネットの自殺行為でしょうね。
こちらでは初めてコメントします。
まあ、ともかくもお相手ご苦労様です。「どこかに云々」のようなタイプの方こそ本来の意味での「勝ち組」というべきでしょう。あくまでも「本来の意味」であって、昨今使われているような意味(たとえば所謂「ヒルズ族」を「勝ち組」と呼ぶような使い方)では決してないことを強調しておきますが。
無給専従さん(どうやって暮らしてんの!?)>
おっしゃることは私のような無知蒙昧な者からは、いろんな意味に解釈できて、言わんとされることを確定するのが困難なのですが、ますます「勝ち組、負け組」という言い方が嫌いになりました。私は古臭い人間ですので、やはり昔ながらの「判官びいき」のほうがしっくりきますねえ。
す、すみません、言葉足らずだったようで。
「勝ち組」「負け組」という言葉はそもそも第2次世界大戦終結後、南米の日系人の間で「日本が戦争に勝った」「負けた」と主張する二派にわかれた事に由来する言葉で、勝ったと主張する人々を「勝ち組」、負けたと主張する人々(もちろんこちらの主張が正しい)を「負け組」と称されたもので、現在使われてる用法とは全然ちがいます。
私が言いたかったのは、どんなに支離滅裂むちゃくちゃな事をわめきちらしても自分が論破してると思い込んでるらしい「どこかに云々」氏を一言で表現するにはちょうどいい言葉だと思ったんですが、結局説明が長くなってしまったようで。
あ、それとこのハンドルはかれこれ10年以上使ってまして、あくまでそんな人はいるわけないという意味合いも含んだシャレで実際は今のところ所得税を払う程度には収入はあります。
[過去記事ランダム] 「偉そうな人」がやってきた! http://t.co/kYwsfiRuOE
[…] 出典bund.jp […]