自社さ連立(1994)は、議会を公約(政治理念)をめぐる支持争いから、単なる「数合わせの多数派工作」の場に変質させる、決定的な契機となった
by ジグザグ会/まっぺん
1. 戦後民主主義の堕落と大衆運動の没落
階級的対抗軸を消滅させた20世紀
20世紀最後の10年間に起こった日本の国政選挙における大きな事件は、労働者階級の代表的な政党である日本社会党が消滅したことだ。社会党は1993年の衆議院選で90年の136議席から70議席へと半減、95年の参議院選でも92年の71議席から37議席へと同じく半減した。この流れは止まらず、社会民主党へ改組し臨んだ96年衆院選では15議席、98年の参院選では13議席へと転落した。
社会党の没落と消滅は資本を代表する側の政権党に対抗する「労働者側の階級的対抗軸」を失ったことを意味する。現在の共産党と社民党を合計しても、得票数数百万では投票総数の10分の1程度に過ぎず、到底「階級的対抗軸」にはなり得ない。
社会党がこうなってしまった客観的要因として、91年ソ連・東欧圏消滅という国際環境もあるが、それよりも直接的な要因は国内資本の側からの労働運動解体攻撃にある。中でも社会党がその運動の拠点であり選挙の票田としてきた総評労働運動の解体がもっとも大きい。
日本社会党消滅の主体的要因
それに対して主体の側はどう対応しただろうか。資本の攻勢に対して階級的対決を進めてきたのは議会内ばかりではない。もしも議会外大衆運動が十分に活動的であれば、この資本からの攻撃に対抗する手段もあり得ただろう。
議会外の運動とは、労働組合による職場でのストライキや、街頭でのデモ行進や座り込みなどである。かつて国会前に結集した数十万の人々の力によって岸内閣が打倒されたのはその一つの例である。しかし主要には70年代以来の議会外左翼運動の堕落によって大衆運動は後退し、それは総評解体に対する抵抗力を失わせる要因となった。これ以後、日本では大衆運動が政治を決することはなく、人々は議会外での闘いに自信を失ってゆく。
一方、議会内では社会党の自民党との連立が社会党自体を崩壊させる主体的要因となった。過半数割れを来した自民党は94年、総理大臣の座まで提供して社会党との連立内閣を成立させた。この時総理大臣となった村山富市はこの厚遇に応えて「自衛隊合憲」「消費税5%増税」を発表。労働者政党としての独自の階級的立場さえかなぐり捨てて自民党に迎合したのだ。資本の利益を守る政党と労働者の階級政党が手を組んでいったいどんな政策を実現できるというのか。政治権力にしがみつくための単なる「数合わせ」の利権政治は支持者への裏切りに他ならない。
翌95年の参議院選では社会党が没落するとともに、この年の投票総数は憲政史上最低の44.5%を記録した。政党政治に対する主権者の失望感がはっきりと見て取れる。これ以後の日本の政党政治は「公約への支持を呼びかける」という政党理念を置き去りにした「数合わせの多数派工作」になり果て、およそ民主主義とは真反対の権謀策略の権力闘争へと展開してゆく。
その後、社民党になってから「自衛隊違憲」の立場には復帰したが影響力を回復できず、社会党時代には得票数1千数百万もあった勢力が、現在ではわずか104万票にまで転落している。
保守派野党の誕生と民主党への収斂
21世紀に入って19年のあいだに、国政選挙は13回行われた。その動向をこれまでの自公政権と野党の攻防の中でたどって行くと大きな変化が起こってきたことがわかる。そしてその兆候は、すでに前世紀から始まっていた。
日本社会党の解体によって、自民党に対する対抗軸は「階級的視点」を離れ、資本主義を前提にした「リベラル派の視点」から形成されてゆく。社会党の没落と引き換えに、日本新党、新生党、新進党などリベラル保守政党が代わるがわる現れては自民党と政権を争うことになるが、やがてそれは民主党へと収斂してゆく。
2. 貧困化がもたらした政治への絶望
「聖域なき構造改革」への民衆の期待
この頃の日本経済はバブル経済崩壊の後遺症から抜け出せないままでいたが、これに対する自民党の基本政策は80年代以来レーガノミクスやサッチャリズムなどによって提唱されてきた新自由主義政策が踏襲され、それが格差貧困を拡大し続けている。
新自由主義政策は大資本優遇による産業再編を意味するが、公営企業の民営化と、公共サービスの資本への売り渡しをも伴う。電電公社、国際電電、専売公社、国鉄などの民営化に続き、2001年に登場した小泉内閣では郵政公社、高速道路、営団地下鉄、国際空港公団、電源開発など、まだかろうじて残っていた公営企業についても片っ端から民営化を推し進めて行った。
小泉政権の「聖域なき構造改革」路線は生活の困窮にあえいでいた民衆を幻惑するものだった。「改革」をすれば、自分たちの暮らしが良くなるのではないか。民衆のこうした願望は自民党の大量得票と議席増に結びついた。
民主党「国民の生活が第一」への期待
小泉政権の2001年から2006年までの間、2004年の参院選を除いて自民党は2千万票台を維持し、特に2005年の衆議院選では2588万票という大量得票を実現させた。
しかしやがて、「改革が民衆の生活を向上させる」という願望が虚構であったことを人々は実感してゆく。小泉改革は民衆の生活をますます困窮化させただけだったのだ。
その頃には民主党も2000万票台の得票が続き、自民党最大のライバルへと成長していたが、小泉「改革」路線に欺かれていたと知り自民党に失望した人々は、小沢・鳩山民主党の「国民の生活が第一」路線に向かって一斉になだれ込んでゆく。
時あたかも2009年8月。第45回衆議院議員選挙で劇的な転換が起こった。自民党が1881万票へ大幅に票を減らしたのと対照的に、民主党が2984万票を獲得し政権の座に就いたのである。この時の議席数は自民党が296議席から119議席に転落。対して民主党は113議席から308議席への大躍進であった。
民衆の期待を裏切った民主党短命政権
民主党の大量得票は有権者の期待の大きさを表していた。発足時の鳩山政権への支持率も6割を超えていた。それはまた自民党「小泉改革」路線への失望の大きさをも表している。
しかし民主党は、自民党「改革」に破壊されてきた民衆の生活を回復させることはできなかった。わずか3年の間に次々と交代したどの政権も民衆の期待を裏切るものばかりだった。鳩山政権では「最低でも県外」とした普天間基地移転の公約を実現することができず、次の菅政権でも議会内では自民党との協調に終始するばかり。野田政権に至っては消費税8%増税を可決成立させてしまった。
民主党が真実の「民衆の味方」になり得ないのは、民衆の側ではなく資本の側に沿った政権運営しかできないからである。日本の金融・産業構造に全く手をつけずに財政改革などできるはずがない。そこが階級的立脚点に立てない民主党の限界であった。
民主党への絶望から「政治」への絶望へ
2012年、民主党はわずか3年で政権の座から転落し、自民党が再び政権を回復した。しかし、その時の各党の得票数を見ると、議席数に反映するものとは到底言えないことがわかる。まさに小選挙区制の弊害が現れたものと言える。
民主党は2009年の2984万票から926万票へと3分の1以下に転落し、2千万票も票を減らした。しかし政権の座に返り咲いた自民党も、実は前回よも200万票も票を減らしている。つまり自民党への期待が戻ったわけではないのだ。
では民主党と自民党から去っていった合計2200万票はどこへ行ったのだろうか。そのうち1200万票については新しく登場した日本維新の会が獲得し、54議席の中堅政党として躍り出た。では、あとの1千万票はどこに行ったのか。
実はこの年の投票総数は2009年よりも約1千万票、率にして10%も下がったのだ。1千万人が投票行動をやめてしまったのである。この年の投票総数は6166万人、投票率57.5%。投票率はこれ以後下がり続ける。1千万人の有権者が民主党への失望を通して「政治そのもの」に失望したのだ。民主党が残した犯罪的遺産である。
議会政治の腐敗堕落と有権者の失望
民主党の没落から7年、民衆の政治不信は続いている。投票率は上がらず、それは自民党に有利に作用した。
自民党安倍政権は「1強5弱」と言われる政治状況を最大限に利用して、やりたい放題の利権政治を行なってきた。数の力を頼みに、真面目な答弁もせず時間つぶしに終始する国会運営は民主主義形骸化の極みである。また安倍政権は日本国憲法の三大原則である国民主権、基本的人権、平和主義の全てを破壊する改憲によって、日本を再び戦前のような国家主義的強権国家へと改造しようとしている。
このような議会政治の腐敗堕落が生み出されてきた原点は1994年の自民党と日本社会党との「理念なき野合」にある。
政党政治とは、主張の同じ者同士が結社し、その主張の是非を有権者に問う政治だ。25年前、日本社会党が、その「政党政治の基本中の基本」を忘れて自民党と結託した「理念なき野合」は3年前のリベラル派民主党と極右の維新の会との合同へと受け継がれ、今日の安倍政権にまで行き着いてしまった。
こうして日本の民主政治は70年代には議会外左翼の堕落によって大衆運動への信頼が大幅に後退し、次に90年代の自民党と社会党による理念なき野合が議会政治への信頼をも失わせたのだ。その結果、その時々の条件によって増減はあるが80年代まではおよそ70%台であった投票率がやがて60%台に下がり、2001年以後は、小泉改革の2005年と民主党政権の2009年を除けば50%台にまで下がって行くことになった。
3. 政治への希望と自信の回復に向けて
山本太郎とれいわ新選組の躍進
ところが、小さいながらもこの政党政治の堕落に抗し「本来の政党政治」をめざして挑戦する勢力が現れて大きな話題を呼んでいる。参議院議員の山本太郎がひとりで立ち上げた新党「れいわ新選組」である。
彼が所属していた自由党は国民民主党と合流したが、彼はそこには合流せず、自らの議員生命を賭して新党を立ち上げ、立候補者を公募した。すると、投票日までに政治献金が4億円も集まり、また大勢の人々が立候補者に応募した。山本はその応募者たちの中から様々な社会的問題を抱える当事者たちを立てて選挙に臨んだ。
選挙期間中、れいわ新選組はインターネットを通じて大きな注目を浴び、都内での街頭演説会ではどこでも二千、三千、四千と聴衆が集まる勢いとなった。この結果、マスコミの冷淡な対応にも関わらず得票数228万票を数え、山本本人は落選したが、国会に2人の議員を送り込む事に成功した。
山本太郎とれいわ新選組がここまで急速に支持者を増やした理由はまず第一に、その明快な8つの公約にある。
(1)消費税廃止
(2)全国一律最低賃金1500円
(3)奨学金徳政令
(4)公務員増加
(5)一次産業個別所得保障
(6)トンデモ法一括見直し
(7)辺野古新基地建設中止
(8)原発即時禁止
極めて明快な、自民党政権へのアンチテーゼである。しかも、それは言葉でこそ「労働者」だの「階級」だのといった左翼用語を一切使っていないが、日本社会党以来の明確な「階級的対抗軸」に立脚した自民党への対案を突きつけているのである。山本太郎の視線は最底辺の貧困者たちや政府権力の弾圧に苦しむ人々に注がれている。
第二に、多くの民衆が、れいわが掲げる嘘のない正直な公約を、これまで有権者の意志を踏みつけ数合わせの謀略政治に走る、堕落しきった政党政治の頭上に振り下ろされた「正義の斧」と受け止めているからである。れいわの鋭い批判の矢は野党にも向けられているのだ。
第三に、山本太郎を応援してきたのは、彼のこれまでの生き方を見つめ、その人間性に共感している人々だからである。2011年、福島原発事故が起きるや、反原発のために高額報酬の俳優業も捨てて起ち上がり、6年間の議員活動でも自らの理念を押し通した山本太郎に共鳴した人々によって、れいわ新選組は押し上げられているのだ。
政治への希望を取り戻すチャンス!
「れいわ旋風」が吹いたのは、これまで大衆運動に絶望し、数合わせの謀略政治に絶望してきた人々が、それでも格差貧困拡大と生活崩壊の危機に直面した時に、同じ危機感を抱いて政治に切り込んできた山本太郎に共感した結果である。
山本太郎とれいわ新選組は本気で自民党政治を終わらせようとしている。そのために野党共闘を進めるに当たって、山本はこれまでの政党政治が歩んできた謀略的政治取引を拒否する姿勢を見せている。たとえば消費税「凍結」ではなく最低でも5%以下の減税でなければ共闘しないと言い切る。この山本の政治姿勢は、野党共闘に必ず良い影響をもたらすだろう。
嘘のない正直な政治主張こそが、人々が政治への信頼を取り戻す唯一の道である。数合わせの政治取引を拒否し底辺の貧困者たちとともに歩むことで、必ず道は開ける。それは今ある政治地図をこねくり回すことではない。政治に失望している数千万の有権者をもう一度奮い立たせることで道は開ける。
その時、誰がほんとうにれいわと手を結び、道を切り拓くことができるだろうか。それはれいわとの共闘を「自党の利益のための利用」としか考えず、もう一方の手で資本と手を結ぶような政党ではない。真実「最底辺の貧困者、虐げられた人々」に眼差しを向けることのできる政党だけである。社会党の消滅とともに消え去った「階級的対抗軸」をもう一度構築する道こそが我々が進むべき道である。
権力に叩き潰され逃走した元新左翼が、社会党→民主党→れいわに幻想を抱き続けたって話w
さちさんへ>
コメントありがとうございます。
しかしまたずいぶんとねじくれた読み方ですね(笑)
それとも、わざと(あえて)誤読して挑発しているのかな?
一応マジレスすると、まっぺんさんがしているのは、与えられた使命とチャンスをまっとうできない社会党や民主党の路線や体質に対する強い批判ですよ。あ、そういう論理展開が新左翼みたいってこと?
そういや麻生政権末期の政権交代選挙とかの頃、よくネトウヨ系のカタカナ「ウヨク」のみなさんからは、自民党を批判すると、勝手に「民主党支持だな!」的なからまれ方をしたなあと、懐かしく思い出しました。苦笑するしかないです。ピントはずれなんだよね。まあ、その頃のエントリとか読んでみてください。
れいわについてはねえ、その「新左翼」系はだいたい懐疑的か、距離を置くか、批判的だよね。新左翼がわかってるみたいな書き方をしているさちさんは当然にご存じだろうけど。
私は(おそらくまっぺんさんも?)そういう単純で公式的な批判ですまされないと思っている。そりゃ批判しろと言われればできるけど、れいわは、野党が裏切ってきた民衆の期待や政権への批判をまっとうな形で拾い上げている。新左翼的な言い方をするなら、それは大衆の「自然発生性」であり、そこにあらわれた怒りには正当性があると思う。「党」としてみた場合には、危なっかしいものではあるんだろうけれど。
あと、新左翼のみならず、日本の大衆運動の問題として、より本質的には「権力に叩き潰された」というよりも、自壊して大衆に呆れられ、見限られたという側面が深刻であると思う。
よく言われる内ゲバ的な体質ということになるのだろうけど、もうそんなことは日本の大衆運動の歴史を多少なりとも知っている人には自明の共通理解であって、酷い歴史の教訓として蓄積されつつあったと思う。また、独裁政権時代の韓国の民主化運動をはじめ、海外でもそのあたりの運動史は研究されていて、教訓化もされてきた。
ただねえ、なんか3・11以降に運動に大衆運動に参加してきた部分が、古い運動の負の歴史にとらわれていない層だと期待していたのだけれど、自分の国の大衆運動さえ知らないもんだから、見事にこの部分で先祖帰りしているんだよね。自己の主張の絶対化とか、他社への排除や攻撃の仕方とか、要は内ゲバ主義なんだけど、ああ、20年くらいかかって、やっとそんなことやめようというのがコンセンサスになりかかっていたのに、またこんな古臭いことを一からやり直すのかと。
もちろんそういう部分は新左翼どころか、左翼でさえないわけで、もうこうなると、ことは「新左翼の問題」とか「左翼の体質」云々として問題たてていいのかと。
まあ、そういう中でいろいろと考えてあがいて、もう15年ほどブログやってるうちに考えも変わった部分もあるけど、問題意識としては一貫していると自分では思ってます、そのあたりはブログの「運動組織論」カテゴリのエントリとか読んでみて、その上でこういう、わざと誤読した挑発(一行か二行の書き逃げ)ではなく、真面目な意見とかもらえるとありがたいです。
世界中の人が自分の意見に賛同するなんてあり得ないのですから、自分の意見に反対する人(とりわけ少数派)に対して、どういう態度をとれるかで、その人なり運動なりの値打ちや将来性が決まると思っています。