2008 東京・反G8デモの禁止と参加者逮捕を弾劾する

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反G8デモの禁止と参加者逮捕を弾劾する
動画】東京・柏木公園でのG8対抗集会とデモ

 去る6月29日のことになりますが、東京の新宿と渋谷の二箇所でG8サミットの抗議行動が二つ行われました。うち渋谷の行動について、公安当局が集会の直前になってからデモを不許可・禁止し、それに抗議した人を8名も逮捕するという暴挙がおこなわれました。以下、二つのデモを紹介するとともに、言論の自由を認めないこの暴挙を断固批判したいと思います。

せめてあと1メートルのデモの自由を!(新宿デモ)

 大雨の中、私の知り合いでも大半の方々は、新宿・柏木公園の市民集会とサウンドデモ(約500名の参加)に行かれたようです。私も人脈的には柏木公園の集会に代表される潮流に属しているのだろうなと思います。この新宿集会には、フランスの「反貧困運動AC!」、「持たざる者の国際連帯行動」の代表も参加・発言され、その他各国のNGOからの参加者もまじえた国際色が豊かなものでした。

 これに先立ち、日本政府は世界的に高名な哲学者であるアントニオ・ネグリさんをはじめとして、単にサミットに関する講演会や学習会に講師として招かれただけの人々まで次々と入国不許可、空港からそのまま強制的に送還するという、まるでビルマや中国と同様の異常な体制で、市民運動や反サミットの言論そのものに直接的な弾圧を加えました。今回のフランス市民の代表も、すったもんだの交渉の末にやっと入国が実現したというありさまです。

 フランスのNGO代表はこのような経緯に加え、「片道一車線」で許可されているはずのデモに対し、機動隊が車線をはるかに超えてデモ隊列をグイグイと路肩に押し付けながらデモするという、日本ではありふれた光景に大変に驚かれ、「東京では表現の自由が保障されていないことに驚き、怒りを感じる」「G8反対の闘いによって、せめてあと1メートルの自由を勝ちとろう」と述べられました。

 はじめて日本のデモ規制の異常さを見た人の素直な感想だと思います。実はかくいう私自身もこのような機動隊の規制にはすでに慣れっこになっており、「こんなものだろう」と思っていた自分の人権感覚の無さを激しく反省します。

 それにひきかえブッシュ政権から資金援助を受けて活動しているヒモ付NGOの「国境なき記者団」の代表は、長野での聖火リレーでさんざんに平和的抗議行動を排除・弾圧する警察の行動を間近で見ておきながら、「日本では表現の自由が保障されていて素晴らしい」という、ただただ日本政府に配慮するためだけに大嘘の警察賛辞を残して去っていきました。
 やはりヒモが付いていない本物のNGOの発言のほうがはるかに説得力があります。それにしても“あと1メートルの自由”とは!ああ、日本はなんてみみっちい国なのでしょうか。

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わざと「直前に」デモを禁止した公安警察の姑息な手口(渋谷デモ)

 しかし今回は、当日に行われた私とは別潮流の反G8集会のほうをとりあげたいと思います。それは渋谷・代々木公園で動労千葉の主催で開催された集会とデモ(約2000名の参加)です。いわゆる中核派系と言われる大衆団体が多く参加されていました。

 新宿のほうの集会では海外代表の入国不許可の策謀がなされましたが、こちらの渋谷集会では、なんと集会直前になって、渋谷では恒例のコースである渋谷駅前デモが不許可・禁止になったのです!これには普段から言論弾圧に抗議している私でさえ、さすがに驚かされました。

 いったいなんという暴挙でしょうか。渋谷駅前をデモが通ったからと言って、無視しがたい混乱がおこるとは考えられません。今回もそうですが、今までのこの潮流のデモでおこった小規模な混乱も、すべて警察側の過敏なまでの弾圧が原因で引き起こされています。

 はっきり言って、公安警察はこの直前のデモ禁止措置で意図的に混乱を引き起こそうとしていたとしか考えられません。その混乱の中で逮捕者を出し、「反・反G8勢力」の古典的「過激派キャンペーン」のネタにする意図があまりにもあけすけです。その都合のいい標的として、たまたま「中核派系」という他所から文句の出にくいレッテルが狙われただけのことです。

 中核派に対するものであろうが、よしんば右翼に対するものですら、言論に対する不当な弾圧は不当だとはっきり言わなくてはなりません。中核派などに対する批判はその後でもできることです。ニーメラー神父の言葉を引用する人は多いが、それを実践する勇気のある人はあまりにも少ない

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

マルティン・ニーメラー

  今回のデモでは混乱の中で8名が逮捕されています。この方々は「逮捕者」というより「被害者」と言ったほうがしっくりきます。 ありもしない「混乱」を無理から作り出して、今や取り締まり対象である「過激派」よりも公安刑事の人数のほうが多いという全くもってアホらしい状況の中で、自分たちの部署と飯のタネを守ろうとする小役人の意図がミエミエすぎて気の毒なくらいです。

市民が行使する「当然の権利」である表現の自由を禁止するとは、なんという野蛮さであろうか!この日本にはまともな民主的権利も許されないのである。
権力の意図は明らかである。この集会を「特定党派が暴力を行使する」という印象をつくり出すために、あえて意図的にこのデモ申請を不許可とし、その不許可に対して抗議する者たちを挑発し、暴力的に弾圧し、逮捕し、その結果として、この反G8行動が「一握りの過激派だけが抗議している」かのように見せかけるためにワナを仕掛けたのである。

(『四トロ掲示板』でのまっぺんさんの投稿より)

「地球市民」な方からの「暴力批判」に反論する

 ところで、さっそくこの稚拙な「キャンペーン」に騙されてしまったり、右派の意図的なものであるか左派の無自覚なものであるかを問わず、言論弾圧に協力する言説も散見されます。
 おっと失礼しました。右派でも表現の自由に敏感な人はいます。言論弾圧に協力し、自らも言論弾圧を実践しているネトウヨなどの一部の悪質な人々だけですね。普通の右派のみなさんごめんなさい。それはともかく、たとえば以下のような文章を見ました。

「平和を自認する以上、こうしたデモやパレードのときも非暴力の平和主義でいきたいものです。少しくらい警察に挑発されてもマハトマ・ガンジーのように無抵抗でいなければなりません」

 私は以下の2点の理由から、このご意見には納得できません。

「不服従なき非暴力」は奴隷の思想である

 まず第一に、ガンジーは心から尊敬すべき非暴力主義者ですが、合法主義者ではありませんでした

マハトマ・ガンジー

 当時のイギリス帝国主義者が許す範囲内でだけ、お題目のように口先で独立を唱えていればいいとか、ましてや独立のために血を流している人を、いくら考え方が違うからと言って、帝国主義者と同じ立場で口をきわめて批判するような人がガンジーだったのでしょうか?それでは昔の日本共産党と同じです。私は断じてガンジーはそんな人ではなかったと思います。

 私は今回の渋谷デモの現場にいたわけではありませんが、テレビのニュース映像やネット上での動画の数々を見る限り、参加者はデモ不許可の処分に納得することなく、かと言って暴力をふるうわけでもなく、ただスクラムを組んでデモを貫徹しようとしています。中には雨の中で倒れたところを機動隊に頭部を踏みつけられているニュース映像もありましたが、それでも参加者は暴力をふるうこともなく、必死にデモしようとしています。

 これこそがガンジーの「非暴力・不服従」の精神の具現化でなくてなんと言うのでしょうか?「不服従なき非暴力」は単なる奴隷の思想であり、権力弾圧の手先だと思います。

権力側の暴力を不問に付して抵抗だけを批判するのは不当

 第二に、逮捕者まで出した混乱のいっさいの責任を、デモ禁止処分に納得しなかったデモ隊の態度だけにしぼりこみ、権力側のデモ禁止処分にはいっさい言及していない点です。

 すなわち、私たちの言論・表現の自由を圧殺しようとする権力と機動隊の暴力を不問に付し、何よりも根本的な問題であるG8サミットの反民衆的な性格から目をそらそうとする権力側のキャンペーンに全面的に協力してしまっていることです。

 権力側の暴力と、それに対する抵抗は決して同じ位相で語られるべきものではなく、ましてや民衆の側の抵抗だけを一方的に批難するなど、到底許されるものではありません

 このようなことから、私はこの文章の意見には全く同意できません。もちろんこの方は善意の「平和主義者」であり、いわゆる「地球市民」のような方なのでしょう。その善意を否定するつもりも敵意も持ちません。共に一致できるところでは手をとりあいたい。いたずらに対立点ばかりを拡大する「悪しき左翼の伝統」からも自由でいたいと心から思います。

 ただ、「地獄への道は善意で敷き詰められている」(レーニン)とも申します。こういう言説の方々の善意は肯定しつつ、その善意をいかすためにはどうすればいいかも考えなくてはなりません。昔からあるこの手の「反暴力キャンペーン」は極めて欺瞞的なものであると言わざるを得ませんし、時には権力や反動マスコミと一体になった「革新政党」によって、自分と考えの違う青年学生運動の追い落としキャンペーンという醜い使われ方をしてきたのです。

「中核派批判」と権力弾圧への抵抗は両立する

 私はこのデモ隊の一部に参加している中核派からは、かつて「お前らのような反革命は殺してやる」とまで言われた人間です。そういう彼らのおよそ左翼思想とは縁もゆかりもない尊大な態度には全く反対だと声を大にして言います。

 しかし、たとえ参加者の一部に自分には到底同意できない主張を掲げている人がいたとしても(場合によってはそれが右派であってさえ)、そんなこととは関係なく、彼らに対する批判の百倍、千倍の声をもって、権力による大衆への言論弾圧には抗議するべきだと思うのです。

 ついでに言えば、今回のG8サミットについて、日本の主要な「革新勢力」はなんら目に見える有効な抗議や対抗の動きをとっておらず、8名もの逮捕という権力弾圧をもって、はじめて日本の反G8行動が世界に紹介され得たという点に、日本人の一人として深い悲しみを感じます。この8名の逮捕に見て見ぬふりをすることは、私たち自身の自由を手放す道へとつながっていくのだと思います。

ここまで読んでいただいてありがとうございます!