by ジグザグ会 / 草加耕助
沖縄・辺野古訪問の画像記録二日目です。一日目は下記をご覧ください。
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Contents -このページの目次-
座り込み一回目ー未明に宿を出発
沖縄訪問二日目の未明です。前日から宿泊していた「海と風の宿」を朝5時半にレンタカーで出発、ゲート前に向かいます。天気は雨、この時間はまだ真っ暗で、夜の海を眺めながら、どうしても緊張は高まります。
だって圧倒的と思える機動隊の暴力の前に身を投げ出して非暴力で闘うのです。怪我をするかもしれない、インネンつけられて不当逮捕されるかもしれないと思うと体が固くなります。ただ逃げ出すことのできない沖縄現地の人々への連帯の思いだけで勇気をふりしぼっていました。
午前6時すぎに現場につきますが、やはりまだ周囲は基地の明かり以外は真っ暗です。基地のゲート内だけが煌々と明かりに照らされて、そこには雨煙の中で機動隊のバスが光っていました。座り込みテント前に集まると、そこで説明と打ち合わせがありました。
テントの方の説明によると、目の前にあるこのゲートは第二ゲートで、もう少し先に工事用の専用ゲートがあるとのこと、また7時前には工事車両がそこに入るであろうこと、雨の中で仲間がすでにその前に座り込んでおり、私たちも合流して座り込むことが説明されました。
こちらがその工事用の専用ゲートです。ゲート前の歩道上に駐車する機動隊のバスがとても不気味に見えます。
機動隊バスも以前はちゃんと法に従い基地の敷地の中でゲートを塞いでいたのですが、今はゲートの前にさらにゲートを作るような形で歩道ギリギリまでバリケードを張り出し、さらにその外の歩道上にまで警察車両を置いているのです。そのせいで歩道を歩いてきた人は、車道上に迂回して通行せざるを得ない違法な状態になっています。
私たちは雨足が強まる中、おぼつかない足元を基地の明かりをたよりにゆっくり進みます。
歩道に駐車する機動隊バスの隙間に座り込んでいる仲間と合流します。注意点として、機動隊がゴボウ抜きにくるだろうが、私たちはあくまでも非暴力を貫くこと、今は怪我や逮捕をさけて、排除に対し強硬な抵抗はしないようにとのことでした。
この日は足立ナンバーの車両に乗っていた本土から来た警視庁の機動隊員が、まるで暴走族みたいにエンジンを激しく空ぶかしさせてアイドリングを続け、沖縄の人たちに長時間排気ガスを浴びせ続けるということをしました。
こんなエゲつないことをする警官は初めてだと沖縄の人が驚いていました。翌日からはやめましたので、この隊員の独断だったのか組織的だったのかはわかりませんが、警視庁の機動隊はつくづく陰険だなと思いました。
上の写真は機動隊の車両の後ろ、アルソックのガードマンです。
沖縄県警の警察官は、沖縄戦を経験したオジーやオバアの説得に涙を流す人もいるそうで、一時は県警を引っ込め、本土のガードマンが前面に出たこともありました。そのせいで当初は罵声も飛んだのですが、現在では「彼らも基地の労働者だ」ということで、座り込みの人もできるだけ穏やかに対応していました。
座り込んだあたりから、ますます雨足が強まり、体は冷たく冷えてカッパ越しに服の中にまで雨が染みてきます。みんなでブルーシートをかぶって耐えていると、暗闇の中から機動隊が現れ、車両の隙間にいて周囲の様子が見えなかった私たちは。いつの間にか彼らに囲まれていました。
ゴボウ抜きの排除が始まりますが、私たちは事前の確認通り、激しく抵抗することはせず、怪我をしないように体の力を抜いて、腕をねじられつつ3、4人がかりでゲート脇歩道に鉄柵で作られた「檻」の中に連れて行かれます。
ゴボウ抜き排除をされている間に夜も明けてきました。「檻」の中から機動隊の肩ごしに、工事車両(ダンプ3台だったと思う)に精一杯の抗議をあびせ続けます。今は基地本体の工事ではなく、その関連で兵舎の建設をしているようです。
座り込みを排除しにきたのは沖縄県警のようでした。それで私は、県も市も、首長も議会もすべて私たち反対派の味方であること、民意に反し、民主主義に背いているのは君たち機動隊であること、県警は県民を守るべきで弾圧するのが仕事ではないはず、警官になった初心に帰るべきだろうと、できるだけ丁寧な言葉で訴えました。
↑沖縄の公安。さすがに東京でもここまでバシバシに顔を隠している公安はいません。まだ若そうに見えますが、郷里を裏切って売り渡しているという自覚が本人にもあるからでしょうか?
両脇を抱えられていたので写真は撮れませんでしたが、排除される途中で道の反対側歩道を見ると、なんと背中に「警視庁」と大きく書かれた機動隊の部隊が、座り込みに参加していない人々を襲って、突き飛ばすなどの暴行を働いていました。
道路の反対側にいたのは、高齢や体調などの関係で、座り込みに参加していなかったいわば「非戦闘員」です。それを狙って酷い弾圧を加えるとは、警視庁はどこまで見下げ果てた部隊なのかと、一気に頭に血が上って怒りに震えてしまいました。
公平を期すために、同じ沖縄の人たちの訴えを聞きながら排除する特に若い沖縄県警の隊員たちは、比較的言葉使いも丁寧で、できるだけ反対派に怪我をさせないという配慮はあったように思えることを記しておきます。それともそれは、そう思いたいという私の悲しい願望だったでしょうか。
いったんテント内に撤収して集会
機動隊が基地内に引き上げると同時に私たちもテントに戻り、山城博治さんの司会でテント前集会を続けました。
テントも以前は道の反対側、ゲートをはさむ道路で座り込んでいましたが、当事者たちや自治体との話し合いの末、道路や歩道をさけ、反対側の基地と歩道の間の空き地にテントが建てられました。後退ではありますが、息長く続けるためには仕方のない妥協ではあります。
夜明けとともに小雨にはなってきましたが、第二ゲートから基地内に出入りする車に雨中でプラカードを見せて訴えを続ける人も。その粘り強さには誰しも頭が下がるでしょう。
ゲート前のアルソックのガードマンは本土の人間らしいということでしたが、それでも反対派と普通に笑顔で挨拶や会話できるくらいの関係にはなっていました(例外で変な奴もいるので注意)。
「本土から来てくれた人がいる」と紹介され挨拶
山城さんより「本土から20人がここに来てくれている」との紹介があると、テントからは「おーっ!」という歓声と拍手がおこり、私たちジグザグ会と直接行動(DA)のみんなが前に出て、再び沖縄の人たちの拍手と共に紹介されます。
DAの皆さんは一人づつ発言され、ジグザグ会は私が代表して挨拶させていただきました。自分がなぜ沖縄の問題に興味を持ち、どんな思いで沖縄まできたのかを話させていただき、沖縄の方々から「ありがとー!」の声もいただき、ありがたく嬉しかったしほっとしました。
山城さんを含めテントでは、私たち20人はまとめて「辺野古リレーの人たち」と呼ばれていました。私は辺野古リレーに所属しているわけではありませんが、その協力でここに来れたわけだし、リレーは辺野古現地の人々にはとても有名で、予想以上に評判もすごく良かったです。私たちもこれくらい沖縄からの信頼を得るように頑張らないといけないなと思いました。
最後に本土の私たちと沖縄の人々で肩を組んで、みんなで「座り込めここへ」を合唱しました。
山城さんの発言から
辺野古の闘いがすすむにつれ、全国からいろんな課題を闘ういろんな人が来てくれるようになった、その人達と交流するうちに、全国のいろいろな課題がこの辺野古に積もって、その結節点となっていく。
原発やTPPもそうだし、そういうあらゆる闘いが結集した最前線として辺野古は勝利していくんだ。そのことで辺野古は沖縄だけの問題でなく、全国の闘い、そして世界の闘いへと広がっていくんだ。これは闘いがはじまった当初では考えられなったことだ。
弁護団の弁護士さんのや、ヘリ基地反対協の安次富浩さんも駆けつけて発言。
弁護士さんのうしろにおられるのは司法修習生の方で、基本、集会などには同行させないようにしているのだけれど、自分の意思で「是非私も参加したい」と、個人の資格でついてこられたとのこと。そりゃあ逆に個人の自由意思で来る人を無理やり止めるわけにゃいかんもんね。
右翼団体 キタ━(゚∀゚)━!
午後に右翼団体の宣伝カーによる襲撃的街宣がありました。写真はテント側歩道をこするように超スローで通過して大音量で挑発してくる宣伝カー。
石原慎太郎の子分で「次世代の党」に行かなかったか分派したか、なんかそんな団体らしいと教えてもらった。そんな右翼の内紛はどうでもいいし、思想は自由なんだけど、やり方が粘着質でいやらしいよね。人間性が垣間見えるよ。
そのうち参院議員だという当のご本人が、お付の人に大きなビデオカメラを持たせて登場。道路の反対側からテントに向けて「ここから退去せよ」とやりはじめた。選挙も近いし辺野古の奴らに襲撃的街宣を仕掛け、その様子をネットだかに流して、ネトウヨ層から拍手喝采でウマーということらしい。
なんかとうとう「私も基地には反対だ」とか言い出しちゃったよこの人。基地を背にして反対派を罵倒し、基地には一言も抗議しない。どの口でそんなことが言えるのか。その矛盾に自分で気がついていないのが滑稽。
議員さん、あなたも基地に反対なら結構。私たちと趣旨が違うにせよ、あなたはあなたで基地に抗議するなりなんなりの行動をしてるところを見せればいい。基地とアメリカに「NO!と言える日本」を示し、その上で、こんな襲撃的パフォーマンスではなく、ちゃんと普通に人としての礼儀をもってアポをとり、テントを訪問して話し合えば言えばいいだけのこと。今のテントのメンバーならちゃんと応じてくれるはず。こんなやり方じゃ客観的には安倍と米軍の手先にすぎない。礼儀知らずにもほどがあるというものです。
翌日の新聞に「本土から学生が12人で沖縄に来た」ということが記事になっていました。一応私ら8人も取材を受けたのだけど、おっさん中心の私たち8人は数にいれてもらえんかったです (´ж`;)
右翼議員さんの襲撃もちっちゃく載っていて、双方の主張を並列する形式。沖縄の地元右翼は時々来て、テントでもスルーの方向で話題にもなりませんが、「議員さんがわざわざ本土から嫌がらせに来た!」というところでニュースになったのでしょうか。まあどうでもいいや。
座り込み二回目-お昼
お昼は近所の大衆食堂へ。前日に食べた沖縄ソバが美味しかったし、苦手な脂身も大丈夫だったので、油断して、他のお客さんが続けて注文した「中身ソバ」というものを、人気メニューだと思って注文。何も言わなくとも普通に麺類にご飯がついてくるのは素晴らしいのですが、これが失敗で、正体は豚のモツのソバだった。「内蔵=中身」という。
私は内蔵系が苦手で、焼いたのならともかく煮たのは匂いをかいだだけてもダメ。文字通り脂汗を流していると、見かねた仲間が自分の頼んだ味噌汁(味噌汁の具と量がすごくてほぼ定食)と交換してくれて助かった!
食事を終えて帰ってみると、テントに一人もいない!これはまずったかと工事専用ゲートに駆けつけてみると、すでに排除がはじまっていて近づけない。人数が手薄になる食事時を狙って工事車両の搬入が行われていました。滞在中、座り込みと排除を外側から見たのは、この時一回だけでした。
非暴力のままゴボウ抜きで排除されていく人々。
工事開始直後は非暴力ながら、腕が折れる覚悟で抵抗したために、実際に機動隊の暴力で重軽傷者が続出。その後、実は本体工事が事実上停止に追い込まれている現在、「全身の力を抜いて手は肩より上にあげない」など、怪我をさけた抵抗の形式が続いています。
ただし埋め立てを強行するなら、その時は今の10倍の人数が腕が折れるまでの抵抗を覚悟するべきでしょう。ほとんど無抵抗のこれだけの人数を排除するだけでもかなりの時間がかかる。沖縄の、そして全国の心ある人々の怒りが本気で爆発したとき、それでもなお暴力で工事を強行するというのか?
ただ「全身の力を抜く」それだけの抵抗。それでも機動隊が数人がかりで汗だくだ。あとは数の力である。本土からの応援があまりにも少なすぎて歯がゆい。排除する機動隊側の半分は本土から来ている。反対側も半分とは言わないが、せめて全体の3割くらいは本土からの応援であるべきだと思う。もっと多くの人が現地に駆けつけてほしい。
過剰な暴行が行われないよう、道路の向かいから監視と抗議を続ける。そして監視する人々をさらに監視する機動隊。ただこの時は沖縄県警だったので、警視庁がしたように歩道反対側から見ているだけの人にいきなり暴行をふるうようなことはなかったが……。
機動隊と睨み合いになるDAの学生さんたち。
ほぼゴボウ抜き排除が終了したようだ。
工事車両が近づき、機動隊もピリピリしている。
歩道上に鉄柵と車両で作られた「檻」の中に押し込められる座り込んでいた人々。「檻」の様子を外から見たのはこの時だけでした。いつも車両の影にいてわからなかったが、こういう感じなんだと思ってしまった。「檻」の中からも工事への抗議があがりつづけていた。
機動隊への呼びかけを続ける人 ガードマンも定位置まで戻る 私たちも再び機動隊バスの周りに集まって座り込みを続け
車両の搬入が終わり、機動隊が第二ゲートから基地内へ引き上げる。ゲート前まで機動隊への抗議や呼びかけを続ける人もいました。工事用ゲートも閉まり、ガードマンの皆さんも定位置に戻る。私たちも再び機動隊バスの周りに集まって座り込みを続けます。
ゲートを上から見れば 警察が駐車違反!?
工事用ゲートを上から見たところ。↑
わかりにくいですが、緑のシートのさらに奥のほう30メートルくらいのところにある金網が本来のゲートであり、ゲートから内側が米軍基地。その外側は通常の道路です。通常の道路を歩道ギリギリまで機動隊がバリケード封鎖して、さらにその外側の歩道に機動隊バスが路上駐車している状態です。
公示されていた道路使用許可は緑のシートのところまでだったので、ガードマンもその前の歩道に立っているということでしょう。ところがそのさらにその前の歩道上に機動隊バスが路駐している根拠は不明です(駐車違反?)
座り込みが始まった時に問題となったギザギザの「殺人鉄板」は緑のシートとと基地ゲートの間にあり、元々はそのあたりに座り込んでいました。
↑本来の歩道ギリギリのところにあるバリケード入口。ガードマンの後ろの緑シートまでが道路使用許可で公示されていた。
座り込み三回目
15時頃だったかと思いますが、この日3回目の工事車両搬入があり、座り込みを開始しました。
一番奥に座り込んだので、すぐ後ろがガードマンの皆さんでした。ガードマンと一緒にいて安心している公安さん。しかし下からみると不気味ですよねえ。昔は「過激派」がこうして顔を隠していたものだが、過激派さんが良くも悪くもすっかり「普通の人」化しちまった今では十八番を公安さんに奪われたようです。
歩道上に作った「檻」を押さえる機動隊の力自慢さん。私は排除の途中で機動隊の腕がするりと抜けてしまい、別に機動隊も追ってこなかったせいで、こんなゲート前にポツンと残され心細いことにwww。
何人か同じような方がいたので、工事車両搬入に備える。もちろん抗議ですよ。今はそれ以上はしないという指示ですから。主催者と沖縄の人々の意向優先で、単ハネはしませんとも。
「座り込めここへ」
機動隊からはそのまま完全に放置されましたので、道路上で抗議を続けました。
最後にみんなで「座り込めここへ」をゲート前で腕を組んで歌いました。
この日の行動を終え、宿に向かいます。ゲート前座り込みが今日で597日。600日まではここにいまず。
帰り道、警視庁機動隊が「宿舎」と称して泊まっている高級リゾートホテル前を通過。一人の一泊あたり料金が2万5800円(客室写真)。国から7800円が補助され、手続き上、基本的に残額は沖縄県民の税金で宿泊しているとのことでした。
警視庁の実働勤務時間は一日1~2時間。数時間の「勤務」の後、このリゾートにタダでゆったり。その上特別手当の日当までもらえるという。山城さんは沖縄を弾圧するする機動隊のリゾートに県税が使われることに「耐えられない事態」とおっしゃっていました。
宿で自炊 二日目
与那嶺水産 これで500円!
帰りにはテントの方に教えていただいた「与那嶺水産」というお店でお刺身をたっぷり買って帰りました。安い!
こんなお刺身が、たっぷり入ってワンパック500円ですよ!お客さん。
警視庁は今頃高級ホテルのグルメディナーを税金で堪能中でしょうが、沖縄県警の諸君は自分の給料でこれと同じようなものを食べてるんでしょうね。私たちもこれを食べて翌日からも頑張ろう!
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