三里塚に関する自己批判(と要望)

お詫び これから、三里塚闘争への参加報告として、反対同盟旧熱田派系の「東峰現地行動」と、北原派系の「市東さんと語ろう農民シンポジウム」の両方に参加した報告、および感想を書いていきたいと思っています。ただ、その前に、私の前提的な考えを、報告記事の中に網羅的にちりばめるよりは、ここにまとめて示しておくほうがよいと考えました。以下の文章を書くためにたいへんに悩み、試行錯誤したために、上記行動の報告が遅れてしまいました。

 以下、とりわけ北原派農民のみなさんに対する自己批判は、親睦会などの席上で、萩原さん、市東さん、鈴木さんなどの面前において、何度か直接に口頭で表明した内容であります。私は何者をも代表しておりませんので、もちろんこれは個人的な意思の表明にすぎません。さらにその個人的意思表明について、農民の方お一人お一人から直接に感想をお聞きしたわけでもありません。その後の交流などから、私は基本的に政府-空港会社の横暴と闘う末端の一人として、微力ながら農民と共に闘うことを許していただけたと信じています。

 ですが、もちろんそれもまた私の個人的・主観的な判断にすぎないものであり、農民の方々が何らかの判断や意思表示をしたということでは全くないということを、何度でも強く強く申し添えます。それでも、そもそも私のようなややこしいスタンスのちっぽけな存在に、少なくとも同席を許していただいたことにまずもって心から感謝申し上げたいと思いますし、その農民の懐の深さ、信義に何とかして応えたいと思います。そういった意思を表明し、以下、本文に入ります。

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いわゆる「北原派」農民の皆さんへの自己批判

(一)

 わたくし、草加耕助は、1983年における反対同盟の「3・8分裂」に向かう過程において、いわゆる北原派の農民の皆さんとそのご意見について、まるで無いもののように観念し、論争の過程において、結果としても事実上もそう扱い、もって農民の皆さんの心を深く傷つけ、大変に悔しい思いをさせてしまったことにつき、その一人として心から謝罪し、ここに自己批判するものです。本当に申し訳ございませんでした。

(二)

 3・8分裂当事、私は関西に在住しておりました。そのため、のちの熱田派、北原派ともに、現地の農民の皆さんと接する機会もなく、ただ各党派の機関紙誌や、自らが所属していた党派の会議などにおける情勢報告や意思統一のみを基準に事態の推移を見守っていました。そこにおける論点は二つあり、一つは言うまでもなく「一坪再共有化(=大地共有運動)」の是非であり、もう一つは支援党派における最大勢力であった中核派の、独断的なセクト主義と、自派の方針を大衆運動に押し付ける引き回しであるという理解でした。別の言い方をするならば、一セクトが「三里塚闘争の共同の創始者」を自称し、反対同盟が一度は「決定」した一坪再共有化運動に対して、これの撤回を迫る問題として事態を把握したわけですから、むしろこの第二の論点が主要なものであり、一坪再共有化運動については、このような独断的セクト主義を批判する必要と範囲においてこれを弁護したものです。

 つまり、そこにおいて中核派のセクト主義に反対し、これを認めないということは、イコール一坪再共有化を当初の予定通りに貫徹するということと同義になったということです。かつての日本共産党による運動方針への介入と同じく、もしここで中核派の要求通りに再共有化を撤回するようなことがあれば、それは人民の共同の財産として積み上げられてきた三里塚闘争の意義を変質させ、水泡に帰してしまうものとして、強大な中核派の圧力に抗して三里塚闘争を守ろうと、悲壮なまでの覚悟をもって、私は一坪再共有化を擁護する立場で三里塚支援の運動をすすめていました。

 そのような日々の中で、いつしか、反対同盟農民の中にも一坪再共有化に反対している人たちがいることを後から知りました。市東東市さん、鈴木幸二さんなど、同盟の中でも中心的な方々の名前も見えました。ですが私は、これらの方々が元々中核派とも親しい方々であったという方向で物事を理解し、中核派の主張に同調する農民、もっと悪く言えば、中核派に説得され、オルグられた農民であると、この方々のことを理解しました。

(三)

 しかしながら事態はそのような単純なものではありませんでした。第一に、論争の本質は、一坪再共有化という「当面の運動方針」をめぐってのみではなく、再共有化に象徴される運動路線、すなわち脱現地攻防化による大衆路線と、それに疑義を抱いて現実の現地攻防を中心に闘う路線を主張する者との、長期的な闘争路線をめぐる路線論争でもあったということです。このことは今となれば誰でも理解できることですが、当事の私にはその認識が不足していました。

 第二に、この第一の側面に注目して見るならば、これは反対同盟内部における、農民同士の考え方の違いをめぐる問題であったということです。このことを私は充分に受け止めきれていませんでした。よしんば再共有化運動を弁護する立場に立とうとも(むしろそうであればこそ)、不屈に闘う農民の内部から、再共有化についての疑義が表明され、その路線に対する批判的な見解が提起されるにおよんでは、私はこれを真正面から受け止めるべきであったし、決してそれらを軽視してはならず、いわば闘う仲間同士の内部矛盾として、徹底的にかつ同志的に討論する慎重な態度が求められていたと思います。そしてその結論が出るまでは、やみくもな再共有化運動の推進には、むしろ批判的であるべきだったと思います。

 ところが私はこの問題を、運動にセクト主義的に介入しようとする中核派の引き回しと、それに反対して反対同盟の自主性を尊重しようとする者との論争である、つまりセクト主義との闘いであると問題を一面化してしまいました。これはどういう結果をもたらすかと言えば、「一坪再共有化への反対」と「中核派のセクト主義」を完全に同一化してしまい、再共有化に賛成している農民の主体性のみを尊重し、同じく再共有化に反対している農民の主体性を認めない、もしくは賛成派農民よりも軽視することにつながっていったと考えます。これは本来は別の問題である両者を、混同して二重写しにする誤りであったと思います。

(四)

 一方、この私の立場を、一坪再共有化に反対していた農民から見れば、はたしてどういうことになるでしょうか。農民の皆さんが旧熱田派やその支援への批判や不満として第一に口にされるのは、一坪再共有化運動への批判ではなく、何よりも、「中核派のカイライよばわりされた」ということであり、「まるで一党派の意向を受けて発言しているかのように言われた」ということでした。つまり自立した一個の人間の意見として扱われなかったということです。

 確かに反対同盟員の数から言えば、一坪再共有化に反対している人は少数でした。しかしだからと言って、いえ、だからこそ、空港用地内農民を多く含むこの方たちの意見を無視してはならず、いったん一坪再共有化を白紙に戻してでも、真摯な話し合いを続けるべきであり、中核派のセクト主義的なゴリ押しを批判するとしても、あくまでもそれと同時一体的に平行して進めるべきであったと考えます。繰り返しになりますが、両者を一体のものとしてごちゃまぜにしてしまったのは、完全な誤りでした。

 反対運動の重要な路線論争において、まるで独立した意見としてとりあげてもらえず、一坪再共有化を推進する人々(他ならぬ私を含みます!)は、中核派のほうばかり見てものを言っている。自分が何か言っても、たんなる「中核派の味方」という扱いしかされず、独立した意見として扱われない。その時の一坪反対派の農民のはがゆい思い、怒りや悔しさはいかばかりだったかと思うと、私は身の置き所がない気持ちがしますし、農民の顔をまともに見ることができません。にもかかわらず、現在において、集会などに受け入れていただいていることにつき、心からの感謝を申し上げずにはいられません。

(五)

 私の自己批判はほぼ上記の一点に集約されるものであり、現時点において一坪再共有化の是非をまたしても蒸し返すものではありません。分裂をめぐる論争は、何かしら特定のセクトをめぐる問題ではなく、自立した反対派農民内部の論争であったという立場に立つのであれば、そのどちらかの意見に味方し、自分の意見をのべたということは、少なくとも「自己批判」という性質にはなじまないものであると考えます。

 同じことを別の言い方でするならば、私は、北原派の農民が「中核派のカイライ」として行動したかのような歴史観に反対しますし、同時に、熱田派の農民が、政府-空港公団(当事)の意を受けて、反対運動を破壊するために行動したというような歴史観にも立ちません。もしそのどちらかであり、かつそのことを知りながら応援したのであれば、なるほど反対陣営から見れば、相手陣営を応援したことそのものが自己批判の対象になるでしょう。

 しかし実際には、少なくともその当事においては、各々の農民が、自分が考えイメージする意味での反対運動にとって、これこそがよかれと思って行動し、発言したのだと信じます。もし私が、そのいずれかの意見に賛成したことそのものを自己批判するのであれば、論理的にはその意見を言った農民も(単に考えを変えるのではなく)自己批判しなければすまないことになります。そのようなことを迫るのは、私にとってはあまりにもおこがましいことのように思えます。それは私が北原派の農民の方々に対して行った誤りの裏返しを、またしても熱田派の農民に対して行うことにしかつながらないと考えます。私は、もっと根本的なところで、そのような思い上がった態度や関係性そのものを自己批判しているのだということをご理解いただければと考えます。

 付け加えるならば、もとよりこれら論争の反対側にいかれた農民の方々を悪く思う気持ちは、83年当事から現在まで毛頭ありませんでしたし、運動が分裂して以降も、これらの人々を「糾弾する」とか、「粉砕」の対象であるとか、ましてやそれが三里塚闘争の方針になりうるなどとは夢にも思いませんでした。これは私だけではなく、旧熱田派支援の人々に共通した思いとして今もあるということだけは、どうかご理解ください。

(六)

 最後に、私は、現在的に唯一活動している反対同盟(北原事務局長)の掲げる運動の原則、すなわち、第一に空港廃港(部分的な容認などではなく)、第二に空港絶対反対(話し合いによる妥協などではなく)、第三に実力闘争の容認(敵の出方次第で)につき、空港建設の歴史性をかんがみる時、これを完全に支持し、断固として共有します。

 そして私は、この原則に基づき、もはや自分の所属または支持している組織の意向だの、何々派がやっていることだから支持するとかしないとか、そういう矮小な基準に先立って、何よりも「正しいことは正しい」ということを唯一の基準とし、敵の嫌がることは、それが自分のできる範囲内のことであれば何でもやっていく、個人であるからこそできることはなおさら積極的にやっていきたいと考えています。そのようなささやかな決意を表明して、この自己批判の結語としたいと思います。

署名:草加耕助


三里塚闘争にかかわるすべての方への要望

 上に明らかにした自己批判の内容は、実は組織を離れて個人となった旧熱田派支援の方々にぶつけてみても、大部分の方は「それはそうだ」と認められます。そう思っているのならなぜそう言わないのか?思うに、これらの方々と私との違いは、この分裂当事の熱田派支援の過ちについて、私ほど深刻なものとして受け止めていないのではないか。文字とおり「それはそうだね」程度の浅い認識でしかないのではないか。そう思います。殴られたほうはいつまでもその痛みを忘れないが、殴ったほうはすぐ忘れる。そのことがここでも現れているように思います。私はいつまでも自分が傷つけた人のことは忘れたくないし、一生その過ちを背負って戒めとしていかなくてはならないと思います。どうしても相手の過ちについても話をしたいのであれば、まず自分が相手を傷つけたことを謝罪し、自分が変わることが先ではないでしょうか?

 一方で、分裂直後に中核派が第四インター派の活動家をテロり、片足切断、頭蓋骨骨折などの重傷を複数の方に加えたことについて、同派の分派である未来派が、独自に自己批判を出したことがありました。これについて複数の北原派支援の方が、テロはよくなかったし、いずれは総括しなくてはならない問題であると認めたうえで、それでも、反対同盟に相談無く「勝手に自己批判した」のはよくないという意見を言われたのは、私にとっては理解できないことであり、意外な反応ではありました。中核派みたいに「あれは正義の戦争であって自己批判はナンセンス」と言ってくれたほうが、まだしも理解できるというものです。

 しかしながら、上に書いたような自己批判を起草しながら、この方たちの感性がはじめて理解できる気がしました。もし私が個人ではなく、何かの熱田派支援の団体を代表しているのなら、確かに「勝手に自己批判した」と言われて非難されても仕方がないような気がします。発表前に、農民の意見を聞くべきだと言われれば、そうなのかもしれないと思いました。しかし同時にちょっと、個人と団体という違いを超えて、テロによる片足切断とはレベルが違うような気もします。

 中核派のテロは、主体的にはどのように思われているのか知りませんが、中核派の党支持者の間からも反発やとまどいの声がよせられ、せっかく熱田派に対して動員的にも優位に立ちつつあった北原派を、困った立場に追い込んだと客観的には思います。もしここで、北原派が「テロは反対運動(同盟)とは無関係」という声明を出せば、反対同盟はかなり助かったでしょうが、中核派は政治的な窮地に立たされたことでしょう。ですが反対同盟はあえてそれをせず、沈黙(ノーコメント)を守って我慢した。それは辛いことであったと思うが、そのことによって中核派は救われた。未来派の態度はその恩義を忘れ、自分だけがテロの歴史からは無縁でいい子になろうとしているみたいで、なんだかなあというのが、この「勝手に自己批判した」という人の意見らしい。まあ、その感性はわからないでもありません。

 しかしここで知っておいてもらいたいのは、中核派のテロは、何もこの片足切断など、マスコミでも報道された、数人に対する大きなものばかりではないということです。その当事においては、それこそ日常茶飯にあった。とりわけ学生戦線において酷く、熱田派を支持するものはいっさい登場を許さないとか、学内を歩いているだけで、一人を数人で追い掛け回して袋叩きにしたとか(しかも毎日)、私のいたところでも、一人が数時間にもわたって密室に監禁されて暴行を受け、無理やりに「自己批判書」を書かされたなどの事態が相次ぎました。そんなの「昔はよくあったこと」ですか?それは「殴ったほう」の言い分ですね。「殴られたほう」はそうは思っていませんよ。しかもね、片足切断や頭蓋骨陥没などの「実績」を背景にしているんですよ。これがどれほどの恐怖かわかります?

 片足を失くした人は、中核派に布団で簀巻きにされ、アイスピックでめった刺しにされて足が壊疽になったんです。「二度と反革命活動ができないように」両手両足の関節をすべてバールで砕かれた人もいて、その様子を細かく描写しながら「成果」として機関紙に載せてましたよね?それが報道されると、今度は別の活動家の家族や子供のいる自宅に電話をかけてきて、「新聞を見たか、次はお前の番だな」と言って、ケタケタと笑うんですよ。これが革命家やマルクス主義者のすることですか?こんな中核派の態度におおわらわの最中に、中核派がいない現場でも、ここぞとばかりにカクマル派が背後襲撃をかけてくる。おかげでカクマル派が他派を追い出して学内を掌握するなんてところも複数出てきました。こんなことの連続のおかげで、なるほど今やネトウヨの脅迫なんて屁とも感じないという成果はいただきましたけどね。

 覚えておいていただきたいのは、「中核派のせいで人生を台無しにされた」と感じている人が、いくらでもいるということです。革命家にとって、片足を失ったのは、それ自体はありうることです。三里塚闘争の中でも、機動隊に虐殺された人は複数います(そのうちの一人は中核派が「粉砕」した第四インター派の方です)。権力との激突の中で片足をなくしたのなら、たとえ怒りや悔しさはあったとしても、それはそれ、革命家としての人生をまっとうしていく中で、自分なりに納得できることではあるんです。たとえ命を落とそうともね。ただ、こんなことで中核派に拷問され、その後遺症として片足をなくするのは、自分の立場として考えてみても、絶対に納得できない。許せない。謝られても許せるかどうかわからないが、開き直られたらもっと許せない。こういう人が、「中核派を排除することこそが日本の反権力大衆運動のために必要だ」と考えたとしても是非もないでしょう。

 そして実際にそれからさほどの間をおかずに、日本の主だった反戦闘争の枠組みから中核派はすべて排除され、25年たった今も復帰できていない。これは「在特会」のような小さな団体すら排除できない右派の甘さと比較しても、中核派のような大組織をあっさり排除した左派の自浄能力の高さを示すものであって、決して不当なことではないと考えます。そしてこの輪は、決して拷問された本人だけではなく、その家族、友人、同志、運動での知り合い、組合仲間、その他無限にどこまでも広がっていき、世代を超えて伝承されていきます。

 反対同盟が非難はもとより無関係も宣言しなかったことで、中核派は救われましたが、同時に、日本の反戦闘争が三里塚につながって合流していく回路を大きく阻害するという犠牲(リスク)を払いました。北原派はこの時の「反対派に対するテロ」という負のイメージを、中核派と共に背負い込んでしまったのですから。その重い信義を中核派は忘れてはならないと思います。またそれは、その当事はあまり明らかではなかったけれども、三里塚闘争が持っていた日本の大衆運動全体に対する権威を損ない、影響力が低下していくきっかけにはなったと思う。それは今でも続いていて、大衆的な反戦運動を取り組んでいる人が、三里塚に(戻って)くるには、何段階もの心の壁や傷口を、いくつも突破しなくてはならないということに、最近やっと気がつきました。それが熱田派の取り組みであれ北原派の取り組みであれです。若い人はそうでもないでしょうが、運動の要所要所にそういう人がいるのです。テロがなければここまで酷くはならなかったでしょうに。

 さて、要望と言って、私は何を「要望」したいのでしょうか。何かしらの特定の方針や運動や立場や考え方を支持しろとか、逆に非難しろということをでしょうか?決してそうではありません。「殴られたほう」の心の痛みや傷を理解せよということです。こういう主張は情緒的だとか感情論とかいって片付けられがちですが、本当は一番大切なことなのではないでしょうか?世界を変えようとか、人間の幸福を願おうという運動が、理論的な正しささえ備えていればいいというような、冷酷な内実であっていいのでしょうか。私たちは冷酷であってはならないと思います。

 北原派の農民が、一坪共有化への非難よりも先に、「中核のカイライ呼ばわりされた」悔しさを言うとき、「それはそうだね」的に軽く流してはいけません。そんなのは「殴ったほう」の論理であり、感性です。まずそのことについて深刻に真摯に受け止め、心から謝罪し、許してもらってからでなければ、その先の話はできないということを知るべきです。もし本当に心の底から本心で謝罪しても、なんだかんだと理由をつけて受け入れないのではないかとか、そこまで農民が信用できないのなら、最初から三里塚になんかくるな。それはあなたの自由です。

 また、中核派のテロ(マスコミに報道されなかった「小さな」ものを含む)についても同様です。当事は仕方なかったとか、それくらいの小さなものはやられても仕方がないとか、襲われたほうにも問題があったとか、とにかくそういうありとあらゆる一言が、襲われ、拷問を受けた本人のみならず、その周辺の縁のあるすべての人々にとっては絶対に受け入れられないものです。これは反対同盟の農民が望んだことではないし、中核派以外の支援が、そこにかかわっていたわけではありません。だから謝罪すべきだということは言えないです。

 しかしたとえば、ある人が、未来派(系)の統一行動への参加に難色を示したインター派の態度について、「統一を拒む頑なな態度」とか表現して、まるでセクト主義者と言わんばかりのことを言っておられましたが、そういう見方も間違っているというか、「殴ったほう」の論理であり、感性だと思います。北原派にいた人がみんな謝罪すべきだとかそういう問題ではないけれど、少なくとももっと深刻に考え、相手の心情を理解してほしい。

 こういったことは、みんなが感じているのに誰も言わないから、仕方なく私が代わりに言うわけですが、絶対にこれは「情緒的」なことではないし、ましてや「感情論」でもありません。人の心の痛み(しかも自分が与えた!)を理解し、受け止め、それを我が物とできるかは、左翼運動にとって、一番「本質的なこと」だと私は思います。

 なお、書かなくてもいい当然のことですが、蛇足ながら付け加えておきます。私は国家なり社会には、何らかの警察機構や裁判所や監獄、さらには軍隊なども必要だと思っていますので、どのような意味でも「非暴力主義者」ではありません。警察が必要だと思っているすべての人は、全員が「暴力肯定論者」であり、私もその一人です。「冷酷であってはならない」ということと、そのことは矛盾しませんし、矛盾させてはならないと思います。早い話が、私はチェ・ゲバラを「人殺し」だと言って非難しません(中にはそういう人もいるんです)。ゲバラが貧しく虐げられた人のために、しかも自分の国でもない人々のために、そこに自己を投機し、生きそして死んでいった革命戦争は、もっともヒューマニズムにあふれた崇高なものであったと思っています。その点について誤解のないようにお願いします。

以上をもって、北原派、熱田派双方の関係者から、非難や不満や突っ込みが轟々で、完全に孤立することが確実な、私の自己批判と要望を締めくくりたいと思います。

14件のコメント

私も学生時代は、草加さんと同じく、いわゆる「熱田派」の集会に参加してました。参加するようになったのは、「3・8分裂」の後のことで、その分裂が具体的にどういうことだったのか、どんな意味を持っていたのか、よくわかっていませんでした。その当時は「熱田派、北原派は何が違う?」「どうして一緒にやらないのか?」程度の認識だったことを覚えています。

無責任な外野からモノをみてたということなんでしょうね。幸か不幸か、私は中核派のテロというものを、実際のレベルで見聞きしたことがありません。しかし、党派党争の中で、そのテロを実際に受けた人々にとって、心身のみならず、社会的・運動的に大きな爪痕を残しただろうことは、容易に想像できます(私は、ヘタレのクチなので…)。

草加さんのこの文章は、ていねいていねいに考えながら書かれた、誠実な「自己批判」だと思いました。

私も、いつどこで「殴った立場」だったかもしれず。そういうことには意識的でありたいと思います。

はじめまして。
草加さんの真摯な思いに感銘しました。
そして、草加さんと同じ思いを持って、階級闘争を闘い抜いて行こうと思っている人達は、少なからず居ると思いますし、そうした同志との連帯を今後とも大切にして行っていただきたいと思います。
私は、70年代後半から80年代前半にノンセクト・ラジカルの大学生として、地域闘争・大衆闘争に関わっていました。
いろいろな党派との接点が有り、階級闘争の総路線の面で全面的に共感できた党派は見つけられませんでしたが、個別の戦線ではいくつかの党派と共闘したし、それで良かったと思っています。
そして、今はそうした闘争から遠ざかってしまいましたが、いつかまた自分のできるところから、社会主義を目指す闘いの戦列に復帰したいと考えています。
草加さん、自信と勇気を持って、これからも元気に頑張ってください。
このブログ、応援していますので!

ぼくにはわからない。
どうしてそんなことが、と思う。

ぼくは、しびれる。ただ、素直に。
農家便りの荻作のかーちゃんに。
子猫のことに。
泣きそうになる。
うちのガミガミ言うかーちゃんも、同じだし、近所の人たちも同じだからだ。
難しいことは、わからん。
でも、彼女のまわりの人たちは、ぼくらと同じだと思うから、いつも、気にして、金と暇があれば、飛んで行きたいと思うわけだ。

横合いから、ごめん。
でも、いいたかった。

high_time22さん>

>「熱田派、北原派は何が違う?」「どうして一緒にやらないのか?」程度の認識だった

それでいいと思うし、むしろそれが健全な感覚だと思います。
普通に集会に参加している人が、そういう素朴な疑問や感覚を持てたのは、熱田派のいいところだったと思います。

注意しないといけないのは、分裂の原因となった一坪再共有化の是非と、その後の中核派のテロの問題はわけて考えるべきだと思います。分裂当事の論争においては自分たちが正しかったでいいと思いますが、テロの問題についてはちゃんと総括しなくてはなりません。でないと、未だにあれが「正義の闘いだった」なんて言っている人とは、危なくて一緒にやれません。だって、運動の中で意見が対立したらテロられるかもしれませんから。だったら最初から別々にやるしかないという結論になるし、それは自然なことだと思います。

>私も、いつどこで「殴った立場」だったかもしれず。そういうことには意識的でありたいと思います

今となっては、私たちがこの問題からくみとれる一番の教訓はそこだと思います。それがわかっていたら、意見や路線の対立を即分裂につなげるような子供じみた戦略などとれないはずです。左翼として一番せいせつなものをなくすこともなかったのに。
中核派のセクト主義も、70年安保くらいまでは「丁々発止の権謀術策」といえる政治的なものだったのかしれませんが、このくらいからどんどんとマンガじみたものになっていったように思えてなりません。

いずれにせよ、「脱落派(熱田派への蔑称)粉砕」だとか「反中核派」みたいなものにシフトしてしまって、三里塚闘争の大義を後景化させてはならないと思います。

ついでに、これはまったくの蛇足ですが、本当はこういう歴史は、右派の人こそ詳細に調べて教訓化しないといけないんですよね。
★反革命→反日 ★日和見主義者→奇麗事保守 って、ほらほら、君たち、当事の中核派とまったく同じ論理構造でものを言っているじゃないないか、あげくに内ゲバかい?本当にそっくりだね。 みたいな。

A生さん>

励まし、本当にありがとうございます。元気でました。
お互いに無理せず、できることをやっていきましょう。

私も、自分が「正しい」と素朴に思えることを素朴に続けていきたいと思います。
今の私は、特にもう、戦列の一端に加えていただけるだけでありがたく思いますし、まず、共に闘える相手の良いところから順番に見ていきたいと考えています。納得できない点は同志的にと言うと堅苦しいですが、要するに自己の主張を絶対化せず、かつ人として相手への優しさをもって指摘し、話し合っていきたいと思っています。ただし、その運動や闘いの根本において、自分が素朴に「正しい」と判断できるかどうかという点だけは譲れませんというか、それが基準ですが。

そんな私という人間や、私の考え方を、相手が受け入れるかどうかはもちろん相手の自由ですよね。私はたまに「八方美人」みたいに言われることもありますが、そうではなく、言いたいことを言い、やりたいことをやり、応援したいものを応援しているだけの超わがままな人間です。そのかわり、それをどう思うかは100%相手の自由なのであって、たとえ相手から受け入れてもらえなかったり、よしんば追い出されたとしても、それに文句を言ったりうらんだりするのはおかしいと思います。その時は何も言わずに去っていきたいと思っています。

三里塚に関しては、闘争の主体である農民から「もう来るな」と言われたら、頭をさげて「今まで共に闘えて光栄でした。ありがとうございます」とお礼を言って去るつもりでいます。そして遠くからでも、自分なりにできることを続けて応援していきたいです。

もちろんそうならないことを祈っていますが、すべての人から呆れられ見捨てられるその日まで、共に闘わん!

田中洌さん>

>ぼくは、しびれる。ただ、素直に。農家便りの荻作のかーちゃんに。子猫のことに。泣きそうになる。
>うちのガミガミ言うかーちゃんも、同じだし、近所の人たちも同じだからだ。

そうです。それだけです。私も同じです。それだけでいいと思います。
それが三里塚だ!それだけのために命もなげだすと決心したのだ!声を大にしてそう言いたい。

今の私は背負うものが増えてしまって、なかなか「命まで」とは言えなくなりましたが、気持ちだけは変わっていません。私はそんな私の「三里塚」をもう一度私の中に取り戻したい。けどその前に、いいえ、そのためにこそ、私はどうしても謝っておかなければいけないことがある。やはりなかったことにしてはいけないと思う。それがこの「自己批判」です。

「要望」については、三里塚について語るとき、すぐに「○○派が・・・」という話からはじめる方への要望です。その要点は、そういうカシコイ話ではなくて、あなたの心にあったあの「三里塚」を思い出してほしいということが、最後の結論だと思っています。

田中さん、田中さんの心こそ「三里塚」だ!それは単なる地名ではないのだ!踏みつけられ、吸い取られ、使い捨てられ、にもかかわらず、まるでそこにいない者のように扱われてきた、世界中すべての人の血の叫びであり、希望であり、「もうお前たちの思い通りにはさせないぞ!」という人間としての叫びなのだ!それらすべてを代表する言葉が「三里塚」なのだ!

田中さんの心を惑わしてしまってすみません。でも、私が語ったこと、私が望んでいることと、田中さんの言葉は寸分たがわず同じなのです。田中さんのような人がもっともっとたくさん三里塚に来ることが、ここに書いたようなことを克服する一番早くて確実な方法なんだと思います。

荻作のかーちゃんに、ただ素直にしびれる。世界中すべての人と同じであり、同時に世界中の人を感動させ、しびれさせる、その姿に泣きそうになる。その自分の心の声を信じましょう。魂に突き刺さるものを信じましょう。それだけでいいと思う。それだけで解決できると思う。

ありがとう。
その、熱いことば、ぼくの貧しい胸にも響きます。
ありがとう。
今度、どこかで、お会いしたい!!
ありがとう!!

「殴られたほう」の心の痛みや傷を理解しよう

サイト「旗旗」を運営されている草加耕介さんが「三里塚に関する自己批判(と要望)」というブログ記事を掲載されました。草加さんの誠実さと勇気に改めて敬意を示すとともに、三里塚空港反対同盟の83年3・8分裂、および現在に至るまでの左翼・非日共産党的ラジカルの分裂と混乱にかかわった者…とりわけ北原派反対同盟の最大の支援党派であった「中核派」の、「第四インターへのテロ」を始めとする、自らが支援しない者、反対意見を持つものに対する暴力行為や恫喝(それは受けた者の「生命」や「人生」に大きくかかわるほどの激しいものであったそうです)という「行為」とそれを「支えてきた考え方」について…全ての人が重く考えなければ…

>人の心の痛み(しかも自分が与えた!)を理解し、受け止め、それを我が物とできるかは、左翼運動にとって、一番「本質的なこと」だと私は思います。
なにも左翼や反戦の「運動」ばかりでなく、普段私たちが生きていくうえで大切なことだと思います。それを忘れて「反戦」も「闘争」もありません。
草加さん、このような文章を書いていただき、本当にありがとうございます。

クリスマスに不善をなす勿れ

 ネットに何らかの力があるか、ないのか。それはわからない。
 でも、とりあえず知ること、知らせること、見つめることをしたいと思う。
 何らか、行動提起があれば、続報します。 

 やんばる東村 高江の現状
 http://takae.ti-da.net/

あるみさん>

ありがとうございます。
もっと叩かれるかと思っていたのですが、今のところ個別のメールを含めて、おおむね好意的なご意見ばかりをいただき、ひとまず胸をなでおろしています。

ですが、あるみさんのように、系統的に運動を支援しておられる有名人が、こんなにはっきりとご賛同してくださるのは、今どき物理的に「危険」ということはないとしても、立場的な危険や軋轢をともなうのではないかと心配しています。

にもかかわらず、危険をおかして援護していただいたこと、感謝にたえません。本当にありがとうございます。ただ、今後私が叩かれたり追放されるようなことがあったら、それは全体からみれば、ものすごく小さなどうでもいい出来事にすぎませんし、絶対に援護なんてせずに必ず見捨ててくだるようお願いします。

でも本当は、みんなが心の中では思っていることなんだよね。。。

「あけましておめでとう」TBをありがとうございます。本年もよろしくお願いします。
>系統的に運動を支援しておられる有名人が、こんなにはっきりとご賛同してくださるのは、今どき物理的に「危険」ということはないとしても、立場的な危険や軋轢をともなうのではないかと心配しています。

いえいえ、私はエエ加減に人生を生きてきて、現在比較的安全な立ち位置にいるから、あの記事は書けたわけです。「系統的に運動を支援して」というより党派シンパとしての「かかわり」だけでした。現地の全国集会への参加も近年のことです。記事では「正しく」「かっこよい」ことを書いたかもしれませんが、年頭に「悪の組織を立ち上げよう!」とも書いてたお調子者であります(ま、悪の中に正義があり、正義の中にも悪があるのでしょうが)

ネットが中心でのやりとり、おつきあいであっても、一度信頼した人を簡単に「見捨てる」ことはできないでしょう。

感銘を持って読ませてもらいました。

「殴ったほう」(中核派)の当時の一員として、特に次の指摘に痛感します。
、①「「殴られたほう」の心の痛みや傷を理解せよということです」。⇒うん‥。重たいな。
 ②「反対同盟はあえてそれをせず、沈黙(ノーコメント)を守って我慢した。‥そのことによって中核派は救われた。未来派の態度はその恩義を忘れ、自分だけがテロの歴史からは無縁でいい子になろうとしているみたいで、なんだかなあというのが、この「勝手に自己批判した」という人の意見らしい。まあ、その感性はわからないでもありません。⇒農民との信義の核心(魂)に触れているところ。

 ③テロの政治的・道義的結果(三里塚闘争の沈滞など‥)。

 自己批判を抱えて現地に参加されていることに、一番感じ入ります。

白土kamuiさん>

高名なる白土さんにご登場いただき、非常に恐縮です。
はっきり言って、こういうことを考えながら現地の闘いに参加するのは辛いこともあります。いろんな意味で「すっきり」していた現役時代が懐かしくなるようなことも。はたして私はあの頃より自由になれたのだろうか、一歩でも成長できているのだろうかと自問の日々です。

リンク先で公開しておられる白土さんの著作を読んでですが、当時の中核派の党内にもさまざまな軋轢や人間模様や意見の齟齬があったことに、少々の驚きを感じました。また、そうした軋轢に危機感を抱いて、これを共産主義的に止揚していくための思想的な営為や苦闘を、中央指導部が何もなしていないことが一番の驚きでした。

それは指導部への忠誠の強制や、不満分子のすりつぶしやパージといったスターリン政治や、ポルポトや連赤のような幼稚な恐怖支配、その裏返しとして党派性がないことをもって党派性とするような、ブルジョア自由主義の持ち込みをもって代用されるべきものでも、また、代用できるものでもありません。そういう主体性獲得のための思想的な苦闘のつらなりと実践こそが、マルクス主義者として生きんとする者のヒューマニズムの真髄だと私は思います。

以前、ある先輩が、「革共同には政治はあるが思想がない、ブントには思想はあるが政治がない」と言っていたことを思い出しました。それは老練な革共同政治の前に、手玉にとられて滅んでいった私たちの、単なる負け惜しみばかりではなく、一面の真理であったのかなと思いました。

リンクしていただいた文章には、赤ヘル3派に対する印象(評価)のような部分もありますね。中核派(の自分の頭で考えられる人)からは、そんなふうに見えていたのかと、興味深く読みました。近日、それに対応する文章も書きたいと思います。

また、アーカイブ(資料室)のほうに、闘争分裂以降の、私たちの組織総括文書も掲載しています。いまちょうどインター派との路線的な対立が顕在化してきたところで止まっていますが、次回から熱田派反対同盟(の青行部分)との対立という「佳境」に入るところです。よろしければご一読ください。
http://bund.jp/md/text/index.php?cat_id=7

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