「草加 耕助」の記事

自分の考え一色で世界を染めようとする発想が人々を不幸にする

党というのは労働者大衆が主人公となる社会を作って発展させていく上で、人民を守り、みんなの意見を代表して、その利害を代表する護民官の役割を果たすものですよね。だったらその党が一つとは限らないというか、むしろ3~5党くらいあって、競いあいながらも、プロレタリア革命という大きな方向性については共に協力して存在しているほうがごく自然なんじゃないでしょうか。そうなっていない、ましてや一党しかないという事態は、そこに何かしら人為的なものがあったとしか思えない。

人は自分が批判しているものにどんどん似ていくの法則ー「あ」さんの投稿を読んで

たとえば旧ソ連や北朝鮮で、共産党にものすごく嫌な思いををさせられて、「共産党なんてみんなとんでもない奴らだ。あんな奴らが世の中を少しでも良いほうに変えるなんてできっこない」と言う人がいたらどうしますか。「あ」さんが新左翼全般に対して言っているのもこれと同じことなんですが、こういう時に人が言うことって、主張の左右にかかわらずにあんまり変わらないパターンがありますよね。

ウヨ・サヨ論

対北朝鮮人権運動の全人民化を希求します

全民衆的な幅広い同情の存在と、運動の右翼による独占というネジレが、個別日本におけるこの問題の進展を様々に特徴づけてきました。右翼の政治戦略で考えてみれば、今後ともこういう分野から左派・リベラル・中道派を締め出し、自分たちの運動の基盤、新規参加者を獲得する動員源にしておいたほうが得策です。そのせいで参加できずに締め出された人に「北朝鮮はどうしたw」とか言っておけばいいのですから楽ですよね。