「草加 耕助」の記事

ウヨ・サヨ論

「真の○○」という表現

そういう「真の保守」とかいう表現にも眉唾になるんですよ。つまり左翼の経験から言いますと、「真の」何かが別にあって、それにはずれたから悪かったんだという発想に立つと(もちろんそういう側面があることは否定しませんが)、結局は「やり方が悪かっただけ」という結論になってしまう。そして左翼運動やマルクス主義そのものを俎上にのせることが、逆に許されざることになっていく。やがてお互いに「真の」を競い合ってかえって窮屈になってしまうという流れになっていくわけです。行き着く先は文化大革命的な世界ですからね。戦前の天皇制を肯定する復古主義的・反憲法的な右翼は、この「やり方が悪かっただけ」という主張が強くて、「あら、昔の左翼と同じ道をたどっているよ」としか私には思えないんです。

人権と尊厳

再掲】「おいコラ!在日!」と言われた時

 昔々あるところに部落差別問題に非常に熱心な、あるお坊様がおったそうな。この坊様は常日頃から「差別はいかん」と熱心に説き、辻説法に立っては口角泡を飛ばして差別を糾弾しておりましたとさ。さてある日のこと、とある解放同盟の地区幹部の人が、試しにこのお坊様にこう問いかけて見たそうな。 「お坊様、あなたがあまりに熱心に差別反対の説法をしているので、きっとあの坊様も部落だと噂している人がいましたよ」と。。。するとこの坊様は、

人権と尊厳

外国人排外勢力の主張も「言論の自由」?(賛同者450人に)

いわく、「外国人参政権付与に反対しているだけ」「意見を表明することは言論の自由」だという主張への後退です。これに動揺するような人がいたら言いたい。本当にそうなのでしょうか?結論から申せば、これは「ヤクザにも人権がある」という当たり前の主張から、「だから暴力団を取り締まるのは憲法違反だ」というトンデモな結論を導き出すに等しい暴論です。私たちは、そして何よりも私は、こんなひどい事態がこの日本でおこってしまったことを、痛苦に受け止めないといけません。

人権と尊厳

外国人排斥京都デモへのカウンター行動に全国から賛同人になろう

これは「左翼が右翼の行動に反対している」のではないのです。私たちの「人間としての」良識と良心が問われているのです。ヨーロッパの在野市民は保守・革新の垣根を越え、極右ファシズムの台頭には共同して反対します。私たちもその精神には見習うべきところがあると思います。今こそ心ある人々はニーメラー牧師の言葉を重く噛み締め、思想信条の垣根をも越えて、この問題では手を結ぶべきだと思います。是非ともご賛同の上、あちこちに貼り付けてください。