社会とその課題

反原発

情報公開なくして「自己責任」なし…トモダチ作戦参加の被曝米兵が東電を訴え

よく「ウソつき東電」などと言うが、要するにそれは、世界中で当然のこととされている企業と国の消費者(=国民)に対する情報公開のことなのだという視点を、誠に恥ずかしながら、このニュースを見るまで持っていなかった。だがそう考えるとわかりやすい。私たちはこの訴訟を揶揄してすませるのではいけいないと思う。

60年安保闘争で国会を取り巻く人々反原発

本日(11・11)の国会デモを都が中止に追い込む‐抗議行動は予定通り

今回の事態は、今まで続いてきた戦後民主主義の伝統が、反原発デモが盛り上がりを続けていつまでもおさまらない中で行政サイドから「見直され」て、今までできたことができなくなったわけだ。これは左翼の言っていたことが正しかったのか?所詮デモの自由なんて国家が与えた「恩恵」にすぎなかったのか?それとも正しく国民の「権利」だったのか?そのことが今問われていることの本質だ。

2012年 大飯原発の再稼働反原発

転載】今夏の電力はなぜ足りたのか?

猛暑となった今年の夏。しかも電力生産の40%を原発に頼っていた関西電力。それがなんなくこの夏を乗り切った理由は簡単だ。電力の消費率としてテレビに出ていた数値は、間違っていたのである。すでに2011年3月の事故直後に「日本の電力は原発を止めても不足しない」との計算がIEA(国際エネルギー機関)から出ているのだ。そこには具体的な数値も入っているが、日本の場合は数値はなく「大丈夫」か「足りない」だけであとで責任を追及できないようになっている。