職場(組合)内活動の実践―全逓湘北労研の経験から
職場労共闘建設の実践 A)はじめに、この間の労研活動について われわれ全逓湘北労研(以下労研と略す)は八二年七月結成以来全逓組合内で少数派でありながらも、革命派として活動しつつ労共闘の職場内的表現として、全人民的政治闘...
職場労共闘建設の実践 A)はじめに、この間の労研活動について われわれ全逓湘北労研(以下労研と略す)は八二年七月結成以来全逓組合内で少数派でありながらも、革命派として活動しつつ労共闘の職場内的表現として、全人民的政治闘...
活動家マニュアル目次にもどる < 懐古的資料室目次にもどる 家宅捜索にいかに対処するか はじめに 家宅捜索は通常、まず不当逮捕を行ってから、その関連で強行するというのが今までの基本であった。だが最近の公安警察は、たとえ...
活動家マニュアル目次にもどる < 懐古的資料室目次にもどる 援農の心得 一、援農闘争の意義 援農闘争の意義は重大である。それは、まず何よりも三里塚闘争の主体が三里塚農民であり、三里塚農民の主体的決起と結びつくことなくし...
バーチャル歌声喫茶『のび』にリクエスト あの超有名サイトであるバーチャル歌声喫茶『のび』さまに、畏れ多くも掲示板でリクエストをしてみたところ、なんとこれに応えてMIDI音源を作成していただきました。感動です!しかも1月...
告知もなくひっそり(こっそり?)オープンさせていた「懐古的資料室」の中に、「左翼思想入門の入門」というコーナーを設けました。とりあえず3本ほど掲載しましたが、いずれはまっぺんさんとこのレッドモール党の「文献・資料室」や...
1945年8月15日-ついに日本の敗戦の日が来た。木川武治の郷里は芝山町菱田の辺田(へた)部落だった。武治がそこに帰ってきたのは、その年の10月25日だった。10月といえば農村は農繁期のさなかで、猫の手も借りたいせわしさだった。農繁…
このサイトの読者の皆さんは御存知の方が多いと思いますが、故戸村一作反対同盟委員長が生前に書き残された「小説・三里塚」を掲載いたしました。 これは他ならぬ闘争の当事者が、農民目線からの三里塚(成田)闘争をありのままに描...
戦後最大の住民闘争、三里塚。実在の開拓 農家をモデルに、敗戦、開拓、闘争と、そ の波乱の道のりを感動で描く。 .
□ 反戦動画集のトップにもどる 1969年5月におこなわれた東大全共闘と三島由紀夫の討論集会の模様。討論の一部始終はのちに「美と共同体と東大闘争」の書名で出版され、ベストセラーとなった。 全共闘側の討論メンバーのうち...
□ 反戦動画集トップにもどる 機動隊に守られて農地に杭を打つ空港公団と、それに抗議する農民の映像。 まだ左翼活動家の姿はなく、公団や機動隊の一方的な作業強行となる。 政府側がポーズだけでも「対等な話し合い」を口にする...
□ 反戦動画集のトップにもどる 福田首相の「成田開港を内政の最重要課題とする」という号令を受け、政府・警察権力は、文字通りの国家権力の総力をあげて反対派つぶしに走った。だが、今までを倍する暴力を前面にたてる以外になすす...
戦後最大の規模となった強制執行(土地取り上げ)。YouTubeからのニュース映像。この日、まず前日まで遠くから見物していた多数の市民を機動隊が排除、現場一帯を封鎖した。やがて「人に見られては困る」蛮行がはじまった。 ...
ビラの舞い散るキャンパスで ストライキをアジった日 デモ多かりしあの頃の 思い出をたどれば なつかしい同志の顔が 一人一人うかぶ 重い丸太をかかえて 通ったデモコース 秋の日の三里塚の 汗と流血のにおい 石ころとぶ羽田 学連時代
■ 懐古的資料室の目次にもどる アッテンボローさんのサイトに、中核派の故本多延嘉書記長「中国文化大革命批判」の学習ノートが載りました。それを読んで、運動や党のあり方を論じたこの論文を思い出しました。 本論は革共同(中...
旧戦旗・共産同の規約というのは、かつて「現代古文書研究会(現古研)」という共産趣味者界ではメジャーなサイトに収集・展示されておりました。そのため、今は捨て去られた文字通りの「古文書」たるこの規約が、趣味者界隈の方々には...
昭和天皇が重態に陥った1988年の暮れも押しつまった12月10日早朝のことです。警視庁水上署は当時私の所属していた政治党派の事務所18ヵ所を朝の7時から急襲し、「家宅捜索」を名目としてそこにあった履物すべてを根こそぎ持ちかえるという、唖然とするような嫌がらせを行ないました。
この間、関生弾圧や民事介入弾圧などの、誰がどう考えても無茶な言論弾圧を繰り返し、このブログでも何かと話題の大阪府警ですが、そう言えば昔の資料でも、大阪府警について言及したものがあったなあと思って引っ張り出してきました。...
頭の中には何もうかんでこない。寒くて眠れない。朝がくるのをただひたすら待ちながら時計ばかりをみていた。幸い気温がそれほど下がらずなんとか生きて朝を迎えた。Bさんも眠れなかったと言っていたが、ほとんどイビキをかいていた。
いざ極限的な状況に追い込まれたとき、ブルジョア社会で育まれてきた女として作られた性へと回帰していったりする。「女だからできなくても何も言われないだろう」とか……手の感触がない。よく見ると手が赤黒くなり、ぷっくりとふくれあがっている。痛い。だが、離したら落ちてしまう。
岩によいしょ!と登った瞬間、大きいと思っていた岩は実は小さく、すぐさま二千メートル下までスッキリ見渡せてしまったのだ。足のふるえが止まらない。
「もうダメ、落ちる」彼女の体重がかかってくる。支えている私自身が今にもずり落ちそうだ。
「ダメなら落ちていい!」と怒鳴った自分にびっくりしていた。・・・
厳冬期中級山岳の縦走を貫徹!全体総括と登山記録の概要。ルートマップなども。
当時の私達は、我々はこのまま前進し続けると信じて疑わなかった・・・。
勤労青年山の会同窓会の目次に戻る < 懐古的資料室の目次にもどる われらが長征をたたかいとれ われわれが組織的に山行に取組むようになってから、もう何年たっただろうか。アダチ分派(73年6月)以後のことだが、全体的にやっ...
勤労青年山の会同窓会の目次に戻る < 懐古的資料室の目次にもどる 勤労青年山の会とは、戦旗・共産同が組織山行の時に使っていた名称で、実態はイコール戦旗派ですね。山行以外でも地区で会議室とかを借りる時などにこの名称を使っ...
懐古的資料室の目次にもどる 目次 ■勤労青年山の会とは?(草加耕助) ■われらが長征をたたかいとれ-なぜ山に登りつづけるのか 特集:上州武尊山行 ■武尊山 組織山行の背景事情(草加耕助) ■概要・全体総括 ■参加者個...
活動家マニュアル目次にもどる < 懐古的資料室目次にもどる 表紙写真は機動隊と対峙する横堀要塞防衛隊(78/02/05撮影) 80年代前半における「党の武装」への取り組み 70年代の戦旗派は中核派の「革命軍」や二次ブン...
懐古的資料集目次にもどる ここにあるのは1980年代において、戦旗・共産主義者同盟が提起した日常活動のマニュアル群です。内容は活動家としてはごく初歩的な日常生活に関するものが中心です。 本来なら一般に公開する類のもの...
活動家マニュアル目次にもどる < 懐古的資料室目次にもどる はじめに すべての同志諸君! 本八六年われわれは、わが同盟戦旗・共産同がこの三年有余をかけて推し進めてきた党の武装-武装せる革命党建設のかつてない前進をはっき...
いわゆる「過激派」の主要党派の一つであった戦旗・共産同が、活動家の日常活動の手引きとして発行した文書、その1
いわゆる「過激派」の主要セクトの一つであった戦旗・共産主義者同盟が、日常活動の手引きとして発行した文書を公開。アジト周辺のパトロール体制について。
いわゆる「過激派」の主要セクトの一つであった戦旗・共産主義者同盟が、日常活動の手引きとして発行した文書を公開。電話盗聴、集音盗聴などの実態とその防止法について。
いわゆる「過激派」の主要セクトの一つであった戦旗・共産主義者同盟が、日常活動の手引きとして発行した文書を公開。公安警察官によるスパイ工作の手口。その実例の報告。
いわゆる「過激派」の主要セクトの一つであった戦旗・共産主義者同盟が、海外向けに発行した広報用の英文パンフレット。
女性問題に関する戦旗派の内部論争の過程で提出された諸論文を、ほぼ時系列にそってまとめたもので、内部向けに刊行。外部には非売品。「闘う労働者」という組織内向けの交流誌に掲載された論文や手記、所感類の総集編といえる。 左...
女性問題に対する党内論争の過程をまとめた文献。左翼はフェミニズムの問題意識に学びつつも、それをどう批判的に超えようとしたか。