伝説のアトミック・カフェin日比谷野外音楽堂
コロナ下で街の路地に飢えた人々が増え続ける中で、GOTO五輪?!
NONUKES! 広島・長崎週間の昼下がり、五輪観光スポット浅草で尾崎を語る!
1984年8月4日東京日比谷野外音楽堂で開催されたミュージックフェスティバル「アトミック・カフェ」の主催者が、今年4月25日(尾崎の命日)初めての著書を出版。その中に衝撃の尾崎豊のインタビューが紹介された。37年目の8月8日、その主催者であり、著者本人から話を聞き、観ます。
■ 日時:2021年8月8日(日)14:00~16:00 受付13:30~
■ 会場:台東区立台東区民会館 第2会議室
〒111-0033 台東区花川戸2丁目6番5号 8階
東武線浅草駅正面改札口5分
メトロ銀座線浅草駅 7番出口5分
都営浅草線浅草駅 A4出口8分
https://map.goo.ne.jp/place/CURRW8HM/map/
■ お話:大久保青志さん(アトミック・カフェ主催、さようなら原発1000万集会運営、元都議会議員)
著書:デモもフェスも進化させる~音楽に政治を持ち込むなってなんだ?!
公開:尾崎豊 ケガ休養中のインタビュー記録など
■ 参加費:1000円
■ 予約制:090-9399-3941(松代)090-9333-8807(市原)
尾崎豊と言えば、1980年代、強制・支配からの解放の先駆者として10代の子どもたちに支持され、大きな影響を与えたミュージシャン。その後メディアが薬物中毒事件でバッシングの嵐を浴びせても若者の支持は不変だった。
尾崎(19歳)はこの「アトミック・カフェ」にぜひ出演したくて曲を作った。
それが「核(CORE)」。
デビュー1年経たない尾崎を一躍有名にした日比谷野音での7m下のステージへの飛び降りと、左足を骨折しながら4曲を歌い切った伝説のステージ。動画の一部が残されている。
大久保さんは、8月の広島DAYにこだわり、浜田省吾、加藤登紀子、尾崎らの賛同出演で第1回アトミックカフェを主催していた。その後、ケガ療養中の尾崎にインタビュー。質問に一語一語真剣に語ってくれた1時間余。初めて男が男に惚れたと感じたという。尾崎豊の「原点」とは?!尾崎少年は、なぜ繰り返し「抱きしめて」「孤独」「愛」「自由」「約束」「闘い」「平和」と書き、歌ったのか? 何を求め、問い続けたのか?
尾崎は「核(core)」の中に歌っていた。
抱きしめて 愛している
抱きしめていたい それだけなのに
ねえ もしかしたら 俺の方が正しいかもしれないだろう
俺がこんな平和に中で 怯えているけれど
反戦 反核 いったい何ができるというの
小さな叫びが 聞こえないこの街で
尾崎豊は炭鉱のカナリアだったのか
■ 主催:悼む!尾崎豊 有志の会
連絡先・申込: 090-9399-3941(松代)090-9333-8807(市原)
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