北西風が党を鍛える 戦旗派83年下期総括

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六、3・25 三里塚闘争をめぐる第四インター、中核派の陥穽

 現在八四年三・二五三里塚闘争をむかえるにあたり、中核派は突然「脱落派・第四インターらの粉砕こそ二期決戦勝利のたたかい」なる主張を声高にかかげはじめた。××××名程の結集で打ちぬかれた葛飾公会堂での十二・一一革共同集会でこの方針は大衆的におろされ、東京実行委員会などでの内部矛盾をはらみつつ、完全にスターリン主義党と化した中核派は反対同盟農民さえも粉砕の対象とする「内戦」に突入すると豪語している。

 これに対し第四インターは「中核派の破産の姿だ」という受けとめ方をし、「諸君(中核派をさす)の反対同盟や三里塚とともに闘う戦闘的労学に対する敵対の拡大は、逆に自らの不正義と利敵行為を満天下に明らかにし、諸君の孤立と危機を拡大することにしかつながらないであろう」(『世界革命』八〇〇号「一坪再共有化運動をデマと暴力で妨害する中核派」)と逆に中核派に警告さえ発して対立を構造化させている。

 そこでは八三年三・八反対同盟総会をもっての中核派の排除決定を、路線的なものとして位置付け正当性をかかげる第四インターと、むき出しのスターリン主義政党としてそれを粉砕せんとする中核派の確執があらわになっており、われわれ戦旗派革命勢力はプロレタリア日本革命の戦略的総路線を導きの糸としつつ、独自の政治的観点をもってこれに対処することを焦眉の課題としている。
 われわれは『三・一八革共同への申し入れ』の趣旨を基本的な考え方としつつ、おこりうる事態に対処し、三里塚闘争と反対同盟農民の敵権力からの防衛を全力をあげてやりきらねばならない。

 八三年の過程をふりかえり、はっきりしていることは中核派と第四インターのどちらもが誤った観点にたっているということである。中核派も中核派なら、第四インターも第四インターなのだ。とくに第四インターは無党派市民ぶりをかかげて、独自の二期決戦回避路線を貫こうとしており、自らの体質を「ナマコのインター」と表現する彼らが、こと三里塚闘争における中核派批判となると突然セクト的になり、われわれと全く異る観点にたつ右からの構造的な路線的批判を繰り広げはじめるのだ。
 この両者の陥穽をあばき出し、独自の政治的対象化において三・二五を大爆発させる方向を突き出していくこと、これをやりきらねばならない。
 三・二五勝利は八四年の突破口を形成し、二期決戦勝利の戦闘能勢を構築するためにさけて通れない試練であり、われわれは党の存命にかけて人民の正義に立脚した闘争の戦略的領導をはたしきらねばならないのだ。

 そこで中核派が『前進』一一六六号(八三年十二月二六日付)をもって、突如がなりたてはじめたのは以下のような主張である。

 「われわれは、日帝・公団の攻撃のテコとなり、先兵になりさがった脱落派をいまこそ粉砕・一掃するために総決起する。岩山記念館襲撃=破壊への反対同盟同盟の怒りの決起と結合し、脱落派・第四インターとの内戦に全面的に突入する」「三里塚二期決戦の、当面の最も重要な闘いとして脱落派とのたたかいをがっちりと位置づけ、総力をあげて決起していかなければならない。脱落派を粉砕し、その息の根をとめることこそ、三里塚二期着工策動を最後的破綻においやる決定的たたかいである」
 「レーガン来日ー日米首脳会談は、日米掃討戦がどうにもならぬほど非和解的に激化していることを示した。日米両帝国主義が一九八四年、それぞれの対スタ対決=争闘戦貫徹政策によって決定的な矛盾ときしみを激化させることは不可避である。日帝・中曽根はこのような未曾有の激化につき動かされればされるほど、国内危機、自民党政治の危機の反動的突破をかけて戦後政治の総決算=軍大化・改憲攻撃にうってでざるを得ない」「脱落派を粉砕し、ガタガタにし、反対同盟の不抜化をかちとるならば、日帝・中曽根は土壇場に追い詰められ、最悪の事態で決断を迫られることになるのは火を見るよりも明らかである」。
 「脱落派、脱落党派とのたたかいは、日本階級闘争の内乱・内戦的発展、内戦的規模の拡大・激化であることをがっちりとふまえ、総力戦的たたかいに突入しなければならない」。
 「この内戦が、戦争としての戦争を基軸にしつつ、巨大な政治的・思想的・戦争的・全面的たたかいであり、内戦の全人民的規模での拡大・激化を不可避にはらんでいることを正しくみすえなければならない」(一一六六号)

 しかしこれは、全くなんというスターリン主義路線であろうか。ここで主張されていることはすべて目茶苦茶である。熱田派反対同盟を粉砕することが「二期決戦勝利の当面の最も重要なたたかい」で「日帝・中曽根は土壇場に追いつめられる」。熱田派反対同盟と支援を打倒することが「日本階級闘争の内乱・内戦的発展、内戦的規模の拡大・激化である」などというのは、国家権力も反対同盟農民も支援勢力も一緒くたにした何の実体的な階級関係の分析もない全くの政治的独断にすぎないものであり、マルクス・レーニン主義的な革命理論にもとづく問題把握とは絶対にいえないものである。

 中核派の主張するような事態の進展は全く逆の結果しかもたらすわけがないではないか。
 すなわちたとえその内部に島寛征とか、ワンパック運動的なエコロジー主義的な雑炊性をはらんでいたとしても、三里塚反対同盟が崩壊することは敵の二期着工攻撃を早める以外のいかなる結果ももたらさず、日帝中曽根は土壇場に追いつめられるどころか勢いを得て、三里塚闘争の最後的解体に一挙的にのり出してくるであろう。かつまた二つの反対同盟および支援勢力が敵権力の前で相争い、相互にののしり合い、血の抗争に入れば、それは「内乱」や「内戦」ではなく全くの「内部ゲバルト」であり、日帝中曽根はよろこび、その逆に日本階級闘争は高揚するどころか全く低迷し、分岐を深め、プロレタリア日本革命の展望そのものが遠のくのである。

 何故ならば十八年間にわたって日帝国家権力と武装対峙をつづけ、反戦・反核の砦を宣言してきた三里塚反対同盟の偉大性は、中核派のみならず、中核派をもその一翼としたカクマルを除く革命的左翼すべての闘いの成果に立脚しており、それ以上に全国の地域住民闘争や組合運動、農民運動の頂点にたつ闘いとしての権威を持っており、巨大な影響力を日本階級闘争全体に投げかけているからである。それが分裂分解して内ゲバを繰り広げ、どうして「内戦の拡大」とか、「二期着工策動を最後的破綻においやる」などと言うことができるというのか。

 三里塚闘争の混迷を喜ぶのは日帝政府・公団とカクマルのみであり、事実カクマルは八三年十二月十二日号の『解放』七九五号で、「三里塚から陶山一派を放逐」などと、八三年階級闘争の最大の成果として三里塚反対同盟の分裂をかかげ、その「演出者」がカクマルであったかのようなことを得意満面に主張しているのだ。中核派の「決断」は誤った決断であり、決して人民の正義を体現しておらず、むしろ日帝権力とカクマルをよろこばせるだけである。かくのごときまんまと敵の術策にはまりこんでしまう誤りを革命的左翼たらんとするものは、断じて犯してはならないのだ。

 粘りづよく二つの反対同盟の話し合いをつづけ、双方が歩みよる精神にもとづき問題の処理をはかっていくならば、十八年間も闘いつづけてきた不屈性・不滅性を有した三里塚反対同盟であるがゆえに、革命的再統合は絶対に可能である。
 それを意にもかいせず、敵の無条件降服だけが勝利だと押しまくろうとする中核派は、政治展開における完全なスターリン主義の陥穽に落ち込んでおり、絶対にまちがっている。われわれとても事態の進展においてはふりかかる火の粉は払わねばならず、そうであるが故にこの無謀な「内戦」の方針転換を強制しなければならない。内ゲバは何も生み出さず、人民の離反のみが作り出されるだけなのだ。

 だが、他方第四インターはというならば、中核派の追放が三里塚闘争再生の道であり、それは全民労協の発足に対する革命的労働者の分岐と同じ必然であり、カンパニア主義の克服だ等、中核派が怒っても当然なことばかりを、三里塚闘争への実践的な指導責任はまるでとろうともしないくせに、『世界革命』紙上で書きまくっている。
 われわれは第四インターの立場にも断じてくみすることはできない。「三・一八革共同への申し入れ」以降のわれわれの原則的な努力をまるでくみとろうともせずず、逆に戦旗派を「連帯する会」から排除することを画策し、インター路線で熱田派反対同盟をつき動かそうとする第四インターは、今や全くのセクト主義であり、矮小な存在ですらある。

 第四インターが「三・八反対同盟総会」以降言いまくっていることは以下のような内容である。

 「政府・権力・空港公団と非妥協的に対決してきた反対同盟十七年間の闘いと反対同盟そのものの防衛、二期着工阻止にむけた現地と全国をつなぐ攻勢的三里塚闘争の新たな構築は、反対同盟の中核派との断絶、中核派との公然たる決裂と彼らの路線との全面的対決なしには、もはやありえなかったのであり、絶対に期しがたかったのである」(『世界革命』七七七号、三月ニ十八日付)
 「中核派の『対日帝権力革命的武装闘争、ゲリラ・パルチザン戦争』路線なるものは、政府・権力・資本に対する大衆の直接的な戦闘的実力闘争の形成・発展にまさに路線として対立し、敵対する」

 「中核派の私党的『地下秘密戦争=革命的武装闘争』なるものからするとき、三大方針にもとづく反対同盟の現地・全国の攻勢的闘いの踏み込みは、じつのところ、反対同盟農民が“極左主義”の道にふみこんでいくということなのであって、中核派はこの反対同盟の大衆的“極左主義”路線を絶対に容認することができないのである」

 「かくして中核派の『前衛党的指導性の貫徹』のもとで“大衆”にあたえられる役割は、政府・権力・資本の攻撃に直面し、ただただ耐えしのぶかたちで抵抗し、何が何でも屈服せずに“魂を売らない”ことであり、そこで動揺すれば中核派の『前衛党的指導性の貫徹』から“裏切り分子”として無条件的・最後通牒的に追放されることを甘受することであり、その上で中核派の私党的地下秘密戦争=『対日帝権力革命的武装闘争、ゲリラ・パルチザン戦』に唯一期待をかけてこれを支持・承認するということである。まさにかくして中核派の『前衛党的指導性の貫徹』のもとに完全にかこいこまれてしまった“大衆”こそが、じつに皮肉なことに“戦闘的・革命的大衆”という称号を中核派からたまわることができるのである。もちろんそのような“大衆”が現実に現実に存在しうるとすれはの話ではあるが」(同七七七号「中核派路線の右翼日和見主義)

 「反対同盟の三大方針決定、ならびに中核派との共闘関係解消の政治的性格は、国家とのゆ着(話し合い、成田川水推進=空港との共存共栄方針)を拒否して、国家と対決する新たな労農大衆の政治的大衆闘争とその戦列をつくるのか、それとも六〇年代の急進主義にとどまって相も変らぬ大言壮語とカンパニア主義に堕落するのかの政治的選択であった」「それは三里塚闘争が八〇年代に国家と対決する最前線として生き残れるかどうかをかけた政治的選択であった。それゆえ中核派と距離をおけばいいのではなく、その堕落そして敵対との闘いを不可避とするものであった」

 「五五年型改良主義運動の破産の歴史的段階の中で、労働組合において全民労協と対決する労働運動が要求されているのと同じ政治性格において、反対同盟は三・八総会をもつに至ったのである」

 「一方では内ゲバの論理と他方では労働組合大衆団体の名をかかげる中核派の敵対に、労働組合大衆団体の自主的再編・強化をもって対決しよう」(同七九九号、八三年八月二十九日付「三里塚闘争の直面する課題は何か」影山進二論文)
 「今や中核派にとっての三里塚闘争とは、一坪再共有化運動の推進をデマと暴力で破壊することがほとんど唯一の“方針”であるというところにまで堕落してしまった」「中核派の利敵行動、セクト的暴挙に真向うから大衆的に立ちむかい、彼らの内ゲバ主義を包囲、糾弾、孤立化させていくことが不可欠なのである」(同八〇〇号、八一年九月五日付)

 これらの内容をみれば歴然とするように、第四インタ一は自らの無党派市民主義ぶりというセクト主義的観点にもとづき、構造的で路線的な対立として中核派との対立を打ち出しているのである。つまりは、

1)自立的な大衆闘争(=無定形な住民とか市民、農民の自然発生的運動、まつりや行事や物の構築なども含まれる)に、革命の指導するゲリラ・パルチザン戦闘などは敵対するものであり、大衆叛乱に水をさすものだ。
2)政治課題への大衆動員はカンパ二ア運動であり、大衆の自然発生的な運動を補完することが革命党の役割りである。
3)それが国家との癒着を拒否して、国家と対決する新たな労農大衆の政治的大衆闘争なのだ

と主張し、そこから中核派排除の路線的必然性を「新たな段階への到達」として自賛しているのである。これは七・五ゲリラ・パルチザン戦闘はヨコスカ市民運動と相容れないものだというじ七・五批判と、結局は同じことを、もっと純化したかたらで述べているのにすぎない。

 わが同盟はこうした見解にもとづき第四インターが反対同盟の改組を企だて、三里塚闘争の変質を策すことも断じて認めることはでさない。それは中核派に対する批判は早晩われわれにち向けられる構造にある等という自己防衛的な消極的理由から言うのではない。
 最も端的にいえば第四インターの主張にもとづけば、三里塚闘争の武装的前進、日帝国家権力とのゲリラ・パルチザンをも内包した大衆的実力闘争としての発展の道は閉ざされる以外ないからである。別の言い方をすれば三・二六管制塔占拠や開港阻止決戦の勝利的進撃を第四インターが「二十年に一度の出来事」としてしか対象化できず、路線的に位置付けえないで挫折し、二期決戦からの逃亡をはかり、それを路線化していることを批判するのと同じ理由で、第四インターの右翼日和見主義路線を断罪するということである。

 第四インターに従えば、一坪共有化運動を頂点としつ、ワンパック運動=野菜売り、有機農法の取りいれ、ライス・センターの建設、共同出荷場建設、自主基盤整備、共同耕作の推進などの生産・流通における共同農業運動みたいなもの=農民の生活改革運動こそが、三里塚闘争の本質的内容性であり、北総台地にそびえる反戦反核の砦として日帝中曽根ファシスト政権の核軍拡、アジア侵略反革命政策と真向う対決し、軍事空港建設を阻みつづける全人民的政治闘争としての三里塚闘争の意義は、つけ足しにすぎないものとなってしまう。

 革命党は人民が武器をとり決起するまではゲリラ・パルチザン戦闘も、党が領導する大衆的実力闘争も行なってはならないことになってしまい、そもそも日本革命の蜂起・内戦的領導をおしはかり、戦略的大動員を貫徹することが「六○年代的なカンパ二ア主義」であり、「国家と対決する新たな労農大衆の政治的大衆闘争」とは異なるものだというのでは、三・二五闘争にわれわれが総結集を実現せんとすることそれ自体が、全く無意味なことになってしまうではないか。
 これでは二期決戦勝利へむけての全人民的政治結集をおしはかることなどとてもできず、日帝中皆根は労せずして全人民的政治闘争としての三里塚闘争を圧殺するばかりである。

 ここに見られるような、人民が武装闘争を己の課題となさないことを正当化し、闘争放棄をおしはかるだけにしかつながらない第四インターの右翼日和見主義路線。小ブルニヒリスティックな無党派市民主義ぶりは、或る意味では中核派よりももっと狡猾な、完全な戦線逃亡のメンシェヴィキ方針であり、武装し闘う革命党としてのわれわれ戦旗派革命勢力は、絶対にこれを批判しつくさなければならないのだ。

 三・二五三里塚闘争の大爆発は、以上の誤まった二つの傾向(内ゲバ主義と右翼無党派市民主義という二つのセクト主義)を正し、三里塚を反戦反核の砦として維持発展させきり、日帝中曽根ファシスト政権の二期着工攻撃を頓挫せしめる正義のボリシェヴィキ革命勢力として、われわれが登場しきることを必然的にしている。われわれ戦旗派革命勢力は敵をも己をも決してあなどらず、独自の戦略的観点にもとづき死力を尽した総決起を貫徹しぬかなければならない。

 わけても内ゲバ主義を振りかざして再び襲いかかってこようとする中核派との攻防に打ち克つことは、直接的な党の死活がかかっている。われわれ戦旗・共産同と全革命勢力は三里塚反対同盟農民とあくまでも命運を共にする。われわれはやると言ってきたことは必ず員徹してきたし、嘘もてらいもなく、真摯に己を見すえて全力をふりしぼってこの十年間を闘いぬいてきた。
 われわれは中核派も第四インターも批判せねばならず、人民の大義をまもささ肌塚闘争の旗を、何が何でもたに、守り抜かねばならない。
 ゆえに全党全軍の同志諸君に訴える。われわれ戦旗派革命勢力は、今こそ三里塚闘争を戦略的に領導しぬく日本のボリシェヴィキ勢力として、三・二五の一大高揚を内ゲバ主義を排して実現し、死力を尽した総決起を貫徹しぬかなければならない。

 既に知ってのとおり八三年十一月二十一日、長谷川運輸大臣(当時)と千葉県沼田知事は国会内で会談し、「成田空港ニ期工事早期完成で合意」の共同声明を発表した。B・C滑走路の騒音対策と航空博物館の建設という千葉県側がしめした懸案に対し、長谷川運輸大臣が処理方針を示したことにより、「二期へ向けての当面の行政的課題はすべて解決する形となり」というのだ。残されているのは「反対同盟農民との話し合い実現」であり、成田用水事業を八四年早々にも強行着工し、空港周辺農民の切り崩しに成功すれば、八四年二期着工は全く実現可能であるとする、この日帝国家権力・政府公団の早期着工宣言を、われわれは絶対に粉砕しぬかなければならない。
 そのためにも中核派と第四インターのどちらをも批判しつつ、三・二五三里塚闘争の圧倒的高揚を作り上げることは、いまや天与の使命であり、われわれ戦旗派革命勢力は、この重大な使命を主力党派として担いぬかなければならないのだ。

 まず第一には中核派の内ゲバどう喝に決して屈せず、「三・一八申し入れ」を基本的な考え方として守り抜き、党を防衛しきることである。不毛な「内戦」になど断じて踏み込んではならず、あくまでも防御、防衛をつうじての反撃を基本として革命的に事態に対処せねばならない。
 社防、ウォッチ、パトロール体制を徹底的に強化し、戦旗社、印刷所、地区党事務所、各アジト、そして党の中枢カードルを守り抜け。組織防衛こそが最大の課題であり、この態勢を確立せずには一切の事態に対し対処しうる方途をわれわれは持たない。

 第二には闘争防衛をおしはかることであり、それは戦略的××××名動員の闘争態勢を決して崩さず、反対同盟支援勢力主力党派として三・二五を担いぬくことである。
 第二期中曽根内閣の成立と、長谷川・沼田会談による敵の早期二期着工の策動を正しく暴露しきり、成田用水事業本体工事への着手を、ありとあらゆる手段をもって粉砕しぬく中で、三・二五闘争における人民の正義を体現しぬくことがとるべき方向である。

 核心的なことは第四インターのように、反中核運動として三・二五をとらえては断じてならないということであり、あくまでも日帝中曽根ファシスト政権のアジア侵略反革命戦争体制づくりに抗し、軍事空港建設を阻む「反戦・反核の砦」三里塚の防衛をかかげ、決起しぬくことである。
 それぬきには中核派の「内ゲバ戦争」に巻き込まれるばかりであり、三・二五への能動性・主動性を保つことはできない。

 以上の二点を基本方針として確認し、全党全軍の圧倒的な意志の結集を実現し、革命党としての存命をかけた決戦中の決戦として、全同志諸君は三・一五勝利にむけた進撃をただちに開始せよ。七・五ゲリラ・パルチザン戦闘の遂行、十一・六常盤橋戦闘とそれ以後の組織防衛の闘いなど、この間つちかわれた公然-非公然闘争の重層的展開の党的体質をがっちりと守り抜き、事態の進展に革命的に対処しぬくならば、勝利はわれわれのものである。投獄も死をも恐れぬ決意と覚悟を打ち固め、不屈の闘魂を発揮して前進を克ちとろうではないか。われわれは千度も生きながらえ、三・二五の革命的領有をもって、日本階級闘争における戦旗・共産同のプレゼンスを一層強固なものに押し上げるのだ。ただちに総力戦態勢を構築し、死力をふりしぼって決起を貫徹せよ!

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