「小説三里塚」第三章 闘争(後半)

戸村一作:著『小説三里塚』 目次へもどるこの小説について

第22話 台風一過(1)

三里塚の農家(70年代) 空港は通り魔だった。すでに三里塚に過ぎ去ったそれは、富里農民にとっては、まさに台風一過ともいうべきである。その反面、三里塚の農民は、混乱と不安動揺の中に投げ出されて、右往左往した。野良仕事には手もつかなかった。

 七月のある日だった。
 富里村大堀の公民館に集まった部落の人たちは、空港粉砕勝利の祝宴で大賑わいだった。二年半の空港反対は農民にとっては、かつてない大きな打撃だった。デモに抗議、陳情と相次ぐ連日の動員体制で、収穫期を控えて猫の手も貸りたい農家が多かった。それでも、支援団体の援農隊に助けられて、どうやら反対運動を続けてきた。

 が、二年を過ぎる頃になると反対派の中にも運動にいや気が差し、機会を見て何とか同盟から脱け出そうとする者も二、三現われてきた。
 そんな時、空港は幸いにも忽然として、富里から三里塚に去ったのである。
 彼等は小踊りして喜び、胸を撫で下ろした。
 今日の祝宴はそうしたいわれあるもので、大賑わいは当然だった。

 富里村は広い。その中の大堀部落だけでも二年半にこの公民館で何回、空港阻止のための部落集会を開いたことであろうか。夜ふけの一時、二時までも集会が続き、帰る時は夜明を告げる一番鶏の声を聞いたことも幾度あったか。
 そんな苦しみを通してついに労苦は報いられ、空港を追い出したのである。彼等は互いに労苦を讃え合いながら、「農地死守」の実現を喜んだのだ。
 お互いに酒を酌み交しながら、話ははずんだ。歌や踊りも出るというお祝い騒ぎだった。

「二年半、長いようだけど、あっというまに過ぎてしまったな」
「毎日毎日、忙しかったからだよ」
「ほっだけどよ、随分大変だったよな」
「本当のところおらえ(俺の家)では収入が半分に減っちまったよ」
「そりゃおらえでも同じだよ」
「毎日、今日はそっち明日はこっち、やれ県庁に陳情だ、抗議だ、デモだと続いたもんな」
「これでもう半年も続いてみせ、同盟もガタガタだよ。きっと……」
「今でこそいうが、いいとこで三里塚さ行ってくれただよ!」

 彼等は酔いがいくらか回ったせいもあり、卒直に二年半の労苦とその想い出を語り合った。
「これで三里塚のもん(者)も、今度は大変だっぺな」
「富里は内定だったが、今度は閣議決定ときているからよ」
「閣議決定になると、もう駄目だっぺ」
「それに三里塚の場合は、開拓部落も多いからよ」
「さっきも誰かがいってたども、古村の富里だってよ、これがもう少し続いてみろよ、半分以上は脱落したよ」
 と、部落長の山田新二は述懐した。すると神妙な表情をして、みんな頷いて黙った。
「とにかく、もういくさは終っただから、二年半の空白を埋めなきゃなんねえよ。さあ、みんな乾杯乾杯」という部落長の声に再び元に帰った。

 その翌日だった。
 大堀の隣部落で同盟の役員をしていた立沢の菅沼久夫と、八街町住野の富里反対同盟会長の野沢清一らが、戸田を訪ねてきた。戸田は富里に参加していた関係もあり、彼等とは顔見知りだった。

「戸田さん。とうとう三里塚にきてしまいましたね」と、野沢はいった。
「ええ、そうですよ」と、頷いて野沢を見ると、まだ彼の左側額には生々しい傷跡が残っていた。傷跡は陥没して、痛々しく見えた。
 半年前だった。彼は夕方、オートバイに乗って、住野の彼の家に帰る途中、ちょうど前に停まっていた鉄骨を積んだ大型トラックに、運転を過って追突してしまったのだ。意識を失なった彼は町の病院に運ばれたが、再起の見込みなしと医師に診断された。――が彼は不思議にも回復し、その後も、集会などには熱心に出てきて、運動のために日夜奔走していた。

 その野沢がいち早く戸田を訪問し、激励したのである。戸田の喜びも、並大抵でなかった。戸田はまた、チラと野沢の額に眼をやった。まだ生々しくも、むごたらしい傷跡が眉間をはずれて、ありありと残っていた。
「野沢さん、その後お怪我の方はどうですか」
「いや、まだすっかりとはいきませんが……」
「そうでしたか。それにしてもよかったですね」
「戸田さん、今後大変ですね」
「富里の遺産をうけ継ぎ、三里塚でこれから闘うつもりですから、よろしく……」
「いや、今だからこそいうが戸田さん、富里だって……」
 何を思ってか、いったん言葉を切って間をおき、野沢は再び続けた。
「もう半年長びき、閣議決定とでもきたら、同盟内部でも相当打撃があったでしょう」という野沢の言葉に、戸田は何か一抹の不安をさえ覚えるのだった。

「そういった意味でたしかに三里塚は深刻だと思います……しかし、富里の教訓を生かし、闘っていきたい……」
 すると、野沢は戸田の言葉に突っ込むようにしていった。
「富里は佐藤の陰謀ですよ。初めっから奴の腹には、三里塚があったんですよ」
「だから私は三里塚の人々にも富里参加を呼びかけたんですよ」
「いや、どこも同じで自分の頭に火の子が降ってこないと、人は動かないですよ」
 といって、菅沼は苦笑した。

「そりゃ、そうですね。しかし菅沼さん、私は三里塚農民と富里農民が連帯して初めから闘っていたら、どうだったということを考えさせられてしょうがないんですよ」
「まあ、そういけば理想的かもしれませんが、そううまくいかなかったところに、難しい問題がありますね。戸田さんは知ってるかどうか。闘いの最中にある幹部はですね、友納知事に菊見の会に招ばれて、みやげ物まで持ってこっそり出かけていったんですからね。たまげっちゃう、それが同盟の幹部ですよ」

 野沢も菅沼も一応闘いは終ったものの、二年半を顧れば複雑で、口では表現できないものの数々が、その胸中に渦巻いているのだろうと、戸田は密かに想って二人の顔を見比べた。
 野沢も菅沢も今後とも、三里塚農民と共闘することを約して帰って行った。

 その翌朝だった。戸田は久し振りで富里方面を一巡りしてみたくなった。朝食をすますと彼は車を操り、家を出た。彼は実際、あの生々しかった富里農民の闘魂に、触れてみたかったのである。

 富里に入ると両国の十字路を左に折れた。車が武州から大堀を過ぎて、人形台に差しかかった。ごの辺りは近くの富里中学校の校庭から出発したデモ隊が、長蛇の隊列を作って通過した所だ。そう思って戸田はスピードを落とした。初夏の風にハタハタという音を耳にして窓外を見ると、道端の畑の中には幟旗やドラム罐が、元のままに立っていた。澄んだ青空の中で、「空港反対」の幟旗がしきりにはためいていた。

「戸田さん、戸田さん」
 と、呼ぶ声に彼は窓から顔を出した。通りすがりの耕運機にトレーラーを操る男から声をかけられたのだ。見ると、昨日野沢と訪ねてきた立沢の菅沼久夫だった。戸田も菅沼も、ともに停車した。
 菅沼は収穫した里芋をトレーラーに満載し、それを耕運機で曳きながら運転していた。トレーラーの運転台には、傍に女房を乗せていた。多分、畑から家へ帰る途中なのであろう。
「俺の家、すぐそこですから寄って下さい」
 そういうが早いか菅沼はさっさと耕運機を動かして行ってしまった。戸田も菅沼の家には一度行ったこともあるので、彼の家がこの辺りだということは知っていた。

 戸田はその場でUクーンして、菅沼のトレーラーの後に従った。彼の家は県道から少し入った奥まったところにあった。菅沼は三町歩を夫婦で耕す専業農家で、それに養豚に熟心だった。
 見ると菅沼の庭は綺麗に手入れがされて、雑草一本、塵一つなかった。広い庭の傍には棟長の豚舎が建っていた。生まれたばかりの子豚が、ゴロリと横たわった母豚の乳房に縋りついて、一斉に乳を飲んでいた。一二匹の桃色の肌をした子豚の世界も平隠ではなかった。乳房の争奪戦に敗れたひ弱なものは、強いものに弾き飛ばされて、思うように乳房に吸いつけなかった。
 それを眺めていると、俗にいう「弱肉強食」という生存競争の世の中が思い出されて、複雑な気分になった。
 その時、菅沼の呼ぶ声が、母屋の方から聞こえてきた。

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