「小説三里塚」第六章 欺瞞(前編)

戸村一作:著『小説三里塚』 目次へもどるこの小説について

第五章 欺瞞(前編)

第40話 勝利は目前?

三里塚農民 駒井野を追われた東藤は、平和塔をやっと桜台に移すことに決まった。桜台には三里塚カントリークラブというゴルフ場があって、それに続いて岩山部落の人々の土地があった。やはり戦後、御料牧場の解放地であって、斎藤文雄らは、そこに出耕作をしていた。

 ゴルフ場は半ば空港公団の買収済みだったが、斎藤らを中心とする岩山部落の反対派の農民は、買収を拒否して頑強に抵抗し続けていた。
 その斎藤らの土地に、平和塔建立の話が、それとなく進められていた。それが漸く成って、そこに腰を据えることになった。

 今夜も斎藤の家には部落の有志一〇人ばかりが集まって、雑談を交していた。今夜、八時に東京からくる東藤を待ちうけて、平和塔建立の説明を聞くためだった。
「これであすこにでっかいものができちゃったらよ、どうだろうか」
 と、区長の斎藤がいうと、みんな声を揃えて一様にいった。
「いくら公団だってどうにもなんめえや」
「しかしよ、坊主も坊主で偉いことを考えたもんだな!」
「うむ、やっぱり頭がいいよ」

 その時、ガラガラッと雨戸を開ける音がした。黄衣の東藤が頭陀袋を肩に、入ってきた。一同は膝を正して、東藤にお辞儀をした。東藤も丁重に合掌して、これに応えた。
「先生、どうぞあちらに……」
 斎藤は上座を指さして、東藤を案内した。東藤は端座して座ると、一同を見回してニッコリと微笑んだ。しばらくの雑談の後、東藤はおもむろに平和塔の話に入っていった。

「まず空港阻止の闘いに勝利するには大衆に支持されないといけません」
 居合わせた一同は、東藤の顔をじっとみつめて黙った。
「その点でよ、おらあこの頃の学生のやることにゃ、多少疑問持ってんだよな」と、斎藤がいった。
「私たち日本山妙法寺では静岡、広島、長崎、九州、日本の至るところに平和塔を建立し、お釈迦様を安置し、世界平和を祈願しております。私たちの運動は国際的な平和運動で、過激学生の暴カは許せません」
 東藤は頭陀袋の中から平和塔の写真を七、八枚とり出して見せて、説明を加えた。
「こんなに方々にあるんですか」
 麻生が、写真を手にして驚いた口調でいった。
「先生、さっきも先生の来る前に話していただけどもよ、こんなのが滑走路の中に建ったら、公団も随分おったまげぺえなーってよ……」
 と、斎藤がいうと東藤は、さも滴足気に彼をみつめてニッコリと笑った。

「ところで先生は日蓮宗だそうですね」と、麻生が訊くと、東藤は無言で頷いて見せた。
「部落の六〇戸はみんな日蓮で……やはり先生とはご縁があったんですね」
「たしかに斎藤さんのいわれるとおり、私も岩山のみなさんとはお釈迦様のお導きによって、巡り合わせが来たと思って感謝しております」
 東藤は深く頭を垂れて、含掌した。麻生と斎藤も彼に向かって恭しく頭を下げた。そして頭を上げたかと見ると斎藤が、思い出したようにしていった。
「やねやの婆さんに先生が今夜来るのをいえばよかったあ……。婆さんは日蓮宗のこりこりで、毎朝お経を上げてるですよ。先生」
「そんなにご熱心な方が、おいでですか」
「そうですよ」
「やねやのお婆さんの松宅はどこですか」
 東藤は体を乗り出して、訊いた。
「うん、このすぐ下ですよ。声をかければよかったな」
「明日は是非紹介して下さい」
「ようがす。婆さん大喜びですよ」

 その時、戸外で自転車のペダルの軋む音がした。
「ああ、あの音は木の根の武治さんの自転車だ!」
 木川武治の乗る自転車のキイキイという音は独特で、誰にでもそれとわかった。
 雨戸をあける音がして、武治の姿が土間に現われた。彼は額の汗を拭き拭き、座敷に上がってきた。
 武治は東藤の前まで膝で体をずり寄せると、丁寧に両手をついて畳に額がつくまで頭を垂れてお辞儀をした。
 東藤は合掌して、これに応えた。
「木川さん、先日は忙しいのに、大変おそくまでお邪魔いたしました。今晩はみなさんにお会いできまして、それに平和塔の敷地も与えられまして……」
「とにかく、反対同盟としても一党一派に与せず、社共ともみんな仲よく団結できる運動を作っていかなくては、とわしは思ってますよ」

 武治は日頃、反対同盟と共産党のいざござを憂えていた。その後、共産党が同盟の決議によって排除されたが、彼はなおも共産党との関係を絶たず、密かに交流を保っていた。両者が元の鞘に納まり、円満に和解することを望んだからだった。
 彼はひたすら同盟の社共との共闘関係を求め、そこに民主勢カの支援があるものと信じ込んでいた。そうした中に現われた東藤の姿は、彼にとって渇仰の的だった。一党一派に属さない東藤の純粋な宗教運動は、平和塔の建立を仲立として、やがて共産党問題の解決策となるのではないか。空港阻止の目的を全うするためには、どうしても平和塔の建立が不可欠だ。これは畢生の悲願としての大事業だと、彼は心に固く誓った。
 だから平和塔建立は、彼にとって、むしろ東藤にとってより以上の魅カがあった。一日たりとも早い着工を武治は求めて、今宵ここに自転車のベダルを踏んだのである。

「そうだよ、木川さんのいうことには同感だよ」
「全く運がいいっていうのか、ご前様のような偉い宗教家が来てくれてよ、どうやら見通しがついてきたようだな。全く……」
「これでどんなに闘ってみても学生だけじゃ心細いからな」
「うん、やっぱり宗教家や、れっきとした政党人がいねえと、頼りになんねえよ」
「そりゃそうだよ、何といったって政党と離れては、何するだってどうにもなんねえからよ」
「それに学生と違って無抵抗の宗教家が、滑走路のどまん中にコンクリートの平和塔をぶっ建てて闘うというんだから……」
「もう、政府だって手出しができめえ、区長さん」
「もう勝ったも同じだど!」
 と斎藤が誇らしげにいうと、東藤は急に一同を見回し、それを押さえつけるようにしていった。

「みなさん、ここが緊揮一番、褌の緊めどころです……」
「……」
「まだこれから私たちはカを合わせて、二押し三押し汗を流さないとね……」
「そりゃ、先生、そのとおりですよ」
 東藤に応えて、すかさず武治がいうと、東藤は急に憂い気な表情になっていうのだった。
「木川さん、反対同盟では日共排除を決めておりますが、この点どうでしょうか。平和塔建立に……」
 武治はちょっと、首をかしげて考えた。

「たとえ同盟で日共排除を声明していても、平和塔建設は空港阻止の闘いだから、別に反対はしないでしょう。ね、斎藤さん……」
「そうだよ、こんないいことはねえんだから、同盟だって反対はできめえ」
 と、斎藤は武治の言葉に頷いた。すると東藤はなおも釈然としない面持ちでいった。
「ただ、平和塔は日本共産党がやっているのだと、戸田委員長はじめ幹部連は曲解しているようですが……」
「その点は先生心配ありませんから、任しておいてください」
 武治は東藤に両手を差し出し、彼を押さえるような格好をした。無駄な心配をかけまいとして、精いっぱい東藤に心遣いをするのだった。

「公団の攻撃も日増しに加わってくることだし、工事はすぐにでも始めねえとな……」
 武治の言葉に一同頷いた。続いて東藤がいった。
「みなさん、ここで着工すれば共産党から各種民主団体の支援もあり、千葉大の民青の学生さんが大動員してくることになっています」
「それじゃわれわれだって、ぼやぼやしちゃいられなくなったぞ」と、気の早い斎藤は、たて続けに煙草をスバスバと吸って、煙を吐いた。

 東藤の要望で早速、明日の晩、千代田農協に有志が集まって、準備委員会を結成することになった。東藤の喜びは並大抵のことではなった。こんなに順調に事が運ぷとは、思っていなかったからだった。東藤念願の平和塔も、ようやく難関を突破し今度こそ桜台に実現すると、心密かに思うと、彼は居たたまれないある種の衝動にかられるのだった。

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