「小説三里塚」第九章 仄々(前編)

戸村一作:著『小説三里塚』(目次へもどる

第65話 心の動揺(2)

三里塚・成田闘争 農民放送塔
農民放送塔

「お前らここをどこだと思ってんだよ。この大馬鹿野郎ら奴」
「……」
「ここは古込の道路だど……。公団の道路じゃねえだど、うるさくて病気になっちまうよ。孫らは危なくて外にも出られやしねえ、いい加減にしろっ」
 たまは独特な甲高い声を一層高く張り上げて怒号したまま、路上から一歩も去ろうともしない。
「帰(け)えれ、帰えれったら帰えれよーっ」
 たまはダンプの先に両手をかけ、後におしやる格好をした。荒くれの若い運転手らもたまの形相とその気勢に度胆を抜かれたか、それとも気狂いと思ったか、みんな窓から首を出し、たまを見つめたまま、唖然として誰一人口を開く者もない。

 そのうちに竹村たまだとわかると、一人の若い運転手が車から飛び降りて、たまのそばに近づいていった。
「おばさん、通して下さいよ、お願いだから……」
 運転手はたまの前にペコペコ頭を下げて、歎願するようにした。
「通すも通さねえもねえ。公団の奴らを連れこー、この野郎らっ」
「わしらも請負いで……。公団にも今日のおばさんのことを責任をもってよく話すから……」
「公団にだって、何回いったかわかりやしねえ」
 ようやくたまは気が納まったか、路上から身を引いて家に帰っていった。

 たまの体を張った抗議は、その後も二回ばかり続いた。そして、天浪の公団分室には抗議の電語を、ひっきりなしにかけた。抗議の後は、ダンプもたまの家の前は速力を緩めて通り、台数もいくらか減ったようにも思われた。
 しかし、しばらくすると以前に増してダンプの数も増し加わり、たまの家はまるで地震で、いつもゆすぶられているようだった。たまの家のすぐ傍が、公団の砂利置場だ。茨城、群馬、栃木など各県から運び込まれる砂利で、ピラミッドのような砂利山が、いくつもできた。
 空港敷地内の埋立てに使う土は、足尾鉱毒事件で有名な谷中村の土が運ばれたという。

 砂利トラは、轟音とともに砂塵を捲き上げて通り、過ぎていく。もうもうたる砂塵が、たまの寝ている部屋まで舞い込んできてたまの髪の毛に降りかかり、家具類を真白にした。綺麗好きなたまは無理しても、一日のうちに何度も拭き掃除をしなければならなかった。
 うずたかく積まれていく砂利山で、たまの家も、石井幸助の家も隠れて見えなくなった。朝、起きたたまは庭に出て、砂利山を見上げて、「まるで谷底だ……」と呟いた。たまは巨大な物量の前に圧倒され、息苦しさを覚えた。
 たまは砂利山を見ては、国家権力に対して、開拓農民の弱小さと脆さを歎かずにはおれなかった。すると今日まで一緒に闘ってきた仲間を含めて、反対同盟の頼りなさを感じるのだった。

 たまは不安と動揺に、夜も眠れなかった。あまりに頭が重いので医者に行くと、血圧が二〇〇以上にも上がっていた。医者はたまを診察し終って、このままいると卒中を起こし倒れるから、充分静養するようにと懇々と注意した。だからといって古込にいては、静養どころの騒きではなかった。騒音と振動に攻めたてられたたまは、すっかり意気消沈してしまった。

 天浪の地下壕前のバリケードでは、たまはヘルメットを被って胴体を鎖で結えつけ、機動隊の猛烈な放水を浴びながら闘った。その婦人副行動隊長たまの戦闘意欲はどこへいってしまったのだろうか。最近のたまの言動は変わった。同じ一人の人物が短時日でこんなにも変わることができるものかと、誰もが不思議がるほどだった。
 同盟の集会にはかかさず出てきたたまも、ぱったり顔を見せたくなった。
 一ヵ月ほど前、天神峯団結小屋で実行役負会があったとき、戸田に誘われてきたのが、たまの最後だった。
 たまの亭主の吉蔵も最近は胃が悪いとかで、ぶらぶらしていた。伜夫婦はすでに隣町の大栄町の方に別居し、そこで材木業を営んで、古込にはいなかった。

 日支事変の頃、満蒙開拓団としてたまは夫婦で渡満したが、敗戦で郷里に帰り、御料牧場が開放になったので、古込に入植した。木の根と古込は隣部落だった関係で、竹村と木川は入植当初からの昵懇の仲だった。
 酷寒の満州から引揚げる途上、二歳になる愛児を失ない、その骨箱を抱いて夫婦は帰ってきた。やがて天浪に開拓者の共同墓地ができると、そこへまず最初にわが児の骨を葬ったのが、竹村たまだった。だからたまにとって天浪共同墓地は、忘れることのできないものだった。竹村夫婦もカを合わせて古込の竹林を開拓し、ようやく畑にした。そして養蚕に酪農にと精を出した。

 挺子でも動かない気骨を見せたたまが、こんなにも呆気なく変わったのだから、誰もが不思議がるのも無理がなかった。公団なぞ鼻もひっかけなかったたまが、急に反対同盟に背を向け、次第に公団に顔を出すようになったのである。そして、公団と説子の橋渡しの大役まで引き受けるようになったたまの反動化は積極的なものだった。

 たまはついに説子の心を動かし、自らもわが子の骨を掘り返しながら、説子にも夫武治の遺体を掘りとらせることに成功した。
 不落の牙城を誇った天浪墓地も、ついに闘うことなく呆気なく終わった。武治の抜き去られた鉄壁の堡塁は、もはやもぬけの殻となった。

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