by 味岡 修
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突然の入院
9月11日の集会を準備していた8月の末に突然体調の不良で入院した。足がコントロールできず、呂律もまわらなくなった。こんな時世だから救急車なんてこないだろうと言っていたのだが、幸いに来てくれた。それで病院に行ったら即入院となった。脳梗塞という診断だった。僕は割と早く退院できるだろうと、希望的観測も含めて思っていたが、予想よりも長く入院する羽目になった。
突然の入院でいろいろのことがほおりだしたままであり、焦ったが、どうにもならなかった。コロナ禍で病院は緊迫した状況にあるのかと想像していたが、それを感じさせなく以前とあまり変わらなく思えた。ただ、コロナの影響で面会は禁止であり、これは辛かった。
これはいろんな施設にも波及していることだが、この面会の禁止はとてもきつい事であり、コロナ禍がもたらしたことの象徴的事柄であり、今後に残る問題だと思えた。直接性や生ということの人間的意味というか、その大事さはこれからよりおおきな課題として残るのだと思えた。「密」を断つということで直接的な接触や関係を制限するという問題は僕らに大事な問題を提示したのであり、これは今後に一番残ることに違いない。
「3.11」を受け止められなかった自公政治
予期せぬ入院になったのだけれど、いろいろのことを振り返るいい機会にもなった。読みたかった本もひも解くことができたが、あらためて思ったのは3・11の東日本大震災からのことだった、あの影響というか、衝撃は風化というか、忘れされていくように見えるかもしれないが、それは表面的な流れであり、これにこうして3・11がもたらした衝動を深く受け止めていくことは他方で浸透しているのだということだった。
僕は『貝に続く場所にて』(石沢麻依)や『狩りの時代』(津島佑子)などを読みながらあの大震災が作家たちには深く受け止められ、それが作品のうちに発酵させているのだと思った。これは文学という文化の世界において深く受け止められていることでもあるが、後ろ向きながら前にということを示しているのだと思った。これに対して政治の世界においてはどうなのかとあらためて考えさせられた。
安倍晋三は大震災からの復興ということを政治利用しながら、この問題を受け止めることができなかったように思う。受け止めることを拒絶したというよりは受け止められなかったということであるが、その具体的事柄は原発問題への対応に端的に現れていたといえるだろう。彼は経産省や電力独占体の原発再稼働―原発保存を容認しながら自身はこの問題に政治的向かい合うことを、つまりは責任を持って対応することを避け、逃げを打っていたのだ。政治家としては卑劣な態度を取り続けてきたのである。
その意味で今回の自民党総裁選挙で候補者たちが、原発問題を含めこの問題にどう対応しようとしているのか注目した。僕が入院中に自民党の総裁選挙はあったのだが、候補者たちが原発問題を含め3・11のことをどう語るのかベッドの上から見ていた。総裁選のはじまる前に『週刊文春』が河野太郎の言動をパワハラとして告発するのをやっていたが、これは原発問題での経産省(原子力ムラを含む)からの巻き返しであるようにも推察できた。
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その河野太郎が3・11以降のことをどのように受け止めているかを、原発問題を含め展開するのか注目した、残念ながら河野太郎は議員票の欲しさで自己の政治的主張を封印し、自民党の総裁候補たちが3・11以降のことをどう受け止めてきたかを明らかにする機会も封じた。これは河野太郎の政治家としての器量を明らかにすることだったが、自民党の政治家たちが、3・11の事をどう考えてきたかを明瞭にすることを避け、逃げることを許すものだった。
「なるようにしかならない」に抗して
政治の世界では3・11のことから逃げを打つことを許してきたといえるが、僕らは自己の問題としてこの問題を受け止め深めていくことを不断に問われている。原発問題はその中心にあることだが、この自問と自答を続けなければいけないと思った。入院というのは魔がさしたみたいなことなのかもしれないが、その隙間でこんなことを考えさせられたのだ。「なるようにしかならない、なるようになっていく」という日本的な時間の流れ中でも、考えるべきことを考えている部分はいるのであり、そういう存在に気付かされたということだろうか。
長期政権を誇った安倍政権は「なるようにしかならない」という日本的時間の流れの中で、政治がなすべき課題から逃げていたのだが、これに抗う動きはなかなか見えないし、孤立的にしか存在していないようにみえるが、日本的時間に抗う動きはあるのだと思う。僕らは自らがそうならなければならないし、そうすれば連帯する存在も見えてくると思う。
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