ネット上の右翼バブルについての考察

stop fascism ストップ!ネットウヨク 今日のテーマ「黒歴史」「右翼バブル」です。こちらにいただいた、ひゅうがさんのコメントに対するレスを書いていましたら、コメントとしては長くなりましたので、エントリーとしてあげたものです。

「行政の右傾化」について

 これについては、以前に魚住さんの講演を聞いた時の感想としてほんの少しですが書いたものがあります。
 →06年10月31日 エントリー「参加してきました

■ 体制弱体化の表現としての右翼バブル

 簡単に言うと、「右派が強くなった」のではなく、行政機構に限らず社会全体で、左派、もしくは「左」とまではいかなくても相対的にハト派であるとか穏健派であるとか、そういう勢力の力や影響力が弱くなったということだと思います。

 自民党一つをとってみてもそういうことは言えるだろうと思います。極端な主張をする右派は最近になって突然に出てきたのではなく、実は大昔からずっと存在していたんですよ。単にそれに対する社会の歯止めが弱くなっている。

 これをどう見るかということについては、今までのような強靭な柔構造が失われて行政や政治の層が薄くなった(=弱くなった)ということ。つまり体制側にとっての危機の現れであると見ます。たとえば極端なタカ派からリベラル派まで同居している余裕が自民党の強さの源泉でもあったわけですからね。

■ 大衆のバランス感覚はまだ健在

 これをまた別の視点で見るならば、右翼バブルと言われながらも、国民全体で見ればさほど変わっていない、全体としてはけっこうみんなバランス感覚をもっているのではないかということです。もし、右翼の思惑どおりに国民全体がこの薄っぺらな一つの層に集約されてしまうようであれば、かなり「国を誤る」ような悲惨なことになるでしょうが、その可能性は少ないと思っています。

 決して楽観しているわけではないのですが、要するに左右ともに先鋭な主張には、まだまだ「国民」はついていかない、左右どちらも民衆の支持を得ていないということだと思います。そして私の立場からは、今の政治風景の中に左翼がいないという現状はその社会にとって不幸なことだし、全体のバランスとしていかがなものかと考えています。それは「左翼しかいない」のがベストだという意見とはまた違う、いわば一庶民の「バランス感覚」としてそう思うわけです。

ネット上の右翼バブルについて

 次にネット上の右翼バブルについてです。ちょっと想像してみてほしいのですが、たとえば全共闘運動の全盛時にインターネットがあったとしたら?そう、ネットはまさしく左翼的な言辞で埋め尽くされていたと思うのですよ。それこそ明日にも革命がおこりかねない勢いでね。

 それに反発して切り込んでいくのは確信的な右翼だけだったと思いますが、どこに書き込んでも袋叩きだったと思いますよ。ところでその全共闘運動全盛のど真ん中で実施された総選挙では自民党が当時としては過去最大の議席を獲得して大勝しています。そんなもんでしょう?今はその裏返しなんですよ。

■ 現実世界に全く影響を与えなかったネット運動

 実際、先の参院選でネットで盛り上がった候補や政党はどこも、その盛り上がりぶりからは「えっ?」と驚くほど惨敗しています。維新新党・新風しかり、九条ネットの天木直人さんしかりです。

 特にネットであれほど盛り上がっていた「右の右」である新風が、「左の左」である九条ネットになんと10万票もの大差をつけられて負けたのは象徴的だったと思います。つまりネットと現実政治が全く逆の結果になったわけです。
 ついでに言えば、もし九条ネットと新風の両方の票を合計したとしても、当選はおろか女性党などという下馬評にもあがっていなかった泡沫政党の票数にすらおよばないという。

 これは(1)ネットでのムーブメントは全く世論に何の影響も与えなかった。(2)ひゅうがさんが指摘しているような連中はネットの外ではもちろん、実はネット内においてすら noisy minority にすぎないということだと思います。

■ 政治系のネットユーザー自体が少数派

 実は私も以前はひゅうがさん同様(?)「ネットやってる若いやつは右派が多いんじゃないか」と思っていたのですが、政治とは全く関係ないところでネット友達とかできはじめると、実際には思っているほどじゃなかったんですよね。

 というか、「ネットで(主に)政治について発言している人」自体が全体からみたら非常な少数なんですよ。その7割や8割を制覇しても、多勢に影響はないんですね。ほとんどの人は、左翼の言うことにも右翼の言うことにも、「同意もしなければ文句もつけない」人ばかりなんですよ。
 極端な意見に対しては「これは極端な意見だな」ということをちゃんとわかっていて、現実の投票行動や支持政党などの決定にはほとんど参考にしないのです。

 つまり、かかわりたくないと言うか、特に昔からのネットユーザーの方々は「へたなことを書くと、ネトウヨみたいのがワラワラ来て、自分のサイトをネチネチと荒らされるぞ」という恐怖感(もはや都市伝説に近い)を共通して持っておられるようで、そういう意味ではネトウヨさんの言論弾圧の成果が今のネット上では出ているとは言えそうですね。

 なにはともあれ早く自由なネット社会を回復したいものだとおもいますが、いずれにせよ、YouTubeとか2ちゃんねるとか左派系のサイトのコメント欄とかで、いろいろ書いて(暴れて)おられるネトウヨさんは、一般にそういう目で見られているということも反省材料になるんじゃないでしょうか?だってここまで行ったら現状はほとんどゴロツキですもんね。

■ ネットは現実世界の一部(道具)である

 それとこれは以前にも何度か書いたことなんですが、くりかえすならば、総じてネットは「道具」なのであり、それは非常に有用で運動にとっては絶対に使いこなさなければならない「道具」ですが、何かしらネットそのものを「制覇」して自分の思想で塗りつぶそうとするような発想に陥ってはなりません。逆にネットに振り回されてしまいます。

 ネットでいくら「有名」になったとしても、それだけでは所詮は砂上楼閣だと思っています。現状では「ネットで世の中を変える」なんて幻想は、「アダルトビデオで有名になって芸能界のトップになる」のと同じくらいの夢です。

 先の参院選の結果に見るがごとく、それは「絶対にないとは言わんけど、かえって遠回りなんちゃうのん」ということであって、私たちは誰がネットを「制覇」していようがあんまり気にする必要はなく、ただ淡々と「道具としてのネット」を運動の中でいかに使いこなすかを、その時々の状況をみながら考えていけばいいと思います。

■ かつての新左翼運動に対する印象

 さて、一方で、かつての新左翼運動などに対する非政治的な若い人々の印象ですが、ネトウヨさんらがあたかも「テロリスト」だったみたいな印象操作を必死にしているわけで、事実を知らない無知な人に「そうなのか?」と思わせることに一定成功しているなと思う事例にも出会いました。

 しかし多くの人の印象は、「昔の若者は世の中を変えたい、自分が変えられると信じて行動したんだなあ」でも「今の私たちには出来ないなあ」程度のいわば多少のロマンを感じつつも、自分とは無縁の、いわば明治維新と同じような歴史上の世界みたいに思っている人が一番多いように感じます。

 ですが実はこれ、運動が全盛だった当事も似たようなもので、自分の人生を犠牲にしてでも、時には自分の命を賭けてでも、社会の不正を糾弾するという側面においては新左翼や全共闘運動に一定の社会的な支持(というか同情)はたぶんにあったわけです。しかしその「支持」の内実は、新聞で言えば三面記事、社会面に登場する限りでの支持や同情であり、同じく新聞で言えば政治面の問題として、新左翼が提起する政治や社会のあり方を選択肢の一つとして、いわば「政権選択(=革命や権力問題)」として考えた上での支持では全然なかったと思います。

 確かに中核派一つだけをとってみても、総評などの組合や支持組織をはぎとった社会党本体に伍するくらいの組織力を持っていたとか、機関紙の発行部数ではすでに社会党を抜いていたとか聞き及びますので、連赤事件や内ゲバでの自壊などがなく、あのまま行っていたらどうなったかはわかりませんが、まだまだ「革命情勢」ではなかったと思います。

 こんなこといまさらなんですがね。今の中高生くらいの方にはそういう事情(新左翼に対する社会的同情とか、韓国よりも北朝鮮や中国のほうが若者に比較的人気があったとか)を知っていないと、当時の世相もよくわからないだろうなと思います。

今後はどうなるかを考えてみる

 それはわかりません。と言ってしまうと身も蓋もありませんね(笑)。
 善くも悪くもあらゆる可能性はあると思いますが、ただ、ネトウヨさんや在特会みたいなネットを拠点にしている「ウヨク」勢力って、自民党を含む右翼業界全体からみたら、かつての左翼業界における新左翼みたいな位置と勢力比になるんだろうなみたいに思っています。

■ ネトウヨは奇妙なくらい大昔の新左翼に似ている

 そしてネトウヨ勢のしていること(っていうか生態)は、滑稽なくらいに大昔の新左翼(の悪い部分)の裏返しなんですよね。

 まず気がつくのは独特の用語ですよね。左翼用語の「反革命」がそのまんま「反日」という独自用語に、「日和見主義」が「奇麗事保守」、「右翼暴力団」が「犯罪極左」、「日米帝国主義」が「特定アジア」という具合です。

 蕨市での女児に対するハラスメントデモを批判する右派内部からの声に、在特会などが「奇麗事保守」などという用語を発明したのは、左翼業界で言えば内ゲバ主義を批判する左翼内部からの声に、中核派などが「日和見主義の反革命」と言っていたのと全く同じと言えば、こちらの業界の人にはわかりやすいでしょう(笑)。

 また、在特会のサイトに特に典型的なんですが、ネトウヨ系のブログは全般的に、こういう独自の用語を駆使して昔の左翼のアジビラそっくりの檄文を書く。

 まあ、この手のブログはネット上の「アジビラ」みたいなもんですから、左翼が作っていた紙のビラと同じく、特に深い内容の考察はあんまりないのですが、こういう独自用語をおりまぜて激しい罵倒語を並べておくと、仲間内から拍手喝さいされるわけです。つまりこれは昔の左翼のアジ演説と同じ構造ですね。そこでちょっとでも、一般市民社会の常識に考慮したようなことを言うと、たちまち「日和見主義」とか言われましたが、それが今では「奇麗事保守」のレッテルを頂戴してしまうわけです。そして一番激烈なアジ演説をした人が一番人気になると。

 まあ、そうやって、かつての左翼がやった過ちと同じことをしてくださいと。せいぜい囲いを作ってその中でだけ通じる用語を駆使し、さらに囲いの中の人を増やすためだけの「運動」をすればいいでしょうと思います。

■ ネトウヨ勢力の「影響力」は幸福実現党以下

 ちなみに全共闘運動全盛の頃の学生総数は総人口の5%くらいだったそうで、同情的なものも含めてその過半数の支持があったとして2.5%、学生以外の一般労働者などを加えて3~4%くらいが新左翼の緩い支持層で、街頭に立つ先鋭部隊が数万と考えると、だいたいこんなものかと。大同団結すれば国会議員1~2名分くらいですね。ネトウヨさん勢力も、今のままの生態でもここまではいくだろうし、ここまでしかいけないだろうな。

 ところで上記の新左翼勢力って、実は今の「幸福実現党」の得票率(3%)よりちょっと多いくらいしかないんですよね。もちろん組織や個人の主体のあり方が全然違うので比較はできないけれど。で、ネトウヨ系勢力が今後も現状のままで「化ける」ことがなければ、彼らが幸福実現党の勢力を抜くことはないだろうと予想。将来的な衰退も確実ですが、それでもおそらくあと5年から10年くらいはこの変な人たちとつきあわなきゃいかんだろうと思うと欝です。

■ 結論「ガキに刃物を持たせるな」

 それにしてもレベルが低すぎる。特に左派系のサイトに押しかけてくる荒しさんって、もはや「昔の新左翼の悪い部分の後継者」というよりは、ほとんど「紅衛兵」という言葉が私の頭をよぎりますね。「このくちばしの黄色い紅衛兵どもがピーチクパーチクと」とね。

 要するに、まだ今のところは切れ味が良さげに見える「思想」という刃物を持ったガキどもが、何でもいいから切ってみたくてしょうがないという風情ですわ。まあ、私もそうでしたからね(爆)。人のことは責められませんが、いつか振り返って必ず恥ずかしくなる日がきますよとだけ言っておきます。そう言われて反発する気持ちさえ手に取るようにわかりますがね(笑)。

 というようなことで、「今後について」はこういうネトウヨさんや在特会などは、「台頭するファシズム」の本命ではないだろうし、こういう部分が「化ける」こともあんまりないだろうなと予想しています。だから一対一的に対応するのではなく、被害者を守るということに特化するべきだと思っています。

 今後もし左翼にとって非常にやっかいな「本命」が登場するとしたら、反貧困など左翼側の主張を取り込み、右翼支持層の大部分と左翼の一部さえ取り込んで登場するような勢力でしょう。あるいは最初のうち、見た目は左翼とほとんど変わらないかもしれない。そしてそれは決してネトウヨ系の部分ではないだろうと思っています。だってあいつらそんなことできるほど賢くないし(ぼそっ)。

(補)新左翼とネトウヨの違うところ

 新左翼と同じということばかり書くと、「いっしょにすんな!」と左翼業界から反発がきかねませんので(怯)、違うところを2つほど書いておきます。

1)新左翼の大衆的な支持と同情の源泉は「反権力実力闘争(大衆的実力闘争)」だった。つまり強大な不正や権力者に対し、自己否定の精神と理論でもって、自分の体と人生と命を賭けるという方法で責任をとりきりながらぶつかっていった。
 それに対してネトウヨは匿名で絶対安全なところから、むしろ強い者にすりよって守ってもらい、自分より弱い者や何の権力も持たない者を主な標的にする。徹底的な自己肯定(イジメ)の論理。自分の言動に対して最初から何の責任をとる気もない

 まさに蕨市での女児ハラスメントデモはその典型中の典型で、四トロ掲示板にハラスメントを擁護して「(現状では)激しい方法も許される」などと書いている人がいましたが、たった一人の13歳の女の子に100人の大人が「激しい攻撃」を加えてどないすんねんと。やるんなら法務省に行けやと。そこで「激しい方法」で抗議し、必要以上の過剰警備で不当な逮捕とかされた時にはじめて「暴力的な運動妨害をするな」とか言うんやったら、ずいぶんと世間の見る目も違ったと思う。

2)新左翼はマスコミの報道記事を激しく批判することはあっても、マスコミそのものをターゲットにして、自分の考えに忠実な記事を書かせようとか、自分の考えに反する記事を書けないように圧力を加えようとか、そういう発想が(ほとんど)なかった。事実誤認や組織名称の間違いなどを指摘する程度のことだった。

 このような下劣な言論弾圧は元から街宣右翼の専売特許だったわけで、今のネトウヨや在特会などが街宣右翼の古典芸能を正しく引き継いでいるのは、所詮は彼らが街宣右翼なみのレベルでしか自由や言論というものを理解していないことの現われである。自分に都合のいい時だけ「差別やヘイトスピーチや他人のサイトを荒らす自由を認めろ」と言いながら、他人の言論は平気で弾圧する(→たとえばこんなことを平気でする)。などなど。

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9件のコメント

これ適切なコメントかどうかはわからないが、基本的に「反』の思想とかそれに基づく運動とかは、それが必要な時はあるかもしれないけど、やっぱり貧しい結果しか生まないのではないかと思います。

私も「反共」思想、「反北朝鮮運動」「だけ」のときはそんなもんだった。まあ、人から見れば今も昔も私は大して進歩してないんだろうけど、自分が少し変わったのは「反北朝鮮」を「脱北者支援」に結びつけた発想が出来てから。まあ逆に言えば脱北者に感謝せねばいかんのかなあ。

これはネットだろうとなんだろうと、自分の本当に愛する対象、好きなものについて語っている文章って、うまい下手関係なく読んでいて気持ちがいいです。批判や非難はたとえ当たっていてもどこか文章として歪むよね。私の文章もそうで、実は左派批判や北批判の文章ってそんなに善くない(笑)音楽とか漫画とか文学とかについて語っているものは自分でもなかなかいいと思う(笑)誰も誉めてくれないので自分でいいますが、「諸君!」での私の書評は結構いいできだったと自慢しているのです。好きな本、良書と思う本を、読んでくださいと薦めればいいんだから、こんなに楽しい仕事はない。

右も左も、「反」の思想から始まるのだとは思う。世の中の矛盾や悪と思うものと戦う視点から始まるんだろうから。しかし、やっぱり「反」ではなく、何か新しい価値を生み出せるものが必要なんだと思います。そういう点、音楽とかはうらやましいと思うね。文章とかより人の心にストレートに届くからな。

三浦さん>
高橋和巳でしたっけ?「政治とは畢竟『やつは敵だ、敵は殺せ』以上の内容を持っていない」とかなんとかで、文学・芸術の優位性を説いた言葉がありました。
私の師匠筋の一人と認めざるを得ない荒岱介さんは、初期のころはこの言葉をよく引用しておられました。政治運動はそういう殺伐とした敵対関係だけでなくて、人間解放への希求、決して会うこともない未来の人類のために自己を投機するヒューマニズム、そういった究極の人間存在の素晴らしさを政治運動は内実として持っているはずだし、また、持たねばならないと。そういう観点から見て、革共同(中核・カクマル)はどんなに政治組織としてはすぐれていたとしても、その内実において間違っているし、私たちは内実としても実態的な力量としても彼らを超えでた存在にならねばならないのだと。
その後の荒氏の行状とは全く別の問題として、荒さんが30代の頃に語っていたこの内容は、今も私の中の一部として存在しています。

それは今の私的に言えば、「憎しみではなく優しさを持ち寄って闘おう」という3・26当事のスローガンになると思います。
優しさは決して憎しみに負けない力を持っている。正確に言うとそれだけの力を内に秘めていると思う。
運動はその最初から、怒ってもいいけど憎んではいけないと思う。そして怒りをエネルギーとしてはじまった運動も、人の心を動かす本物になるためにはどこかでそれを超えないといかんだろうなと思います。人々の優しさを束にして怒りで包み、相手の憎しみを打ち破っていきたいものです。

ところで、三浦さんの書評や漫評は(僭越な言い方で失礼ですが)私は前々から高く評価していますよ。
何というか、本を読んでうける印象なんて人それぞれなわけで、それをそのまんま書いたのでは書評の名に値しない。どんな名作でも「つまらない」という人は必ずいますし、その逆もある。そんな「人それぞれ」の中で、信頼に足る客観的な評価を大衆に示してくれるのが「評論家」の仕事だと思うのです。それができるためにはその分野における深い造詣と知識がないといけない。

どうも評論家や学者が「論客」なんていうテレビ受けするだけの人種に取って代わられてから、とりわけ政治や思想の分野で私たちが信頼できるような評論家がいなくなったような気がします。以前はいたのかと言われると心もとないのですが、他の分野では確かにいたような気がします。よく「自分の意見を言え。評論家みたいなことを言うな」とか昔は言ったもんですが、自分の主観を垂れ流すことが「評論」では絶対にありえないわけで、評論というのは実は大変に難しいことだと思うのです。

そういう意味で三浦さんは貴重な評論家の一人だと思いますよ。とりわけ書評や漫評の分野で。こういう人が三浦さんのような右翼だけでなく、左翼にもいたらいいのになと思います。

(追記)
はっ。ひょっとすると、問題にもならない在特会やネトウヨみたいのが退場した後の「右翼運動の本命」って三浦さんみたいな人?だとするとかなりやっかいだなあ(笑
左翼にとって本当に恐くてやっかいなのは、在特会みたいな人たちではなくて、三浦さんみたいに理性的な「人権派右翼」なんですよね。在特会さん、三浦さんみたいな人が出てこれないようにがんばって「右派の主流」になってください。新風さんもマジで国会に衆参合計5議席くらいはあげてもいいから。そのためにはまず小選挙区制を廃止しましょうね。いやあ、皆さんみたいのがいてくれるから、本当に批判がしやすくて助かるんですよ。心から応援してますよ(爆笑

埴谷雄高です
>「政治とは畢竟『やつは敵だ、敵は殺せ』以上の内容を持っていない」
「幻視の中の政治」所収。
で、別に芸術の政治に対する優位をといたものではありません。
たぶん、日本でいちばん最初のころの、「スターリン主義批判」というものの意味を持っている文章です。

私も6.13緊急行動には賛同しました。「かめさん」ではない名前で賛同したんでわからなくいいのですがw。
 さて、「敵」への憎しみだけではなかなか「歪んだ頑張り」は続かないような気がします。「敵を殺らないと、こっちが殺られる!」というような危機感、恐怖、その裏返しとしての強がりがないと「歪んだ頑張り」は続かない。ネトウヨや在特会の方々には、「外国人に日本が乗っ取られる滅ぼされるんじゃないか」という危機感があるのだろうと思います。その危機感がどこから来るんだか、私は解らないでいます。
 それは「政権交代になってしまうかもしれない。反日政権ができるかも」という危機感とは違うようです。それなら外国人排斥デモなんかやってないで、選挙運動でもやればいいだけの話なのですから。「外国人犯罪の具体的被害(暴行されるとか盗まれるとか)が実際に自分や家族に及ぶかも知れない」という危機感とも違うようです。だって地域の防犯協会にこぞって入ろうとか、「暗い夜道は気をつけよう」とかいうのではないのですから。そして「左翼勢力が勢力を拡大している。労働者の蜂起があるかもしれない」というのとも違っている。やっぱり残念ながら左翼勢力は日本社会で退潮しているのですから。「北朝鮮からミサイルが飛んでくる」という危機感とも違うのでしょう。それなら「防衛力の強化」だの「核シェルター」だのということを叫ぶはずです。
 そうすると、あの人たちの危機感は、いったい何が原因なのか? こんなに左翼が退潮し、ろくにストライキも起きない。ソ連や東欧諸国もつぶれ、中国にだって日本企業がガンガン進出している。そして、不法滞在者数は毎年減っています。そういう今、なせそんなに危機感があるのか?
 たしかに日本経済は不況だけどそれは世界中が不況なのであって別に日本だけが陥没しているわけでもない。もちろん北朝鮮の経済が順調で日本を追い越しそうだという話では全くない。外国人投資家が脅威だとか言ったって、それと巷の在日韓国朝鮮人やフィリピン人とは、実体もイメージも違うわけです。何を恐れているのだか、本当に私はわからないでいます。
 何か、私の眼には見えないが、しかし、あの人たちの眼には見える「日本(人)に襲い掛かる恐ろしげなモノ」があって(私の視力が悪いのか、それともあの人たちの幻覚か)、それをあの人たちは怖がっているのかな。漠然とした不安感を外国人に投影しているのでしょうか?それって何だろう?? うーん、わからない。
 そこが解けないもんですから、どうもすっきりしなくて。

黒目さん>
ありゃまあ、そうでしたか。
また中途半端なこと書いて恥さらしちゃったよΣ(ノ∀`*)ペチッ

まあ当事の私らの文脈の中では、共産主義における「政治とは」がこの言葉の通りになっとるやないかーい!ということと、本来の共産主義における「政治とは」そんなもんではないはずや!そのことをわしらが身をもって実践で示してやろやないかいというか、そういう意味での「共産主義政治」が一刻も早く主流にならへんかったら左翼は滅んでしまうという意識があったわけです。

かめさん>
一つには、それは彼らの「大衆運動課題」なわけですよ。そっからその課題にあわせた合理的な解決方法をニュートラルに思考するんではなくて、「危機」をアジテーションすることで自分たちの考える政治思想や「あるべき国家」の方向に大衆を組織化していくためのきっかけや切り口になっているんです。そういうのは「市民運動」なんかでは根本的にいって全然ないわけですね。新左翼でも「危機アジ」が得意なのは中核派だと思うのですが、右翼内部から批判された時の強硬な居直りといい、在特会さんは左翼の中でも中核派と体質が似通っているように思います。個々のメンバーはともかく、こういう人が集団になったら、もう何を言っても無駄なんですよね。

二つには、こういう思考パターンの方々は、基本的に右翼・右派・保守という範疇で考えると「いったい何を言うてはるのん!」と理解不能になりますが、その鬼っ子としてのファシズムという観点で考えれば、非常に古典的な定石を踏んでおられる人たちだと思いますね。だからファシズムとは何かという方向で考えたらわかりやすいんではないでしょうか。

「ナイーブ」 という病

 もとマルクスボーイ (古いなあ) としては、心情的に左派を応援したい気持ちはある。しかし、「護憲派」 の現状を見ると、いささか、それじゃだめだよと言わざるを得ないところがある。今日は、ちょっとばかり勇気を出して、その辺を書いてみることにす…

右翼バブルと書かれていますが、私の印象としては、まだまだこれからという気がします。
ただ、着々とその下地が整いつつあるという感じですが・・・
全体的にはバランスを保ってはいますが、周辺国などによる対日批判・非難に始まり外国人問題、領土・安全保障問題など、ナショナリズムを刺激する記事を日々見聞することにより、徐々に加熱されているような気がします。
人間誰しも、自分の帰属するもの(国・集団)を否定されて嬉しいはずはありませんから。
その中で、沸点の低い者が泡となり、水面で『ぽこぽこ』しているのが現在の状態ではないでしょうか。
水と水蒸気のような関係なので、全体の量からすると全然大したことはないですが、動きが激しいから目立つというだけのような気がします。
ただ、皆があまり熱くなりすぎて、手に負えないほど『ぼこぼこ』しだすと、世論に引きずられて国が妙な方向に走っていってしまう気がするので程々にして欲しいですね。
(とはいえ所詮は「その場の空気」ですから、過激な薄っぺらい連中が調子に乗って醜態を晒すようなことになれば、一気に冷却されるのかも知れませんが・・・)

ただ、そういった「熱気を利用しようとする人々」が存在するのも問題なのかもしれません。
たとえば、マスコミなどは読者・視聴者を獲得せねばならないから、こういった熱気を煽る記事を流す習性がありますし、それがさらなる熱気を生むかもしれない。
政治家なんかは、こういった熱気があるほうが国民を操作し易いし、支配しやすい国民であるほうが楽だから熱気に乗じてとんでもない法律を作るかもしれない。
役所や警察なんかも『生活の安全や安心』を看板として国民を管理するために熱気を利用することも考えられます。
学者や評論家なども「こっちのほうが儲かる」なんてことになればどうなるか・・・・・

・・・とはいえ、自分にとって「都合のいいもの」「きれいなもの」しか見ようとしない現在の風潮が最大の原因なんでしょうけど。

結局のところ、皆、自分の見たいものしか見ていないし、自分のことしか考えていないからこうなるのではないでしょうか。
だから、薄っぺらい連中が増殖するのかもしれません。(私も人のことは言えませんが・・・)

情報スーパー下水: インターネットは企業権益によってハイジャックされるのか- Chris Hedges

Chris Hedges
Truthdig
2010-02-15

インターネットは、私たちの、文化的、政治的、経済的衰退を促進すべく、企業権益によってハイジャックされた、もう一つの道具となってしまった。対話を活発にし、文化的な障壁を打ち破り、デモクラシーを推し進め、イノベーションと創造性を解き放つという、インターネットの壮大な展望は、詐欺であることが明かになった。インターネットは、私たちを、同じスローガンを唱え、同じ敵を憎悪する、敵対する諸部族に分裂させており、私たちの創造的作品は、それを広告のための餌として利用する、ウェブ・プロバイダーに、無料で引き渡されている。

ジャーナリスト、写真家、音楽家、漫画家や画家達に、ウェブについてどう考えているか、尋ねてみ…

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