by 味岡 修
若き選手たちのドンへの告発が続くが
世間はというか、巷ではあれこれの不祥事が取りざたされる。テレビでは体操の宮川紗江選手が堂々と体操業界を支配するドンに対する告発をやっていた。少し前に日大アメフト部の宮川泰介選手が記者会見をしていたのを思い出した。
多分、今、スポーツの世界は2020年のオリンピックを迎え活性化していると思う。それゆえに、矛盾が渦巻き、それが出て来ている。矛盾が露呈するのは、その世界(領域)が、発展期にあるか、衰退期にあるかだが、スポーツの世界は勢いというか、発展期にあるのだと思う。スポーツの世界が注目され、勢いを持っているのは確かで、今の世の中でそこぐらいしか人々を解放的にしてくれない。文化と言ってもそこくらいしか残っていないということなのかもしれない。
成長という言葉に変わって停滞が支配的な時代に社会はあるのではないか。停滞している社会の中でスポーツの世界はそれを免れている唯一の領域だが、それゆえの矛盾も露出する。
自己改革をなさない日本様式が停滞をつくる
テレビでの報道を見ながら思うことは、若いスポーツ選手がパワハラやセクハラの告発に立つことに痛々しさを感じながら、そこに社会が変わって行く、希望のようなものを感じている。日大アメフトの宮川選手の記者会見と発言に僕はかつての日大全共闘の姿がだぶった。
結局、体制というか、組織は自分たちのあり方を変えるということに踏み出せず、ことが沈静化するのを待っているごとくみえる。そして、何もなかったかのようになって行く。これが日本社会の伝統というか、存在様式なのか。そして、いつの間にか、社会は停滞を与儀なくされるのだろうか。全共闘運動への対応を誤った大学が停滞に落ち込んできたように。
僕は少年期にスポーツに浸っていたこともあり、その世界に対する愛着は強いが、その世界からはじき出される覚悟で自分の考えを公表し、行動する若い選手たちのことを切ない思いをもってだが、心を寄せる。そこに希望を持っている。そして、彼等を支配するドンや組織に怒りを感じる。それはスポーツの世界という社会を支配する権力やその存在形態にたいしてである。
改革を嫌う官僚の思惑が安倍擁護に走らせた
日本の官僚組織は勢いというか発展期ではなく、どちらかと言えば衰退期にある世界だ。かつて政権交代をした民主党はそれを認識していて、その改革を目ざした。日本の官僚組織はそれに反発し、抵抗した。そして、再度の登場をした安倍政権に忠誠を誓い、その態勢維持に協力してきた。その、挙句の果てが例の「森友学園・加計学園」での安倍関与に対する公文書改竄までしての安倍の犯罪隠し協力である。「働き方改革」をいいながら、「障碍者雇用」で水増しをやっていて、それがはからずもばれる始末だ。
徳川時代から伝統を踏襲している日本の官僚組織は閉じられ、密室的で国民の意向や考えで事を決めて行く方向を持たない。組織を開いて行く、変えて行く方向がない。権力を監視するメディアもその方向で、監視し批判し続けることができてはいない。 この権力様式は封建時代に形成され、明治以降に日本の近代的な権力様式(形態)として本格化した。外観はともあれ、民主的、あるいは立憲的なものとして成り立ったものではない。その精神を持っていないのであり、組織の在りようや行動はそれとは無縁である。
密室化し停滞する官僚政治と今後の希望
日本の官僚組織の盛衰をみることは日本の権力の盛衰をみることだが、今、それは衰退期の矛盾に直面している。それを自ら変える力を持っていないことを示しているのが最近のうごきだ。原発事故への対応、再稼働の動きの中で僕らはそれを見、異議申し立てをしてきた。これについてはあらためて述べるまでもないことだが、彼等は原発再稼働という不正行為を組織の鎧で隠してやっているが、その自覚もないのだ。
官僚組織を開いていく、そういう方向ではなく、閉じられ、密室化する中で、独善的(恣意的)な権力に後退している。公開的に、それが公であり、公の方向へということに逆行している。閉じられ、密室化、表は嘘(欺瞞)を拡大する、この二重のあり方を変えなければならない。官僚の未来を考える若い人たちは、このことがわかっているはずだ。若いスポーツ選手のような、官僚の内部の反乱を期待したい。それはやがて出てくるに違いない。
最近の経産省の動きはそれとは逆の動きだ。記録も残さない。それはかつて敗戦に直面して書類を焼却したことを、前もってやっているだけではないのか。それは衰退期の官僚の矛盾を深めるだけである。(三上治)
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