北西風が党を鍛える 戦旗派83年下期総括

投稿者:草加 耕助

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五、第四インターの無党派市民運動としての反戦反核闘争論の誤り

 八四年政治過程を切り拓くにあたっての核心が、社共の全くの闘争放棄―例えば総評黒川が「反原発」を闘争課題としては取り下げる、原発推進に協力する趣旨の発言を総選挙運動中言明したことや、石橋社会党が自衛隊は違憲ではあるが成立過程的には合法と看做すという新解釈を繰り広げるに至ったこと―を糾弾しつつ、この日本におけるヨーロッパ数百万人民決起をひきつぐ反戦反核闘争を爆発させ、それを反帝反侵略闘争にまで高め上げていくことに見出されるべきことについては、以上見てきたとおりである。

 ここで問題となるのは、そこでのわれわれの運動基盤についてであるが、6・19―11・6構造に残りつづけ、市民運動、労働運動、地域住民闘争の戦略的結合をおしはかり、安保-日韓体制打倒の全人民的政治闘争にまで高めあげつつ、闘いを領導する位置に立つ方向をとることが、依然としてもっとものぞましい形態といえるものである。

 十一・六常盤橋戦闘を認めるか否かが、「レーガンもトマホークもくるな秋期行動」の総括討論過程では最大の問題となったが、結局実力闘争を行ってはならない、否定するとまでは市民団体のどこも言い出しきれないのであった。それはヨーロッパ反戦反核決戦が、グリーナムコモンの基地包囲・突入闘争に示されるように実力闘争形態で担われていることに規定されてであり、自分達の実力闘争放棄を路線的には公言しえない市民活動家達のたてまえ性において、われわれはかろうじて排除されないで済んだのである。
 だから常に必要に応じては単独決起をもって闘うことは意志統一されていなければならない。
 市民団体の無定形な「党派アレルギー」に対し、それに決して迎合せず、なおかつ屈服しないことが肝要なのである。単独決起をも決意しつつ連帯を求め続けるのが、八四年階級攻防においてもわれわれの基本方向であり、十一・六構造に残りつづけることの「踏絵」をなす考え方である事が理解されるべきである。

 そのうえで、八四年階級攻防にあっても、党派としての共闘対象となるのは「十一・九羽田現地行動」の六派が中心となる以外ない。その場合対立は常に、第四インターの「無党派市民主義」との間に繰り広げられることになるので、ここで彼らの八四年六月トマホーク極東配備阻止への取組み上の考え方をとり上げ、批判を明確化しておきたい。

 第四インターはその機関紙『世界革命』において、ほとんど毎号といってもいい程のテンポで、「トマホーク極東配備を許すな」のキャンペーンを張っている。それは事態の推移に対し、情勢の暴露を中心に解釈を加えつづけているものでしかないが、その中に第四インターの党的考え方が集約的に表現されている。
 すなわち「マスコミや、旧来の社会党・共産党系の運動のように“物理的焦点”を目標にしてトマホークの配備阻止を考えるならばカンパニア運動の枠を越えることはできない。われわれがおかれている政治状況を語り、配備阻止の自前の運動の中から、反核・反安保のうねりをどこまで社会問題化できるかという一点に、すでに『トマホーク極東配備阻止』のための運動はたどりついてしまっている」
 「『非核市民宣言運動・ヨコスカ』は、反トマホーク運動の武器として一万人アンケートを考えている。巡航核ミサイルの配備について人々がどう考えているのかを自分たちの力で調査し、日本政府・各地方行政につきつけていこうとするものだ」(『世界革命』八三年十月三十一日付、八〇八号)、「日本民衆の核軍拡と核戦争に対する怒りと恐れを、核廃絶の展望に向けて総結果する、真に大衆的な運動を八四年前半の闘いを通じて創り出しうるか否かは、まさにこのアンケート調査を全力をあげてやりぬき、労働者・市民・民衆一人ひとりの気持ちをつかみうるか否かにかかっている(同十二月五日付、八一三号)

 また別のところでは「ヨコスカ市民グルーフの新倉裕史さんはかつて次のように書いた」として新倉裕史氏の『現代差別の思想と行動』という論文から反基地闘争についての論稿をとりあげ、
「第一のタイプは住民運動としての反基地闘争ということができるだろう。基地が存在することによって直接に被害をうける人々の闘いだ。生活がかかっている闘いは構造的な強さをもつ。第二のタイプは政治闘争としての反基地闘争だ。個別の基地にこだわるというより、時々の政治舞台として基地はターゲットとなる。闘いは日常活動の積みかさねよりも、動員によって支えられていることが多い。第三が反戦運動あるいは市民運動としての反基地闘争、基地周辺に働く、あるいはくらす者の闘いではあるが、基地へのこだわりは被害住民としてのものであるよりは、基地の存在を許してしまっている加害者としての自覚が強い」
なる一節を引用し、そこで新倉氏が「第三のタイプに入るであろう私たちの運動」というのをうけて、「この評価は基地ヨコスカをとりまいた運動の一つの評価としてとりあげるべきものであろう」「基地ヨコスカをめぐる反基地運動がたどったこの歴史をどのように総括しひきつぐべきか、そこには『戦術』によっては埋められぬ反安保闘争構築のための教訓が、闘う主体の側の問題として横たわっている」(同八月十五日付、七九七・八合併号)等と主張するのである。

 最後の新倉氏の文章をうけての七九七・八合併号の「戦術によっては埋められぬ」云々の文章は、われわれの七・五ゲリラ・パルチザン戦闘がヨコスカにおいて炸裂したことへのあてつけで書かれていることをおさえねばならないが、要するに第四インターは「カンパニア運動」に対して「自前の運動」とかを対置し、それを「1万人アンケート」に求め、この「真に大衆的な運動」をもって「トマホーク極東配備」を「社会問題化」することが「八四年前半の闘い」の結節環をなすものであり、「反安保闘争構築のための教訓」「闘う主体の問題」だと力説しているのである。

 そこでは「この闘いはすでにみたように艦船の入港などの物理的目標を期待してはならない。民衆の反核・反安保・反トマホークの意志を総結集し、日本政府に配備拒否を約束させ、あるいは米政府に配備中止を余儀なくさせるような闘いを創り出さねばならない」(八〇三号)というのだが、それはゲリラ・パルチザンなどの「戦術」によってではなく、「アンケート調査」などの方法によってなのであり、それによって「社共・総評民同運動から独立した階級的労働運動をめざす左派勢力がいまや裸のままで帝国主義国家と全民労協の攻撃に立ち向かい、職場から地域から大衆を組織することが求められている」(八三年十一月二一日付八一一号)ことに対しての、「全民労協による総評労働運動最後の掃討戦」への反抗、「この掃討戦を左の側から闘いぬく地区における闘争態勢の形成」(同八一一号、いずれも「トマホーク極東配備阻止」シリーズの文章からの引用である)がなされる等と主張している。

 第四インターにあってはいわゆる情勢暴露はあっても闘争論となるものは極めて曖昧である。結局彼らにあっては第四インターの最大限綱領と生活防衛的な最小限綱領(=行動綱領)が分岐して存在しており、世界革命をいう理念としての最大限綱領と、全く改良主義的な闘争への取組みをなす当面の方針、行動綱領の断絶ははなはだしいものがあって、ほとんど全く関係がないと言っても過言ではない。
 そして彼らの日常はこの右翼的な行動綱領に規定されたものであり、トマホーク極東配備阻止にあっても、そうした連関で「住民運動の方針」でしかないインターの方針が打ち出されているのである。

 ここで問題とされるべきことは何か。それは彼らが「三里塚二期決戦」ではなく「二期のこない運動」を主張しているのと全く同じように、「トマホーク極東配備阻止」ではなく「トマホークの来ない運動」を主張しているにすぎない点であり、しかもそれが「スライド上映」だとか「アンケート調査」に求められることの全くの右翼日和見主義である。
 「日本政府に配備拒否を約束させ」だとか「米政府に中止を余儀なくさせ」とあるが、それは要するに日共と同じく広く大衆を集め請願運動や諸要求貫徹闘争をやることと寸分ちがわないものなのである。第四インターは決して「社共のカンパニア運動」をのりこえておらず、その同類項でしかないのだ。

 ゆえにわれわれは、反戦反核闘争の組織化における第四インターの実力闘争放棄、地域住民運動への右翼的埋没と、反戦反核闘争を領導するにあたっての戦略的観点の全くの欠落を批判しなくてはならない。つまり第四インターにあっては「社共のカンパニア運動をのりこえる」ことを主張しながら、実際上は社共よりももっと右翼的な地域市民運動にのめり込んでいこうとしているだけである。それもヨコスカ市民グループの新倉氏に依拠して自分達の主張をなすという具合に、プロレタリア世界革命への連結環を持った反戦反核闘争を戦略的に領導するという革命性・前衛性を百%欠落させてしまってでの話である。

 新倉の主張にそえば、基地周辺に住まずに、基地の存在により被害をこうむらないプロレタリアート人民は、反基地闘争に内在的に決起する根拠を待たず、カンパニア動員にのみ狩り出される存在になり、「トマホーク極東配備阻止」の全人民化、全人民的政治闘争への発展は「地元」にとっては迷惑な、いわば「押しかけ闘争」でしかないものであるということになってしまう。
 結局、それは第四インターが新倉的な小ブル地元主義の排他性、排外主義に不断に拝跪する観点にたっていることを表現するものでしかない。彼ら第四インターは、レーニン主義的な全人民的政治闘争の組織化という原則的観点を、そもそも欠落させているのであり、トロツキズムの右翼性、小ブルジョア性がぞこで露呈しいるのだ。

 これを例証することは実にたやすい。
「ロシア社会民主主義の新傾向の基本的な誤謬は、自然発生性の前に拝跪する点に、大衆が自然発生的であればこそわれわれ社会民主主義者は多くの意識性をもつ必要があるということを理解しない点にある。大衆の自然発生的な高揚が大きければ大きいほど運動がひろまればひろまるほど、社会民主主義派の理論活動においても、政治活動においても、組織活動においても、多くの意識性をもつ必要がくらべものにならないほどいっそう急速に増大する」と一九〇二年、レーニンは経済主義者を批判して『なにをなすべきか』でこう書いた。

 「もし労働者が専横と抑圧、暴力と濫用行為のありとあらゆる事例―この事例がどの階級に関係するものであれ―に反対する習慣を、しかもほかのどの見地からでもなくまさに社会民主主義的な見地から反応する習慣を得ていないなら、労働者階級の意識は真に政治的な意識ではありえない」「ロシアの労働者が人民に対する警察の野蛮な取り扱いについて、異宗派征伐や農民のむち打ちについて、検閲当局の無法行為や兵士の拷問や、まったく罪のない文化的企画の迫害などについて、まだあまり革命的積極性をしめしていないのはなぜであろうか?それは経済闘争が彼らをこれらの問題につきあたらせないためではないのか。これらの問題があまり目に見える成果を約束せず、あまり明確なものをあたえないためではないのか? そうではない。くりかえしていうが、そのような見解は自分の罪を人になすりつけ、自分自身の俗物根性(ならびにベルンシュタイン主義)を労働者大衆になすりつけようとすることにほかならない。われわれはこれらのすべてのいまわしい行為の十分に広範な、あざやかな、すみやかな暴露をまだ組織できなかったことについて、自分自身を、大衆の運動に対する自分のおくれを責めなければならない」

 こうしたレーニン主義の見地において第四インターを見るならば、まさに第四インターはトマホーク極東配備阻止を、中曽根ファシスト政権の核軍拡・アジア侵略反革命政策との関連において暴露し、人民の意識を覚醒させることを拒否している。そればかりか安保-日韓体制の反人民的本質と被抑圧民族・人民への敵対性への闘いとして、トマホーク極東配備阻止闘争の全人民的規模での広がりと発展を創り出していくことを拒否し、あくまでもそれを「地域住民闘争」のせまい枠組みの中に押しとどめようとし、「カンパニア運動をのりこえた自前の運動」の名目において、「反党・反前衛」というような地域住民団体の無定形なエゴイズムに拝跪し、右翼的に持ち回っているだけなのである。
 文字通りここでは第四インターはメンシェヴィズムの潮流と路線に位置するのであり、住民闘争の感覚から出発する大衆をそこに固定し、押しとどめる働きをしているだけであって、何ら革命的な内実を有しない右翼路線なのである。

 第四インターの思惑とは全く別個に、トマホーク極東配備阻止の全人民的高揚を作り出すためには、アンケート調査やスライド上映などの手工業的方法に依拠しているだけでは決定的に不充分である。
 基地の存在に利害を持つ人民のみならず、広く日本労働者階級全体に対して、中曽根ファシスト政権の核軍拡路線の持つ反動性、反人民性をあまねく政治的に暴露しきり、それが日本帝国主義の再度のアジア侵略反革命戦争を準備する策動に他ならないこと、レーガン・中曽根・全斗煥の三悪は絶対に打倒されるべき対象であり、そのためには闘うアジア人民と連帯して日米安保軍と武器をとり闘う決意を打固め抜くこと、人民の勝利のためには投獄も死もおそれず、ありとあらゆる手段をもって闘いぬくことが勝利への道であることを、われわれば訴えねばならない。

 武装闘争を否定したり、ゲリラ・パルチザンは住民運動動にはそぐわない等と消極的な考えにひたっては断じてならず、カンパニア動員であれ何であれ、数万数千の大衆がトマホーク極東配備阻止の闘いに決起しうる方向をつくり出し、人民の失望しかうみ出さない内ゲバを排し、広く団結して戦闘的な大衆闘争を高揚させることが必要なのだ。
「政治的煽動の必要な拡大がなされるための基本的条件の一つは、全面的な政治暴露を組織することである。このような暴露による以外には、大衆の政治的意識と革命的積極性とを培養することはできない」(『何をなすべきか』)ということを、われわれはかたときも忘れてはならないのだ。

 ゆえに「配備阻止の自前の運動」(=地域でのアンケート調査やスライド上映運動)と「物理的焦点を目標にしてトマホーク配備阻止を考えるカンパ二ア運動」を対置して考え、後者に対する前者の優位性を党派性にする第四インター誤っているのであり、反戦反核闘争の組織化における経済主義、メンシエヴィズムそのものである。
 つまり日本革命を戦略的に領導する主力党派には将来においでも第四インターは決してなりえないということが、ここから断言できるのである。

 われわれが知っておかねばならないことは、第四インターという党派は、このトマホーク配備阻止にみられるように無党派市民ぶるということが重要なセクト性をなしているという事実であり、「第四インターはセクト性の薄い無党派市民主義だ」というのは事実ではなく、「無党派市民主義を押し付けることが第四インターのセクト性の表現である」という把握をすることが必要である。

 われわれは八四年六月トマホークの艦隊配備・日本寄港阻止の闘いを大爆発させるにあたり、社共の闘争放棄を糾弾しつつ、この第四インターにみられる矮小な無党派市民主義ぶりとの闘い、革命の展望と方法をめぐるイデオロギー論争にも勝利をおさめるべく立ちむかわねばならない。
 十一・六構造にレーニン主義の観点でかかわる戦旗派革命勢力が存続しつづけることは、それ自体プロレタリア日本革命の革命的水路を十一・六構造が持ちつづける証しとなることなのだ。
 ヨーロッパ数百万反戦反核決起にこたえうるに巨万の人民決起をこの日本の地て打ちたてるためには、さけて通ることのできない闘いとして、地域住民闘争主義的な大衆の自然発生性との闘い、それを革命的な目的意識性にまで高めあげる前衛的苦闘がわれわれの前に横たわっているのである。

 わが同盟は第四インターと共闘関係を有しつづけ、共に闘いつづけているが、その戦略内容や方向には大きなへだたりが存在しているということだ。それを曖昧化しては断じてならない。この対立はレーニン主義とトロツキズムの相容れない綱領的論争点を内包した確執である。
 かつての七九年問題はわれわれが路線的に第四インターに屈服した結果もたらされた陥穽以外の何ものでもなかった。わが同盟は前進をつづけ、自己変革をつづけてきたのだから、二度と同じ陥穽にはまりこむことのないよう、今度は路線的に第四インターに打ち克つよう尽力しようではないか。

 さらに第四インターとの路線的な分岐はトマホーク極東配備阻止の闘争論的方向にとどまらず、八三年三・八総会をもっての反対同盟分裂へのとらえ方や、ゲリラ・パルチザン戦闘の遂行をめぐってむしろ決定的になる。
 八四年三・二五三里塚闘争は中核派の再度の「内戦宣言」を打ち破って勝利をおさめねばならない闘いであるが、同時にわれわれは第四インターの無党派市民ぶりというセクト主義とも区別性をはっきりつけて、この闘いにのぞまねばならない。
 ゆえに最後に三・二五三里塚闘争をめぐる事態につき、第四インターの中核派批判をとらえ返すなかから問題を整理し、八四年階級攻防に勝利するわれわれの行く手を照らしておきたい。

 六月トマホーク極東配備阻止の全人民的高揚を作りあげる前に、三・二五三里塚闘争を党の死活をかけてわれわれは大勝利させねばならず、そのためにはわれわれ独自の戦略的観点、事態への対処の方法を確認することは、今や最重要の課題となっているのである。
 すべての同志諸君はまなじりを決して三・二五をみすえ、独自の戦争の論理を主体化せよ。人民大衆を説得し、正義はわれわれ戦旗派革命勢力の方向にのみ存することを訴えきり、共に大勝利をつかみとろう。

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