戸村一作:著『小説三里塚』(目次へもどる)
木の根公民館といっても、廃校になった小学校の校舎を市から貰って、改築したものだった。これには武治も人並以上に奔走し、漸くのことで木の根公民館が、曲がりなりにもでき上ったのである。
開拓当初、集まる家とてなく、ことあるごとに松林の芝生に集ったあの頃を想うと、雲泥の差があった。
公民館は武治の家の土手を越えて、すぐ傍にあった。台所にはガスも水道もあり、部屋は畳敷で十畳間ぐらいあった。
武治は今夜の集会のために誰よりも早くきて、部屋を掃除して、台所でお湯を沸かし、お茶の準備をして、みんなのくるのを待った。
武治が水道の水を出して湯呑み茶碗を洗っているところへ、戸を開けて誰かが入ってきた。
天神峯の石橋庫三と東峰の石川実だった。今夜の集会は木の根だけでなく、敷地内の各部落に呼びかけた集まりだった。中には古村という取香、駒井野あたりからきた者も二、三あった。
八時頃になると続々と集まってきた。部屋はいっぱいになった。主として空港により直接、利害のある地権者らだった。
武治は立って地元としての挨拶をした。
「みなさん、お疲れのところご苦労さまです。ご承知のように富里から空港が三里塚にやってきました。われわれとしてはこの際、協カして富里農民のように空港を追っ払わなければならない。農民無視の空港を許すことはできません。みなさんはどう思いますか。これからこの運動をどう進めていったらいいかご協議をお願いします」
武治の挨拶が終ると各部落の者から次々と意見が出され、普通の部落集会とは違って熱気溢れるものだった。
粒々辛苦の開拓地や永年住み慣れた祖先伝来の土地を奪われるとなると、農民の土着性は一ぺんに吹き出て、ここでも第二の富里が現出する気運は充分みられた。これは農民の直接利害関係によるもので、百姓が土地を奪われたら食えなくなるというのが、まず空港反対の原点となった。
「木の根では先に二晩続けて集まって話し合った結果、これはぐずぐずしていられない、反対同盟を結成して一刻も早く運動を展開すべきだというのが、みんなの一致した意見でした」
と、武治は木の根部落を代弁していった。
一同は武治の発言に合槌を打ち、反対する者は誰一人見られなかった。その結果、さっそく反対同盟を結成し、今月末までに総決起集会をどこかで開くべきだという意見が、満場の総意で決議された。内定後の三日目には早くも、ここまでの盛り上がりをみせたので、武治の喜びは並大抵ではなかった。