【安保日韓】’80年代ブントを語れⅡ【血債猛省】(前半)ブントスレまとめ その2-1

投稿者:草加 耕助

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105 :名無しさん@3周年:04/05/25 21:20
>>100
別名じゃなく、本名。

106 :名無しさん@3周年:04/05/25 23:48
>>104
そういう104さんは用水闘争参加されてたのですか?

107 :名無しさん@3周年:04/05/26 00:09
菱田暗渠作業はつらかったな。石井新二にどやされながら働いたよ。

108 :名無しさん@3周年:04/05/26 00:25
いひひひ。
確かに辛かったな。
成田用水に対して対案として出された自主整備にかり出された支援は、冬の寒い時期
泥まみれになりながら田んぼを掘ってたな。
シンジは確かにセイコウの中では唯一作業をしてたんじゃーなかったかな?

109 :名無しさん@3周年:04/05/26 00:37
用水闘争の過程で何か貯水のためのプール?のような物を造る現場を手伝った記憶があるなあ。
あれは成田用水の対案として同盟が作っていたわけなのか?
あれで鉄筋を針金で縛っていく技術を習得した。
脇で見ていた機動隊員が「ほお、すんげえ技術だな」とかからかいに来た。
「うるさいあっち行け」とか言いながら自分が作ってるものが何だか正確には知らなかったw

110 :名無しさん@3周年:04/05/26 02:45
80年代の戦旗の連中は対カクマル戦の内実よくわからんまま「内ゲバ」反対とか
いっていたんじゃねえか。
80年代といえばチュンが対カクマル戦で軍事的には優位にたっていたからマルの
他党派解体白色テロにさらされなかっただけだろ。
結局70年闘争の破壊者としてカクマルが登場して以後、それをどう打ち破るか
を正面からみすえない限り大衆運動できなかったというのが実情だろう。

情勢と関係ないところで「内ゲバ」反対いっているのは楽しいかもしれない
けどね。

111 :名無しさん@3周年:04/05/26 07:54
>>110
だからそこは(=内ゲバの問題は)そこに所属した人間の様々な思いがあるわけだから
実際殺す殺される闘争に入っていなかった千機は、「楽」という言い方ができるかもしれない。
しかし革命の大儀ってマルの白色テロに対して赤色テロなのか。

80年代東工大の5人殺害も含め、やはりどう意味づけしようとも多くの人々に新左翼に対する恐怖と支持の喪失しか生み出してなかったのではないか。
またその手段(=殺す)と言う手段をとってきた青も90年以降、組織内闘争においてもその手段を行使し勢力を縮小させたのではないか。

新左翼の闘争は3・26闘争のような権力との真っ向勝負と思う。
こう書くと○は闘争で弱った背後から襲撃を繰り返すと、言われそうだが。
そこは違うと思っていたから俺はブントでよかったとコケた今でも思っている。

112 :名無しさん@3周年:04/05/26 08:26
当たり前のことを当たり前のように言っているようにしか聞こえない。
というのも、本来誰しも好んでゲバなどしないだろう。反権力、反帝大衆闘争を軸に奥に決まっている。事実、みなそうだった。それを背後からやられる。
様々な手口で。その時どうすればいいかという現実的、具体的な問題。その立場に断ち切らないとゲバ一般の話で終わる。平行線にしかならない。
相手は自分を党是のもと「解体・撃滅」しようといしているとき「ゲバ反対」言っても極めて無力だろう。事実そうだった。大衆的に追い詰める。これは言葉の響きはいいし受けもいい。
けど、それが真に運動や組織、参加する大衆を守ることなのだろうか。はなはだ疑問に思う。

113 :名無しさん@3周年:04/05/26 08:36
解放や中核がやらなかったらその魔手は疑いなく戦旗にもいっていたろう。
その時にはじめて生き死にの問題として革命的暴力の問題が己に突きつけられる。
勿論、簡単に結論付けられるテーマではないが、選択肢はいくつもない。その時、
革命派として重大な決断を迫られる。そういうぎりぎりの切迫した時間と空間を80年代ブントの皆さんは経験してこなかった。幸か不幸か・・・

114 :名無しさん@3周年:04/05/26 08:41
多分この部分は平行線をたどる一方と思われる。
そこがいいにせよ、悪いにせよお互いの党派性だったから。

115 :名無しさん@3周年:04/05/26 20:25
成田用水がでたな。よし次は、レーガン、全斗煥だ。語ってくれ。

116 :名無しさん@3周年:04/05/26 20:43
レーガン来日阻止では、機動隊に突っ込んでいったが、先頭はもちろん逮捕覚悟の隊列。
オレは後方隊列だったけど、でも正直びびったなあ。あの異様な興奮というか熱気は忘れられん。
総括集会では涙がでた。

117 :阪僑文士 ◆oz7Wpm.iX2 :04/05/26 20:51
内ゲバ問題で いつも思う。いな、政治全般で。

「逃げることは、そんなに悪いことか?」と。

俺は、身近の主義者には「嫌になったら、いつでもこいや」と声を掛けて
いる。逃げさせるために・・・。

118 :名無しさん@3周年:04/05/26 21:06
>>116
旗竿部隊が一面のBFは萌えたよ

119 :名無しさん@3周年:04/05/26 21:17
>>117
状況にもよるだろう。あんたが、かの低劣きわまりないストーカーを相手にせ
ず、「逃げた」ことと、「他党派解体のための暴力」を公然と掲げて白色テロ
で襲い掛かってくる「左翼」の形態をとったカルト的・ファシスト的集団から
「逃げる」こととは、全然意味が違う。
それでも「逃げる」とする人間を、私は批判はしない。「去る者は追わず」と
いうことだ。だが、逃げずに戦った人達に対して浴びせられる不当な罵倒、と
りわけ、小西誠のように、そうすることの必要性をじゅうぶんに知りうる立場
にありながら、今になってきれい事を言っている者には、強い批判の思いを感
じずにはいられない。「小西=反革命」規定は大きな間違いだと思うし、「批
判」と「全否定」を安易に同一視するべきじゃないと思うが、彼のきれい事だ
けは俺は批判せずにいられない。それだけだよ。

に熟知しながら、今になって

120 :&rlo;∪・ω・( &lro;弱い犬 ◆JrNMd471Nk :04/05/26 21:24
逃げないにしても、闘う方法の問題じゃないのですか?

121 :阪僑文士 ◆oz7Wpm.iX2 :04/05/26 21:30
>>119
なるほど。深いなぁ。今から風呂に入るから、それ以後に返答します。

123 :&rlo;∪・ω・( &lro;弱い犬 ◆JrNMd471Nk :04/05/26 22:06
120は、小西さんの正論が逃げではないとおもう、という意味での発言。

また、分子センセの仰る逃げと、119氏の仰る逃げでは、
意味が微妙に違う気がするでやんす。 木乃伊取りが木乃伊と言うか、
大元が善意である事は疑いませんが、
結局 変質した党派性によって個人が疎外されてるわけで。

懐疑の精神を失いたくないわけですが、
ホントに まもらにゃならんものってのが何なのかって懐疑を保持すりゃ、
分子センセのいう逃げ=党派から距離を置く事こそ、
119氏の言う逃げの意味では 実は 逃げない事なのかも知れんですよ?
とか思いました。 ははは(勘違いかも知れませんが・汗

124 :阪僑文士 ◆oz7Wpm.iX2 :04/05/26 22:22
ふう、エエ風呂やった。色々味わいながらの入浴。

> 状況にもよるだろう。あんたが、かの低劣きわまりないストーカーを相手にせ
> ず、「逃げた」ことと、「他党派解体のための暴力」を公然と掲げて白色テロ
> で襲い掛かってくる「左翼」の形態をとったカルト的・ファシスト的集団から
> 「逃げる」こととは、全然意味が違う。
■阪僑文士 writes:
無視すればそれで事足りる俺と、逃げられるとは限らない党派の方々は自ずと違いますね。また、逃げることで、殺されるかも知れない仲間がいる、ということも。苦しく、つらい選択であったろうと思います。

125 :阪僑文士 ◆oz7Wpm.iX2 :04/05/26 22:23
> それでも「逃げる」とする人間を、私は批判はしない。「去る者は追わず」と
> いうことだ。
■阪僑文士 writes:
伝え聞いたところによると、中核派の方々の圧倒的多数は、内ゲバで「逃げた」と聞いております。逆に言えば、中核派から多数が離脱できたというのは、当時の中核派には人間的な柔らかさが残っていた、ということかと。
なお、小生が知る中核派というものは、熊野寮を実質暴力支配していた連中です。哀しいのは、個々人は魅力溢れる「平和愛好家」が多かったにもかかわらず、です。
日本人としては、皇軍兵士の歴史でしょうか。息子に滅多に手を上げない日本人@レーニンが、冷酷無残な三光作戦を行なう皇軍兵士になる、という。内ゲバ闘争の負の遺産かと今になれば思います。「怪物と対決するものは、自らも怪物となることを知れ」と。

126 :阪僑文士 ◆oz7Wpm.iX2 :04/05/26 22:23
>だが、逃げずに戦った人達に対して浴びせられる不当な罵倒、
■阪僑文士 writes:
これは、外部の人間としては、よくわからないところがあります。以下に小西さんのことが書いてありますから、具体例として、小西さんの文章に即して記してもらえれば、幸いです。

>とりわけ、小西誠のように、そうすることの必要性をじゅうぶんに知りうる立場
>にありながら、今になってきれい事を言っている者には、強い批判の思いを感じ
>ずにはいられない。
■阪僑文士 writes:
「検証 内ゲバ」の生田さんの文章にも感じましたが、当時真面目にやった人ほど、当時の判断がギリギリであったが故に、自己正当化のバイアスがかかるんでしょうね。それは、心理学的のみならず、論理的にも仕方のないことです。そのことでもって、奇麗事云々という批判を言っては、問題の理解に繋がらないと思います。おそらく、そういうことではないと思いますけど。

さて、本論です。あなたの書き込みでクリティークしなければならないことがあります。それは、「そうすることの必要性」ですが、それは非常に狭い範囲からの発想ではないか、という疑念です。

127 :名無しさん@3周年:04/05/26 22:24
124がいいこと逝った!!

128 :阪僑文士 ◆oz7Wpm.iX2 :04/05/26 22:24
これは、80年代までの左翼党派人のメンタリティー批判にも繋がります。左翼党派は、大衆のため、大衆とともに、と良く口に出します。しかし、その一方で自らを前衛と位置づけ、大衆と自らを区別します。

「俺が逃げれば、仲間がやられる、運動が潰される」、この脅威は俺には計り知れないものがあったと思います。だが、運動を担うのは党派ではなく、大衆です。大衆の利益から出発しなくてはならないと思います。それも、自分の運動圏内、ご近所の大衆ではなく、全世界の大衆の。イニシエーターとして党派があり、運動の中核に党派があること、これはいいと思います。だが、それもこれも大衆あっての物種です。逃げずに相手を殲滅すれば、大衆はビビって逃げます。それは、間接的に運動全般から大衆を離反させる行為ではないでしょうか。
結局、党派というものは、大衆とともにと言いながら、自らを英雄的に描いているのです。そこに、胡散臭さを俺は感じます。党や運動が一旦漬いてても、意志のある者がいれば、復活できるじゃないですか。毛沢東が各地を放棄しても、結局中国全土を革命したように。

それが、日本ではそう出来なかった。・・・・(宿題)

129 :阪僑文士 ◆oz7Wpm.iX2 :04/05/26 22:24
また、小西さんは昔の自らの主体的立場を相対化して、検証を始めています。これには人間的な批判「お前の立場は云々」があり得ますね。だが、ご本尊=マルクスも他人の小ブルジョア的根性をコキ下ろしていましたが、自らの出自と生活も、小ブルジョアそのものでした。バクーニンが強烈に皮肉ったところです。だが、だからと言ってマルクスの思想の価値が減ることはありますまい。物事を検証するには、ある種の厚顔無恥とも思える所業が必要なのではないか、と思います。

130 :名無しさん@3周年:04/05/26 22:36

怪物と対決するために怪物にならざるをえなかった者達の苦悩を知れ、と。

ややもすると、〝逃げた人〟〝弱い人〟の擁護論、同情論になりがちな昨今。
では苦しみ抜いた暁に、自己犠牲を決心し、困難な現実から逃げることを拒み、自分を何度も何度も奮い立たせた〝強者〟は、何ゆえに非難を浴びせられ、皮肉を言われ、時には罵倒されねばならないんだろうか・・・・賞賛なぞ望むべくもなく。
日本人の伝統的な美意識、滅びの美学そういうDNAに起因してでもいるかのように。

131 :阪僑文士 ◆oz7Wpm.iX2 :04/05/26 22:42
さて、「左翼散種事業団」ネタになると思われる話を開陳したいと思います。

コミンテルンの末裔である日本共産党をはじめとする日本の共産主義結社の多くは、唯一前衛党=一国一党主義を(建前であるにしても)採用しています。だが、彼らが他党派に投げかける批判の仕方は、仏教徒としてはいぶかしいものがあります。
と、申しますのは、非常にあつかましい論理ですが、お釈迦様の教えを信じるものとしては、「唯物論者であろうと、アラーの神を信じていようと、この世と他の世、三千世界を遍く照らす弥陀の光は均しく降るのだ」と思っていますし、そのことに気づく、気づかないだけの差、気づきたいと思ったものは仏教徒、そうでない人はそうなるまでの過程、気づきかたには色々あり、という次第でして、まあ、人様の
言うことは自分で納得しなければ#どうでもいい#のです。自分が唯一前衛党であるということに徹底すれば、自分以外の党派がどう言おうと、「ああ、そういう考えもあるのかな、だけど納得しないから、自称共産主義党派であっても、それは違うし、登山同好会みたいなものだな」とうっちゃっておけばいいはずです。
それを自らを唯一前衛党でございと規定しておきながら、命(たま)まで取るような憎しみを込めて他の自称唯一前衛党を殲滅する、自分で自分の存在を否定しているようにしか俺には感じられませんです。

132 :名無しさん@3周年:04/05/26 22:43
いやあ、こういう話が出てくると新左翼もまだ捨てたものじゃないなと思う。
数がどうとか、どこは何人しかいない、とかいうやつみるとゲンナリするが。
そういうやつこそ、反革命だろ、と思う。

では、続けてください。

133 :阪僑文士 ◆oz7Wpm.iX2 :04/05/26 22:48
>>130
その人たちに人間的な同情はあります。だが、やっぱり、上手くいかなかったという現実の前に、批判があるのは当然ですよね。

なお、日本の左翼を離れても、失意の内に亡くなった方はたくさんいます。だが、石達開の人生、プルードンの人生、皆意味があると思っていますよ。

ただ、上手くいかなかった方法に未だに固執しているものを見れば、イラ立つし、勿体無いなあ、と思うのです。

その上で、中核派は、変わろうとしていますね。それは認めます。だけど、宿題をいずれは解決して欲しいと思います。知人もいますからね。

134 :阪僑文士 ◆oz7Wpm.iX2 :04/05/26 22:50
あれ? SENKIスレやん。場違いかな? すいません。

135 :名無しさん@3周年:04/05/26 22:51
先週の日曜に渋谷のとある古本屋にて「反体制的考察」=1980年代論文集という粗氏の分厚い定価2000円もする御本をみつけました。で、値札は750円だったので、まぁいっかで参考に買ってしまいました。この80年代スレ見てなけりゃ買うことも無かったと思う。ここに集うOBの皆さんがどのような主義・主張のもとで戦いに決起したのか、ちと興味があったもので。

1980年4月論文「3・26戦闘精神を発展させ、武徳の思想を獲得せよ!」あたりが、皆さんの思想背景だったんでしょうか?などと思いながら読み進んでいます。70年代は粗氏も「カクマル」と呼称してたんですね。

136 :&rlo;∪・ω・( &lro;弱い犬 ◆JrNMd471Nk :04/05/26 22:57
>130 悪い。申し訳ない。当時やらリアルに知っている人には、重くて、重すぎて、誰も言えないような気がする。130の答えは。
だから、おいらが言う。何様だと思われる事必至なので先に謝る、申し訳ない。

努力とか苦労ってのは(行為者の主観的には 諦める口実になるけど)、
客 観 的 に 評 価 す る 理 由 に は な ら な い ん だ よ。

成果が無い事が非難の原因。
手段を誤ったことが成果の無い原因。

例えば、革マル派の若者を殺す代わりに、
そいつを拉致して武装解除させた上で自由に発言させ、
そこで論破してそいつすらを獲得すべきだったんだよ。

中野OBの思惑通りに動いた失態が 悪評の原因だと思いますよ。
────
…って、念のためにリロードしたら文士センセのレスが(汗
133のセンセの発言とおいらのを比べると、やっぱセンセは上品だなぁ、と思いますた(苦笑

137 :名無しさん@3周年:04/05/26 23:02
>>133 中核は変わろうとしています。私もそう思います。
何か60年安保や70年安保沖縄を形成した大衆闘争主義に、螺旋的に回帰している感を受けます。対Y戦には決着ついたとし、主軸を反帝に全面転換しているように思われます。
この30年間とてもとても遠い迂回路を通らざるを得なかった。けれども、ようやく本来の戦線にもどって来てくれた感じ。
BUND荒さんのような方向へのパラダイスチェンジでなくてよかったと内心思っています。

138 :名無しさん@3周年:04/05/26 23:15
主観と客観の問題は哲学の領域に入る。客観評価している方の客観も主観の生み出す観念。
客観の根拠は?科学的立証、多数決、社会的通念、・・・どれもこれも疑わしい。
とりわけ革〇派についての評価についての客観性、そこから出発しない限りその後の事象は
単なる現象評価であり、主観対主観の堂々巡りというジレンマに陥る場合がほとんどです。
30年にも及ぶその「迂回路」を強い、新左翼を疲弊させたことに少なからぬ関係性は見出せる。

139 :阪僑文士 ◆oz7Wpm.iX2 :04/05/26 23:18
>>137
「パラダイスチェンジ」
意味深・・・・。荒さんの広松氏との交流を通じた共産主義批判には、一定共感しますし、それでもってパラダイムチェンジしたのもいいのですが、みんな挙ってゴソっとチェンジしたようで、まるで地上の楽園。

まあ、共産主義捨てたなら、自称唯一前衛党的悪しき他党派への態度を止めて欲しいものです。

※いつぞやの米大使館前での継続した決起、偉いなあと思いました。
暫く見ていましたよ。こっちはポリに追われ、タクシーで逃げたヘタレでつ。

140 :名無しさん@3周年:04/05/27 06:21
>>135
懐かしい文章です。
確かに結集した当初はそれらの論文の読み合わせを何度も行った記憶があります。
その論文集の中には川口君虐殺に関する論文も在ったように記憶しています。
あらさんの文章はどれも人民の大儀に根ざした闘争の推進が語られており、社会正義を求めていた私には感動させるものがありました。

141 :名無しさん@3周年:04/05/27 11:02
相変わらずなんて真面目なスレなんだろう。

内ゲバの問題はおよそ新左翼党派に関わった者なら完全に無関心でも無責任でもいられないと思う。
しかし、80年代に新左翼運動に身を投じようという者にとっては内ゲバがマイナスにしか作用しなかったのも確か。
少なくともオレはそう。当時の中核の人は何かっていうと「カクマル殲滅」だったけど聞いてる部外者にしてみりゃ
「シラネーヨ」って感じだった。それに正直殺し合いは怖かった。
社会的正義感以前に「オレは革命の阻害物反革命カクマルを一人でも殲滅するために中核派に入った」なんて人は
ほとんどいないと思うし、いたらその人の左翼としての資質を疑うよ。
80年代はまだ中核と革マルの「殺し合い」をも含めた内ゲバはリアルで進行中だったし、
第四インターへのテロも発生する中、当時の戦旗の主張は「これぞオレの求めていたもの!」と感動したのは事実。
党派闘争の緊張感を知らないで「内ゲバ反対」なんてキレイごと、という批判もあるだろうけど
20年前、内ゲバ主義にも市民主義にも埋没しない左翼の王道(日本のボルシェヴキとかよく言ってたけど)こそ我々
という戦旗の立場が多くの若者を惹き付けたのは間違いないと思う。

142 :名無しさん@3周年:04/05/27 11:05
>>135
「3・26戦闘精神を発展させ、武徳の思想を獲得せよ!」

うん。懐かすぃね。

143 :名無しさん@3周年:04/05/27 11:09
>>139
広松なんてナンセンスもいいところでしょう。彼の文章は意味不明。なぜなら内容がないから。
西田もいっしょ。
ヘーゲルは難しいけど、よく考えれば分かる。それは内容があるから。
広松や西田は内容がないものを書き散らして、哲学者気取りしただけ。すぐに捨てられる。

144 :名無しさん@3周年:04/05/27 11:12
>>139
荒『マルクス 残された可能性』を読んだが、あほらしくて途中でやめた。
ありきたりのエンゲルス批判やらなんやらをつなぎあわせただけ。おまえは自分の目でマルクスを勉強したんかい!と問い詰めたい。

145 :名無しさん@3周年:04/05/27 11:50
実践社から本を出している伊藤述史って、同伴知識人?メンバーじゃないよね。

146 :名無しさん@3周年:04/05/27 12:16
>>141 各丸という党派、いやクロ間の思想的変節が戦後の新左翼運動の桎梏だった。
鬼ッ小の各丸により30年間に渡り、左翼運動の芽が摘み取られ続けてきた。
いまやあれほどあった新緑、芽吹きも箱庭程度の残骸があるだけ・・・・。悲劇だよ。
80年代そんなに若者をひきつけたブンドは、それと関係なくパラチェン変節したけど、
それは荒しの個人的な資質によるものですか?個人崇拝に原因があったということ。
思想や理論ではなかったのか・・・

147 :名無しさん@3周年:04/05/27 12:23
>社会的正義感以前に「オレは革命の阻害物反革命カクマルを一人でも殲滅するために中核派に入った」なんて人は
>ほとんどいないと思う

当然だろうに。そんなもん誰が好んで・・・
もともと戦闘的大衆闘争に憧れたわけだ。
しかし、現実はあまりに重すぎた。
党是として他派解体でくる武装集団に、
どう立ち向かえと?それに武装し戦えば
自分も同じだろ、という論議がある。
それは違う。武装解除した途端あぼんだ。
そのリアルな現実、苦悩を知らぬ者は
表層のニューマニズムであっさりかたずける。
やらねば今ごろ連中の天下だったろう・
学戦、労戦ともに。80年代のブントすら経験
できなかったろう。マジ実感だ。
けど、本来の70安保沖縄規模やりたかった・・・

148 :名無しさん@3周年:04/05/27 13:31
>>141
この論議はそろそろ終了しませんか。
自己史においてお互いの立場はやはり違うわけだし。
あの当時、中や青に所属していた人間にとって対○との党派闘争やはり切実な問題であり
その批判は、仮に我々が80年代闘ってきたことを否定されるのと同じ意味を持つものと思われる。
ゆえに
112=147さん思うが、彼がどうしても譲れないところと思われる。
このスレで盛り上がれるのは、なんやかんやいいながら対権力闘争で盛り上がっているわけだから
(10・20もそうだし)このスタンスに戻さないとどんどん重くなっていく気がする。

149 :名無しさん@3周年:04/05/27 20:03
そだね。その話しはよそう。

150 :名無しさん@3周年:04/05/28 06:45
島成郎と60年安保の時代(2) 60年安保とブント(共産主義者同盟)を読む
●第1章 ブント始末記「異議あり!
東原吉伸  追想の中の「二人の改革者」
清水丈夫  悼辞 島さんの思い出によせて
大瀬 振  さよなら島、さよならブント
・・・・・・・
山本庄平  「戦旗」印刷所顛末記
林 紘義  島成郎はブントそのものだった
蔵田計成  蔵田計成版「ブント綺譚」秘話/ブント「革通派」結成の経過と謎
●第2章 それぞれの安保闘争
武井昭夫  「全学連」引き継ぎの頃を話そうか
小川 登  京都から見つめた60年安保とブント
古賀才子  59年お茶大ストとその後
・・・・・・・・・
小野正春  毎日がデモだった頃
山田恭暉  中途半端な燃焼!
向井拓治  「おめでとう」の言葉
藤原慶久  4・26 島さんの執念
●第3章 新しい闘いへの展望
古賀康正  わたしたち人間が生き延びる努力
葉山岳夫  9・11同時多発ゲリラ事件の衝撃
坂野潤治  いまよみがえる安保と戦争の問題
・・・・・・・
多田 靖  墓碑銘
—————
島成郎と60年安保の時代 2
60年安保とブント(共産主義者同盟)を読む
島成郎記念文集刊行会・編情況出版 【定価】本体2600円+税

151 :名無しさん@3周年:04/05/28 09:31

バスガイドなぐりましたが何か?

152 :名無しさん@3周年:04/05/28 11:03

全斗煥の時、東大の原理研の香具師の髪の毛引っ張って抜いた人よ。

お元気ですか?

153 :名無しさん@3周年:04/05/29 00:02

原理研といえば、最近余り聞かない気がするが、動いてんのかな?
日大銀ヘルの女性指導者は今なにやってるかしってる香具師はいないかい。

154 :名無しさん@3周年:04/05/29 00:26

銀ヘルのお姉ちゃんのことなら最近マル共で話題になってたね。
なぜか中核松尾氏のスレッドで。
あの銀ヘルの学生集会っていつ頃まで開催されてたの?

155 :名無しさん@3周年:04/05/29 00:40

スマソ。
アドレスをコピペお願いします。
80年初頭学生運動はこの銀ヘル支援で結構動いたよね。
M原が中心で活躍してた時期だったな。

156 :名無しさん@3周年:04/05/29 00:54

>>155
ドゾー
http://marukyo.cosm.co.jp/forum/index.cgi?id=7&stat
これの「松尾真の過去と今」っていうスレッドの途中から筑波・銀ヘルの話題がちょっとあります。
銀ヘルの人はセクト間の調整とか大変だったろうなぁ。
反憲学連も今は昔か。

157 :名無しさん@3周年:04/05/29 01:41

ありがとさん。
反憲学連が日大に登場した日、日大の学館上から牛乳瓶を持ち、対峙したのを覚えてる。
何で投げて粉砕しないか不思議だったが。

158 :名無しさん@3周年:04/05/29 15:31

三里塚以外で集会参加者がみんなメットっていう集会はほとんど無かったから
銀ヘル支援集会は萌えたよ。
色とりどりのメット数百の部隊が日大キャンパスからデモに出て行く様は結構壮観だった。
何故か中核は参加してなかったんだよなあ。

159 :オサダ@ブント専従:04/05/30 11:57

お前ら久しぶりだな!「冬のサナタ」にはまっている長田武くんの登場である。
俺は今、次の料理対決に向けてレシピを考えているところだ。
さらばじゃ!

160 :名無しさん@3周年:04/05/30 15:17

オサダさん、もう一つの戦旗スレにも登場してくれよw。

161 :名無しさん@3周年:04/05/30 17:12

いやいや長田の名前を語るブラックは止めようぜ。
あいつは確かK大だったと思うが、人生を賭けて未だ活動してるのには頭が下がる。
(今のブントが変わったとはいえ)

162 :名無しさん@3周年:04/05/30 17:40

おさだって「おおさかエコムーブ」のやつ?http://osakaecomove.net/
あれってブントなんだ。へえ。

163 :名無しさん@3周年:04/05/30 17:51

内容からそうだね。
オサダは茨城にいたと思ったが、関西か?でいま茨城は誰がやってんの?

164 :名無しさん@3周年:04/05/30 18:46

ブントの拠点ってどこにあるの?

埼玉・東京・茨城・神奈川・大阪ほかには?

165 :名無しさん@3周年:04/05/30 19:04

今のことは分らぬ

166 :名無しさん@3周年:04/05/30 19:37

ブントって粗以外の幹部ってのは80年代以降の活動家なの?
古い人は残ってないの?

167 :名無しさん@3周年:04/05/30 19:49

たのむから、ブントを名乗るのはやめてほしい。
いったいブントだったヤツが荒以外いるのか?
いまや主張もまるで違うのに。

168 :名無しさん@3周年:04/05/30 20:12

荒氏、長田氏、沢○氏...その他は?

169 :名無しさん@3周年:04/05/30 21:01

2次ブントというか70年代から活動している香具師はいるの?

170 :名無しさん@3周年:04/05/30 23:55

今の「ブント」のことは何とも思わないけどWPNに対する批判は共感できた。

171 :名無しさん@3周年:04/05/31 00:34

>>164

名古屋

172 :名無しさん@3周年:04/05/31 01:21

仙台にもあったよね。

173 :名無しさん@3周年:04/05/31 01:30

ふーん。昔東北に支部なんてあったっけ?

174 :名無しさん@3周年:04/05/31 21:06

仙台に確かにあった。
情宣で登場した日に、全員逮捕されたと思う。
そのとき部隊は三里塚現地闘争だった記憶が。

175 :オサダ@ブント専従:04/05/31 22:47

俺は慶応だが何か?
俺たちおおさかエロムーブが次の料理対決で発表するメニューが決まったぞ。
ファットマン五味のステーキと刺身の女体盛りだ!
女体盛りは当然、荒さんに喜んでいただくためだ。
ぶっちゃけ、食を通して文化を考えるなんてのはこじつけだ。悪いか?

176 :名無しさん@3周年:04/05/31 23:51

>>175
オサダ@ブント専従さん
悪いけど、そういうのはもうひとつのブントスレでやってくれよ。

177 :名無しさん@3周年:04/06/01 00:33

>>176
同意

178 :名無しさん@3周年:04/06/01 00:35

つーことはアレか。
パラチェン後も以前からあった支部をベースに地方組織を維持してるわけだ。

179 :名無しさん@3周年:04/06/01 00:43

マジに質問したいのだが、いいかな?
「聖戦」「ジハド」などという用語を使ってたことあったよね。
あれって、80年代だっけ?
オレ的には、80年が共産主義運動の国際的なターニングポイントになったって、
実感したんだ。イラン革命も光州蜂起も80年だったと思うが、
それ以前の革命は、基本的にマルクス主義が思想ベースにあったが、
この二つとも、基本的には非マルクス主義だったんで、驚いた。
特にイラン革命は、その端緒をフェーダインハルクなんかが切り開いたのに、
いつの間にか「イスラム革命」に化けちまった。
そのことの重要性を感じたのはその数年後だったが、ちょうどそのころに、
「戦旗」に「聖戦」とかの文字を発見して、「危機感ねーのかな?」って
感じた記憶があるんだが。
当人たちは、どんな感じで、イスラム革命(裏返しに言えば、共産主義の
衰退)を受け止めていたんでしょうかね。
ちなみに、オレは、12.18系のノンセクとです。

180 :名無しさん@3周年:04/06/01 00:47

>>179
コミンテルン第4回大会(1922年)でも「ジハード」が登場してますが…

181 :名無しさん@3周年:04/06/01 01:19

>>179
んー。イランに関しては当時イラン・イラク戦争について我々はイランを支持する立場に立つ、
みたいな論文を読んだ記憶がある程度。
一方光州蜂起については繰り返し繰り返しこの民衆蜂起に連帯し、学ぶということが意思統一された。
金大中氏(金泳三だったっけ?)の「民主化よ!民主化よ!民主化よ!」などがよく引用されてた。
当時の戦旗は帝国主義国同士の反革命同盟を第三世界人民の蜂起によって打ち破っていくという
情勢分析であり意思統一であった。
帝国主義国家の援助を受け延命している非民主国家の人民が圧政を打ち破るために立ち上がった時、
帝国主義国家内の人民は自国政府を打倒する闘いに決起することによりそれと連帯しようということ。
その第三世界人民決起のイデオロギーが何に依拠しているかはそれほど重要視されていなかった気がする。
オレ自身それについては特に疑問を感じなかった。
圧政に対する命がけの民衆蜂起に100%シンパシーを憶えただけだった。
でも20年前のことなので記憶も曖昧。
補足よろ。

183 :名無しさん@3周年:04/06/01 21:56

バカサヨっていうけど、基地外としかいいようがない。
地に足が着いておらず、空疎なことを言って自己満足しているだけならいいが、
テロまでカッコいいと思ってやるから許せない。
エリート意識が強く、変な理屈が好きで、学歴信者で、目立ちたがりのどうしようまない人間のクズ。
おまいらはそういう人間だ。逝ってよし。

184 :名無しさん@3周年:04/06/01 22:51

>>183
そう思ってパラチェンしてみますた。
ご迷惑をおかけいたしました。

185 :名無しさん@3周年:04/06/02 00:26

>>183
で、お宅は徹底的にサヨクに論破され粉々にされ、ぐうの音もも出なかったことを
この場で述べてるっていうわけか。
まー文章的にチュウボウと思うが。

186 :名無しさん@3周年:04/06/02 00:35

>>180
 ジハードが、80年代以降に顕著となったイスラム教が社会変革の
思想的軸となったことと無縁であるなら、当方の誤解というものだろう。
>>181
 サンクス。雰囲気はよくわかる。80年当時のオレの受け止め方も、
基本的には同じようなものだったから。ただ、イランでフェーダイン
なんかが弾圧されていく過程を見て、悔しくも感じた。
 70年代に戻れば、国内的には連赤や○核青戦争。国際的には中・ベト・
カン戦争という具合に、マルクス主義の権威の崩壊の10年だったのでは
という印象があり、その後現れたイスラムの台頭が、ある意味社会変革の
思想の核をマルクス主義からイスラム教にシフトしたのではと感じたわけだ。
 いろんなところで揶揄される「パラチェン」だが、オレ的には賛同はしかねるが、
旧態依然の思想にしがみつくよりは、ずっとましだと思ってきた。
 そのあたりとの関連で、ジハードの用語を使うことと、後のバラチェンとが
結びついていたのかという疑問があったからだ。

188 :名無しさん@3周年:04/06/02 05:26

光州蜂起のことを対象化する時、それがどのようなイデオロギーによって闘われているかということよりも
「自分も彼等のように闘えるだろうか?」という自問の方が大きかった。
鎮圧軍の銃剣で腹を刺される妊婦。正直読んでいてビビった。

189 :名無しさん@3周年:04/06/02 09:56

>>188
あの当時安保ー日韓体制打倒を前面に掲げてたしな。
隣の国で、同じ学生の身分でありながら、生死を賭して闘っていることに衝撃を受けた。
今でも覚えている手記の一文に「この闘いは最初から勝てる闘いではなかった。しかし闘いにたちあがるしかなかった」スマソウラ覚え。
これに感動した。人は金や名誉などの利己的な利害ではなく、社会のため自らを投じられることに感銘を受けた。
そしてこうした価値観を問うたブントに共鳴し結集したわけだ。
今じゃー年収1千万越えなきゃ生活楽に何ねーよなーぐらいの、俗物ですが。

191 :名無しさん@3周年:04/06/02 20:29

逮捕された時はまだ19歳で、少年房に入れられたな。同室のチンピラがここを出たら「組を訪ねてこいよ」って誘ってくれたけど・・・

192 :名無しさん@3周年:04/06/02 21:59

オレはサークルの一員としてデモ行進に参加してたら、先頭の旗竿集団が機動隊に
突っ込んで、そのあおりで逮捕されちまった。完黙なんてこと知らないから聞かれること
そのまましゃべってた。少年なんで鑑別所に送られそうになったが、バイト先の社長が
身元引受人になって釈放された。社長は地元の交通安全協会長で、警察に顔が利いたんだと。
オレも恩義を感じて結局、卒業間近までそこでバイトを続けた。

193 :名無しさん@3周年:04/06/02 22:02

長田ってSENKIではどういう地位にあるの?
本社じゃなくて大阪にいるということは低いの?それとも地方を任されるというのは高いの?

194 :名無しさん@3周年:04/06/02 22:02

>>191
やっちゃんには、一目置かれたな。
権力に媚びずに完全黙秘を貫くのは彼らにとって尊敬の対象だったような気がする。
留置場でも、便所掃除もやってくれてたし。

195 :名無しさん@3周年:04/06/02 22:05

>>192
当時の拠点大か?
うーん。懐かしいな。

196 :名無しさん@3周年:04/06/02 22:12

埼玉大学か?

197 :名無しさん@3周年:04/06/02 22:30

>>196
違うだろ。
これ以上は人物が特定される可能性があるので終了で。

198 :名無しさん@3周年:04/06/02 22:37

また
オマエか・・・

ケツがアカイぞ・・・

199 :名無しさん@3周年:04/06/02 22:58

>>198
だんだん虜になってきたな。

200 :名無しさん@3周年:04/06/02 23:11

まだブントロマンチシズムの酔いに浸っているのか、バカだな。

201 :名無しさん@3周年:04/06/02 23:12
いいじゃあないの、今は単なる善良な一市民なんだから

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