コメントしてたけど次は中曽根の番か。
違った意味で感慨が深いね。
ホントだ。
なんか時代の流れを感じるな。
常盤橋戦闘に参加した同志はなおさら感慨深いだろうね。
中曽根は元気だよなあ。権力への妄執は人を長生きさせるな。
しかし昭和の妖怪=岸を上回る平成の大妖怪にオオバケしそうな予感。
100まで生きるな奴は。「青雲の志」とやらを永遠にもち続けてる。
思想面ではそこいらの左翼より鉄壁のゴリゴリぶり。改憲だって影で仕掛けているし。
あん時もっときっちり〝ケジメ〟つけさせるべきだったか・・・
その程度で拷問か。俺のところには、風呂上がりにパンツ一枚でうろうろする女の子がいたぞ。
かわいかった。巨乳ではなかったけど。
あれは種保存のDNAが指令するんだるな。援農でくたくたに
なった時、よく「バテマラ」になった。山行中の早朝にもよくなった。
先輩がよく「青解や蜂起ではこんな話できないよ」って言ってた。
そうか?
所属地区によっても違うかも知れんが、俺の所はそうでもなかったな。
255は嘘っぽいな。そんな話聞いたことが無いぜ。
よくよく考えてみると書き込んでるのはみんな40半ばのオサーン連中な訳だから、なんとも・・・
若い時期の思い出はイカ臭い。
好きな子が隣で寝てるときに、こっそりオナニーした思い出はある。
研究室はほとんど男ばっかりだったが、同期に一人だけ美人でやさしいみんなのアイドルがいた。
田舎の県立高校出身の純朴な美人。
研究室の男はみんな彼女に童貞をささげた。
もしかして見つけて欲しかったとか(w
わくわくドキドキ体験みんなそれなりにやってんだなぁーー。
(藁)
俺は現行でいってた彼女を指でいかせた。スマソ。
彼女なので許してスマソ。
久々に会って燃え上がっちゃったな。
おひおひ。当時現行で彼女と一緒に来てた香具師って限られてるぞw
いやコソーリオナニーしてたからそれだけで済んだんだよ。
それに比べてインタ(ry
確かに。
中核派の内ゲバ路線に徹底的に反撃した四トロと、中核の顔色うかがってた
日向を一緒にしたらアカンわな。
このスレらしい話しに変えようぜ。
例えば、一時期、下層プロレタリアートに依拠すると言って、町工場なんかに
勤めたことないか。オレの先輩は大学中退なのに中卒で応募して零細工場に
勤めてた。昼休憩はいつも読書してるんで、変なヤツと言われてたそうだ。
オレはそのころ青果市場でバイトしてて、リンゴにワックス塗らされて、これは
資本主義の矛盾じゃないかと、真剣に悩んだ。
共産党がえらく強くていやんなっちゃったけど、我慢したw
俺は工場での流れ作業。
ほんとしんどかった。時間が気になって気になって仕方なかった。
留置場での拘束も時間が経つのが遅くて嫌になった。唯一の楽しみは飯だったな。
転向した今でもあの工場労働のしんどさは忘れられない。
理想に燃えてたからなぁ。今やれったってあほらしくてできんわ。
芯に思想があるなら死をも厭わない、なんて思ってたあの頃が懐かし。
今じゃーどちらかと言うと物質的豊かさの追求になっちゃってるな。
やっぱ、組合活動のノウハウがなかったから。
話は変わるけど、俺がガキの頃、オヤジが動労は各○だから・・と言ってたのを
覚えてる。俺が小学生ぐらいだからその当時からすでにと言う気がした。
大学でもそこの大学での「学生運動」を組織するという方針ではなかったな。
例えば学費闘争とかさ。
この辺は前スレでも散々指摘されてたけど、オル対を獲得する場くらいにしか
思ってなかったのかな?
大学に大衆的根城を作る方針は出なかった。
そん時はそれはそれでめんどくさくなくていいと思ったし、自分の決起で精一杯だった。
それに忙しくて学内経済闘争などしている暇もなく・・・
けれど、今考えるともったいなかったなぁ。自治会権力の一つや二つとってりゃ資金的にも
チトは楽だったろうに。そういうノウハウは若い党だったからなかったんだろうか。
指導部に聞きたい。いまさら聞きたいもないのだけどさw
そっちの方にエネルギー注ぎ込んでしまった。
組織化という点だけで見ればマルのもんか。
それは今か?昔は違うのかねえ?
おれは戦旗じゃ無いけど、その頃は反天連呼びかけの実行委員会でみなさんとごいっしょしてたよ。
あの「安保-日韓体制打倒」の青いゼッケンの赤ヘルの群れ、思い出すなぁ。
皇居前に糞尿まいた闘争とかさ。
あれは週刊誌にも大きく臭い闘争で取り上げられてたな。
ヒロヒトの大喪の礼反対集会の盛り上がりが、サヨの80年代のピークとも言える。
確かに懐かしい。
あの熱気はサヨ総体も含めどこに?
>チトは楽だったろうに。
あれほど伸びてたのに影響あった自治会、サークル団体、寮とかなかったのかよ。
70年代後半から80年代前半組が多いんじゃないか。レスの内容から推測するのに。
>>295
オレがいたサークルは先輩が次々といなくなり、オレと1年生2人だけが残った。
オレも組織から離れていったから、いつしか自然消滅。
こんなパターンって多いんじゃないか?
出会った。お互い別々のパーティー連れだったんで、詳しい話しもできず、電話番号
だけ聞いて分かれた。後日電話をかけたけど通じなかった。お互い、こけちゃった組
で、ヤツも気まずかったんかな・・・ オレはそんなに気にしてないんだが。
けど、酒でも飲めば花が咲き親密に。
変な心理だけど、わかるんだよなぁ・・・
本当はみんな同窓会もやって大宴会したいのさ。
けど現在の社会の表層では会いたくない。
転向者のジレンマ。
こけたって、戦旗の運動から離れただけで、べつに保守派になった
わけではないでしょ。(そういう人もいるだろうけど)
真の転向者とは日向尊師のことだと思われ。
そういう話をしたいわけじゃないんですが。
ここはパラチェン後の日向の路線を論議するのに適当な場とも思えないし。
そのとおり。ボクこけちゃいました、アハハって感じで。
でも、山の中でばったり出会えば、複雑な心境にもなるわな。
かつての軍事訓練ならいざ知らず、お互い遊びの世界での再会だもんね。
最初ははにかむだろうけど、酔いが回れば昔話に花が咲く事請け合いだな。
いきおい第四次ブントでもできたりしてな。40過ぎの中年ブント同窓会派w
それは笑える。
だがお互い家族のある身。
酒を飲み語り合うぐらいかな。
以前だったら、観念サヨとして断罪されてた身。
無党派、一人一党のつもりで、動けるときだけ動くのが気楽でいいよ
幸い若い頃は転勤で地方を転々とすることが多く、戦旗や新左翼のビラや機関紙を
目にすることも無かったし、情宣に会うこともなかったので昔のことを封印することは
なんとか可能だった。
しかし組織に残った昔の仲間は皆オレの弱さを笑い、蔑み、オレと彼等の命ある限り
オレは一生彼等の目をまともに見れないと自分を卑下し続けていた。
後ろめたさに変わりは無いけれどもこのスレを読んでいるとちょっと救われる。
自分に言い訳するわけじゃあないけど(まあ言い訳か)戦旗に関わったのべ人数のうち
恐らくそのほとんどはコケており、年がら年中「決戦中」の新左翼の組織からコケることは
恐らくどのタイミングでコケても「○○決戦からの逃亡」になってしまうのだ。
考えてみればオレの活動中にもコケた人はたくさんいた。
アジトに置手紙だけ残して忽然と姿を消した人。
三里塚の現行で、普段は勇ましい決意表明をしながらも夜中酔っ払って
「オレは...オレは...何やってんだよぉ!こんなところでよぉ!仕事も辞めてよぉ!」
と暴れだしたヤツ。そして彼を正視できなかったオレ。
ここを読んでいる現役の人達は笑うかもしれないけど、
ここに集う人達は皆かつて理想に燃えながらも苦悩し続けた優しい人達に違いないと
信じているよ。
いつだって原則論しか言わなかったお前よ。
お前が作る世の中なんかにオレは住みたくないぜ。
「心の重荷」とか「後ろめたさ」っていうのは、なんか理解できないな。
>>306 さんはいい人だよ。
マジメに自分の頭でモノ考える人間だったら、いずれは離脱する運命に在ったのさ。
気にせずまた運動に戻ってこい。時代は大きく動こうとしているぞ。
現役の方ですか?どこの戦列へ戻れと??
が、どの集会、どの行動に参加したらいいか考え込む。まさか社共というわけにもいくまい。
ブント系はなんとなく気が進まない(もち古巣はあの通りだし・・)
あの〝統一委員会〟か。いつどこで何してるかわからんし。
中核か・・・インターか・・・。問題はそこなんだよ。
それと、今では全国バラバラになって、どこで何してんだかわからんけど、その昔苦労した
仲間と一杯やりたいなあという気持ち、あるな。
インター系の大学単位の同窓会だろうけど・・・
かといって、ここまではできんよなぁ。
羨ましさはある、正直。
やっぱり、苦労を共にした同志だもんな。
気持ちは未だ若く、頭はすでに白くだけどな。
したような記憶があるが。宮下公園あたりだったかな・・・ よく覚えてないが。
参加112名と言うのはすごくないか。
アルバムの中にある「ミニデモ」にワラタ
労活って、労活評のこと?。
三里塚では小屋のご近所だった記憶がある。
まぁ、80年のそのまた10年前の世代だけどさ。
いつのまにか民青系全学連だっちゃ・・・ガクッ・・
自治会、サークル、寮などに根ざした闘いはむしろ中核とかの方が熱心だったんじゃない?
学生はしょせん労働者の予備軍。
学生活動家だったオレの印象はそんな感じ。
学籍者メンバーがたくさんいた大学のメンバーはそうでもなかったんだろうけど。
考えると楽しそうだけど、ここで昔の仲間とこんな風に話が出来るなんて
思ってもいなかったのでそれだけで充分楽しいよ。
みんなありがとうなどと2ちゃんでちょっとまじめに語るオレよ痛し。
若干年齢のずれはあるよな。
でも大体、30代後半から40代前半層が一番多いんじゃーないかな。
ちなみに俺は後者だが。
30歳前後の頃は多分できなかったと思う。
色々な思いがリアルすぎて。
> 30歳前後の頃は多分できなかったと思う。
> 色々な思いがリアルすぎて。
激しく同意いたしますです。
時間がかかるよね・・・。
どちらが深いとかは無しで。
時期等、その年代によって「こけた」時のの思いはさまざまでは。
オレは70年代後半から80年代初めあたりだから、もう「傷」なんて感覚はないな。
いろいろあったけど、いい体験だったし、今の生き方の肥やしにはなってると思っているが。
けど、今となっては後悔している部分もないとは言えない。みんな大学卒業したのか?
中退はやっぱり活動が原因?
オレは要領よく卒業だけはしたけど。
(オレはその人を尊敬してた)に、ズルズルとせず、きちんとけじめをつけて
卒業しとけよ、と言われて改めて単位を取り、卒業した。
その人はガンで死んじゃったけど・・・
ふーん…そんなことを言ってくれた人がいたんだね。
どっちかって言うと大学をきちんと卒業したいなんていうのは小ブル的発想って感じで
批判対象だったような気がしたんだけどな。
341さんにそれを言ってくれた人がメンバーなのかどうか上の書き込みだけでは
わからないけど、人生には往々にしてターニングポイントに助言してくれる人が
現れるということを実感する40歳です。
引き続きがむばってください
金取られるんですか?
泣いたよ。傑作とは聞いてたけどさ。
思えばオレ達ちょっと「懐かし病」にかかってたのかもしれないな。
でもまあオレ達ももう40歳だ。
仕事も忙しいし、子育ても大変だ。
ちょっとくらい昔のあの頃のことを思い出したっていいだろ?
つまらない利害関係や打算とは無関係に情熱を傾けていた時代が確実にあったんだ。
最近鏡に映った中年顔の自をマジマジと見てこう思うよ
「あの頃のオレは本当にオレだったのか?」と。
みんなあの頃自分が40歳になるなんて想像したか?
あの頃自分が40歳になった時のことが全く別世界のことのようにリアルに感じられなかったのと
同じように、オレは今20年前の自分をリアルには思い出せない。
だからこのスレはとても貴重だ。
這いずり回るようなあの日々も間違いなくオレの青春の日々だったことを思い出せる。
しかし一方でだ。
オレ達の感傷とは無関係に世界は動いている。
オレはもう一回始めたぜ。
どっかの隊列でまた会おうよ。昔の愛すべき仲間達よ。
革命党派というのは、情勢分析が主観的になりやすい。
「決戦」という用語をやたら使いたがるのもそれ。活動家を奮い立たせるという意味もあるのだろうが、長期的に見れば消耗させるだけ。
革マルは嫌いだが、革マルの労働戦線が「決戦」をもてあそばす、長期的な組織建設を行ってきたことは正しかっただろう。
ただそれが行き過ぎた結果として、本物の決戦(中曽根時代の分割民営化)からも逃亡してしまったわけだが。
主観的な情勢分析をやめて、「本物の決戦へ向けて力をたくわえる。そのために学習を重視し、革命家として末永く活動できるようにする」といった方針が必要だと思う。
活動のために仕事を辞めさせるなどあってはならない。(重要産業に再配置するためとか、専従として指導部に入るというのなら良いが)
三里塚闘争というような、階級闘争にとってあまり異議のない急進主義的運動のために全国動員した新左翼はそこのところが根本的に誤っていた。
とうとうやったか。
ちなみに新サヨ系か、市民系か。
よろしかったら教えてくれ。
この時期に激しい活動で消耗し、活動をやめてしまっては意味がない。
日共民青のように、「ちゃんと卒業し、就職する」という方針を採るべきだろう。
私の知っているある革マル活動家は、新聞社に就職した。(就職後も活動しているかどうかはわからないが。)
新左翼諸党派が、大学では影響力があっても、労働運動などでは日共や革マルに勝てなかったのは、学生時代に消耗してやめてしまうという愚行を繰り返していたからであろう。
岡崎次郎は法政の教授だったが、学内の闘争にはまったく共感を示していない。
学内の混乱に対して、「さっさと警察を導入せよ」との立場だった。
中核派の学生に対して、革命は児戯ではなく、大学の中でできるようなものではないことを諭した話がでてくる。
岡崎次郎はあまりにも学生運動を軽視しすぎてはいるだろうが、彼のような先輩知識人から学生活動家は学ぶことができなかったのか。
仕事を辞めるというような重大な決断は、革命情勢が到来した時以外はすべきではないだろう。
あくまで、息の長い活動家人生を送るために、長期的組織建設路線を取るべきだ。
しかしあえていいたい。三里塚闘争は左翼にとって消耗であったと。
労働者が武装していない段階で、ちゃちな「実力闘争」で国家権力に勝てるわけがない。
全国から多くの活動家を三里塚に動員して、得たものは消耗だけだっただろう。
階級闘争の観点から見れば、空港労働者を組織することが必要であって、空港阻止など何の意義もなかったであろう。
このような運動に貴重な革命的青年を浪費するようなことは、二度とあってはならない。
してきた者として、そしてあの80年代の一時に青春を賭けた者として少しだけ言わせて戴きたい。
組織を維持していく、労働者本体の組織を充実させるために労働組合の中に入り、ヘゲモニーをとっていくとい
というような方向は異論がないし、あの当事の反省点だったかもしれない。しかしながら、だから戦闘的大衆運動
はほどほどに、まして武装的な戦いはいわんやおやというのは少し言いすぎのような気がします。
それでは組織を拡大した暁に、社民か共産に一票投じよう、議会で多数派をとり世の中を変えよう、という議会主義
に行き着くことになるのではないかしら。戦後の新左翼はその否定から始まったはずです。
革マル派の〝組織〟といいますが、現状はどうなんでしょうか?私は実情を知りません。組織重視といったってせいぜ
い中核派と一緒かしれ以下の規模でしかないような気がします。そんな組織重視だけを掲げた党派の陥ったもう一つの
陥穽は何か?権力当局とは戦わない、戦えない、しかし他派は解体する、結果として階級闘争の桎梏としての存在にしか
なってこなかった感じがします。そんな組織はスワ革命というその時にいったいどんな役割をするのか。
武器を持って血で血を洗う熾烈な対権力戦、民間反革命との内戦を見据えられるのでしょうか。
私は一揆主義的な武装闘争はあまり意味がないと思います。しかし大衆運動を戦闘的に導く事、時には街頭で機動隊と
ぶつかったりすることは大切だと今でも思う。一種の教育の場でもある。それに決定的なところで逃げずに、徹底して
戦うことは人民の信頼をうることにもなろう。さんざん煽るだけあおり逃げるのは一気に信頼を無くす。
党建設の戦いというものと戦闘的大衆闘争のバランスの問題である。無意味に武装化するのではなく、また
水ぶくれに組織建設だけに埋没するのでもなく、その調和を目指すべきだと思います。
オレは三里塚闘争に関しては一定の勝利を収めたんじゃないかと思ってる。
*国の当初想定した空港は未だに完全には完成していないこと。
*国の当初の思惑よりも開港をはるかに遅らせ、それに伴い膨大な手間をかけさせた。
この二点は社共式の平和的反対運動では成し得なかったんじゃないか?
さっさと予定通りの滑走路を建設されてハイお終いだったと思うよ。
実力闘争を貫いたが故達成された勝利だ。
そして何よりも(そのような初歩的な武器であれ)人民が武装して、国と真正面から対峙したことにより
権力の心胆寒からしめ、人民の側も「やれば勝てる」という確信を実際的な感覚として
持てたというのが大きいんじゃないかと思う。
国のやることに唯々諾々と従う国民ばかりじゃないんだ、
そしてそれは自分や相手の命すら奪うことも躊躇しない闘いなんだということを身をもって示した
この闘争に権力は心底恐怖したに違いないよ。
オレ個人で言えば、この闘争が階級闘争として位置付くかどうかなんて考えたこともなかったよ。
権力と人民の利害は絶対に一致することがなく、それが剥き出しになればこういう闘いにならざるを得ないということを
あの場所にちょっとでも滞在したことがある人間なら空気として感じ取ることが出来たはずだ。
それは革命家にとっては大事なことじゃないのかな?
>>351さんの論法に従えば、>>351さん自らも論証しているように現状革命勢力は全ての決戦から
召還しなくてはならなくなる。「まだその時期ではないし、その力量もない」ということで。
中核の革マル批判じゃないけどそれは「革命の彼岸化」じゃあないのかな?
革マルはそれにプラスして「他党派解体」が党是だから憎まれるわけだが...。
御用組合以上に使い勝手がよかったりしてね。換骨奪胎どころか。
いかなる迫害にも あくまで屈せず
われらは若き兵士 プロレタリアの
2.固き敵の守りよ 身もて打ち砕け
血潮に赤く輝く 旗を我が前に
われらは若き兵士 プロレタリアの
3.朝焼けの空仰げ 勝利近づけり
搾取なき自由の国 闘いとらん
われらは若き兵士 プロレタリアの
思い出したかい 同志諸君
ノスタルジアだが、この歌を初めて歌ったのは、やはり三里塚だった。
集会はいつも雨に打たれていた気がする。
赤ヘルの同志が肩を組み合い体を揺らしながら歌った記憶は今も忘れない。
革マル派、自画自賛に必死でつね。
さすが他派批判だけは一流のカルト・グループ。
そもそも思いで語りのスレなのに、組織論、運動論持ち出すところ、
何か妖しさが漂っていました。けど、そういうのも中にはいるかと、
無視していたけれど。w
>赤ヘルの同志が肩を組み合い体を揺らしながら歌った記憶は今も忘れない。
オレも初めて集会に参加して、機動隊にこずかれ、あれこれやりあった後、
皆で肩を組み合いインターナショナル歌ったの思い出した。あんときはなぜか
涙がでてしまった。
ベビーユーザの意見が聞きたいです。
一覧にして、コメントがあれば助かります。
最後の方は惰性で歌ってた気がするな。
ああ、やっと終わった。マジックマンドクサ(‘A`)とか。ごめんなさい。
だから80年代を語るスレ。
インターナショナルを流してたよな。
どこの党派でもこれ歌ってたんじゃないか。違うかな・・・
おお、甦ってきたぞ・・・
起てうえたる者よ 今ぞ日は近し
さめよ我がはらから 暁は来ぬ
暴虐の鎖たつ日 旗は血に燃えて
海をへだてつ我等 かいな結びゆく
いざ戦わんいざ ふるい起ていざ
あゝインターナショナル 我等がもの
いざ戦わんいざ ふるい起ていざ
あゝインターナショナル 我等がもの
革命の阻害は無くなると語ってたよな。
ところが数年していつの間にか主義は過ちと語り始め、組織形態はそのままで
NPOだと叫びはじめる。
粗の宗派といわれてもしかたないか。
しかも転向の理論的内容はお寒いばかり。
環境革命を主張するならそれはそれでいいが、組織形態を維持する意味はどこにあるのか。
こうなる前の輝かしいブントの80年代を思い出がたるスレットなり。
頼む、今を語らんでくれ・・・・
ここは同窓会的スレなんよ。猛省です。
こうやって昔の思い出話しも出来るのかも
自分が元中核で、今中核派がワールドアクションなんかで地道に若者集めて
大衆運動展開してるの見たら身の縮む思いがするかも....。
自己批判しろなんて言われないしな。
主義捨てたわけだから、立場はいまや同じだし。
それに今の主義者には昔は語れないだろうしな。
おれは元中核だが、数学の勉強に没入している。
地方の話だが・・
どこの党派であれ止めたらただの人。
好きな事、没入できることに熱中すればよし。
傷跡深く、精神的に参るよりずーっと健全だ。
その後、80年代に入ると文学部はすっかり堕落し、経済学部はシラケまくり、法学部は反動化する
一方だった。教育学部はいつも民青の溜まり場で。逆に、理学部や工学部、農学部など理科系が多くなる。
なぜだろうか。バブルとかに踊らない真面目な学生が多かったためだろうか。
かのスーフリは確かに文系学生ばっかだったような。文系の奮起を!!
スーフリは確かに文系多かったが東大農学部もいたぞ。
ま、それはともかく、最近は社会学なんかで差別やらジェンダーやらやって問題意識持ってる女子学生がけっこういたりする。
学生運動はやらないが、戦後補償の集会なんかで「あれ、あの子じゃん。政治に関心あったのか?」なんてのが何度かあった。
しかしそんな若者を受け止められる「受け皿」が存在しないだけなのだ。
情報過多な現代、彼らには既存党派のドキュソっぷりも全部見えてしまっていて、
「こんな連中とは付き合ってられないぜ・・・」と思われているだけなのだ。
一見もっともらしい提案だけれど、その先も語ってくれないと意味が半減かと。
語れないならもっともらしいことを言うのは控えたほうがよろしいと思います。
単なる批判、非難にしか聞こえませんので。
あーあ、彼らが批判しているブッシュとレヴェルが変わらないねえ。
難民が押し寄せてくるだとか、核兵器が飛んでくるだとか…。
最近はアジアと連帯だとか言ってるけど、これでは無理。
数学は理系ではない。
むしろ哲学に近い分野である。
わかるよ数字の哲学は。
けどやっぱり」数学は理科系だよ。
すべての理系の基礎。
文学部哲学→理学部数学科は絶望的でしょに。
多分、ゼロとは何?とか1+1はなんで2なんだとか
逝ってる香具師は理学部数学科には逝かんよ。
学部なんて関係なかったな。
それよりも他党派の影響力が強くない大学は軒並み情宣に出かけたので他人の大学には詳しくなった。
今仕事で誰かが「私○○大出身で」とかいう話になると「ああ○○駅の近所ですよね」とか言ってしまって
「詳しいですね」とか不思議そうな顔されたりするよw
わかる、わかる。
で、当然中退だよね。俺も。
オレは接客業なので、あの頃の情宣→署名をしてもらう→喫茶店まで連れて行く
→地区の前段集会に連れて行く→全国闘争に連れて行く→組織に結集させる...
という日々の繰り返しが確実に役に立っている。
「普通の市民」を「過激派の集会」に連れて行くことを思えば、自社製品を買わせることなど屁でもないよ。
新入社員の研修の時にすでにそう思った。「なんだ楽勝じゃん」と。
反面他党派や市民団体との折衝などは全く経験せずに終わったので、今他社との交渉などは
ちょっと苦手...。
その辺りが役に立ってるって人いる??
遅レスでスマソ。
>ちなみに新サヨ系か、市民系か。
>よろしかったら教えてくれ。
んー。まあ市民系になるのかなあ?
あんまり詳しくは書けないけど、その辺は察してくだされ。
もちろん昔のことは全く話してないw
まあ思うところ色々。
「変わったなあ」というところと「変わってないなあ」というところ両方ね。
了解。
やっぱすごいよな。
俺なんか最近の世相がどんどん右傾化するなか、(俺の妻方の両親も典型的な
自民支持だし)極力テレビニュースは見ないようにしている。見ると滅入るから。
頑張ってくれ。力になれることがあれば力になりたい。(カンパは小額で)
そうだなー。
組織内(職場での)の意思統一では、力を発揮してるな。
組織作り(会社づくり)は人づくりであることにはかわりがないしな。
下向的分析、上向的総合の考え方は、管理職になった今でも問題解決の方法として
重宝している。
あれ経験してればどんな営業も屁でもない。富士山幹部養成なんとやらなぞ児戯に等しい。
あの頃のみんな、事業起こせばきょうび成功しないはずはない。がんばろう。
AIコースケと議論しよう!
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