「小説三里塚」第九章 仄々(前編)

投稿者:草加 耕助

戸村一作:著『小説三里塚』(目次へもどる

第63話 身売りする平和塔

三里塚_突然の自宅強制収容に全身で抵抗する大木よねばあちゃん
機動隊による自宅破壊に全身で抗う故大木よねさん(1971/09/20)

 田んぼを下に見下ろして岩山部落の丘の土に立つと、真前には天浪の方まで続く空港敷地が一望のうちに見渡せた。
 九月一六日から三日間にわたる第二次強制代執行の終わった敷地内には、戦闘の余韻を残して、その痕跡がありありと見られた。

 田んぼ一つへだてた目前には、桜台の平和塔がポツネンと取り残されていた。塔はどんづまりで土鰻頭のような格好で、いかにもグロテスクに見えた。見渡すと反対同盟の拠点という拠点は洗いざらい破壊されていた。一九日には残された香取の大木よねの家と田畑も収容された。平和塔も同じに強制代執行の対象物件でありながらも、なぜか一つのみ取り除かれて安泰を保っていた。そして、公団はついに一期工区内代執行は終わったと発表した。

 平和塔の見える丘の上には、五、六人の人影が夕陽を逆光にして、影絵のように動いているのが見えた。彼等は岩山部落で反対同盟の農民だった。駒井野での、鉄塔が倒され、学生が重傷、東峰十字路では警官三名が死んだ代執行のことを語り合っているところだった。
「それにしても不思議だよな」
 と、一人が真前の平和塔を指さした。見ると白亜の平和塔が夕陽を浴びて、あたかも激戦の返り血を浴びて血塗られたかのように見えた。
「うん、平和塔だけが一つポッツリ残ったよな」
「東藤はよ、代執行前から知事と公団のとこさお百度参りしていただとよ。日共と東藤が手を組んでよ、取引して七〇〇万をその一〇倍の補償に漕ぎつけたとかってよ」
「ほう、東藤のやりかねねえこっだよ」
「あれはペテン師だよ。武治さんの寿命縮めたのもよ、一つは東藤のためだど……」
「うん、そうだよ。それにしても、東藤はゴルフ場跡に代替地もらってよ、今度、冷暖房防音装置のもっとでっけえ平和塔を新築するってよ、アハハ……」
「あの四〇〇〇メートルの直下にか……。なるほど、代執行やんねえわけだよな」
 農民たちの頓狂で屈託のない高笑いが、遠くの森にこだまして響いて、赤い夕陽が松林の梢に落ちていくところだった。

ポツンと残る旧「平和塔」遠景

 平和塔とともに一期工区内で代執行をはぶかれたものが、他に二件あった。
 それは南端の平和塔と、北端の駒井野砦の傍にある条件派の藤崎恒治の宅地と、家屋、畑、それに天浪の共同墓地だった。すべて平和塔とともに早晩、陥落する見通しがついていたからであろう。

 数日たつと平和塔を囲んで、丸太の足場が高く組まれた。その翌日には黄色いキャンバスで平和塔は覆われ、姿を隠した。見えないその中から団扇太鼓に読経の声が流れてきた。戸田が隙間から中を覗くと、東藤と尼僧を交えた数人の者が、平和塔に向かって、一心不乱に「南無妙法蓮華経」を唱えているのが見えた。南無妙法蓮華経の「法」に妙なアクセントがつくので、おもしろおかしかった。
 間もなく、天浪方向から資材道路を桜台に向って重機が搬送されるのが見えた。黄色いヘルメットを被った公団作業員の一隊が続く。やがて、平和塔の破壊が始まった。
「平和塔はもったいない、仏様のお体だ。その解体を他人に見せてはならぬ」と、東藤は公団に申し入れ、キャンバスを用意させて、平和塔を包ませた。そして自分が見守る中で、壊させようという計画である。

 東藤が初めて戸田を訪ねた時、平和塔の建設とその目的は、「飛行機を飛ばさない」ためのものだと語ったはずだった。それが公団との談合の結果、ついに東藤は平和塔を公団に身売りしたのだ。東藤は平和塔を私有物化し、農民を裏切るぱかりか、己れをも裏切った。
 尼僧を従えた東藤は一段と声を張り上げ、素肌の片腕を動かして太鼓を打ち鳴らしながら、「南無妙法蓮華経」と唱え続けていた。彼の頭に陽が輝いた。東藤は今何を考え、何をなそうとしているのだろうか。彼はかつて戸田や武治にいった自らの言葉は、とうに忘れ去ってしまったのだろうか。
 続経の声を掻き消すかのように、破壊作業が一段と激しさ加えていった。激しい打音が響いて、コンクリートの崩れ落ちる音響が絶え間なく聞こえてくる。この情景は数日前の代執行に見たものとは、全く対照的なものだった。
 農民を踏み台に犠牲に供しても、自分だけが生き延ぴようとすることが、平和運動というのだろうか。戸田は目前に一慕の悲喜劇を見せつけられる思いだった。
 東藤は「仏様の体は丁重に葬ってくれ」と公団に歎願し、現場の土中に塔の解体物を埋没してもらった。これで仏様も極楽往生というのであろう。これは東藤が平和塔仏滅の日を記念した最大の行事であり、供養だった。

 しばらくして、桜台のゴルフ場跡地にはミニ平和塔が、白い姿を現わした。それは前身の平和塔の一〇分の一に縮められていて、塔の模型のように見えた。
 傍には一本の角材の杭が立った。
 筆蹟から見ると、東藤が書いたものだろう。礼々しく筆太に書かれた墨字を見て、戸田は唖然とした。
「南無妙法蓮華経・新東京国際平和空港・天人充天上……」
 東藤は当初、安保体制下の三里塚空港に軍事的性格のあることを指摘し、軍事空港として三里塚空港から飛び立つ一番機は「コンコルド」だと、未来を示唆した。三里塚空港の軍事的性格を指摘し絶対反対したものが、一八○度の貌変をして「平和空港」だといい出したのだ。そればかりか空港公団のお先棒の担き手になり変わったのである。

 農民の奉仕によって建てられた平和塔も、ついに東藤の手によって公団に売り飛ばされ、その姿は土中に埋没し去った。彼はその多額な補償金をどのように始末したかも明らかにしないまま、三里塚から姿を消し去った。
 麻生、岩沢ら奉賛会の六人の農民は、岩山から一〇キロばかり離れた印旛沼干拓地に集団移転していくことに決まった。軍事空港絶対反対から始まった平和塔も、平和空港を祈願して条件派に変貌した。農民を食い物にし、補償金を目当にした平和塔は空港の外れに醜状を曝している。

注)平和塔奉賛会と共産党側の言い分
こちらで読めます。共産党系の人々は、反対同盟に対抗して「三里塚空港から郷土とくらしを守る会」という名称の条件派団体を結成し、空港公団(現・成田空港会社)に「要望」を伝えるという活動を細々と継続しておられましたが、その後、反対派のイメージが強い「三里塚」という名称もおろして「成田空港から郷土とくらしを守る会」を名乗ります。今も時々数名で各種の「要望」や「見学」「傍聴」などしておられるようです。
同会のWebサイトで、この小説にもしばしば登場する「千葉大の民青」から共産党の代議士になったと思われる議員さんの国会質問が掲載されています。その内容を読んで、本当に失礼で申し訳ないのですが、やはり失笑してしまいます。

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