戸村一作:著『小説三里塚』(目次へもどる)
第70話 模索(1)
空港予定地内外の団結小屋には、そこに出入りする学生、労働者らも目立つが、そればかりでなく、地元の青年が昼休みのひと時や、秋の夜長を利用して、学生たちと討論する場ともなり、青年の溜り場の役割を果した。
ある秋も深い夜――戸田は天神峯の小屋を訪れた。すると東峰の木原弘がきていて、炬燵を囲んで盛んに話し合っているところだった。聞けば木原は二晩通い続けてきているとのことである。畑にすだく虫の音を聞きながら、秋の夜長を語り明かす楽しさも、団結小屋ならではの味である。傍の団結街道も人跡絶えて、すだく虫の音のみ賑やかだ。
「革命、革命っていったってよ、それをどう実践するかが問題だ」
さっきから木原は小屋のキャップ瀧野三郎の繰り返す「革命」に、抵抗を感じて仕方なかった。瀧野も木原にそれらしいものを感じとり、互いに論点を噛み合わせようと努力はしているものの、二人の討論はちぐはぐなものとなって噛み合わなかった。
いわゆる「革命」をどう実現するかが、討論の中心課題であるらしく、それに焦点を絞ろうとしているのだが、農民としての木原と、左翼学生運動家の瀧野の間では、闘いは一つにしていても何か実践面での齟齬があるらしかった。いわゆる学生運動と農民運動とのくい違いとでもいうか、それが元で二晩がかりの討論も、結論が出ないのだ。
結局これは理論と実践の問題であり、理論家の瀧野と実践家の木原の主張のくい違いが、討論に齟齬をもたらしている原因であろう。
「つまり、理論が飛躍して実践が伴わなければ、革命は従いてこないからな……。この点、学生運動、農民運動を問わず、大衆運動としての困難があると思うよ。元来、理論と突践は表裏一体、一つのものだからな」と、戸田が口を挾んだ。すると瀧野は戸田を見つめていった。
「だからわれわれ全学連は羽田、佐世保、王子、新宿と戦闘的に闘い抜いて、三里塚に来たのです」
「そうです。その点、現闘本部全学連の実践的行動カは、三里塚闘争の一つのホープだよ」
と、戸田がいうと瀧野は、「委員長にそういわれると、どうもな……」といって、はにかみながら頭を掻いた。
すると木原が、一歩切り込むようにして瀧野にいった。
「それはそうだが、それをどう三里塚の農民の中に、運動として持ち込めるか問題だよ」
「僕らは農民とともに闘うことによって、大衆を煽動し、蜂起させ、日帝打倒、革命にまで導くことができると考える。すでに日帝は崩壌寸前にいる」
「しかし俺らみたいに畑をやり、牛を飼い、その上、空港阻止の闘いをやる百姓にとってはよ、その話には何か一つ足らないものがあると思うのさ。その『革命』が実現するまでにはよ、百姓が日本に一人もいなくなっちゃうような気がして……」
瀧野は黙って、木原に頷いた。
つまり、瀧野の革命論に対する木原の問題提起は、三里塚闘争の中の農業・農民問題であった。
「三里塚闘争にとっての農業問題は、実カ闘争を阻む無縁なものとする見解もある。その人にいわせると三里塚闘争は農民運動ではないというのだね」
「へえー、そんなことをいう奴がいるのかな」と、木原は不審そうに首をかしげて、戸田を見た。
「いや、いるんだよ、木原君それも農民運動家と称するもので……。彼は三里塚闘争は一般住民運動だから、地域エゴに徹し、空港阻止の闘いを続けるだけで十分だというのだよ」
戸田がいうと、瀧野は「うーん」と捻ってから徐々にいった。
「やはり実力闘争の場合、直接、農業問題に入ってしまうと、そういう傾向もなきにしもあらずだが、地域エゴはどこかで脱却しないと階級闘争にはならんでしょうね」
「そうです。問題は三里塚闘争をいかに権力問題化できるかが重大であって、われわれの農業問題は生産性や技術面に止まるものであってはならないと思うよ」
と、いう戸田の言葉に木原は頷いて、「そこが問題点だ」といった。そして、木原はシルクコンビナートで辛酸を甞め尽くした上に、空港問題に遭遇し、今は農民切り捨ての農業問題で苦しんでいるという体験談を、切々と話すのだった。
そうした木原にとって単なる「革命論」は、どうも腑に落ちなかったらしい。木原が今、三里塚闘争の中で切実に求めて止まないものは、「農民が農民として生きるには、どうしたらいいか」という、土着性の問題だったのだ。
「革命が単なる理論闘争や戦術論だけで実現できるものでないことは誰でも知っている。あくまでも人民大衆の生活に根ざし、土着したものでないと、絵空事に終わってしまう危険性があるな。その意味での三里塚闘争に、農業問題の提起は適切だよ」と、戸田がいった時、ちょうど時計が十一時を打った。それでも話は尽きそうもなかった。
戸田が絶えず考え続けてきたものが、農民―農業問題だった。これに取組めなくては三里塚闘争はもちろん、日本の階級闘争そのものがありえないと思っていた。だから木原のいった、「革命が実現するまでには、百姓が日本に一人もいなくなる」という言葉は、意味深長だった。
戸田は傍の木原を見た。すると、居眠りをしかけていた木原が、戸田の視線を感じたか、急に背を起こし眼をカッと見開いて、「三里塚闘争もこれからだな、委員長」といった。
「うむ、たしかにこれからだ」
「とにかく、条件派ばかりか同盟からだって脱落者が出て、農地を売る。――一坪たりとも……と頑張ってみても、所詮は売らざるをえない境地に追いつめられていくというのが、今の農民ではないだろうか」
と、いった木原は、眠気などどこへやらといった表情に変わっていた。
「それは、まるで蟻地獄のように……」
と、瀧野がいった時、サイレンの微かな音が、十余三方向から伝わってきた。サイレンというと無意識に、機動隊を連想する。ハッとして耳を澄ませばたちまちそれが近づき、小屋の傍を疾走して過ぎていった。
――救急車だ。ちょうど戸田がそういい終わった時、副委員長の石橋庫三家の鶏舎で、一番鶏が長く尾を引いて鳴いていたことに気がついた。
「また出稼き農民の事故か。この間も東北から来ていた農民が死んだよ」と、木原が暗い表情でいった。この頃、工事現場では、出稼ぎ労働者の人身事故が頻発していた。
「蟻地獄とは瀧野君、適切な表現だ。まるで砂糖のかたまりに蟻が群がり集まるように……。そしてそれが農民の生命とりとなる。誰も好き好んで千葉県くんだりまで出稼ぎに来る者はないはずだよ。これは他人ごとではない。ここに三里塚闘争の避けがたい農民・農業問題がある……」と、戸田はいった。
「うむ!日帝の仕かけた落とし穴だ!罠だ!やはり革命に通じるな……」と、いった瀧野の眼光は異様に輝いて見えた。
「もちろん、革命に通じることだ――が、しかしさっき木原君のいった革命が実現するまでには、日本の農民がいなくなるという言葉は、意味深長だよ。……反対同盟だってここで脱落者を、もう出さないという限界点はどこにも見当たらないからな……」戸田の言葉に対して、木原も瀧野も頭を臥せて黙った。
しばらくして再び戸田はいった。「同盟は過去に一連の脱落者を出しておきながら、未だに総括されていないものが、この問題だ。これは今後の三里塚闘争にとっての重大問題だよ。今までの脱落者の心境からみると、――もちろん、それは権力の誘惑もあるが、それ以前に同盟に対する不信感だ。そこに脱落の兆しがあるらしい。この不信感を除き、農民が農民として闘える基盤を作るにはどうしたらいいかが、今の同盟に課せられた不可欠の課題ではなかろうか」
戸田がいうと木原は意気込んで、同盟内でも共同出荷、共同作業、微生物の媒体による有機質肥料の研究と、それによる無公害野菜の栽培と産地直送などと、いろいろ新しい動きを見せてきたことを、こと細かに指摘した。すると戸田はこれに忌憚のない見解を披露した。
「うむ、それは闘いの必然だ。しかし、それが部分的でなく、同盟総体、つまり共同体となって出てこないところに問題があるな……」
「たしかにまだ、発展段階だというところですね」と、木原は頷く。
「この動きがどう今後の闘いに共同体を形成していけるかが、三里塚闘争の課題だと思うよ。つまり農地死守から農地奪還まで転じた空港阻止の闘いを、労農の関係において捉えない限り、木原君のいう農業問題は元より、三里塚闘争そのものに展望が見出せないでしょう」
「うーん、レーニンも労農の同盟からロシヤ革命を勝利に導き、世界革命の展望を見てますからね……。僕らも十分その点、考えてるんですよ」と、瀧野は厳然としていい放った。
「これはレーニンばかりでなく、闘いは必ず労農の関係に結ぴつかざるをえなくなるのは、階級闘争の必然性だ。一〇年も闘い抜いてきた三里塚闘争だもの、この点を自覚し、新たな戦闘体制に入らなければどうにもならないよ」
「戸田さんのいう新たな戦闘体制とは……」と、瀧野が戸田をかえりみて、首を捻った。
そこで戸田は強調した。三里塚闘争は労農問題であり、コミューンとしての共同体こそ農業問題の解決策であり、三里塚闘争を勝利に導く基盤である。農業問題は支配体制内の農政の問題ではなく、農民の権力問題であるから、決して実力闘争を阻害する何ものでもない。コミューンとはパリ・コミューンのような新しい権力でもあるはずだ、と。
そうした意味で目前に迫る鉄塔戦は、単に公団のいう「妨害鉄塔」として岩山大鉄塔はあるのでなく、労農学バワーの当然、顕在化すべきものとして、地の利をえて構築されたものであるから、鉄塔戦を地域闘争化してはならないこと、鉄塔戦を期して不死鳥のように、再び新たな闘いに入るステップとすべきであることを、繰り返し強調するのだった。
「すると鉄塔は、かつてない革命的な意味を持つものだな」
木原がいうと、瀧野がそれに、ずぱりと一言答えた。
「決戦だよ!」
「いや、瀧野君、決戦には違いないが、三里塚闘争を鉄塔決戦をもって、終止符を打たしては負けだよ。そういった意味で私は、鉄塔戦を期して新たな闘いに入るステップだといったんだよ。二期工区内農民に連帯し、いかに闘いを持続させるかが重大ではなかろうか」
そういえばたった今しがたまで天浪の夜間工事場で響いていた、パイルを打込む音がバッタリと途絶た。続いてゴトゴトと小屋の中で動く鶏の音が聞こえてきた。時計は一二時を打とうとしていた。木原は眠い眼をこすりながら、暗に小屋の入口にサンダルを探した。戸田の運転する自動車の去った後の夜更は、中秋の月のみ冴えて静寂そのものだった。
瀧野は外を見回すと、ガラス戸を締めて蒲団に潜り込んだ。蒲団に秋冷を覚えながら、静かに瞼を閉じた。今宵の農業問題についての討論の過程を反芻していると、いつしか深い眠りに落ちていった。傍では明朝援農に行くといって、早く寝た仲間たちの鼾が安らかだった。
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