【壱億円】80年代ブントを語れ14【叩きつけたぞ!】(前半)ブントスレまとめ その14-1

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287 :革命的名無しさん:2005/11/15(火) 00:15:02
>>279
原理主義批判をすれば、元活を批判したことになると思ってること自体が 
観念的なんだと思う。彼らは常に思想や理論を、概念を実体化することによってしか使えてない。
ようするに、「原理主義はいけない」と文字通り宣言する ことが原理主義批判だと思っている。 
例えば賠償金カンパ運動を国家権力への屈服だという考えは、絶対譲ってはならない原則などというものを戦術のなかに観念的に作り上げ、陣地を狭めて味方の内部に自ら敵を作り上げてしまう愚を犯すもの 
でしかないと思う。

そうやって恣意的に作った境界線をめぐって暴力まで持ち込み、闘争に決定的な後退を持ち込んだのが中核派だった。 
もし、ブントがそういう観念的な左翼性の観点からカンパ運動を国家権力への屈服と考えるなら、それこそが原理主義ではないのか。 

かつてのような大衆的で直接的な闘争が激しいわけでもなく、司法判断やその執行をめぐる日常的な攻防のなかで被告を守ることが問われているときに、戦術的形態を原理的に決定する必要なんか全くないと思う。 
被告は守られ、三里塚農民を含む2000人は政府の施策へ意義申し立てをする勢力として立ち現れた。それで十分だろう。 
いずれにせよ、自分達の他者へのかかわりかたそのものが、「原理主義」的なのだということに早く気付いたほうがよいと思う。

293 :革命的名無しさん:2005/11/15(火) 00:31:45
>>287 のレスは >>278 に対するものでした、失礼!

289 :革命的名無しさん:2005/11/15(火) 00:21:42
自分が蚊帳の外に置かれたちゅうヤッカミだけでしょ

290 :革命的名無しさん:2005/11/15(火) 00:22:06
チュンや鳥に煽られている人も一部いるようなので俺のマジレス。 

権力の不当な弾圧に対してカンパ闘争を行うことに理由が必要か?保釈金であれ裁判闘争であれ、何であれ。この闘争も同じじゃないのか? 
権力に対して怒りを持って対応することに理論が必要ならば、それはもはや運動ではない。思想の実現でしかない。解放ではなく感化。君たちは高いところから見下ろしているなぁ。 

理論なんか、所詮は、道具じゃないか。我々が解放されるための。解放されるために理論があるんであって、理論を広めて解放するんじゃない。 
転向した人がいようがいまいがどうだというのだ?少なくとも、彼らもカンパをしたのだよ。何はどうあれ、権力に対する怒りを共有してカンパしたのだよ。 
権力に屈服?法的手続きの闘争?どうしてそうなる? 
損害賠償請求という弾圧が弾圧になっていないことを知らしめてこその闘争じゃないのか?人民の怒りにこの弾圧が火を付けたと言うことこそが闘争勝利じゃないのか? 

見てみろ。多くの世代が共感してカンパを集めきったじゃないか。 
それを屈服というなら言えばよいさ。君らには屈服と見えても、大衆との連帯が生まれたじゃないか。世間に知らしめたじゃないか。 

で、チュン以外の香具師のよく言う話だが。 
これからも、この件をきっかけに、損害賠償請求を行われる?それが運動の妨害になる? 
ほー、そりゃすげーや。損害賠償請求を行う権利は、国が勝手に持っている権利であって、我々とは関係なく彼らが行う物。

291 :革命的名無しさん:2005/11/15(火) 00:24:27
どうせここは公安もROMっていそうなので敢えて言う。 
損害賠償請求で、どれだけの人がこの運動を知った?どれだけの人が新たに不当弾圧を知った?請求は、我々に力を与えたのだよ。 
我々をうち破ろうとした国家権力は、その目論見通りではなく、逆に運動に力を与えた。負けたのだよ。我々が勝ったのだよ。 

それは結果論?違う。自分の組織以外の救援カンパなど誰がする?しないだろう?しても数千円じゃないのか?どれだけの人が万単位でしたんだ? 
この弾圧をうち破ろうという多くの賛同者がいたからこそこの方法が採れたんじゃないのか? 

俺の話くらい論破するのは簡単かもしれないが、理論じゃないんだよ。人を動かすのは怒りやルサンチマンなんだよ。 
小難しいこと考える暇があったら動けよ。結局、動く時って「なに!!ふざけるな!!よし!!やるぞ!!」だろ?「AがBでCになるからやっておこうかな。Dにならないように注意しながら云々」じゃねーだろうよ。

296 :革命的名無しさん:2005/11/15(火) 00:36:17
>>291
いや、別にここの連中は基本的に意義ないと思うけど。

302 :革命的名無しさん:2005/11/15(火) 00:45:14
今回の山根論文騒動を見てちょっと考え込んでしまった。 
3・8分裂後の戦旗vsインター・プロ青の確執の過程で、インタープロ青の活動家達は 原則論を言う戦旗に対して、この間のカンパ闘争におけるBUNDの言動と同質のものを 感じていたのだろうか? 
今回の山根発言には怒り心頭のオレだけど、3・8分裂から7・20決定に至るまでの 戦旗派の主張は今でも正しかったと思っている。これは矛盾だろうか?

307 :革命的名無しさん:2005/11/15(火) 00:51:31
>>302
かなり考えなければならない問題だと思う。 
戦旗が正しいとか、インターが正しいとかじゃなく、あの過程で三里塚闘争 
が決定的に分裂縮小したという事実をどう考えるのか。左翼勢力がとことん 
日本社会から浮き上がり、三里塚闘争自体の普遍性を著しく解体したという 
事実から考えるしかない気がする。何か、新左翼には決定的に駄目なところ 
があったと。

315 :革命的名無しさん:2005/11/15(火) 01:04:16
>>307
新左翼の失敗を語る時には概ねその批判は「右から」のものになりがちになってしまうよな。 
三里塚の分裂という大打撃は、当時の三里塚に関わっていた党派(つまり日共と革マル以外) 
全てになんらかの責任はあるだろう。 
しかしそこを克服しようとした時に、新左翼のネガティブな部分を全面開花させた中核、 
それに対するアンチに拘泥していったインター、その両派の陥穽に陥ることなく 
あくまでもレーニン主義政党、人民の信頼に応える前衛党としての原理原則を崩すことなく 
三里塚闘争の再生を目指して苦闘していたのが戦旗派なんじゃないのか? 
という思いは20年経った今でも変わることは無い。 
それが結果的に正しかったのかどうかは分らないけど、当時の戦旗に党派主義的な邪心などは 
欠片も無かったことは今でも信じている。 

それでも今回の山根発言は全く許せないけどね。

318 :革命的名無しさん:2005/11/15(火) 01:12:03
>何か、新左翼には決定的に駄目なところがあったと。 
そうそう、だからパラダイムチェンジですよ、というのがいまブント。 
しかし、山根論文がその結果だとしたらブントのパラチェンは再度 
中身を問う必要があるな。ブントの言い分の全部が全部悪いこともないだろうし、 
まっとうなこともあるとは思うよ。しかし、それを全部否定したくなるくらい、 
このカンパ闘争への関わりはひどい。 
かつてジェダイの騎士と誉れ高き荒さんも暗黒面の力には勝てなかったのか? 
東大安田決戦で中大の学館でコーヒーをすすりながら「革マルは撤退するそうだ、社学同もそうしろ」と 
S氏に言われ、その官僚的腐敗に激怒し断固戦いを決意した、という話には感動したもんだったんだが。

326 :革命的名無しさん:2005/11/15(火) 01:28:47
>>315
俺は今、左翼の立場から何かを言う気はないんだけど。といっても左翼の概念 
で語ることは多いが。 
例えば、290さんが理論を実現するために運動をするのではなく、解放される 
ために運動する、って言ってるけど、あきらかに新左翼は教条主義的な反権力 
の立場をつくって、そこから逸脱しているかどうかを問うスタンスが強烈にあった。、 
中核も青もブントも全て、そうした観念的な左翼性の虜になって、さまざまな 
愚行を繰り返してきた気がする。内ゲバしかり、内糾闘争しかり、センキだって 
自由ではなかったはず。というより、あまりにも幼すぎたとも思える。 
レーニン主義政党、前衛党としての原理原則と語るとき、その言葉にどのような 
現実的内容が表現されていたのか。俺はいまそれらの言葉自体がかなり観念的 
だったと思うのだが。 
石井武氏と連帯できなかった現実から考えるべきじゃないかとも思う。

327 :革命的名無しさん:2005/11/15(火) 01:34:41
>>318
俺がやめた後、あんなふうにパラダイムチェンジするとは思わなかった。 
いずれにせよ、彼らのパラチェンは結局のところ延命のための衣替えにしか 
なっていない。かつての何者をも彼らは否定していない。ただ、ソ連を 
中共を、革命主義を否定してみせるだけ。 
かつての自分達を超えようという考えは本質的にないと思う。

331 :革命的名無しさん:2005/11/15(火) 01:45:00
>>302
うーん。今考えると一坪は、先見の明がありながら、実体として進めていこうとした青行主流派は話し合いによる解決が下地にあり、党派間では、中核とインターの党派闘争も含んでおり、結局政治の道具に使われたような気がする。

334 :革命的名無しさん:2005/11/15(火) 01:48:49
荒著『環境革命の世紀』等を読むにつけ、単にマルクスからJ.S.ミルに乗換えたようにしか感じられなかった。 
パラチェンといった場合、その具体的な自分達の歴史性を内省し総括するところから始まる。 
観念的、理論的にしかパラダイムチェンジを提起していないから克也みたいな無神経でどうしようもなく現実的に疎い感性の持ち主のダラ官が放置されているのだ。 
これから本当の意味での内省的なパラチェンは、この2ちゃんの当スレ住人らによって為されていくような気がするし、したい。

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