それでは、行ってまいります – 本日、三里塚現地総決起集会

「第3誘導路」計画粉砕! 団結街道廃止許すな!
現闘本部の破壊を阻止し、市東さんの農地を守ろう!
改憲阻止・軍事空港建設粉砕!
 3・28三里塚 全国総決起集会

昨年の3・29現地集会にて
 <昨年の3・29現地集会にて>

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【日時】3月28日(日)正午より集会 15:00よりデモ行進
【会場】成田市天神峰 反対同盟員所有地
【地図】http://bund.jp/md/mygmap/?cat=1&id=61

【主催】三里塚芝山連合空港反対同盟
(連絡先) 事務局長・北原鉱治 成田市三里塚115
(E-mail) otayori@sanrizuka-doumei.jp
(Web) http://www.sanrizuka-doumei.jp/

※京成成田駅からタクシーで「東峰十字路のローソン前」まで相乗りで割り勘(総額3000円ほど)がおすすめ。
※私は個人参加なので「三里塚闘争に勝手に連帯する有志の会」の皆さんに合流させていただきます。他にも個人で来られる方がおられましたら、会場でのぼりをたてていると思いますので、お気軽に合流してください。

【反対同盟の呼びかけ】

 全国の労働者、農民、闘う仲間のみなさん!反対同盟は3月28日、成田市天神峰において全国総決起集会を開催します。
 反対同盟は、44 年間不屈・非妥協の闘いをもって、敢然と決戦を挑む決意です。3・28全国集会は、2・25判決闘争の勝利を引き継ぎ、「第3誘導路」計画粉砕、団結街道・現闘本部防衛、市東さんの農地死守の決戦陣形をうちかためる総決起集会です。大結集を訴えます。

以下、招請状の全文を紹介します。(PDFファイルはこちら)

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招請状
 <2・25現闘本部判決公判闘争>

 沖縄の基地全面撤去の闘い、動労千葉を先頭とする国鉄決戦と一体のもとに、三里塚闘争は政府権力・空港会社との激しい攻防に突入しました。

 2月3日、空港会社と成田市は、天神峰の市東孝雄さんに対して「第3誘導路」計画を口実に団結街道(成田市道)を廃道とする旨を通告しました。これはあからさまな営農妨害による移転の強要であり、現闘本部の強制撤去攻撃です。通告の直前には現闘本部わきの竹林を伐採して整地作業を強行し、2・25仮執行宣言付き判決をもって、解体攻撃にふみこむ構えだったことは明らかです。

 しかし仮執行宣言(強制執行)判決の策動はものの見事に粉砕されました。団結街道と現闘本部を守り市東さんの農地強奪を粉砕する攻防の緒戦で、反対同盟は敵の計画をガタガタにする勝利を勝ちとりました。地上権をはく奪した仲戸川隆人裁判長(千葉地裁民事第5部)の不当判決に対しては直ちに控訴し、廃道のための迂回道路の取り付け工事と対決し、成田市議会に対する弾劾・追及行動に決起しています。

 全国の労働者、農民、闘う仲間のみなさん!
 反対同盟は、44年間不屈・非妥協の闘いをもって、敢然と決戦を挑む決意です。3・28全国集会は、2・25判決闘争の勝利を引き継ぎ、「第3誘導路」計画粉砕、団結街道・現闘本部防衛、市東さんの農地死守の決戦陣形をうちかためる総決起集会です。大結集を訴えます。

 恐慌がもたらす底知れぬ危機の中、自民党による政治支配が崩壊して登場した鳩山政権は、トヨタと普天間に象徴される日米対立でますます危機と混迷を深め、攻撃を激化させています。なによりも沖縄の基地強化、財政危機のなかでの消費増税、公務員3万5000人の削減、そして国民投票法の5月施行・改憲攻撃です。300万農家を40万戸に激減させる改悪農地法が施行されました。戸別所得補償は減反協力とFTA(自由貿易協定)推進が引き替えです。資本による農業からの収奪が進行しています。首切りと賃下げ、教育、医療、年金、社会保障などすべての分野で、むき出しの攻撃が襲いかかっています。

 三里塚闘争は44年間、農民殺しと闘い続け、国策=成田空港を破たんさせて航空政策の転換を強制しました(前原国交相の「羽田空港ハブ」発言)。戦後の枠組みの抜本的な転換をかけて、東アジアに延命の道をみいだそうとする鳩山内閣(東アジア共同体構想と軍事基地化)の前に敢然と立ちはだかっています。

 国と資本による収奪があらゆるところで強まる現在、いまなお国策を不屈に阻み続けている三里塚闘争は、人々の未来をともに切り開く普遍的な闘いです。それゆえ三里塚は、労農連帯の旗のもと、全国の反戦・反核・反権力、反差別などの広範な市民運動・住民運動が結集する共闘の砦として発展しました。三里塚闘争に対するなりふり構わぬ攻撃の背後にあるのは、政権の危機と人民の決起に対する恐怖です。

 労働者、農民、学生、人民の力こそが、新たな時代を切り開くことができるのです。ストライキで闘う動労千葉、沖縄や関西住民、韓国やアメリカをはじめとする全世界の労働者と連帯して闘おう。

 いまこそ資本と権力による分断をうち破り、「空港絶対反対・一切の話し合い拒否」「農地死守・実力闘争」「空港廃港」の闘争原則のもと、3・28全国集会に総決起されることを心から訴えます。

 2010年3月1日


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7件のコメント

はじめて行ったよ三里塚

「エイプリルフールだけど本当の話だよーん」と、昨日書くつもりだったのに爆睡してしまいました(笑)
詳しい報告をしようと気張ると、つい筆不精でそのまま書かずにしてしまいそうなので、いくつか写真をのせておきます。草加さんのおかげでいつかは行ってみたいと思っていた三里塚へ、やっと足を運ぶ機会をもてました。どうもありがとうございます。…

成田は容量的に限界に達しているが、三里塚で活動している人は、空港問題についてどのような決着を望んでいるのだろうか?
つまるところ、空港をどこへ持ってけばいいのかという話になるんだけど。

う~ん、なんかうまくまとまらないけど、疑問に思いました。

El-fireさん>

今の報道の中でそういう疑問をもたれるのは自然なことですよね。

まず、空港問題について反対派の中でも、それこそ様々な考えをもった人がいるということは知っておいてください。つまりEl-fireさんの疑問に対する「反対派」からする回答は、いくつもあり得るということです。

まず、前提的なことを認識していただきたいのですが、1980年代に一部の農民と政府が行った「シンポジウム」の中では、政府は空港建設に非があったことを全面的に認め、農民に公式に謝罪しています。この「謝罪」を受け入れた農民との間で政府は、今問題になっているB滑走路とか誘導路など空港の拡張については、農民の同意なしには絶対に建設しないと確約したのです。それと引き換えにシンポに参加した一部農民は、滑走路一本の現空港への反対活動は当面やめて話し合いを継続することにした。「成田はゴネ得だ」と言った中川大臣の発言が、政府部内でさえ大慌てで否定された経緯は、歴史を知らない方からはきっとわかりにくかったと思うのですが、実はこういう経緯があるわけですね。

この話でいったい何が言いたいのかといえば、空港建設の経緯は非人道的で間違ったものだったということは、他ならぬ政府自身を含め、空港に関わるすべての人が認める共通認識になっているということです。現在は空港会社と和解して運動を離れた人でもその認識は共有しています。人間として絶対に許せないことだったと。このレベルにおいては「空港の移転先」が云々なんて問題ではないのです。侵略軍の撤退方法を被害者が心配してやるべきだというのもおかしな話です。

さて、それを踏まえた上で、では現状において今後どうするかという、El-fireさんの疑問ですね。
ところでEl-fireさんご自身は、上のような当事者たちの共通認識をふまえて、具体的にどうすればいいと考えられますか?私はこれはもう国のあり方の問題と考えています。いったんご破算にして、成田は廃港にするしかない。計画当初段階まで戻すということです。ゆえに私はそういう考えに立つ農民の方たち(いわゆる北原派農民)の運動を支持し、その集会や運動に参加させていただいているわけです。

三里塚闘争を理解するポイントは、農民は「公益」に反対してきたのではないということです。公益に対して「地域エゴ」を対置するような運動だったら、こんなに長く続けることは不可能だったし、誰も支援しなかった。そういういわば銭金の問題なら、きっと30年ほど前には闘争は終結していたと思います。市東さんが小さな農地に一億円という破格の補償金を提示されてもそれを拒否し、今も一個100円の安全な白菜を作り続けていることが説明できない。つまり私たちは、空港に協力するのではなく、全く逆に反対することこそが公益だと思っているのです。その公益のために、わが身を犠牲にし、経済的には損ばかりしながら闘っている農民を、感謝と尊敬をこめて支援しているわけです。

先回りするようで恐縮ですが、おそらくEl-fireさんは「足して2で割る」ような解決を考えられるのではないでしょうか。でもそれでは「こんな非人道的なことをする国って何なんだ」あるいは「ではあるべき社会の形とはどういうものか」という農民の側からの問いに答えていないし、実際には「移転の条件をよくする」という銭金の問題にしか還元することができないのです。それでは国の非道をすべて認めることになります。それは絶対にできないと、今も反対運動を続ける農民は考えています。

最後に、「成田は容量的に限界に達している」的な議論について少しふれたいのですが、これは政府側が40年以上も前から「羽田は限界でもう使えない」という形で、常に「今が限界」と永年にわたって言い続けてきたことです。まるで自然現象みたいに「限界」が語られますが、実際には利用が減って地盤沈下の危機にさらされ、必死になって利用を増加させようとしてきたのではないでしょうか。そんな「限界」はただの経営戦略であって願望にすぎません。また、その願望のために羽田拡張案が何度も浮上するたびに、よってたかって必死に潰してきたわけじゃないですか。それが「公益」でしょうか。

El-fireさんはこの先も「成田」に固執し続け、農民の反対運動を流血をいとわずに徹底的に弾圧し、数十億からへたすりゃ兆のお金をぶちこんで、それでも拡大・維持し続けることが本当に「公益」に沿ったものだと思いますか?私には税金をドブに捨てるようなものにしか見えません。

様々な側面がある長い長い闘いの経緯を説明していくのは大変ですが、成田はパレスチナ問題によく似ていると思いますし、そう考えるとわかりやすいのではないでしょうか。

元からそこに住んでいた農民はパレスチナ人です。成田空港はイスラエルです。イスラエル建国(成田空港建設)の経緯は、後から見れば誰が考えても非人道的で理屈が通らないものでした。パレスチナ人も三里塚農民もそれに必死に抵抗したけれども、圧倒的な物量には勝てない。だが、勝てないけれども負けることもなかった。成田の場合、40年以上かけても、空港は未だに当初計画の半分もできていない。その抵抗闘争にさらされ続け、「強い」はずの側がついに「和平」という策に出たわけです。

イスラエルも空港会社も、公式には「和平」そのものを否定はしていない。けれども実際にそれは守られてない。イスラエルは占領地のパレスチナ人の農地や生活空間を、空港会社は現地農民の農地や自宅・生活道路を、高い塀を作ってびっちりと囲いこみ、ただひたすら痛めつけている。ただひたすら痛めつけて「自発的に」出て行くのを待っている。これが現在、政府や空港会社がとっている具体的な措置ですが、これでは地上げ屋と同じです。そしてイスラエルは遂にガザに進行して大量の市民を殺しましたが、同じような策を、まもなく政府-空港会社もとろとうとしています。

こういった敵の出方に対して、パレスチナにおけるファタハとハマスのような考え方の違いが、三里塚でもあるわけです。欧米のマスコミなどは、とかく「過激派のハマス」という目でみますが、そのハマスがパレスチナで支持を得るのはなぜでしょうか。それはパレスチナ問題をその当初にまで遡ってよく考えてみれば、実はハマスの主張のほうが筋が通っているからです。目先の報道だけではなく、そういうこともよく考えていただければと思います。

「パレスチナなんてもうイスラエルに全部併合されて、パレスチナ人なんて出ていっちゃえばいいんだ。そうすりゃ戦争もなくなるじゃん」という考えに私はたちません。パレスチナの抵抗や抗議を支援したいと思います。チベットでもイラクでもチェチェンでも北朝鮮でも三里塚でもそれは同じだということです。強い者に弱い者が屈服している状況をさして、それが「平和」だとか、ましてや「正義」なのだとは思えません。

El-fireさんの疑問があまりにも素朴すぎて、どこに重点を置いて話せばいいのかわからず、こんな文章になってしまいました。具体的に知りたいことがありましたら、またお願いします。

通りすがりのあやふやな質問に対して丁寧な回答、ありがとうございます。

 パレスチナ問題に例えるか・・・・。
僕個人としてはわかりやすさ120%の説明で思わず唸ってしまいました。
細かいところはさておき、この問題はよく似ています。(流石に戦車は出てきませんが……)。

 空港の問題については昔何かの本で読んだことがあるのですが、自分の印象からすると、成田選定の経緯はどう考えても、空港建設のための最良の手段だとは思えなかったということです。
秘密裏に選定していきなり発表。農家は寝耳に水だったんじゃないでしょうか。よりにもよって、一番怒らせる方法ですね。
ここから推測するに、当時の政府は相当に甘く見ていたのではないでしょうか。(人道は置いておいて考えても、この問題に対して相当無能だったと言えましょう。)
ま、総じて国はバカだなあと、思います。

 限界に達した成田に代わって何処の空港が働いているかと言うと、仁川(韓国)です。成田があんまりにも使えないものですから、仁川経由で小さい飛行機に詰め替えてます。こういうことは地味に輸送費にのしかかってきますね。

 自分としては、空港は絶対に必要と考えますが、それが成田である必要はないと思っています。首都圏は人口稠密地帯なので難しいとは思いますが、公募して用地を確保した上で一切合切を移転するのが正しいかと思います。
それと、改めて謝罪を(何しろ、ゴネ得とか言っちゃう人が居る以上、誤解を解くのは必須)。ただ、この場合の移転費用は膨大ですね。政策を誤ったツケは国民にのしかかるのか・・・・・

 で、僕が聞きたいのは、三里塚から空港を排除した後、何処にどうやって空港を持っていくのか。その具体的ビジョンを持っている人は居るのかなあ、と疑問に思った次第であります。(具体的な地名とかじゃなく手段をどうするのか)

El-Fireさん>

なるほど、本当に「素朴な疑問」ですね。

結論から申し上げますと、(1)そういうことを考えている人は、運動の中ではおそらくいない。(2)もし考えていたとしても言い出せない。(3)けど内心では羽田沖拡張案を想定している人が多いと思う。の3点です。

学者や評論家的な立場の人では、それに類する提案をしてた人がいたような記憶がありますが、毎日のように「明日襲ってくる機動隊にどう対応するか」ということがシビアに問われる現実の運動の中では、そんな悠長なこと考えていられなかった。とにかくまず守る。そして追い出す。それしか考えられない。せっかく耕した畑を踏み荒らして進んでくる機動隊の前では、「帰(け)えれ!」「てめら二度と飯食うな!」と叫ぶのが先決であり精一杯なわけで、そんなこと考えている人はいませんでした。それに農民に航空行政の未来や、首都国際空港の位置決定案まで要求するのはちょっと酷かなと。

あと、そういう「対案」めいたことを言いますと、正直「妥協的」だとか「戦闘的でない」みたいに批判する人がいましてね。まあ、支援党派同士の間では特にそう。そのあたりにものすごくうるさい党派もいるんですよ。で、実際にはまだそういう「廃港の手順」みたいなことは、具体的な日程にのぼったり現実味をおびた話ではないわけで、今あえてそういう話題を持ち出す人もいないと。

あと、またもやパレスチナでたとえますと、それは「ユダヤ人国家の必要性」を認めて、パレスチナから追い出した後に、どこにそれを作るか考えてから抵抗しているのか?みたいな話であって、土地を奪われたパレスチナ難民にとってみれば、そんなことは被害者である自分たちに言われる筋合いはない、植民地問題もユダヤ人問題も、すべて欧米が作り出したものなのだから、それはそっちで勝手に考えてくれ、なんで私らが考えなくてはならないのか、なんで私たちが一方的に犠牲を押し付けられるのだみたいな話になると思うんですね。

でもまあ、追い出した後は羽田沖にいくだろうとはみんな思ってましたね。「そうするべきだ」という提案や妥協ではなく、いわば「敵側の動向の分析」という言い方をとってそういうことも語られていました。羽田を拡張して再び国際空港に戻す案は、有名人では扇千景だの、石原慎太郎だの、最近では前原誠司だのがぽろりもらしては、千葉県知事とかに猛反発されては引っ込めるの繰り返しで、もう定期的ですからね。常にくすぶっている。

特に北原派の農民は、成田はむしろお荷物になりつつあり、最終的には腐っていく運命であると、だから勝てるかどうかはそこまで頑張れるかどうかの話であり、闘争が長引けば長引くほど有利であると考えています。物量に勝る相手への抵抗はなんでもそうですが、ここでも可能な限り即決戦を目指す空港会社側と、それを許さず持久戦に持ち込もうとする反対派という構図があると思います。

一方、シンポジウムに応じた熱田派の農民の中には、そのあたりはじっくり話し合いに応じてもよいという人もいます。すぐに空港に出て行けとは言わないから、とりあえずこれ以上の拡張は凍結し、空港の今後については話し合いで決めようというわけです。その話し合いの結果、現空港を廃港にするかもしれないし、現状で維持するかもしれないし、拡張を認めることだってあるかもしれないと。だからこそ、この「成田シンポ」はマスコミからは画期的ともてはやされたのです。

シンポに応じた熱田派の農民も最初はそう思っていた。けれどもいざ空港会社に話し合いを求めると、空港のあり方ではなく、「移転の条件」しか言わない。あちらさんにとっての話し合いとは、とにかく空港建設を前提とした条件交渉以外ではなかったのですね。これでは言葉使いが丁寧になっただけで、中身はシンポの前と何も変わらない。結局のところ話し合いは(その条件交渉に応じた人を除いて)農民が思っていたような形では何も進まなかったので、具体的には何の案も出ていないのです。

空港会社がはっきりと手のひらを返したのは、ワールドカップのあった年で、なんとか利用者を増やすために、農民に無断で(約束を破って)B滑走路の供用を開始した。残っていた農民はいっきに爆音地獄に叩き込まれた。さらに、部落内で親しまれていた東峰神社の鎮守の森を伐採し、そこをコンクリートで固めて駐車場にしてしまった。伐採に抗議した農民は逮捕された。この鎮守の森の伐採は、特に農民の怒りが大きいように感じました。熱田派の中には「だまされた」と言いながら死んでいったおじいさんもいるということです。私はこれをもって、すでに「話し合い解決」の夢は見尽くされたと思っています。

ちょっと横道にそれてしまいましたが、これで答えになっていますでしょうか?

なるほど、よくわかりました。
ありがとうございます。

実際に運動している人は余裕など無い&後援している団体にはそういう議論を好まない場合もあるって事ですね。
ただ、適切な落としどころを探るために、様々な事態を想定しておくのは必要かと思われます。

それにしても、政府は逆撫でするようなことばかりやりますね。
これでは、歩み寄る余地があったとしても、歩み寄れない・・・・・

その「落としどころ」とか「妥協」とか「足して2で割る」内容ですが、おそらくファタハー熱田派系(笑)農民の多くは、現に運用されているA滑走路のみの空港の存続を認めるかわりに、空港用地内に住む農民の営農も認める、その土地には手をかけないという「空港と農民の共存路線」、まさしくパレスチナ-イスラエル和平(二国並存案)にそっくりな内容を考えていたと思われます。そしてこの案を認める前提として、国が農民に公式謝罪することが前提であったわけですが、実はこの案、79年の管制塔占拠闘争の後、加藤紘一や三塚博が、地面に額をこすりつけて農民に打診した内容でもあります。当事の反対同盟は「話し合い=切り崩し攻撃」としてこれを一蹴していますが、シンポに参加した農民は、当事この案に興味を示した部分と重なっていると思われます。

これに対してシンポを斡旋した学者・文化人グループは、空港公団(当事)の資金でそれなりに広大な土地を確保し、国の援助も得つつ、そこに一種の「新しき村」を建設するというような案を打診しています。農民の「国のあり方を問う」という発想を多少はミックスさせつつも、要するに「集団移転案」に毛がはえた程度の内容です。空港会社にいたってはさらに露骨に、謝罪の意味もこめて手厚く遇する=移転条件を上乗せするという発想しかないようです。

ただし、もう二度と強制収用のような一方的で強硬なことはしないということはだけは約束しました。まあ約束といっても要するに強制収用の法的な期限(20年)が過ぎてしまっただけのことなんですが、ともかく公式に約束してしまったので、それ以降の空港会社は、農民の土地をとても人が住めないような環境にして痛めつけつつ、条件の吊り上げというエサをぶらさげて「自発的に」出て行くように仕向ける戦略をとってきたわけです。それで屈服する人間もいたけれど、El-fireさんのおっしゃる通り、そういう非人間的なやり方はまさしく「逆撫で」の逆効果にしかならない場合だってあるわけです。

もはや(空港会社にとって)やれることはすべてやりつくした状況ですね。今残っている農民に対しては、そういう「強硬的でない」非人間的な手法は、「絶対に許せない」という思いを強くさせるだけの結果しかもたらしません。El-fireさんは仁川空港の話をあげておられましたが、成田の国際的な地位の低下や羽田案の浮上、日航の破綻など航空行政の行き詰まりとあわせ、空港会社はかなり追い詰められている。今はちょうど従来の搦め手からの攻撃から、農民への正面突破の強硬路線に切り替わりつつある局面です。まもなく「二度と強硬なことはしない」という約束が、最終的に破られようとしています。これはハマスー北原派的な発想かもしれませんが、逆にそこまで追い込んだのは反対運動の前進であると思います。今後の展開にご注目お願いします。

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