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現代ファシズム論序説 ファシズムとは何か?

現代ファシズム論序説- 目次 懐古的資料室のトップにもどる

3.現代とファシズム

イ.ドイツ共産党は何故敗北したのか

1)「ファシスト過少評価」の本質

anti_fascism

 一九二〇~三〇年代のドイツ共産党ないし国際共産主義運動の敗北の真の(主体的な)総括―今もってなお定説のないこの難題に立ち向かうにあたって、われわれはけっして谷間へと滑落することのないように、一歩一歩足場を踏み固めながらスロープヘアタックするのでなければならない。

 まず第一に、われわれは「ファシスト過小評価」の本質を暴くことから始めよう。
 1、2章を通じ、コミンテルンないしトロツキーのファシズム認識、およびナチの主張のつぶさな分析を経ることによって、われわれは「ファシスト過小評価」が、現象的にはファシストの「擬似革命性」へのそれとしてあったことをみてきた。
 そしてまさに「みすごされてきたもの」の解明として、われわれは全体主義のイデオロギー的解明を(さしあたって必要な限りにおいて)完了しえた。

 これらをもとにして、何故コミンテルンないしトロツーキーが「過小評価」に陥ったのか、という問に立入る時、われわれは既に、かかる問いかけそのものが永遠の同義反復、不毛な裏返しの繰り返しへの端緒となっていることを知ることができる。したがってわれわれは、これまで親しんできたこの左翼の通説としての「ファシスト過小評価」論という立場そのものを棄てさらねばならないだろう。
 何故ならば、一九二〇~三〇年代の敗北とは、何々の過小評価として語られるものではけっしてなく、全体主義イデオロギーに対してこれを超えうる思想性の開陳をなしえなかったことにこそあるからだ。
 より具体的にいえば、一九二〇~三〇年代に資本主義を襲った絶望的ともいいえた危機の中で、苦悶せる資本主義、あるいは帝国主義がにじり出した国独資ないしそれを支えるイデオロギーを打ち破ることができなかったこと、したがってまさに帝国主義を超えうる世界観を提示しえなかったが故の、帝国主義そのものへの屈服としてそれはあったのである。

 無用な誤解を避けるためにあえていえば、われわれは何もコミンテルンやトロツキーが帝国主義とたたかっていなかったなどと、シニカルに言い放っているのではない。
 われわれがここで主張しているのは、問題は社民をたたくのか、ファシストをたたくのかということにあったのではなく、まさに上からのファッショ化と下からのファッショ化の結合として、近代に対する直感的否定の意識に立脚した全体主義イデオロギーを推進力としつつ、しがも当の主役たちの主観にもはずれて国独資を実現していったものとしてこそ、ファシズムの真に帝国主義の「救世主」としての神通力はあったのであり、これをたたき潰すことができなかったが故にこそ、帝国主義への屈服はあったのだという一点である。

 したがってまたわれわれは、次のようにも結論できるであろう。
 すなわち一九二〇~三〇年代敗北の教訓とは、本来ブルジョア社会、したがってまさに帝国主義を根底的に止揚しうるエネルギーが皮肉にも帝国主義の防衛へとからめとられてしまったものとして、あるいはまさに共産主義運動が獲得すべき革命的エネルギーが敵の側にわたってしまった問題としてあるということ、この点こそがまさに主体的総括としてなされねばならない所似なのである。

 それと同時に、われわれがかかる陥穽を克服することとは、単にKPDのたどった轍を踏まないという消極的なレベルの問題としてではなく、むしろこれまで「みすごされてきた」―というよりは「とり逃してきた」ブルジョア社会の根底的止揚に向けた莫大なエネルギーを、本来の解決へと取り戻すものとしてあることである。

 それはまさに共産主義社会の実現にむけた世界革命の完遂のための、恐らくは未だ「近代」にとりつかれているわれわれの想像をはるかに絶する程のエネルギーを、社会変革の側が獲得するものとしてあるに他ならない。まさに共産主義運動の敗北の総括とはそのようなものとして存在するのだ。

2)全体主義イデオロギーヘの屈服

 一九二〇~三〇年代敗北に対する主体的総括の意味するところを踏まえた上で、いよいよわれわれは敗北の真の要因の解明を行おう。

 全体主義イデオロギーヘの敗北はいかにして必然化されたのか。
 まず、第一に最も重要なこととして押えねばならないのは、スターリン主義的歪曲によって汚染されたコミンテルン、KPDが全体主義に抗してさししめした思想性が、何ら「近代」を超克しうる内実をもちあわせず、むしろ多分にブルジョア個人主義、近代合理主義への屈服を内包するものでしかなかったということである。

 無論われわれがここでいう思想性とは、単に書物としてあらわされたそれをさしているのではない。あくまでも思想の物質化過程として政治的に表現された世界観=政治路線のことをさしているのである。
 そしてそれは、まさしく根っこであるが故にあらゆる点にわたって検証されうるわけだが、とりわけ重要な点を指摘するならば、世界観のもっとも収約的表現たるべき国際路線が、「一国社会主義建設」の名の下に、ソ連邦の独自利害の防衛へと卑小化され続けたことを確認する必要があるだろう。ために世界革命―共産主義社会の実現にむけたたたかいへの決起を提起しえなかった。

 それ故コミンテルンーKPDは、第二次世界大戦への様々な蠢動がおこっていたにもかかわらず、これへの労働者人民からのカウンターとして革命決起を積極的に提起しえなかった。いわばロシア革命という「既得権益の防衛のための反戦平和」の立場へと転落し、かかる立場のドイツ国内への反映として、ワイマール共和国の防衛=ブルジョア的諸権益の擁護=ブルジョア的近代個人主義への依拠へと陥っていったのである。
 翻していえば、コミンテルン―KPDは、SPDを批判する限りにおいてはブルジョア個人主義に対する批判者たりえたわけであるが、全体主義の前にあっては、一貫性のない動揺分子でしかなかった。そしてかかる動揺は、ナチヘの大敗北後の「人民戦線」へののりうつりによって、ブルジョア個人主義への完全なる屈服として帰結していく。

 そしてかかる傾向は次のような陥穽を派生させる。
 すなわち反戦平和主義の旗を掲げてブルジョア個人主義へ片足をつっこんだコミンテルン―KPDは、それ故国家主義・民族主義のカテゴリーからナチがうち出した「反ヴェルサイユ、反ヤング」という主張に(そしてそれこそがドイツ帝国主義の死活をかけた国際路線に他ならなかったわけだが)何ら対抗することができず、そればかりか、近代市民社会のゲゼルシャフトリッヒな価値故に憎悪を抱き、結果として「祖国」の「解放」のために己が身をも献げんとする中間層を中心とした戦闘性を、なべてファシストの側へと集約されてしまったのである。

 しかも(最悪なことには)こうしたことによってこそ急成長しえたファシストヘの危惧によって動揺したKPDが提起したのは、あろうことかナチの路線の追認であり、とにもかくにも「ナチのはデマゴギー、KPDこそ正しい」とばかり主張するというものでしかなったのであった。(「ヤング案反対闘争で一定の立ち遅れがあったというわが党の主体的誤り」~ゲルバー、「国家社会主義の高揚は共産党が継承することになろう」~テールマン、等々の言葉を想起せよ)

 かかるKPDの陥穽は、国際路線に限らず他のあらゆる「ラディカル」な主張においても常にナチに先手をうたれ、後手にまわった挙句に、結局は「ナチのはデマゴギー」という言葉を唯一の独自性としつつ、その追認に走ったことによって補完され、(ヒトラーが撤回させたナチ党左派の政策案の踏襲という事態をみよ)極論するならばKPDをして、ナチズムの左からの支持者へと転落せしめるところまで深められていったのである。

 要するにKPDの敗北とは、社民に主要打撃を集中しながら、実はドイツ帝国主義との闘いの回避へと陥った点にあったのであり、しかも「反近代」のエネルギーに徹底して依拠したナチに対して、ブルジョア個人主義と「反近代」の間で動揺を繰返したが故に、常に中途半端で立ち遅れた路線しか提起しえず、結局はナチにオルグられて、ドイツ帝国主義の防衛へと転落していったのである。
 まさにブルジョア個人主義への屈服と、それ故の全体主義イデオロギーヘの敗北―祖国擁護主義への転落、ここにこそ帝国主義そのものと闘いえなかったKPDの陥穽は存在していたのだ。

 なおKPDの「反ヴェルサイユ」の立場に対して、トロツキーは「ヴェルサイユ条約粉砕」というスローガンをすぐにも廃し「『ソヴィエト・ヨーロッパ万歳』と叫ばねばならない」(『次は何か』)と主張した。しかしここでもわれわれはこの全くもって正しいインターナショナリズムの原則を、それとしてしか語らないが故のトロツキーの陥穽を知ることができる。
 何故ならばトロツキーは、中間層を母体とする土着のエトスに立脚したナショナリズムをいかに解体し、どうやってインターナショナリズムヘと吸収していくのかという問題意識は全くもちあわせていなかったからである。

3)中間層とナチズム

日本会議

 KPDの敗北の要因として第二にわれわれは、何故中間層をファシストに奪われてしまったのかということをおさえておく必要があるだろう。
 無論それはこれまで述べてきたような全体主義イデオロギーの伸長に対し、誰もがブルジョア個人主義のカテゴリーからのたたかいしか対置しえなかったという点に本質的根拠を有するわけだが、そこでは何故とりわけ中間層を母体としてファシズムの急成長は成し遂げられていったのか。

 われわれは基本的にはこれを、後進資本主義の特有性の問題にあると考える。
 というのは、マルクスがその生涯を捧げた大著「資本論」を提起するにあたって、すべての資本主義国がここで理論的に再構成された「純粋資本主義」へと限りなく近似していくととらえたことは周く知られているところだが、現実の資本主義、とりわけドイツ、日本等のいわゆる後発資本主義の場合は、甚だ異った様相を呈したのであった。

 すなわち、たとえば先発資本主義たるイギリス資本主義が、いわゆるエンクロージャー等々を通じた資本の本源的蓄積過程を通じつつ、中間層の両極への分解をすすめたのちに産業革命を経て資本主義段階へと移行することにより「純粋資本主義」への接近をみせたのに対して、ドイツ、日本などの場合は、はじめから産業革命の成果としての機械制大工業の導入によっていわば上からの資本主義化がなされ、それ故いわゆる人口法則の貫徹によって労働力を獲得しえた為に、中間層の分解が未成熟なまま、むしろ様々な形でこれを派生的に滞留せしめるにいたったのであった。

 とりわけ、ドイツ資本主義にあってはかかるものとして急ピッチで資本主義化を進めたのちに、鉄工業の発展による固定資本の増大によって資本の集積ならぬ集中が進行し、金融寡頭制の登場とともに金融資本主義=帝国主義段階への移行のいわばトップパッターとなった。その過程でドイツではいわゆる新中間層が大量に生みだされ、その生産構造の不可欠の一環としてこれが定着されるに至ったのである。

 それはまた次のことを意味する。
 本来資本家的商品経済の旧社会への浸透過程が、封建的紐帯の内的解体による諸個人の等価値交換の主体へのおきかえ=アトム化を通じた封建的共同体の解体=近代市民社会の創出としてあらわれることは前にもみてきた。

 だがかかる中間層の未分解という事態を内包しつつ資本主義化を実現しえたドイツ・日本など後発資本主義は、様々な封建的要素、あるいは封建遺制といいうる諸関係を自らの内に包みつつ、むしろそれを階級的搾取の一形態としていわば積極的に取り込んでいった。それ故当然にも「民族性」等々として表現される旧社会の母斑を、中間層を積極的な担い手としつつ市民社会の中に同居させることとなったのである。

 無論、先発資本主義とてけっして純粋資本主義には至らず、かかる傾向を内包したし、またマルクス自身かかる点を「死者が生者をとらえる」(『資本論第一版序文」)事態として指摘しているのだが、後発資本主義の場合、マルクスの予想をはるかにこえてかかる傾向があらわれたのであった。

 したがってマルクス流に言うところの「封建制という死者にとりつかれた生者」=中間層の意識にあっては、近代市民社のゲゼルシャフトリッヒな価値観に対する憎悪がストレートに旧社会=封建社会への郷愁としてあらわれてくる。
 そして一方でまたそれは、常に両極への分解による己れの没落という危機感にさらされることも手伝って、ゲゼルシャフトリッヒな社会的諸関係の人格的表現として、いわゆる「奸商」に対する敵意を形成する。他方では労働者階級の公認指導部たる社民がブルジョア個人主義の守護者として立ちあらわれたこと、錯乱を繰返すKPDが失望感をあおったことなどが合わさり強烈な反共意識を形成するにいたったのである。

 ところが、世界革命の遂行というマルクス主義の核心を捨て去りながら、一方ではマルクスの教科書的な理解にしがみついたコミンテルン―KPDは、最早現実のものとなりつつあった「中間層の派生的滞留」という事態を何ら考慮しえなかった。とりわけラデックらが注意を喚起してやまなかった新中間層の台頭を全く無視することによって、革命の不可欠な要素として成長していたこれら中間層を獲得する方策を何ひとつ打ち出しえず、いたずらに資本の論理の側へとこれらの人々を追いやってしまったのであった。

 さらにこの点に関しては、トロツキーもまた同一の地平にあったことを指摘しておきたい。というのは、I章でもみてきた如く原則の防衛に必死であったトロツキーは、資本主義の変質に目を向けることができず、『十月の教訓』に端的に示される如く、新中間層の台頭に対してはほとんど何一つ分析をなしえなかったからである。

 またトロツキーの限界としては、次のことも押えておく必要があるだろう。
 すなわち、『次は何か』等々のファシスト規定の中で、トロツキーはファシストに収約されたルン・プロ(ルンペンプロレタリア)を「道徳的に退廃した」部分としてしか理解しえていないということてある。
 無論、あの悪名高きSAに収約された者の中には、いわゆるチンピラ、ゴロツキが確かに多数いたわけだが、これらの部分とてブルジョア市民社会における「道徳」から逸脱し、封建的で軍隊的な規律に服すことや、何がしかの正義感を求めたが故にナチズムの文字通りの突撃隊へと吸収されていったことを看過することはできない。
 さらにそもそもKPDの側へと結集したルン・プロとて、ブルジョア的な「道徳」から閉め出しをくらっていた部分であり、「道徳的な退廃」をそれとして指摘しても何ら意味がないといわざるをえない。その意味では、トロツキーのものの見方は孤高なところから下界を見下ろすかの感が多分にあり、ブルジョア的価値観を多くとどめていたともいえるであろう。

 それはともあれ、このようにしてコミンテルン―KPDは、いわば「大ブルジョアジーの打倒」というお株を横取りされたかの如き事態に陥る中で、みすみす中間層をファシストの側に奪われ、その結果、資本主義にとっての新たな装いをもった「救世主」の成長を許してしまった。それこそが全体主義に対する敗北の第二の要因に他ならない。

4)上からもちこまれた「共産主義」

 次に第三の要因の解明に移るが、それは第二の要因と深い関連性を持っている。すなわち、われわれがここて押えねばならないのは、近代市民社会の確立に至ってもなお解体されずに存在する土着のエトスに対して、これを解体―吸収するという問題意識をコミンテルン―KPDが欠落させていたが故に、「共産主義」があたかも上から接ぎ木されるかの如きものとしてしか提起されえなかったということである。

 さらにまた、当時の資本主義理解にあっては、単に後発資本主義の諸特性への無理解のみならず、(レーニンをも含めて)理論的には世界資本主義が実現されていくかの如き認識が生まれており、それ故ナショナリズムもまた自然に解体されていくものとして、把握されていたこともかかる傾向の一要因として踏まえておく必要があるだろう。

 それはまた、コミンテルン―KPDが、真に人民に依拠し、その魂に触れるものとしての革命を提起しえず、まさに人民に対して上から関っていたことと根を等しくしていることを、われわれは確認しておかねばならない。
 何故ならば土着のエトスに対する無理解は、単に理論的な問題としてあったのではなく、現実の帝国主義とその下で生きる現実の人民を問題にしえず、その獲得への苦闘をないがしろにしたが故に必然化されたに他ならないからである。

 主観的にはブルジョア社会を超克するものとしてあたかも風船の如く浮きあがってきた旧社会への郷愁は、 かかる苦闘を欠落させた上からの「共産主義」のもちこみによって、まるで左から一押しされたかの如くするすると反革命の側へと吸いよせられ、「ドイツ第三帝国」の実現へとかりたてられてしまったのである。
 このようにまさにコミンテルン―KPDの敗北の第三の要因は、土着のエトスに生きる現実の人民に依拠し、それを内側からくい破ることによってインターナショナリズムヘと吸収するという意味での「人民の魂に触れる革命」の不在にあったのだ。

 そしてさらにわれわれは、かかる傾向が革命遂行主体の自己変革作業の欠落と対のものとしてあることも、押えておかねばならないであろう。
   何故なら、共産主義者とて、現実の世界に生きる限り当然にも近代合理主義と土着のエトスの相方からの影響を不断に受けるのであり、近代個人主義ばかりが優先する場合には、革命運動は社会の「反近代」からおもわぬ反発をうけるし、土着性が優先する場合には、歴史が証明する通りナショナリズムヘの屈服が必然化される。かかる傾向との闘いを不断の自己省察としてなすことは、世界変革の不可欠の一環として存在している。

 ところがコミンテルン―KPDはかかる自己省察を全くなしえてこなかったが故に、その政治的反映として様々な路線的歪曲を生じた。たとえばヨーロッパに根強くはびこる反ユダヤ主義(それはまた伝統的カトリシズムによっても支えられている)などの差別問題に対しては全く無自覚であり、むしろ自らも多分に汚染されていた。ゆえにその後のホロコーストなどを見ればわかるとおり、本来は重要な闘いであったナチズムの「反ユダヤ主義」に対し、一指たりとも政治的な反撃を加えようとはしなかった。まさにこうしたことによってこそ、ファシズムヘの根底的敗北は必然化されていったのだ。

 さてわれわれは(2)~(4)を通じてファシズムヘの敗北の要因を浮きぼりにしてきたわけだが、総じてそれが革命運動のスターリン主義的歪曲故の全体主義に対するイデオロギー的敗北としてあったことは最早誰にも否定しえぬものとなったであろう。
 要するにそれは、「ファシスト過小評価」にその根拠を求められるものなどでは断じてなく、ブルジョア社会の根底的止揚をその核心とするマルクス主義が、様々な形で歪曲されることによって、思想的に帝国主義に屈服する中でもたらされたものに他ならなかったのである。

 これらの諸点に踏まえつつ、いよいよわれわれは、本稿の結論として、現代におけるファシズムとのたたかいの指標を明らかにしていこう。

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ロ.ファシズムといかにたたかうのか

 現代におけるファシズムといかにたたかうのか。言うまでもなくそれは、コミンテルン―KPDの陥穽をいかに克服するのかという問と合致する。したがって最早われわれは多言を弄する必要はないであろう。ここではこれ迄の立論に従って、できるだけ簡略にいくつかの指標を示しておきたい。

1)帝国主義の侵略反革命を蜂起・内戦へ

70年安保

 まず第一にわれわれが確認すべき点は、ファシズムとのたたかいを、帝国主義の侵略反革命を蜂起・内戦に転化するたたかい(反帝・反権力闘争)、したがって当面する安保-日韓体制打倒闘争の一環として明確に位置付けねばならないということである。
 何故ならば、現代の日本におけるファシズムとは、帝国主義天皇制攻撃や民間反革命の蠢動によって、「反ソキャンペーン」をテコとした「国家・民族」の危機の名の下に、第三世界人民に対する侵略反革命戦争を遂行せんとするものとしてあるのであって、かかる戦争策動と対決しぬくことぬきには、ファシズムとのたたかいなどないに等しいからである。
 まさにファシズムとの闘いを帝国主義の侵略反革命とのたたかいの一環としてすえきること、それこそが第一の指標として踏まえられねばならないのだ。

 そして第二の指標は、かかる侵略反革命策動の推進にあたって、様々な形であらわれてくる全体主義イデオロギーとのたたかいを推進せねばならないということである。
 とりわけ昨今ブルジョアジーによって叫ばれている「愛国教育」の徹底化や、防衛白書に見られる「国体」の護持の宣言、あるいは「ヤルタ・ポツダム体制(Y・P体制)打倒」、「安保粉砕」、「民族自立」などを掲げた民間ファシスト等々によって流布されんとしている「国家・民族」を第一主義としたイデオロギーの虚構性を徹底して暴露することは、われわれの急務の課題である。

 しかしながらこのたたかいは、いわゆる「反動化」に対してブルジョア個人主義に立脚した諸権利を防衛するものであっては断じてならない。
 むしろ第三の指標としてわれわれは、帝国主義の打ち出す虚構の「全体」に対して、かかる小ブル反戦平和主義の立場を捨て去り、われわれの世界観=インターナショナリズムの立場を鮮明にうちださねばならないのだということを押えておかねばならない。

 この際われわれにとって重要なのは、一九三〇年代と今日の帝国主義の歴史的生命力の根底的差異である。
 というのは一九三〇年代の帝国主義にとっての敵は、他の帝国主義であり、これとの対抗には一定の「正義性」を装うことが可能であった。ところが現在、日帝は己にとっての真の「敵」は第三世界人民でありながらも、そのたたかいが日本人民の心をとらえているが故に「反ソ」をもってしか、「国家の危機」を唱えることができない。それこそ日帝の最大の弱点なのである。

 無論われわれが手をこまねいて見ているならば、民族排外主義の高揚によっていつのまにか「反ソ」は「反第三世界」へとぬりかえられていくであろう。
 したがってわれわれは、第三世界人民こそ日本人民と共に歩むべき友であり、共通の敵帝国主義を打倒していくための革命戦争への決起をこそ、現時点から積極的に主張していかねばならないのだ。

 そして第四の指標として踏まえるべき点は、後発資本主義たる日帝の腐朽性に抗してたたかわねばならないということである。
 なかでも部落民や非正規の臨時工、社外工の権益を積極的に防衛することをもって差別分断支配をうち破り、「中流意識」が大半を占めるといわれる日本人民の小ブル的部分を、革命の隊列へと獲得していかねばならないのだ。かかるたたかいを通じてこそ、ファシズムの根をもとから断つことは可能なのである。

2)革命運動のスターリン主義的歪曲を克服せよ

スターリン

 さらにかかるたたかいを遂行する主体の問題としては、革命運動のスターリン主義的歪曲を克服すること、これこそが第五の指標としておさえられねばならない。

 ここにおいて、スターリン主義的歪曲とは新ためて繰り返すまでもなく、近代合理主義の未克服の政治的発現であり、その反面としての土着のエトスヘの屈服としてあらわされるそれである。
 そしてこうしたものによってもたらされた「共産主義」への幻滅こそ、ブルジョア社会を根底的に止揚しうるエネルギーが、倒錯した形でファシズムの側へと収約されていった重大な根拠となったのであった。

 ドイツ人民の多くが、とりわけ知識人をも含めて、あの近代合理主義のカテゴリーではいかんとも理解しがたいナチズムの、血統主義的で「不条理な」世界観へとひきずられていった。あるいはこれもまた多くの知識人を含めた日本人民が、不合理な皇国史観の下に「死んで生きる」思想へとからめとられ、特攻隊や「玉砕魂」、あるいは竹ヤリで米軍とたたかうとされた「本土決戦」の準備過程にまで動員されていくという、あまりにも「不条理な」価値観の中にひきずり込まれていった。
 そういった根拠こそ、主体的には近代合理主義の他方で土着のエトスにも屈服する思想的な歪曲にこそある。

 したがって、まさにわれわれ自身が、対象的世界の変革と内的世界の変革の同時的遂行を通じて、近代主義を端的に超克しうる地平を明らかにしたマルクス主義を物質化しうるたたかいを貫徹することをもって、ファシズムヘと収約されたエネルギーを自らの手中にとり戻し、帝国主義の戦争政策の一挙的打倒へとむかうことも可能となるのだ。
 そしてその際の指針こそ、近代主義を超克し、土着のエトスをインターナシーナリズムヘと解体-吸収しうる世界観の開示を、まさに革命的実践の中でのみ行なっていかねばならないということである。

 その意味ではイランの地において、パーレビを打倒したイスラムパワーに依拠しつつ「イスラムの理念の現代的物質化こそマルクス主義である」として、僧侶支配に芽をむき、連日数十名の単位で同志を虐殺されながらもなおプロレタリア革命の完遂にむけた、すさまじい内戦的激闘を展開しているモジャヘディン・ハルクのあり方に、われわれは多くを学ぶ。
 そしてわれわれにとってのかかるたたかいこそ、帝国主義の侵略反革命を蜂起・内戦に転化するたたかい、そして革命運動のスターリン主義的歪曲を克服するたたかいとしてなされねばならない。それこそがここでのわれわれの結論である。

次項:「結語にかえて」

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