電車内での予期せぬ教訓:周囲の女性客の態度を一変させた外国人女性への一言とは

電車内での予期せぬ教訓:異文化理解と女性への声援が示した日本社会の可能性

 草加です。長い間お休みしていましたが、なにごともなかったかのように、しれっと再開させていただきます。

 今日はお休み前から、ずっと書こうと思いながら、数年の月日が流れてしまった小さな体験談を共有したいと思います。それは仕事帰りの東京・山手線の車内でのことでした。

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突然の出来事:電車内でのトラブル発生

 夕方、学校や仕事からの帰り道に乗る電車の中で、ちょっとした騒動が起こりました。ホームとは反対側の閉じた電車のドアの前で、私には中南米系かな?と見える、小柄な外国人の女性が、自分のスマートフォンを見ていました。すると同じくドアの前にいた50~60歳くらいの白髪の男性が突然、「手が当たった」と言って、その女性を大声で怒鳴りつけ始めました。

 その時の電車はさほど混んでおらず、二人の間には乗客一人分くらいの距離がありましたし、電車で女性の手が偶然触れたとしても、その程度で男性が声を荒らげるほどのことではないでしょう。それにもかかわらず、男性は大声で女性を怒鳴り続け、控えめに言って不愉快な光景ではありました。周りの人たちも驚いてはいましたが、そこはスルーすることに長けた東京人の皆さんですから、みんな黙って無視していました。ここまで30秒。

 私はと言えば、男性の言動は迷惑な車内トラブルではありますが、個人的なもめごとでもあり、恥ずかしながらとっさに言葉がでなくて、すぐに二人の間に割ってはいることを少し迷ってしまったんです。 けど私が注視していると、頭に血が上ったのか、男性は「日本人は誰も車内でスマホなど見ない」などと明らかに事実と違う、とんでもないことを口走ります。それって要は彼女が外国人(の容姿をしている)であることに不快感を示すと取れるような発言なので、おい、それはおかしい、それはもう迷惑云々の問題じゃないだろと思った。

女性客たちの反応を急変させた一言

 そして次の瞬間、この男性は外国人女性に対して、「さっさと国に帰れ!このブス!」と大声で女性に暴言をあびせました。その瞬間、それまで無視していた周りの、特に若い女性客たちが、一斉にバッと顔をあげてこちらを見たのがはっきりわかりました。ここまで約1分と少々。

 いや、さすがの私もこの暴言には、100%完全にアウトや!と思い、二人の間に割りこもうと思って足を一歩踏み出します。ところがその瞬間、私の隣で吊革につかまっていた一人の会社員風の若い女性が男性を睨みながら「あんた!おかしいよ!」と声をあげました。私は怒りもあらわな女性の剣幕に驚いて、情けなくも止まってしまったという。

 言われた男性は非常に驚いた様子で、「えっ?俺が?」と自分を指さしながら反応しました。なんでそこで驚くんだ、どういう精神構造をしてるんだと私などは思いますが、若い女性は「そうよ!」と畳みかけます。続けて5人くらい先の吊革にいた全く別の、やはり若い女性が「女性にむかって『ブス』ってどういうこと!」と怒気を含んだ声で叫びました。さらには男性の位置をはさんでこの女性とは反対方向の車内中ほどからも、これまた若い女性の声で「『国に帰れ』なんておかしいと思う」という声が飛んできました。

 ちょうど駅についたこともあり、誰も味方がいないと知ったこの男性は「そうですかぁ…」と魂のぬけたような声でつぶやくと、無表情になって電車から降りてしまいました。
 思うにこの人は、まずもって「ブス」なんて言葉を軽々しく日常で聞いて使って育った、いわゆる”昭和のおじさん”であり、かつネットかなんかで自分が気持ち良くなるカキコしか読まないのか、『Will』の愛読者か知らないが、これまたいわゆる”自称普通の日本人”であり、「日本人の多数派は俺と同じ感性だ」とでも信じ込んでいたんでしょう。

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この事件でわかること:私の再考と内省

優しさと思いやりをこそ原動力に

 まず第一に、ネットだけ見てても何もわからんのやなあということがわかりました。当たり前のことを言うけど、日本人やその若者たちも捨てたもんじゃないよと。
 女性や外国人への差別だの人権だのは、日常生活の中でそこまで一般的な話題ではなかったり、あえて空気を無視してそんな話題を持ち出すのは決まって「自称普通の日本人(=ネトウヨさん)」だし、周りの友人や同僚もそれにいちいち反論するような面倒くさいことはせずに流すじゃないですか。

 差別やヘイトスピーチでなくても、もし不快になったり、自分が傷つけられるようなことばかり言う人が同僚とかにいたら、私は喧嘩するより距離を置くというか、ぶっちゃ逃げます。普通の人はそれでいいと思うんですよ。それ以上を求めるのは酷だと思う。だって本人にしてみたら、相手が謝罪するとか反省するとか、ましてや糾弾するとか、本当にどうでもいいとまで言ったら怒られるかもだけど、一番大切なことはもうこんな目にあいたくない。あわなくてもいいという保証があるなら、極端な話、謝罪とかどうでいいんですよ、本当に。そんなのいいから逃げたいというのが人情でしょうに。

 一方で差別に敏感な人たちの側は、ネット上の唾棄するような差別言辞を見て、「日本の危機だ」とか思ってしまうこともあるんですけど、そういう差別言辞は、それこそ「ごく普通の日本人」が読んでも、やはり不愉快なものなんです。たとえばもし全共闘運動が全盛の頃にネットがあったらと想像してみてくださいよ。ネット上は革命言辞で溢れていたと思うけど、その当時に総選挙で自民党は過去最大の大勝とかしてるんです。そんなもんですよ。

 そういうネトウヨさんの煽るような「日本の危機」とかいう言辞には、良い意味でも悪い意味でも、両方の意味で関わりたくないのが「普通」なんです。あれは昔の左翼の伝統芸である危機アジりの裏返しであり醜悪なパロディです。そこで差別に敏感な部分も、ネトウヨさんと同じような「日本の危機」を語って誰かを攻撃するような運動ではなく(それが全く不必要だという意味ではない)、憎しみを原動力した運動より、もっと人間の可能性や希望を説くような、思いやりと共感を原動力とした運動をこそ中心に考えるべきだと思うわけです。

昭和のおじさんは猛省します

 第二に、ああ俺も”昭和のおじさん”だったんだなあと痛感します
 事態の経緯を見ればわかる通り、私はむしろ「国に帰れ」に強く反応してしまったのですが、若い女性たちは「ブス」に強く反応して火が付いたわけです。

 もちろん私も、そして若い人たちも両方が許せないアウトな言葉だと思ったんだろうし、私だって「ブス」なんて誰にも、とりわけ女性に向かって使いませんよ。だけどやはり「昭和のおじさん」なんで、今の人よりも軽く考えていたことは事実であり、そのことを自覚させられました。すみません。

 怒られるの覚悟で正直に書きますが、あの若い女性たちの怒った顔と勢いを見ましてね、もしこの事件の前の私がどこかで「ブス」とか使って、若い一般の女性からあの勢いで怒られたら、心から悪かったと反省も謝罪もしますが、それでも口には出さずとも心のどこかで「悪かったのは事実だけどそこまで怒ることないじゃん」とか考えてしまったかもしれない。そこは反省すべきだと心底思った。

 これまたいろいろとネットの言辞なんかでね、そういう女性一般を侮蔑するような表現に抗議がくると、すぐに「フェミだフェミだ」とか、ポリコレがどーの、左翼発見だの騒いで、その場だけは力技で押し切ろうとするネトウヨさんとか(に限らず)いるけど、そうじゃないから。もっと単純素朴、至極普通に「女をなめんじゃねえ」のレベルでもう許されんから。そのへんはもう「人権問題」を卒業というと語弊があるけど、要はとりわけ若い層ではもう常識レベルになりつつあるんで、心しておいたほうがいいと思うよ。

事態のその後

 特にこのブログの読者さんとか、こういう事件があって男性が追い出されたあと、たとえばこの外国人の女性が、周囲の乗客に深い感謝の意を表し、その場にいた全員が、何か特別な絆で結ばれたような雰囲気になったりとか、「電車の中で起こった小さな奇跡」が、誰もが平等であり、相互理解と尊重が可能であることの証となった…的な展開を期待すると思う。

 まあ実際はそれほどの感動もなく、この外国人女性も何も言わず、少なくとも外見的には何もなかったような感じでまたスマホをイジリだしたし、抗議した女性の皆さんもそのまま特に何もなかった感じで電車に乗ってました。「深い感動が車内を支配した」ようなことは特にありませんでした。

 それにしても、被害者が女性で、男性の「ブス」発言が火をつけたということがあるのですが、男性のその暴言に声をあげたのが若い女性だけだったという。私も含めておじさんは不甲斐ないです。私もねー、たとえば「もしヘイトスピーチを見かけたら」みたいな記事とか読んで、ふむふむなるほどと思って、普段から考えてはいたのですよ。言い訳だけど。

 でもこの対処法、実際に現場に遭遇してわかったけど、私みたいなコミュ障の日本人にはハードル高いわ。何を話したらいいかわからんもん。欧米的な文化ならアリかもだけど。日本人向けの対処法とか誰か考えてほしい。とりあえず両者の間に体をねじ込もうと思って、そのあとどうするか、何を言うか、頭真っ白でぶっつけ本番みたいな。結局は喧嘩になってしまったかも。思えばこの男性の意図がヘイトスピーチなのかどうか判定しようとしてたな。もっと単純素朴でいいんだなと、それも学びかなあ。