「小説三里塚」第七章 錯綜(前編)

戸村一作:著『小説三里塚』 目次へもどるこの小説について

第七章 錯綜

第49話 黄金爆弾(1)

小川源さん

 バリケードの傍には一人の男が、両手に何かを持って立っていた。彼の被るヘルメットから雨合羽には、米兵の服装に見る見事な迷彩色が施されていた。戸田はバリケードの隙間を潜り抜けて男に近づいていった。紛々たる悪臭だ。男は全身糞まみれであった。描かれた縞模様に見えたのは糞であり、遠くから見ると巧みな迷彩色になって見えるのだった。
 戸田がその男の目深に被ったヘルメットの下から顔を覗くと、木の根の木川源二だった。源二はニッコリ笑って、「ご苦労さま」といった。両手に持っているものは、ビニールの糞袋である。

 今日は一九七〇年一〇月二日、第三次強制測量の三日目である。公団測量隊は二班に分かれ、木の根、横堀に侵入してくることになっていた。それを援護する機動隊の数は、二五〇〇人である。測量隊の動きはまだ見られなかった。
「委員長、どうだい糞爆弾は凶器にはなんめえ、アハ……」
 源二は戸田の面前に糞袋を両手で、高々と挙げて示した。戸田は、それを見て頷いた。
「糞は百姓の家には、いくらでもあっだから……。凶器準備集合罪にはなんめえや」
「うん、そうだよ。この爆弾はおもしれえぞ」
 バリケードの陰では農民と学生らが喜々として話しながら、黄金爆弾の製作中だった。並べられた肥桶には、満々と充たされた糞尿が黄色く光って見えた。黄金爆弾の製作過程は、一人がビニール袋の口を撮んで開くと、一人が柄杓で肥桶から汲んだ糞尿を注き込み、そして□元を結えるというものだ。その作業は手早く、慣れたもので、大勢でやるから見ている間に黄金爆弾は、目の前に山と積まれていく。木陰には青竹を鋭くとがらした竹槍が、数十本準備されてあった。

侵略者の襲来

 バリケード内にうず高く積み上げられた古タイヤの山に、石油がかけられ、火が放たれた。ゴーツという音とともに、炎が一瞬高く燃え上がった。測量班の動きが、天浪方向に見えたということだ。炎は黒煙となって、空高く舞い上がっていった。太陽を覆い、辺りが夕暮れのように薄暗くなった。見るからに凄惨な風景だった。降り注ぐ油煙が、人の顔にかかって黒く染めた。

 天浪の方向から機動隊に守られた黄色いヘルメットの測量隊が、続々と現われてきた。バリケードの中には、サッ一と緊張感が漲った。大きな放水車が二台、その後について姿を現わした。
 団結小屋の櫓の上のドラム罐が、たて続けに鳴り出した。両手に棒を握って、間断なく連打しているのは武治である。これに続いて部落の各所に吊られたドラム罐が、一斉に鳴り出した。
 辺田部落婦人行動隊の石井きくが、両手に糞袋を握って、じーっと彼方を睨んで立った。その傍で鷲掴みに糞袋を掴んだ東峰部落の島村良介の頬が、ピリピリと痙攣した。

 すでに測量隊は、バリケードの目前に近づいてきた。ハンディ・マイクを口に当てて何ごとか叫びながら、指揮者がなおもバリケード間近に近づいた時である。
 バリケードの陰にかくれ、後手に糞袋をかくし持っていた源二が立ち上がった。矢庭に男に走り寄った。かと見ると、彼の手からパーッと糞袋が水平に男の顔目がけて飛んだ。ぶすりと鈍い音とともに糞袋は見事、男の顔面に命中し炸裂した。顔面は真黄色に彩られ、糞まみれだ。顔に当たって飛散した糞尿は、周辺の者まで黄色くまだらに染めた。
 男は慌てふためいて、たじろいだ。その拍子に男はマイクを地上にポトリと落とした。くるりと背を向けて、そのまま後に逃げようとしたその時、もう一発、源二の手からハッシとばかりに糞袋が飛んだ。それに続いて糞袋が一斉に礫のように飛んだ。
 逃げる男の背中に当たり、破裂して糞がところ嫌わず飛散した。男は全身が黄金にまみれ、辺りは臭気紛々として鼻を衝く――。糞まみれになって逃げる男の体に向けて、機動隊の放水車から放水が激しく迸った。糞を洗うためだった。
 測量隊と機動隊が、一斉に後退していった。バリケードの中からは、どーっと喊声が湧き上がった。

 その時、機動隊の後を木の根の条件派の幹部渡辺昭夫が、横目でチラとこちらを見ながら歩いていくのが見えた。彼の後には一群の測最隊が従っていた。渡辺は測量隊の水先案内に立っていたのである。
 武治が仁王立ちになって、ハンディ・マイクで叫んだ。
「この農繁期に何しに来たんだ。ごの馬鹿者奴!木の根に一歩でも入ってみろっ。ただではけえさねえど……」

砦に突入する機動隊

 突如、投石が始まった。学生と農民の投げる石が機動隊の大盾に当たった。そのたびにバババンと鈍い金属音を立てた。大粒の石がハッシと当たって地上にポトリと落ちると、ジュラルミンの盾に石の跡が凹みとなって残るのが見える。機動隊は盾を上下して、石を避ける――が、指揮者が白い杖を上げたかと見ると急に隊列を整えた。

「かかれーっ」という号令で、バリケードに向かってドドドッと突入してきた。
 激しい投石にあって、機動隊は後退を始めた。なおも指揮者の号令がかかった。機動隊が警棒を振りかざし、バリケード目がけて突入してきた。機動隊が鳶口を出して、バリケードの破壊を始めた。

 測量隊は手に手に測量器具、杭、木槌などを抱えていた。彼等は機動隊の後方で隊列を整え、二列に並んで突進してきた。破られたバリケードを乗り越えて、闖入しようとした。それを見た源二は測量隊目がけて猪のように突っ走り、体をこすりつけるようにして、測量隊の中に捩り込んでいく。源二の体は全身糞だらけである。思わず測量隊が隊列を崩して後退した。

 源二は道端の肥桶のところまで帰ると、柄杓で汲み上げた糞を頭からザーと被った。源二の体は生々しく光った糞で彩られ、臭気は辺りに漲った。糞尿はまた異様な縞模様を、源二の体に描いた。
 源二は糞柄杓を片手に、屯する測量隊にものもいわずに、再び突進していった。逃げる測量隊を追い散らし、柄杓の糞をぶちかけながら、手当たり次第に体当たりしていった。高橋裕二は逃げる公団職員の後から首の根っこを掴え、襟首から糞袋の糞をびーっと捻り込んだ。職員は後にのけぞって、倒れた。
 源二らの体当たり戦術で、測量隊は糞にまみれて四散していった。

砦に突入する機動隊

「おーい、向こうを見ろっ」
 武治が指さす方向を見ると字幕を翳した新手の測量隊が機動隊に守られて、すでに条件派の吉本信二の庭に入っていくのが見えた。
 よく見れば、先にここを通り過ぎて行った渡辺の案内する測量隊だった。彼は違う方向から同盟の隙を狙って、条件派の吉本の家に測量隊を導き入れたのである。
 農民と学生たちは、すぐに吉本の家目がけてひた走った。入口に立った武治は、マイクを片手に呼びかけた。
「公団職員は農繁期を知らないのか。今は猫の手を借りたいほどの農繁期だ。そのときを狙って卑怯にも、このような暴挙を犯すということは何事だ。反対同盟のある眼り、空港はできやしないぞ。飛行機は飛べやしないぞ……」
 切々と訴える武治の声は凛々として、遠くの森に木霊した。頬被りをした一人の私服警官が、そーっと武治に近づくと、彼の耳元で囁いた。「木川さん、ここの吉本さんは測量を許してるんですよ」
 武治は頓着せずなおも叫び続けた。
「公団職員、測量を止めてすぐにも帰りなさい」
 障子の陰から吉本がチラと顔を覗かせた。武治の方を覗いたが、すぐに顔をひっこめてしまった。庭先を吉本の妻が測量隊に従いて、何か訊かれながら歩いている。機動隊は吉本の家の入口といわず周辺をぐるり包囲して、反対同盟の襲撃に備えていた。

 突然、吉本の家の後の松林の中から、赤い鉢巻をした五、六人の青年が現われた。彼等は森陰に並んで、一斉に拳を高く挙げて、「公団帰れーっ」と叫び出した。そして「くろがねの男の拳がある……」と歌い出した。彼等は「民青」千葉大の学生とのことだ。
――と、誰かが怒鳴った。
「こっちへ来て機動隊と正面からぶつかってみろーっ。この卑怯者奴ーっ」

 罵声につれてちょうどその時、木の根団結小屋の方向で、新たな喊声が挙った。辺田部落から田んぼを越えて上ってくる支援部隊を断ち切るために、屯する機動隊を挾んで、その前後から投石が始まったのだ。雨霞と飛び交う投石に機動隊は身動きできず、大盾を翳して蹲った。

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