by 味岡 修
「台風が近づいていて雨が」と心配されていたが、どちらかと言えば、蒸し暑いような一日だった。会場前では時間前から多くの人が集まり、久しぶりに会う人は笑顔でエールを交わしていた。今日は「渕上太郎、正清太一を偲ぶ集い」である。渕上は3月に、正清は4月に旅立った。二人への敬愛とその出会いに感謝を抱く人も多く、待たれていた「偲ぶ集い」だった。
思えば、テントを張っての経産省前での抗議行動は、もうじき9年目になる。渕上と正清は、テントの代表であった。経産省から訴えられ、何千万円からの賠償金を課金された。それにふさわしいような闘いをやったし、その意味で代表だった。テントに集まった人から畏敬され、慕われた。誰が言い出したのか、テント村の村長はふさわしいものだった。これは渕上に対するものであったが、同じような名称があれば、正清にもつけられたであろう。その意味で彼らは代表だったのだ。
この集いはテントに参集しながら、私たちが野辺送りをした人たちへの黙祷からはじまった。渕上、正清をはじめ15人を下らない人たちを野辺送りした。思えば、私たちは何と多くの人を野辺送りしながら、この脱原発闘争をたたかってきたことか。渕上と正清を偲び、追悼をすることは、鬼籍に入った多くの人たちへの思慕や追悼もふくめて、彼等の存在と、また、共に闘ったことを確認することだった。死は厳然たる事実であり、僕らは死者と会うことはできない。過ぎさった過去に出会えないように。だが、死者も過去も記憶の中で生きている。人は記憶を介して死者と共存し、過去を現在とする。記憶は不思議なものだが、人間の生の重要な要素だ。彼等を偲ぶことは記憶をよびさますことであり、そのことで、彼等を、彼等とともにあった過去を現在化することだ。
この「偲ぶ集い」は一部と二部に分かれていたのだが、在りし日の渕上や正清の思い出が語られた。その中でも、テントを創っての闘いのことが多く語られたのは当然だった。今日は経産省前のテント闘争を契機に彼等と出会った人が多く参集したのだから。一部では、この集いの呼びかけ人になられた方の発言が中心だったが、実に多くの人たちが多方面から彼等の人柄や出会いについて披瀝された。二部は一部と違う形式をとったが、ここでも多くの人が彼等について多くを語った。僕は彼等とは長年の付き合いではあったが、初めて聞いたようなこともあり、おどろいた。
これらの発言を紹介したいのだが、長くなるので映像や動画で見て欲しいと思う。幸いにも、この「偲ぶ集い」については、映像や動画が残されている。これを見ていただきたいのだが、渕上や正清は、テントという存在に不可欠な存在だったことをあらためて思い知られるものだった。またテント行動についても、その意義が確認された。当事者は渦中にあれば、自分のやっていることはわかりにくいものである。これはテントについてもいえることだったのだが、今は少しみえるようになってきているといえる。
味岡 修(三上治)
動画
後半はこちら
撮影・編集:早川由美子( https://www.petiteadventurefilms.com/ )
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