前々回と前回からの続きです。6・27-28の三里塚報告はこれが最後で三部作となりました。筆が遅くて申し訳ありませんが、もう少しだけおつきあいください。
鈴木さんのゴボウ畑で草取り
さて、集会とデモの後は、遠方組の電車の都合もあってほんの2時間弱にすぎませんでしたが、鈴木謙太郎さんと加代子さんのゴボウ畑で「三里塚勝手連」として草取りの援農をしてきました。まあ、都会のおっさんに安心してまかせられるのは、草取りくらいしかないわなあ(笑)。それも作物の苗が小さいうちは、雑草と作物の区別がなかなかつきにくい。お世話していただいた現地の支援の方の話では、ゴボウは素人でもまだ見分けがつくが、一度ニンジンの苗を雑草と間違って根こそぎにしてしまった方がおられるとか。きっと穴があったら入りたい心境だったろうなあ。
等間隔に植えられている苗ですが、ところどころに隙間がある。それは虫にやられたところだそうで、そのあたりを軽く掘りますと、地中から苗を食べている芋虫が出てきます。鈴木加代子さんは「根っ切り虫」と呼んでおられましたが、農家(とりわけ無農薬栽培の)にとってはかなりの脅威であるらしい。勝手連で参加された方が後でネットで調べたところ、正式名は「夜盗虫(ヨトウムシ)」というものではないかということ。同じく「夜盗蛾」という蛾の幼虫らしい。昼間は地中にひそんでいて見つからないようにしてるが、夜になると這い出してきて、作物をすごい勢いで食べつくしてしまうことからこの名前がついたようです。それを聞いてすぐに「与党虫」と連想してしまったのはもちろんですが(笑)、農家の心情が痛いほど伝わってくる名前ですね。
加代子さんや現地の支援の方は、夜盗虫(?)をほいほいと掘り出しては指先でプチッと潰してしまいます。私たちは少し抵抗があって、せめて足で踏み潰そうとしますが、これが足では畑にめり込むだけで、なかなか潰せないのです。とりわけ私なんぞは、子供のころから虫とかを殺すのは苦手でして、それどころか雑草を抜くことにさえ罪悪感感じてしまうような人間でした。だけどここではそんな都会人のセンチメンタリズムの入り込む余地なんてないのです。いつしか私も必死に草を引っこ抜き、虫をほじくっては指でプチプチと潰しておりました。どんな仕事でもそうかもしれませんが、農業はまさに毎日が闘いです。たかが草抜きですが、これは手間と時間のかかる単純作業でしかも作物が苗のうちは重要な仕事です。少しでも役にたてるように、ちょっとでもたくさんできるように、一心不乱にやりました。
農民のご自宅を訪問させていただきました
当初、時間まで草引きをした後はそのまま帰るつもりでしたが、ぜひにということで、早めに切り上げて鈴木さんの家におじゃまさせていただきました。前にも書きましたが、私は左翼時代でも、三里塚は横堀部落とか辺田部落のあたりを中心にしか行ったことがありません。市東さんの天神峰とか萩原さんの東峰部落の風景はほとんど知らなかった。鈴木さんのご自宅のある中郷は、その辺田を越えたところにあります。途中で辺田を通りましたので、かつて見慣れた光景が懐かしかったです。ちょうど私が機動隊にヘルメットをはぎとられてから頭をボコボコに殴られて逮捕された場所を通りました。あの時はまだ子供でしたが、もうあれからもう20年以上がたったのかあ(遠い目)。
鈴木さんのご自宅では、まずめちゃくちゃ人懐こいワンコが迎えてくれました。私たちを見るなり尻尾をふって飛びついてきた(カワイー!)。
このワンちゃんはまだ鈴木家の新米らしいですが、歴代のワンコをはじめ、飼い犬や飼い猫などは鈴木さんへの嫌がらせから、何度も受難を受けています。農作業で留守の合間や、夜間に寝静まったところを狙って、ワンコに毒入りの餌を食べさせたり、棒のようなもので顔を殴りつけられて見るも無残に腫れあがっていたり。加代子さんはこの新米ワンちゃんが、あまりにも性格がよくて、人に対する警戒心が全くないので心配しておられました。
鈴木さん宅に実際に行ってみればわかりますが、あそこは山あいの農家で付近に人通りもない。しかもほかにも猫の屍骸が家の戸棚に入れられていたりと、執拗に何度も嫌がらせが繰り返されています。もし容疑者を捜索するとすれば、動機や普段の態度などから考えて、まずはいつも鈴木さん宅周辺に常駐している公安か機動隊、次に空港会社やその利権にあずかる関係者の順番になるのは仕方ないことですし、私にはそれくらいしか思いつきませんでした。
まともな感性をもっていれば驚くような所業ですが、考えて見ればかつては犬や猫ではなく、夜道を(場合によっては昼の日なかに)歩いているだけの人間が公安や機動隊に難癖をつけられてリンチを受け、病院にかつぎこまれることなど日常茶飯でした。どこまで信じてもらえるものやら、「そんなのウソだ」と思われないかと不安ですが、本当のことなので書いておきますが、農民のみならず私たちは自衛のために日が暮れると決して一人では歩かず、できるだけ車を利用しました。その車さえ「検問」として称して機動隊に意味なくバックミラーを叩き割られ、ドアを蹴られてひん曲がり開かなくなるような状態でした。こんな状態でさえ、当事からたまに三里塚の反対派を「もっと弾圧しろ、取り締まれ」などと言う人がいますが、こんな状態で、いったいこれ以上具体的に何をしろと言うのでしょうか?私にはわかりませんでした。そんなに弾圧が好きなら北朝鮮にでも移住すればいいのにと思います。
一応、公安さんや機動隊を弁護(?)しておきますと、その当事に比べ、ひさしぶりに行った三里塚の公安や機動隊はずいぶんと「おとなしく」なっていたと思います。このあいだの公聴会粉砕闘争など、はじめて集会に来た人なら誰でもびっくりして怒ると思うのですが、これでもまだずいぶんと「マシ」なくらいなのです。少なくとも集会場に入ろうとしただけで、取り囲まれて蹴飛ばされたり足を踏まれたり、持っている備品を壊されたりはしませんでした。しかし考えて見れば、そんな当事の公安や機動隊も、飼っている動物には決して手を出さなかったですね。公安・機動隊か空港会社か利権がらみか、誰がやっているか知りませんが、いずれにせよ何の罪もない動物をこっそりと虐待するほうが、直接人間を襲撃して大怪我させていた当事の機動隊以上に陰湿で、私には到底に理解できない腐った心理です。
おいしいカレーとトウモロコシをいただきながら
さて、草取りで汚れた手や顔を洗ったあと加代子さんにご自宅に招き入れていただき、とれたての野菜で作ったカレーをご馳走になりました。みんなで大きなテーブルを囲んで食事をいただきながら、鈴木さんからいろいろとお話をうかがうことができました。お話を聞きながらあらためて再確認したことは、日常的に「暴力による攻撃」を受けているのは空港ではなく農民であるということです。
このあたり政府やマスコミの印象操作のせいで、三里塚という所は「過激派」がいっぱいいて制圧していると勘違いしている人もおられるかもしれませんが、日本にそんな物理的な解放区みたいな場所はありません。実際の三里塚に「いっぱいいる」のは機動隊ばかりであり、日常的には彼らによってプチ戒厳令みたいに制圧されているのです。三里塚闘争は一貫して政府側の問答無用の一方的な暴力に、農民が実力で抵抗するという図式で進んできました。現在ではすでに空港は開港しているし、鈴木さん宅などは空港の建設用地にもかかっていません。そんな中で、鈴木さんが「自分たちも市東さんも、ただここで農業を続けていきたいだけで、何一つ悪いことはしていない」とおっしゃっておられたのが印象的でした。それでもこれだけの嫌がらせと圧力が毎日のようにかかってきます。
よく「国策」といいますが、私はそういう「国家のためには民衆は犠牲になって当然」という発想が前提にある議論には、そもそも入り口からしてのれません。ですがあえてそういう議論の土俵に乗ったとしても、現在の航空行政がどれだけ当を得たもので、どこまで「国家百年の大計」の理にかなったものであると断言できるのか、私にはわかりません。どうしても土建屋政治というか、公共工事のバラ撒きの延長に見えてしまいます。ましてや、成田空港株式会社が「国家百年の計」を考えて行動しているなんて思う人は、よっぽどのお人よしか考えの足りない人だと思います。今回の団結街道の封鎖と第3誘導路建設に見られるように、まさに行き当たりばったりで常に工事をしていないと、自分たちの存在理由を維持できない。税金を湯水のように無駄使いしながら、結局は「国家」ではなく、自分たちのことしか考えていない、まさに古い日本政治の遺物のような存在です。
食事のあとは、先ごろ亡くなられた鈴木幸司さんの御霊前にお線香をあげることもできました。幸司さんの奥様(加代子さんのお姑さん)である鈴木いとさんが、生前の幸司さんのアルバムを見せてくださいました。また、茹トウモロコシを出していただき、おいしくいただきました。私が作ったゲーム『結衣ちゃんは革命家』の中にでてくるエピソードにもありますが、十代の頃に三里塚で食べたトウモロコシの美味しさが強烈な思い出として今でも忘れられないのです。あの時の味をもう一度堪能できたのは幸せでした。さらに、大きさの関係で出荷できないからと、大量のジャガイモまでおみやげにいただいてしまいました。たとえほんのちょっとでもお手伝いするつもりが、かえってご迷惑をおかけしたのではと恐縮しています。一休みしてクリックどぞ!
現地の支援の方にはお世話になりました
一方、集会の後始末や訪問者への対応で忙しい加代子さんらにかわって、援農の送り迎えなどで現地の支援の方にすごくお世話になりました。加代子さんからは「現闘の人」と紹介していただきましたが、あんまりにも自然体の方なので、普通に話しているうちに、どこの団体の現闘(現地闘争団)の方だったのか聞くのを失念してしまうほどでした。普通に考えれば、党派の方だと思われるのですが、まったく偏見がなくてなんでも遠慮なく自然に話ができる方でした。いまどき非党派や無党派のノンセクトのほうが、よっぽど理屈っぽくて、はっきり言うと偏見の塊みたいな人も散見します。これは昔からそうなんですが、実は市民運動家などよりも党派活動家のほうが、一皮むくと良くも悪くも「普通の人」なんですよね。まあ、その「一皮」がなかなかむけないのが困ったところなんですが。党派、非党派どちらにせよ、自分たち以外の他人を批判することによって、自分のアイデンティティを保っているというか、そういう人の前では自由にものが言えないですよね。このあたりはちょっと考えるべきだと思いました。
鈴木加代子さんのお話はとてもわかりやすかったですが、党派であろうこの「現闘の人」を目の前にして、とてもぶっちゃけた話も自由にしておられました。反対同盟の中心的な農民が、こんな自由な雰囲気で党派の現闘と語り合えるほど開かれた雰囲気があるのは、まことに失礼ながら、正直に言えば意外でありました。80年代に3派に分裂した反対同盟のうち、私はもともと旧熱田派の人間です。その頃の思い出から作られる北原派に対する認識(先入観)というものがあったことは否めませんが、それもちょっと変えないといかんなと思いました。むしろそれだけに、もう旧熱田派を支援していた(いる)人と、北原派系の(とりわけ農民が)いっしょにやれない現状というのは、私の中ではもうわけわからんくらいの不条理です。もちろんそこには中核派によるテロという問題があるのはわかっていますが、大衆団体である北原派農民と、政治党派である中核派はイコールでもなければ、中核派の意向で農民が動いているわけでもなんでもないのですから。
それはともかく、鈴木さんは、今はずっと決戦状況にあるから、いつでもいい、一日でも半日でもなんでもいいから、現地に来てほしい、手伝ってほしいことはいくらでもあるし、宿泊するなら場所はいくらでもあると言われました。鈴木さんはもっと私たちのような個人や非党派の人でも参加しやすい運動にしていきたいとおっしゃっておられました。逮捕の危険があるような場所に出る必要はないし、とにかくいろいろな人が現地に来てくれることが大切なのだと。
鈴木さんは「表の人」という謎の言葉(笑)を多用され、ご自身のブログでも使っておられますが、これは要するに農村における「街の人」というか、ここでは非党派の一般の方という意味らしいです。こういうお話を聞きながら、そのまま帰ってしまいまして、翌日に団結街道封鎖の報を聞き、せめて一日でもその場に残るべきだったと悔やんでいます。この、だまし討ちのような封鎖で、かえって自分自身の中で何かがふっきれた気がします。そう思っているのは私だけではないだろうと強く感じます。政府・空港会社は、やがてそのことを思い知るでしょう。
昔の人の行動力に学ぼう
かつての三里塚では、そしてかつての若者たちは、自分の目で見て判断してやろうとか、とにかくちょっとでも応援したいとかいう動機から、リュック一つを担いでなんのつてもなく現地を訪問し、農家をたずねては身分証明書を示しながら礼儀をもって「しばらくお手伝いさせてくださいませんか」という人がいくらでもいたのです。鈴木さんのお話をうかがいながら、そういうものをイメージしておられるのかなと思いました。ただ、すでに私の年代にしてからが、そういうかつての若者たちの行動力やコミュニケーション能力はまぶしい存在であります。現在の若い世代にいたっては、たとえば団塊世代のある意味ずけずけとした行動力や言動に対しては「うざい」とさえ感じるようです。
「最近の若いもの」は別によくも悪くもなっておらず、単にその時代の社会の有様を映し出していくだけですが、その意味では行動力やコミュニケーション能力の分野に限ると、若者に限らず日本人全体として訓練不足や劣化傾向がみられると思います。たとえば「三里塚の本当のところを知りたい」と思ったとして、日本全体にバイタリティがあった時代の若者みたいに、次の日にはリュックを担いで現地に出かける人がどれくらいいるかは疑問です。また、そういう前向きで冒険心のある類の人を受け入れる社会の素地も失われ、むしろ白い目で見られたりする。今は自分の周辺の居心地のいい殻を固めつつ、それ以外の人に対してはお互いの足を引っ張り合うような時代ですからね。「外国人のくせに(俺よりいい生活しやがって)」とかね。ボランティアの人に対してさえ、まるで「客」みたいに文句を言う人さえ一部にはいます。そんな人を集会や、まして援農には連れて行けない。援農はしてあげるものではなく、させてもらうものですから。
つーかまあ、最初からそういう人は三里塚闘争やそこに集まっている人をバカにこそすれ、現地になんかは絶対にこないでしょうけどね。石原さんのような老人みたいに「世相をなげいて」も仕方がありません。そういう繰言ばかり言っていると、いつのまにやら「人は自分が批判しているものにどんどん似ていくの法則」にからめとられてしまいます。今の世の中でも、貧困問題に取り組んでいる若者はたくさんいますし、同じように災害地のボランティアに駆けつけたり、高遠菜穂子さんのようにイラクの子供たちのために現地でボランティアをするなど、世界各地で命がけで人間のすばらしさを体現している日本人もたくさんいます。一方でこういう人々を鼻で笑ったり足を引っ張る人もいるわけですが、人としてどちらの生き方に魅力を感じるか、そして国家や行政がどちらを応援するべきなのかは言うまでもありません。もし、「教育の荒廃」などというものがあるとすれば、それは国全体がこういう行きかたを根本から間違えており、その有様が子供に反映してきたゆえの結果にすぎませんしね。
一番大切なのは「わかりやすさ」だと思う
いつも言ってますように、人を口先で批判したり、理屈をこねる「だけ」ではダメだと思います。運動の実践の中で、自分の言ったことを人生観や世界観、人間観など、一言で言ってその思想性を含めて示せるようなものを作り上げていかないといけないと思います。
「目的は手段を正当化するか?」といったこともたまに言われますが、いくら高邁な理想を掲げていても、現実の運動の中でそれが実践されていなければ、人はそんなものを信用しません。今現在の運動の中で、たとえば党利党略による民衆運動の引き回しがあるならば、それはその党派が天下をとった暁にはどんな社会が実現されてしまうのか、その雛形をまんま示したものにすぎません。もちろん、あんまり理想的なことばかり言うつもりはありませんが、怜悧な現実主義的な判断というものは、決定的な場面でのみ百回に一回くだすからこそ意味があるのであって、いつもいつも「現実的な判断」ばかりしていると、やがてそれがその運動なり組織なり、さらには目指すべき社会の真の姿に他ならなくなってしまう。社会や民衆のために運動や組織があるのであり、その逆ではありません。当然のことですが、今までそれは忘れられがちでした。それでは本末転倒でしょう。
くりかえしますが、高邁な理想を掲げるなら、その思想性を運動なり組織なりの中で体現していかなくてはなりません。それを私は「主体性」という言葉で呼んでいます。それを体現して民衆に示すことで、「なるほどね」と言ってもらうことが大切だと思うのです。その場合の「なるほどね」は、別に賛成の意味でなくてもいいのです。思想性をちゃんと正しく直感的に「君らの言っている理想とはこういうことか」と理解してもらえることが大切なのであって、正しく理解してもらった上で、それに反対なら反対で別にかまわないのだと思います。あとは社会の中で長期的に少しずつでも影響を拡大していけばいい。
一番よろしくないのは、「なんだかよくわからない」とか「おそろしげな」「あやしげな」と思われることです。それは掲げている高邁な理想と、運動や組織の実態が乖離したときにおこる反応です。もっともわかりやすいのは、人間の救済を掲げる宗教団体が金儲けに走って高額のお布施を集めたり、教祖が贅沢な暮らしをしていることですが、他にも理想主義的な左翼団体のメンバーが自治会を握った大学などで、その団体とは別の左翼思想や勢力が抑圧される(でも右翼やノンポリには寛容なのが通例)などがあります。こういう事態に対して、民衆は「おそろしげでよくわからない奴ら」という印象を持つのです。そしてそれは誠に正しい判断だと思います。
法政大学のむちゃくちゃな弾圧に対しては、社会的な糾弾の声が大きくまきおこりました。しかしながら、弾圧を受けた学生に含まれる中核派の、過去における強引な自治への介入がなく、もっとその主張に対比して「わかりやすい」学内政治をうってきたならば、その抗議糾弾の声は今以上に多数の学生の決起をうながして澎湃たるものになっていたでしょう。中核派が過去にしてきたことは、それとはまったく逆の意味でわかやすすぎました。このあたり、中核派はいまでもちゃんとした総括をしているとは言いがたいです。まあ、別の言い方をすれば、それでも中核派を含めた被害者を救援し、大学当局を糾弾する以外にはないほどあこぎで汚い弾圧だったわけですけど。
「三里塚」に参加するスタンスを考える
長々と書いてきましたが、つまり三里塚闘争でもそういうことです。闘争の魅力であり、多くの若者が人生さえ投機してそこに賭けた、闘争の「わかりやすさ」が、とりわけ反対同盟の3・8分裂以降、急速に失われていったと思います。
もちろん、旧熱田派にしろ北原派にしろ、分裂前からそこにいた人にとっては誠に自明で「わかりやすい」問題であり、わが派にこそ大義はありと思っていたことはわかります。しかし一般には必ずしもそうではありません。
とりわけ分裂から数年間のいざこざ、そこにおいて、北原派を支援していた中核派のテロ行為から、その対極として旧熱田派の「反中核派同盟」的なものへの純化、さらには「円卓会議」路線への転換などを経て、闘争は混迷していきました。どちらにせよ、「脱落派粉砕」だとか、「内ゲバ主義者の放逐」などの組織的な主張を、そのまんまストレートに大衆運動に持ち込んでも、そこに人を惹きつけるような魅力的で「わかりやすい」ものは何もなかった。言わずにはおられない気持ちや悔しさは理解して共有できたとしても、少なくともそれに人生を賭けるような価値は見出せないということです。
さて、そうこうしているうちに時間も過ぎ、私たちは支援の方に最寄の芝山鉄道の駅まで車でおくっていただきました。気さくにいろいろと現地を説明していただいたり、辺田地区で条件派に転じ、その見返りとして空港会社に家を建ててもらった人たちの住宅地などを案内してもらいました。その間、ただ坦々と説明されるだけで、私たちと出会って別れるまで、ただの一度も誰かを非難するようなことは一度もおっしゃらなかったことにあとで気がつきました。それだけに説明が素直な気持ちで聞けました。
おろしていただいた芝山鉄道は、なにやら「日本一短い鉄道」なのだそうで、支援の方は「その短さと料金の高さを堪能してください」と笑っておられましたが、確かに(笑)。
改札前にははにわの記念撮影用看板が出迎えてくれますが、これは芝山町が「はにわと古墳の町」なのだだからそうで、あっちこっちで普通に出土するそうです。空港工事でも「そりゃ何も出なかったはずはないだろうねえ」ということですが、まあ、そんなことで工事を止めるようなタマじゃないよね。
写真を撮るのでこの看板から顔を出してくれと「勝手連」でご一緒した方に頼みましたが、「それだけは死んでも嫌!」と断られてしまった(笑)。鉄オタのGO@あるみさんだったらやってくれたかな?
さらにレアなことにこの芝山鉄道は車内を機動隊員が普通に徘徊していまして、私たちの車両にくると、離れた場所から仁王立ちになってしばらく私たちを睨んでおられました。「何やらあからさまに見られていますよ」「そのようですねえ」などと笑っていましたが、成田駅に着くといなくなりました。その後、都内についてから、軽く参加者で短時間の交流会をしてから帰宅しました。
最後に、私がこんなふうに今の北原派の集会に参加できるのは、そこにおいて他派を批判することで自分の立ち位置を確認していくような発言がないからです。一時みたいに「脱落派粉砕」を掲げた集会なんかではなく、そこには闘争分裂前の、三里塚の大義を正面から掲げた運動がある。だから私のような一般の個人でも参加できるし、私のような者が違和感なく闘争に受け入れていただき、農民のご自宅を訪問できることにそれが証明されています。
もちろん敵を見誤らない範囲において、活発な内部論争は歓迎するべきであり、自由にものが言える雰囲気とそこにおける論争は、闘争や運動や組織を強くすることはあっても弱めるものではありません。ですが他派批判それ自体が目的化したり、ましてや大衆運動課題みたいにあつかうからおかしくなるのです。私は今後とも、他の方の主張に対して意見は言いますけれど、あくまでも闘争分裂前からの、「わかりやすい」三里塚闘争の正当性にのみ依拠して参加し、判断していきたいと思います。「勝手連」の旗を掲げつつ、同じように考えている皆さんのご参加を今後とも呼びかけ続けたいと思います。最後まで読んでくれてありがとうございました!
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「顔出し埴輪」ですが、私もこうゆうのは苦手ですね…こっぱずかしくて…でも勝手蓮の人たちとなら、いいかな(^^)
まじめな話に戻りますが、「わかりやすさ」というのは大切ですね。反対の立場からみても、小泉政治や「みんなの党」なんてのは分かりやすかったから支持されたという面もあるわけでしょう。(だからと言って単純でいいというわけではありません)それと人間性ですか>その間、ただ坦々と説明されるだけで、私たちと出会って別れるまで、ただの一度も誰かを非難するようなことは一度もおっしゃらなかったことにあとで気がつきました。
なかなかできることではありません。いつも草加さんが述べられている「人としてどうよ」という観点で「分かりやすい」ことが大切なんでしょう。
出会い頭の7人に感謝しつつ、……成田国際空港のど真ん中で、神社野宿
※※※
ジャンボ旅客機にしろ、タラップにしろ、管制塔にしろ、車輌にしろ、滑走路で点滅する色とりどりのライティングにしろ、てっぺんのもろもろが御殿ようにきんきらきんに輝いていて、パイロットやスチュワーデスのねーちゃん、整備のあんちゃんたち……現代の花形連中と来たら、見られていることをじゅうぶん意識して、背筋をぴんと伸ばし、滑るような足取りでこれ見よがしの闊歩だ。
誰もかれもが、便所掃除の婆さまにいたるまで、みな、りゅうとした身なりのてっぺんばか…
ずっと、三里塚は近づきがたく、ひょいと行くのはおそろしかった。
辺野古、釜ヶ崎、祝島……と行って、やはり、一度は“おそろしい”三里塚を見ておきたいと、ネットであれこれ調べたが、裁判、でたらめ、実力闘争、不当逮捕と、ガチンコ勝負ばかりだ。
どういう風に行けばいいのか、どこで降りてどこへ行けばいいのか……まず、そんな簡単なことからして、わからないことだらけだ。
そういうとき、この三里塚三部作を読み、なんとか、野宿道具を抱えて、行く気持ちになれた。
行ってよかった。
なんのことはない。そこで、地面に食らいついているのは、おらたちと変わりない働き者ばかりだ。
ユーモラスで、陽気で、親切で、疲れていても頑張っている普通の人ばかりだ。
おかげで、ちょっと苗の育ち具合を見てくるかという風に、ちょくちょく気楽に行けそうだ。
ずいぶん遅くなったけど、肉声で書かれた貴兄の三里塚三部作に、コメント欄を借りて、あらためて敬意を表しておきたい。