資本主義論

だれが中国を養うのか?ー14億人の経済大国登場が示す持続不可能性

ch.jpg 先日の食料問題に関するエントリーを書いてから、読売新聞の一面コラム「地球を読む」に、どんぴしゃりの内容の記事が掲載されました。「米地球政策研究所理事長」の肩書きでレスター・ブラウンさんが寄稿したものです。レスターさんは元米農務省の官僚でありますが、現在は世界的に有名な環境論者であり、日本でも「エコ・エコノミー」、「だれが中国を養うのか?」など多数の著作が紹介されているようです。

●驚くべき予測の数々

 さて、この記事によりますと、中国における穀物・食肉・鉄鋼・石炭などの消費量は、すでに現在の段階でアメリカを追いぬいてしまっているそうです。さらにこのまま現在の年率8%という成長を続けた場合、2031年における中国人一人当たりの年間所得は、2004年現在のアメリカ人と同じ水準に並ぶことになります。レスターさんは今からたった26年後、もし中国人14億5千万人(現在の先進国の人口は総合計でも12億人である)が、現在のアメリカ人とまったく同じ生活をした場合の驚くべき数字を次々とあげておられます。

 まず穀物の消費量は13億5200万トン。これは全世界の穀物生産量の3分の2に匹敵する数字です。食肉は1億8100万トン。同じく全世界の食肉生産量の5分の4です。石油にいたっては日量9900万バーレルが必要となり、これはなんと全世界の石油生産量7900万バーレルを大きく上回ってしまいます。つまり現在世界中で生産される石油のすべてを中国一国に回してもまだ足らないのです。石炭の消費量は年間28億トンで、これも現在の全世界の石炭生産量25億トンを上回ってしまいます。もし仮に生産量をあげたとしても、これだけの燃料を燃やせば、人類が排出する炭素ガスは単純計算でもたった25年で現在の倍となり、大気の状態は「息苦しい」どころではすみません。

 さらに紙の消費量は中国一国だけで(!)現在全世界で消費されている紙の倍を必要とします。これでは世界中の木を切り倒しても足りません。自動車は中国だけで11億台が必要となりますが、今の世界全体の自動車の数は、7億9500万台にすぎないのです。

●消費型資本主義の末路はネズミ講

 これは一種の思考実験ではあるのでしょうが、これらの数字から見えてくるものは何か?それは「不可能」の3文字です。こんなことできるわけがありません。それはまるでガン細胞や病原菌が先を争って増殖し、大切な宿主であるはずの人間(この場合は地球)を殺してしまうのを見ているようです。つまりアメリカを頂点とした「豊かな消費社会」を理想とする資本主義経済体制は、人類という種の視点から見た場合、あたかも「ネズミ講」が破綻を約束されているのと同じくらいのレベルで破綻を約束されているということです。

 年率8%で成長する中国人14億5千万人の後ろには、同じく年率7%で成長するインドがひかえています。インドの人口は2030年には中国を追いぬくとされています。さらにその後ろには、その他の発展途上国30億人がひかえているのです。これはかつて言われた「人口増」の問題ではなく、理想や目標として今も美化されている「発展」が限界であり不可能であり、そして実は地獄への道だったという点で深刻なのです。

 もはや(少なくともアメリカモデルの)資本主義は人類を死に導く「ネズミ講」です。最初にはじめた「親」だけが甘い汁を吸えるところまでそっくりです。親ネズミは自分が搾取している子ネズミから「搾られるだけで儲からない」と苦情を言われると、「それはお前の自助努力が足りないからだ」と言って、あれやこれや「成功の秘訣」を云々するものですが、これもまたそっくり。

 子ネズミ達に、足りないのは「自分の努力」ではなく、システム自体に問題があると気づかれては大変です。ネズミ講は搾り取る側の「親」の何百倍もの数の搾り取られる「子」がいないと機能しないシステムなんですから。ただ「子」から「親」に昇格する可能性が(どんなに小さいものであっても)まがりなりにも与えられている点で、身分制よりはマシという、その程度のことです。

●修正されたネズミ講システム

 さて、これまで親ネズミ達の連合は「ネズミ講のシステムそのもの」を攻撃する左翼陣営の批判をかわすべく、儲けた親ネズミからも税金を徴収して子ネズミにばら撒いたりしてきました。福祉・保険・年金などの諸制度がそれにあたります。また、無秩序でえげつない親ネズミの活動にも一定のルールを制定して、子ネズミ達が我慢できる程度のものに制限しました。各種の経済活動に対する規制がそれにあたります。「自分さえ儲かればいい」という親ネズミに食い荒らされて経済全体が恐慌などで破綻しないようにし、子ネズミ達にもストライキなどの労働基本権を与え、表現の自由を与え、そして親ネズミが度をすぎて子ネズミから搾り取って元も子もなくさないよう気をくばってきました。

 これによって子ネズミ達はすっかり飼いならされ、親ネズミにさんざん搾り取られてこき使われながら「ああ、自分たちは親ネズミの元にいられて幸せだ」とまで言うようになりました。ちょっと失敗して子ネズミに天下をとられ、それまでの親ネズミ達を追い出されてしまった「社会主義国」でも、やがては天下をとった「子ネズミの親分」を堕落させて「新しい親ネズミ」にしてしまうことにも成功しました。

 こういう福祉だの自由だのといった子ネズミに与えられたあれこれは、間接的にせよ、確かにすべて左翼運動の成果によってもたらされたものだと言えます。しかしながら「社会主義国」にも貨幣制度が残存しているように、結局は「ネズミ講のシステムそのもの」は現在にいたるまで全世界で通用しており、しかもそれはますます磐石になっているかに見えました。

 しかしここにいたって「誰もが親ネズミになれるわけではない」「みんなが親ネズミになったらシステムそのものが壊れてしまう」というネズミ講の根本的欠陥が露呈しつつあります。親ネズミの余禄にあずかれる「先進諸国」の人間は、世界でたったの12億人だったからこそ甘い汁が吸えたのです。これが中国を加えれば一気に27億人近くになってしまいます。これらをすべて「親ネズミ」として養うだけの資源は地球上に「存在しない」のです。昔から「石川五右衛門でも無いもんは盗れん」と言うではありませんか。

 もちろん「不可能」なことはおこりません。じゃあ代わりにどんな世界になるのか?資源をめぐる後発資本主義国と先発資本主義諸国との(どちらから見ても)理不尽な紛争で民衆同士が殺し合わされる未来か、あるいは互いに衝突をさけるなら国内における貧富の格差の拡大に向かうのか、あるいはその両方か。いずれにせよこのままでは背筋が寒い未来しか見えてこない。この流れをなんとかくい止めて、明るい未来に転換していく方策を今からでもすぐに模索していかなくてはならないのです。

 レスター・ブラウンさんは左翼でもなければ、反資本主義者でもありませんが、このことを表現して、現在の「アメリカを理想とする消費社会」は、「中国の14億5千万人にとって機能しない」し、「発展途上国の30億人にとっても機能しない」。と、いうことは「われわれ先進国の12億人にとっても機能しないということ」であり、「おそらくそれが最も重要なことだろう」と述べておられます。つまり機能しないのだから、私達は現在の社会制度を捨てなくてはならないし、絶対に変えなくてはならないからです。

●Chic Stoneさんの思考実験はすでに現実化している

 Chic Stoneさんが私への宿題として提起していただいた思考実験は、実はもう空想の世界ではなく、現実になっています。

 それは「話を単純化して地球の環境、資源は車の生産が十億台以上になったら持続不可能、そして人口は七十億と仮定します。その状況で選択肢は?」というものです。「車を持つ人口」というのは「自動車、電化製品、牛肉など近代的な生活様式を享受できる人口」のことであり、それが十億人を越えたら持続不可能という意味です。

 Chic Stoneさんはいくつかの選択肢をあげておられますが、今まではその中で「十億人が車を持ち、六十億人が車を持たない状態を固定する」状態だったわけです。ところがいよいよ「持たざる六十億人」が車を持とうとしている。つまり「全員が車を持ち、束の間楽しんで自滅する」という選択肢に向かってまっしぐらなわけです。今までの生活を維持するためには「六十億人を死なせ、残り十億人全員が車を持つ」という選択肢しかない。現実には「発展途上国の人間も貧乏なままで存在してくれないと困る」わけなんで、六十億人全員を殺すわけにもいかないんですが。

 さて、ところが現在の全世界の人口のカロリー消費量を計算しますと、単純に計算して、その平均はちょうど日本人のカロリー消費量くらいだと聞いたことがあります。現在はどうかわかりませんが、なんのことはない、世界の人々がみんな平均的日本人の70年代から80年代くらいの生活をすれば、全世界の人々のカロリーをまかなえてしまうのです。だいたいの感覚としては、牛肉が月に1度か2度のご馳走で、ハンバーガーは贅沢品。夕飯は米を中心に魚と野菜と味噌汁。昼は梅干や塩昆布などの「ご飯の友」がメインでおかずはほとんどなし。こんなところでしょうか。

 私としてはこれで充分にありがたい生活だと思います。やはり地球の資源量から見て、日本人の何倍ものカロリーを(しかも資源を浪費する牛肉を中心に)摂取する「アメリカ人の生活」というのは、もはや「理想」ではなくて「非常識」だと思います。

●で、どうするか?

 さて、ここまでいろいろ書いてきましたが、結局は結論が見えない。今までの「消費型資本主義」は、もはや破産が決定したネズミ講であるということ、欧米人(とりわけアメリカ人)の生活をなんとかせにゃならんことはわかった。では具体的にどうするか?

 このへんがはっきり書けないのは、私が左翼から一歩身を引いているためで、左翼的には様々な処方箋が用意されており、すっきりとした「解決策」めいたものも主張されていた。結論的にはモノカルチャー経済化などの旧植民地への搾取や軍事介入などをあげて「帝国主義の打倒なくして飢餓問題の根本的解決はあり得ない」となります。とりわけアメリカ帝国主義への抵抗闘争こそが、飢餓との闘いにとっても重要なものであると。それも確かに一理あるが、それだけで良いとはもう思えない。

 もし、消費型資本主義のオルタナティブを想像するとすれば、Chic Stoneさんの選択肢の中では「文化の多様性を尊重し、精神文明が進んで主導権を取り戻し、目覚めた六十五億人の市民は車を欲しがらない」が最も近いものになるでしょう。Chic Stoneさんはこの選択肢を「人間性を無視した夢物語」であり、「人権無視の手法を取らない限りマクドナルドのCM、ハリウッド映画のカーチェイスにはかなわない」「全員が意志の力でそれを斥けることを期待するのは無理」とされています。

 しかしいみじくもChic Stoneさんがご自分で「マクドナルドのCM」と言っておられるように、資本主義における「欲望」とは人工的に生産されるものです。人類不偏のものではありません。たとえば「発展途上国」に住む多くの人々は、実は今でもすでに車も高層ビルのマンションも欲しがってはいません。都市部の人は別でしょうし、その資本主義的価値観が徐々に農村部などにも広がっているのは事実でしょうが、まだ多くの人にとって、車よりもサッカーボールのほうが「欲しい物」なのです。

 このへんは貨幣経済交換価値競争社会という概念になじんでいるかどうかです。そういう価値観になじんでいなければ、「必要性」というのが一番の目安になります。私は車の免許をとりませんでしたから、別に無理をしているわけではなく、車を欲しいとは思わないです。都市部に住んでいれば、実際の「必要性」はほとんどありませんからね。これが免許を持っていれば、やはり欲しいと思ったでしょうが。

 ですからChic Stoneさんのおっしゃる「夢物語」という認識は、消費型資本主義を前提とする限りにおいて全く100%正しいものです。別の言い方をすれば、消費型資本主義のオルタナティブを考える場合には、夢物語と退ける必要もないと思います。現在進められている経済のグローバル化というのは、ちょうどこの逆を行くものです。すなわち、地域の伝統や共同体を破壊し、人工的に消費型資本主義とその価値観を押しつけていくものです。それが「遅れた」「未開の」人々にとっても幸せだという傲慢な思想です。

 ところが一方で、その消費型資本主義が高度に発達し、同時に伝統的な価値観の残滓が残るこの日本でも、資本主義的価値観を否定したいという欲求が人々の間にあります。いわゆる「スローライフ」とか言うものですが、これは左翼的な発想とも非常に親和性があります。今までは、こういう動きも資本主義にとりこまれて「ブーム化」してしまい、結局は「商売のネタ」にされて終息していくのが常でしたが、だんだんと根が深いものになりつつあるような気もしており、ちょっぴり注目もしております。いずれにせよ、このへんは本当にほんのちょっぴりの価値観の切り替えで、随分と変わってくるんではないかと思いますよ。

 なお、私はChic Stoneさんの選択肢に、「車を十億台生産して、本当に必要な人だけがそれを使う」というのを付け加えたいと思います。この場合、本当に必要な人というのは、実は1億もいないと思いますので。(って「車」というのは「近代的な生活」という意味でしたね。まあ、その意図をくんでいただくということで)

 まあ、とりあえず、これから先も当面は資本主義を続けていくためには、先に書いた「親ネズミの富を子ネズミにも分配し、搾取を我慢できる程度のものに制限する」という政策を、国境を越えて世界的に行うしかないでしょうね。つまり世界中が「70年代日本」の生活をするという方向ですが、たかがこれだけのことでも、現状ではかなりリベラルというか「急進左派」的に見えるでしょう。しかしまあ、実際には選択の余地はありません。この決断ができたら、資本主義もあと100年はもつでしょう。その間に人口が増えないことを祈るばかりですね。

●サイト内リンク

牛肉問題から見える資本主義
バーベキューセット半額!
ビールは飛んでこないのだ!

●参考リンク(トラックバック先など)

資本主義の黄昏(内田樹の研究室)
インドってどんな国?(尾山台便り)
書評 レスター・ブラウン著『エコ・エコノミー』(市民社会フォーラム)
ひとりでもできる

コメント

  1. >「むにゅう」さんの反論(トラックバックへ)の再反論
    「中国を養う必要は無い」(http://plaza.rakuten.co.jp/munyu/diary/200505190000/)
     
    レスター・ブラウンさんが読売の記事で提起したのは、「将来」中国も人口が増えて世界が食えなくなるということでは「ありません」。すでに「現在」の人口である14億5千万人が、2004年現在における欧米先進国並みの生活をしたら、地球は破滅するという問題です。
    地球を破滅させてまで中国を養うことはできませんから、要は中国がどんなに努力しても、先進国にはなれないということです。これをどう考えるかという視点で反論していただかないと(たとえば我々の生活のために中国なんか滅びてしまえとか)、議論は噛み合わず、ちっとも反論したことにはなりません。
     
    要は地球上の資源は全人類が「先進国並」の生活をするだけ「存在しない」のです。いいですか?「無い」のです。この重みがわかりますか?とりあえず「有る」ものを分配するしかないのですが、Chic Stoneさんの思考実験もこの分配のことを言っているのです。全員が貧乏になるか、束の間だけ全員が金持ちで滅びるか、大多数をわざと貧乏にしてしまうか、あなたはどれを選ぶのか?と。どれを選んでも辛い選択です。「修理はどうするんだ」などと屁理屈を言っている場合ではないのです。
     
    「自助努力で誰もが(どこの国もが)豊かになれる」という「成長の夢」は見尽くされたということです。中国は成長の夢を見ることが許されません。つまり「アメリカをお手本とする消費型資本主義」では、中国一国が成長しただけで破綻してしまうのです。21世紀に生き残れないということです。つまり「自助努力」なんて関係ない。レスター・ブラウンさんは左翼ではなく、資本主義者ですが、それでも従来のシステムは先進国に住む12億人のとっても機能するものではない(つまり変えなくてはならない)と提起しておられます。
     
    変えたその先が「社会主義」というのは深読みのし過ぎです。むしろ伝統的な日本の生き方など、昔からの地域共同体の可能性にも言及したつもりです。どうしても「資本主義VS社会主義」の問題にしてしまうのは、あまりにも古すぎるし、石頭な発想です。勝手にそういう土俵で「社会主義に対する資本主義の優位性」という一人相撲で自己満足しても仕方がありません。
    とりあえず「人口論」ではなくて、「消費型社会」と「資源の分配」そして中国を含む「後発国の発展システム(それは必然的に先進国にも波及する)」について語ってください。

    • ぼくと
    • 2005年 5月 19日

    >要は中国がどんなに努力しても、先進国にはなれないということです。
     
    いえ・・このまま行けば、先進国になると見るのが自然じゃないですかね?
    中国が先進国になった場合、地球上にある資源、食物生産量、排気ガスや二酸化炭素の許容量は限られていますから、限られたパイをどうわけるかとう問題が出てきます。
    以下は私の予想。単純に考えて4つのケース。
     
     1 従来からの先進国分のパイを中国が取る。従来からの先進国の生活レベルは落ちる。発展途上国の生活レベルはそのまま。
     
     2 従来からの先進国と中国が、発展途上国分のパイを取る。発展途上国では生活レベルが落ちる。(最貧国では餓死者の急増。)従来からの先進国の生活レベルはそのまま。
     
     3 従来からの先進国と中国が譲り合って、中国はほどほどの所で発展をやめ、従来からの先進国も生活レベルを落とす。
     
    3はまあ、ないでしょうね。誰だっていい暮らしをしたいですから。人ってのは人同士だと大人な、譲り合う対応ができるのに、国同士となるととたんに子供のように自己中になってしまうものですから・・
    1や2もすんなり行きそうになく、下のようになるかもしれません。
     
     1.5 生活レベルが徐々に落ちつつあると気づいた先進国一同が結託して、戦争や経済策などで中国をつぶす。中国も強国になってるだろうし、他国を味方に引き入れることもあるだろうから、反発して世界戦争となる。
     
     2.5 生活レベルが徐々に落ちつつあると気づいた発展途上国一同が結託して先進国に対して反乱(戦争)を起こす。でも勝てるわけなく徹底的につぶされ、植民地化(奴隷化)される。
     
    あまりにも救いがないので、夢のような未来として、以下のケースも考えたくなります。
     
     4 画期的な新技術が発明され、生産量あたりの資源の消費量や二酸化炭素・排気ガスの排出は激減し、食物生産量は倍増し、中国の人口が今の先進国レベルの生活をしてもやっていけるようになる。
     
     5 宇宙進出が本格化、資源を他の星から得られ、スペースコロニーや月・他惑星に人間が住むようになり、地球という限られたパイから脱する事ができる。

  2. しっかりした反応、感謝しています。

    >車を十億台生産して、本当に必要な人だけがそれを使う

    というのも選択肢の一つとして、考えていいと思います。
    問題は、「本当に必要な人」をどうやって決めるかだと思います。

    あ、当時入れ忘れた、もう一つの選択肢として、ぼくとさんもおっしゃった「人類は宇宙に引っ越す」は今はもう古いと思われるSF発想ですが、超長期にわたって人類が生存するつもりなら考えてもいいと思います。
    実際機能するか、資源を浪費して破局を早めるだけではないかという批判も多いですし、第一それに向けて人類がまとまることができるかどうか、戦争以外に人間をライフスタイルの変化、経済的自由の制限を甘受してまで団結させる力があるものが存在するのかは正直疑わしくも思いますが。

    また、人間を「満足させる」には、「富、物質」が最高絶対ではない…たとえば麻薬、戦争などの邪悪なもの、人によっては宗教に献身することが富より人気があったりもします。日本でもマクドナルドのCM、ハリウッドのカーチェイスよりオウムやヤマギシ会を選ぶ人がいることを忘れていました。
    それも善悪は措いて、何かのヒントになるかもしれません。
    ただこれを考えると「すばらしい新世界」は持続可能でほぼ誰もが満足できる社会だ、となってしまうので、できれば否定したいのですが。
    麻薬や宗教は魂の自由を損なうので反対なのですが、魂の自由は確保しつつ、富以外の自発的な選択肢を人間に与えることはできないのでしょうか…

  3. あ、ちょっと誤読だったかも…
    >車を十億台生産して、本当に必要な人だけがそれを使う

    には、もしかして十億台(以下)の車(近代技術)を利用して七十億人をちょうどよく養う、ということでしょうか?
    それはうまくいけばいいです。
    ただ、人間がそれができるほど賢いかどうかはちょっと首をひねるのですが…

    あと、「伝統的な」という言葉を強調していらっしゃいますが、それには重大な問題があります。日本の江戸時代は見事なまでに持続可能でしたが、誰もそれに戻りたいとは思いません。間引きという残酷なシステム、士農工商の身分制度とキリスト教禁止という人権の抑圧、世間隣近所の相互監視でできたシステムだからです。
    共同体にも資本主義同様、メリットとデメリットの両方があることを忘れないようにしないと。
    なんとか魂、言論思想信条の自由を最大化、かつ持続可能な解はないものでしょうか…

    富よりインターネットを選ばせる(特にチャットやケータイ、オンラインゲームには強い中毒性がある)のもいいかもしれないですが、インターネット=パソコン&携帯+電気+通信網も車、牛肉ほどではなくても相当環境負荷は高いですから…

  4. トラックバックへの反論について私もここでちょっと書かせて下さい。
     
     資本主義というのは、基本的に「富者はますます富み、貧者はますます貧しくなる」ものです。歴史的に見ても、産業革命以前は資本家が労働者から搾取するという構図は極めて明白でした。そもそも、社会主義というものはこの資本主義に対する失望から生まれたものであるという基本を抑えずに「資本主義においては、あらゆる資源は各自の購買力に合わせてそれなりに分配されるということが、人類の歴史において証明されています」などと言ってしまうのは軽率というものでしょう。では今なぜ資本主義が上手く動いているのか。それはパイが常に拡大してきたからです。全体が拡大することで、労働者が資本家のおこぼれであっても大した不満なしに生活できるようになりました(この説明はエントリ本文とはやや違いますが、少なくとも矛盾はしていないしどちらも正しいと思います)。つまり経済規模が拡大し続けない限りこのシステムは破綻します。…(1) (参考:確か「市民の政治学―討議デモクラシーとは何か」篠原一…だったはず)。
     そして、かつて「成長の限界」という書籍の名前自体が示したように、経済規模が無限に拡大し続けることはありません。…(2)
     この(1)(2)から導き出される当然の帰結は「今の資本主義経済は破綻する」であり、その理由は「なぜネズミ講が違法とされるか」と何ら異なるものではありません。拡大し続けないと(=いつかは)破綻するし、得をするのは親だけだからです。
     もちろん、資本主義が整えてきたさまざまなシステム、特に市場経済などは、上手に使えば破綻を逃れるための道具ともなり得ることでしょう。多分それは社会主義を復活させるよりもスマートな解法です。しかし、そのあり方は恐らく今の資本主義とはかなり違うものであろうと思われます。
     
     「貧乏人は麦を食え」とは池田勇人の名言ですが、それを他人(中国)に対して言い放って平然としているこの人は一体どれだけえらいのでしょうか。
     
     中国やインドが直面するであろう危機は、時期の差こそあれいずれは人類全体に等しく降りかかる危機です。それは、「大概のリソースはいずれ尽きる」からです。そしてそれは我々日本人の子孫にとっても全く同様です。してみると「貧乏人は麦を食え」という台詞も、我々「富者」が、将来世代という「貧乏人」に言っている構図とそっくりです。
     
    >Chic Stoneさん
    私は無宗派・無宗旨ですが、宗教は魂の自由を損なうとは一律には言えないと思います。刑法は我々から人を殺す自由を奪ったはずですが、そのおかげで私たちはより自由に生きているのだと思います。

  5. >ESDさん
    >私は無宗派・無宗旨ですが、宗教は魂の自由を損なうとは一律には言えないと思います。

    もちろんです、説明不足でした。
    権力、伝統によって強制された宗教、洗脳を用いるカルトは魂の自由を損なう、ということです。
    宗教と環境(人口、資本主義…)問題とどうリンクさせるかはものすごく難しく深い問題だと思います。後で考えてみます。

    • あかひげ
    • 2005年 5月 20日

    以下急いで書いてるので誤字とかは勘弁してください

    レスターさんは…12億人(全員ではないでしょうが)の人間が何も他者を削らずに現在のアメリカ人(富裕層かな)の生活をした場合の仮定を、おそらくは確信犯的になさっておられるのだと思うのですが…。
    ちがうのでしょうか?

    現在+12億人を「富めるアメリカ人」にするのが不可能であるのなら、資本主義でいくならそもそもそういった事態にはならないのだから(それだけの潜在的資本がないってことになるんですし)。

    限られた資本を分け合っていくのなら、資本主義なら資本にそった逓増-逓減状態になるし、「必要とする10億人が車をもつ」は、実践できたとしてまた別の意味での逓増-逓減状態なのだと思うのですが、それはもしかして同じことなのではないかと感じてしまいます、ルールが違うだけで。

    で、こないだブラジルから来た資本主義の尖兵とのみに行った時に

    「農業に限って言えば生産してマネーをえつつ、森林資源を増やす方法が発表されてるYO!、この増加分を上手く使う手法も研究はされてるデース」(一部脚色)

    とか聞いたので、生産形態自体を変化させるというのももしかして可能なのかな、と。

    ところで日本の伝統的生活形態や共同体がどう有効なのかよく分からないので解説とか希望したいです。

  6. ただいまです。帰ってきたら真面目な書き込みが多数でとっても嬉しい!疲れもふっとんでしまいます。
     
    ぼくとさん>
     
    >>要は中国がどんなに努力しても、先進国にはなれないということです。
    >いえ・・このまま行けば、先進国になると見るのが自然じゃないですかね?
     
    うーん。たとえば私の子供の頃、「このまま人口が増えたら21世紀には四畳半のスペースに20人が暮らさないといけない社会が来る」なんて言われてたわけですが、実際に四畳半で20人が住むのは不可能なんで、そんな社会は来ないわけです。んで、同じように26年後の中国が、今年の全世界の生産量に匹敵する石油を消費するなんてことは不可能なわけで、やはり不可能なことはおこらないだろうと。その程度の浅い考えでございました。ぼくとさんの予想のほうがよりリアルですね。まるで帝国主義列強の時代に戻ったかのような予想ですが。
     
    「帝国主義(=金融資本主義)は不均等に発展する」「力をつけてきた後発資本主義国は、先発資本主義国によって分割されてしまった植民地(パイ)の再分割を要求して戦争となる」という、「帝国主義論」におけるレーニンの帝間争闘戦論を地でいく展開です。このレーニンの予言だと、かつての日本やドイツのように、中国がどんどん軍国主義化、国粋主義化し、各地で権益や資源の再分配を求めて紛争をおこすという展開になるはずですが、ひえー、いかにも「ありそうな話」で恐ろしいなあ。
     
    考えてみればソ連や毛沢東の中国が存在したから、資本主義の大国同士で戦争する余裕がなくなり、冷戦ともあいまって、サミットや国連など、まがりなりにも「平和を基調とする国際社会のルール」というものが(それがタテマエにすぎない偽善的なものであろうと)作られてきたわけで、冷戦下の犠牲者には申し訳ないが、「資本主義の大国」で暮らす私達には、それなりの「効用」もあったのかもしれません(結果論ですが)。やはり「権力の廃絶」までは、次善の策として「権力の均衡」も必要なのでしょうか。かと言ってまた「恐怖の均衡」に戻る気もありませんが。
     
    Chic Stone様>
     
    >ぼくとさんもおっしゃった「人類は宇宙に引っ越す」
     
    超長期にわたっての宇宙旅行の基礎研究ともなるであろう「人工地球」(完全に密閉された空間に循環型のミニ自然環境を構築する)すら、なかなか難しいようですね。素人考えではそんなに難しいことでもないように思えますが、自然というのは本当に偉大なんですね。
     
    >>車を十億台生産して、本当に必要な人だけがそれを使う
    >というのも選択肢の一つとして、考えていいと思います。
    >問題は、「本当に必要な人」をどうやって決めるかだと思います。
     
    まあ、「思考実験」としての気楽さゆえの回答でしたが、実際にこの方向で行なうとなると、もちろん様々な困難が予想されますよね。「決める」のが「役人」かと思うと、それだけでなんか頭痛くなりそうだし(笑)。
     
    この選択肢が機能するためには、従来の「利害調整型政治」の延長で「必要でない人間には許可しない」というお役所的・権力的発想では駄目でしょうね。人類の「共同体的社会」が成立していて、限りある資源を貴重な共有財産として「必要な所に必要なだけ使う」という自覚(イデオロギー)を個々が持っていて、はじめて有効に機能するでしょう。それはもう「Imagine all the people sharing all the world.」ちゅうわけで、あたかもジョンレノンの「イマジン」みたいな社会です。
     
    そんな世の中がくるんか?と言えば、少なくとも100年のスパンで見たら、非常に悲観的にならざるを得ないわけです。かと言って1000年先の夢物語とも思っていません。なぜならこの境地に達しないなら、人類は1000年もつかどうかあやしいですから。更にこういう社会のほうが、誰にとっても(人を支配したり搾取したいと思っている人以外は)生きやすくて快適な社会のはずですから。自分の首を絞めているとわかっていながら個人や自国のエゴを優先し、みすみす衰退していくほど人類という生物は愚かでないと思いたい。そこはそれ、「But I’m not the only one.」ということで(笑)
     
    >また、人間を「満足させる」には、「富、物質」が最高絶対ではない
     
    「富、物質」は必要なだけあればいいと思うんですけどね。たとえば私は車を持っていませんが、それで本当に「困る」ことはないので「必要」だとは思わない。あえて困ることをさがせばそれは「レジャー」の時くらいのもので、それを「必要」と言えるのか?と思います。
     
    確かにこういう考えは非常に「非資本主義的」であって、消費型資本主義が発展するためには、どんどん人間の欲望をあおって、決して「満足」させないようにしておかないといけない。こういう物質的・金銭的欲望を煽られ続ける競争的な生き方に疲れた人が、ヤマギシやオウムに行くという側面もあると思います。
    新興宗教というのは、プロテスタントの時代には資本主義と結びついてそのイデオロギー的バックボーンとなり、現代ではむしろ資本主義からの逃げ場となっている。本当に社会を映す鏡だと思います。
     
    >あと、「伝統的な」という言葉を強調していらっしゃいますが、それには重大な問題があります。
    >共同体にも資本主義同様、メリットとデメリットの両方があることを忘れないようにしないと。
     
    それはそうでしょうね。「反動的社会主義」という言葉があるくらいですから。また、ナチスも(とりわけ初期には)資本主義を攻撃していたことを忘れてはなりません。まあ、その後ヒトラーはナチス左派を粛清して政権をとるわけですが、この「ファシズム左派(急進派)」というのは、資本主義社会が行き詰まった時には非常に進歩的・魅力的に見えるもののようです。
     
    地域共同体については、主にグローバリズムが、別になんの不幸も感じていない発展途上国の人々(食うには困っていない)の生活共同体を破壊し、物と金が支配する関係に置き換えて、貧富の差を作り出していることを念頭に置いて書きました。そしてそれによって「人々がより豊かに幸せになる」という傲慢な発想に疑問を感じるわけです。もちろん経済と共に「個人の尊重」や「男女の平等」など、「人権のグローバル化」という積極的な側面のあることを承知した上でもです。
     
    また、三里塚や辺野古などの闘争(こういう闘争への賛否はとりあえず置きます)においては、従来からあった地域共同体が大きな役割を果たしたりしているわけですが、闘争の中で旧来の封建的・家父長的な側面がはぎとられて、誰もが発言できる自由な共同体に変質したりしていったと思います。こういうものに、なんとなくですが、一つのヒントを見るような気がするんです。このへんは未整理で「気がする」という直感的な段階ですが、全然マト外れというわけでもないと思います。
     
    >なんとか魂、言論思想信条の自由を最大化、かつ持続可能な解はないものでしょうか…
     
    方法論はいろいろあると思うんですが、問題はそれを実現する政治体制や社会制度ですよね。
    「消費型」でない「循環型資本主義」みたいなのも、頭の中では考えられるんですが、問題は「それって資本主義と言えるの?」ってことかな。「循環型資本主義」って、「イマジン」よりも実現可能性が高そうで(笑)、ちょっと魅力的な響きですね。レスターさんの「エコ・エコノミー」がそれにあたるのかな?
     
    あかひげ様>
     
    >レスターさんは…12億人(全員ではないでしょうが)の人間が何も他者を削らずに現在のアメリカ人(富裕層かな)の生活をした場合の仮定を、おそらくは確信犯的になさっておられるのだと思うのですが…。
    ちがうのでしょうか?
     
    えーと、まず「12億人」は現在の先進国の人口で、中国の人口はそれを上回る14億5千万人です。レスターさんの試算は、中国人一人当たりの平均所得が、2004年現在のアメリカ人のそれに追いつく26年後(年率8%の成長が続いた場合)の試算です。あくまでも富裕層ではなくて平均です。「富めるアメリカ人」ではなくて「平均的アメリカ人」ですね。2004年における「アメリカの平均」を、2030年の「中国の平均」とするためにはどれだけの資源が必要かということです。
     
    私は本文ではこれは「不可能」な数字であると書きましたが、レスターさんは(アメリカ型消費社会は)中国が追いかけるべき理想のモデルとしては機能し得ないと言っておられるわけです。だとすればインドでも、その他の発展途上国でも機能し得ないし、中国やインドが発展をとげた数十年先では、先進国12億人にとっても機能し得ないシステムになるだろうという問題提起です。
     
    >不可能であるのなら…限られた資本を分け合っていくのなら、資本主義なら資本にそった逓増-逓減状態になる
     
    それがぼくとさんのおっしゃっておられることだし、Chic Stoneさんの思考実験の内容ではないでしょうか。まさしく「無いものはとれん」のだから、「有るもの」の奪い合いになります。中国やインドが、ある水準を越えて発展した場合、「限られた資本を分け合っていくのなら」、私達の生活水準が下がるということが、充分にあり得るわけです。あるいは先進国+中国+インドの全員が、生活水準や発展スピードを下げることなく資源を消費し続けて全員が自滅に向かっていくかです。
     
    >生産形態自体を変化させるというのももしかして可能なのかな、と。
     
    その方の話は(失礼ですが)かなり眉唾かと思えるのですが、どちらにしても循環可能な社会のためには、技術的な発展も欠かせません。レスターさんもそのことを前提にしておられるようですし。
    ただ、こういうのが「研究」されてるから、今まで通りで大丈夫だみたいな論法に使われるのでは本末転倒でしょう。「今まで通りで大丈夫」じゃないから研究されてるわけでね。
     
    >ところで日本の伝統的生活形態や共同体がどう有効なのかよく分からないので解説とか希望したいです。
     
    まあ、上で書いたようにまだ「直感的」な段階なんですが、70年代日本人の(食)生活なら、全世界の人々に保証しても、(カロリー計算上は)現段階ならまかなえるということはあると思います。また、日本人の感性として、自然を征服して消費していく欧米型資本主義への崇拝が低い、貧富の差は「自助努力」だけの問題ではないとか、労働者が「階級」だと意識がある(ただしこれはここ10年でだいぶなくなった)、「もったいない」の思想など、効率だけで割り切れない価値観を持っている等々。
    うーん、拾い集めてみると、中心に据えるにはちょっとむなしいものばかりかな?このへんは「太陽に集いしもの」さんあたりがご専門だと思うのですが。
     

    • 勤め人
    • 2005年 5月 20日

    「農業に限って言えば生産してマネーをえつつ、森林資源を増やす方法が発表されてるYO!、この増加分を上手く使う手法も研究はされてるデース」

    アグロフォレストリのこと?
    日本でやるのは無理くさくないかな、なんぼなんでも。
    考え方を応用できないか考えてみるのはいいかもだけど。

    • あかひげ
    • 2005年 5月 21日

    またも急ぎで、
    返答どうもです、人口間違えてるとこ訂正でひとつ

    >アグロフォレストリ

    そう、それが言いたかった、多分

    嘘ですすいません、名前とかしらんです印象に残ってたので書いてみたかっただけです
    お詫びにまた馬車馬のごとく働いてきます

  7. アグロフォレストリ!
    「嘘くさい」なんて言ってすまんかった。反省します(しかしあかひげさんの書き方も悪いっすよ)。
     
    ちょっと検索してみました。
    一般的な用語解説として「ウインドファーム用語集」
    http://www.windfarm.co.jp/dictionary/archives/000025.html
    実践例として「インタグコーヒー物語」
    http://www.windfarm.co.jp/ecokaze/007/00701intag.html
     
    インタグコーヒーの産地、エクアドル・コタカチ郡知事のアウキ・ティトゥアニャさんは、初の先住民出身知事として、わずか31歳で初当選。欧米日の資本に組み込まれるような「援助」を拒否して、地域の先住民共同体に根ざした持続可能な発展を目指しておられ、その姿勢は「チェ・ゲバラの再来」とも評されているそうです。
    その彼が、日本の資本による鉱山開発と自然破壊に対抗して推進したのがアグロフォレストリによるインタグコーヒー栽培と、先住民女性らの民芸品の販売という、自然との共生が可能な経済発展モデルだったということらしいです。だいたいこのへんは私のイメージしているところと近い。
    また、日本の人々の中にも、先住民の生活を激変させる自然破壊の「開発」ではなく、また、現地の人々を「安い労働力」とみなすのでもなく、その労働に見合う適正な価格でインタグコーヒーを買い取り(フェア・トレード運動)、販売しようと努力した人々がいることを知り、大変に心が救われる思いです。
     
    私の印象では、アグロフォレストリは「開発された方法」ではなく、先住民の現地共同体で続いていた「伝統農法」にスポットがあてられたものだと思っていたのですが?確かに「近代農法」から見れば非常に「効率」が悪いですが、自然との共生という点で大変に優れた農法のようですね。工業だけでなく、農林漁業もまた、やり方(=効率優先)によっては自然を破壊することは注意を要する点です。
     
    まあ、「日本では無理っぽい」という勤め人さんの指摘はその通りだと思いますが(なにせ「森林農法」と訳されてますからね)、日本にいる私達にとっては、アグロフォレストリそのものより、フェアトレードのほうが重要な概念になってくるかと。どちらも「マネーを稼ぐ、動かす」資本主義そのものなんですが、同時に「搾取」や「効率」を否定または無視する点で、非常に非資本主義的な発想です。
     
    で、なんと、この5月にアウキ知事が来日されるらしいです。(http://www.windfarm.co.jp/20050520auki.html)
    知事にとって日本は、闘うべき敵がいると同時に、応援してくれる友人がいる、大変に因縁深い国ということになりましょうか。できれば「敵」の側には立ちたくないものです。

  8. ぼくとさん
    >3 従来からの先進国と中国が譲り合って、中国はほどほどの所で発展をやめ、従来からの先進国も生活レベルを落とす。

    資本主義の価格決定メカニズムから考えれば、これが妥当だと思います。
    資源が希少になれば、価格があがり、価格が上がればそれに応じて生活の様式を変えることができますから。

    >生産量あたりの資源の消費量や二酸化炭素・排気ガスの排出は激減し、
    こちらの方は徐々に進んでいると思います。

    ESDさん
    >経済規模が無限に拡大し続けることはありません。
    すでに、先進諸国の経済活動の多くはサービス業になっています。

    あかひげさん
    >「農業に限って言えば生産してマネーをえつつ、森林資源を増やす方法が発表されてるYO!、この増加分を上手く使う手法も研究はされてるデース」(一部脚色)
    >とか聞いたので、生産形態自体を変化させるというのももしかして可能なのかな
    各地域で伝統的に行われていた農法の原理を取り入れた環境調和型農法や複合農法といわれるものです。
    収奪的ないままでの農法の限界と欠点が明らかになってきたので、今後はこちらが主流になっていくと思います。

  9. >むにゅうさん
    >>経済規模が無限に拡大し続けることはありません。
    >すでに、先進諸国の経済活動の多くはサービス業になっています。

    1. サービス業といえどもエネルギー消費無しには動きません。これについてはジョージェスク・レーゲンの「経済学の神話」で書かれていますが、”ある配列を無限に並べ替え続けることで資源消費無しに効用を無限に生産できる(=経済規模は無限に発展できる)”という論に対して”いかなる並べ替えもエネルギー消費なしには行えない以上、エネルギー供給量は結局経済規模を規定する”と反論しています。
    2. 先進国がサービス産業に転換したとして、物のフロー自体が変わらないのであれば、それは生産国が移転したというだけで世界全体では何も状況は変わっていないといえます。

    • 天然
    • 2005年 5月 21日

    燃料電池に期待しています。

    • あかひげ
    • 2005年 5月 21日

    草加さん
    お気になさらず、なんていうか、うそ臭いし>私の書き方

    なんせ私自身名前がでてこなかったわけで、お詫びしつつ、これから24時間寝ますモウマブタガオモイ

    • 三浦小太郎
    • 2005年 5月 22日

    数年前に書いた書評ですが、参考になれば。

    書評 「ラダック 懐かしい未来」 ヘレナ・ノーバーグ・ホッジ著 『懐かしい未来』翻訳委員会訳 山と渓谷社発行  

     近代文明の乱開発、そして環境保護問題について書かれた本は多い。しかし、これほど感動的で、問題の本質を見据えた本は私の知る限り始めてである。チベット、ヒマラヤの文明に興味のある方だけではなく、すべての人たちにご一読を進めたい。
     著者は1975年から、言語人類学者としてヒマラヤの辺境ラダックに入った。当時のラダックの人々の生活は、自然と共に充足して生きる、これこそが「美しい生活」だと思わせるものだ。確かに、識字率は低く、暖房も近代的医療もないため幼児死亡率は高い。だが、それは彼らが『不幸』であることを意味しない。農作業は常に自然への敬意と一体感の中でなされ、『雑草』などという概念も無く、すべての植物は活用される。「ごみ」などというものは殆どない完全なリサイクル社会。家畜も同じ生命を持つものとして敬意を持って扱われ、その肉を食べるときも成仏を祈る。老人は知恵あるものとして尊敬され、若者と交流し続けるため決して孤独ではない。競争も無く、相互扶助が行き届くため殆ど貧富の差もない。これは確かに『幸福』な世界なのだ。著者はラダックを「個人の善が共同体の善と矛盾しない社会を受け継いできた」と見事に定義している。
     そして、ここラダックにも近代化と貨幣経済、消費文明がもたらされ、このユートピアは確実に崩れていく。伝統的な生活は崩れ、消費文明の見地から見れば貧しい文盲の農村でしかないラダックは急速に変貌し始める。しかし、本書の素晴らしさは、それを単純に嘆くのではなく、新たな可能性を示唆していることだ。著者は、伝統の破壊につながらない開発も可能なはずだと力強く述べ、ラダックの伝統文化と価値観の上に立った新しい地域開発を実現しようとする。その実践に向けた『ラダック・プロジェクト』については、本書に是非当たられたい。ここには、現在の消費文明一辺倒のグローバリズムでもなく、反米、反先進国を叫ぶだけの反グローバリズムでもない、まさに仏教的な『中道の道』が示されている

    • ぼくと
    • 2005年 5月 25日

    一つ思いつきました。
    草加さんは先進国の国民すべてを親ネズミとして12億人としていますが、現在の先進国の多くで貧富の格差が拡大しているという事実に目を向けたとき、現在の先進国の中にいる低所得層と、中国の中所得層の生活レベルが逆転する日も近いのではないでしょうか。
    そうなった場合、地球全体としての親ネズミの数の伸びは鈍化するかもしれません。

    以前に私の投稿で、「地球という限られたパイの配分の中で、中国がパイの取り分を従来より多くし始めたとき、?中国がパイの分け前を奪えず頭を抑えられるか、?先進国がパイの分け前を減らすか、?発展途上国から先進国と中国が今より多く奪うか。」という3択を考えたのですが、「先進国全体としての分け前は減るが、その中で上にいる層が生活レベルを維持するために下にいる層からパイを奪う。」という第4の選択枝を提示したいと思います。
    選択枝というか、今実際に起こってる事ですね。
    国単位ではなく、国の中でも層が分かれているということを失念していました。

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