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「頑張ろう日本」の前に効率優先主義の責任をとらせよう-反対同盟萩原進さん挨拶

【4・15反対同盟団結お花見会における萩原進事務局次長の挨拶】

画像報告 →動画報告1

……いわゆる旬の野菜っていうのはそこにあるんですよ。それを無理してハウス栽培とか、促成栽培とか、抑制栽培とか、そういうものをもってして、その、食料をごまかそうとしているのが今のやり方なんです。われわれがジャガイモを植えた時点で、もう何日かすれば九州のほうでは新ジャガができる。沖縄にいけばもう最適な気候になっているわけです。ですから、無理してそういう形で化学肥料あるいは企業の言いなりになって、資材のかかる石油製品のものを使わなくともですね、そういう形で、日本列島というのはできる地形になっているんです。ですから、そういう中で食料というものを考えていけばいいわけです。

 それはTPPにも通じることで、今政府がやろうとしているのは、広大な面積において、そしてその中で、効率主義的にやっていけばいいんだというようなやり方を導入しようとしているわけです。それはあくまで机上の計算であってね。それを日本の農業の形態にあてはめようなんてのは、そんなやり方ってのは、絶対的にダメです。ですから、自分たちはやっぱり、その地域にみあった、そして家族を主軸とした、そしてやりがいのある、そういう魅力ある農業を育てていこう、そしてそういう人たちと一緒になってやっていくと、そういうやり方の農業を追求したい。

 そういうやり方を昔からやってきたわけですよ。それをいっぺんに変えようとしている。その一つの大きな転機が飛行場建設だった。市東さんの土地の問題にしたって、100年近い、一世紀近い耕作をしてきたわけですよ、もう本来であれば市東さんの土地なんですよ。それを一方的に奪い去ろうなんてね、そういう形でやってくるなんて、もうとんでもない話です。ですから、そういう土地の問題だけでもこれは一時間は話したいんだけれども、そういう形で、土地そのものを商品化して、そしてそれを効率主義的に展開していこうというやり方が今の農業政策であるし、これに対して農地こそ、土地こそ、侵したら元にもどらないんだと、ですから耕す者に権利があるんだと、そういうことを今、本当に胸をはって言える時代にはいったんじゃないか。

萩原進さん(反対同盟お花見会にて)
 本当にそういう意味でね、ほんとに今、めちゃめちゃなやり方しているでしょ、再稼動を今度は認めるって形で、なんとかして再稼動ありきで、認めるって形で今進めようとしているわけですよ。そうじゃないでしょやっぱ。今までの責任を明らかにしない、そして責任をとらない、こういう中でね、それをやっていこうなんてとんでもない話ですよ。3月集会でも言いましたけども、ガレキ処理にしたって、そういうガレキを作ったのは誰なんだと。

 あの福島の集会で高校生が、経済を言う前に、人間の命のほうが大切なんだと、そして、この状況を作ったのは天災じゃない、人災なんだとはっきり言ったわけでしょ。年寄りはやっぱり、戦時中の問題を引きながら市民政策で、これで支えあわなくちゃならんと、農民は、自分たちは悪くないんだと、こういうことを実際におこしちゃダメだし、そしてこの責任を絶対にとらせるんだ!という形で発言した。そのことをわれわれはどうとらえて、どう実践していくかという問題ですよ。

 そういう中ではね、これは絶対的に天災じゃない、人災なんだと、このことをはっきりさせ、認めさせるべきだと、そしてそういうことの中から、責任をとらしていくと、そして、ガレキにしたって、それを作ったのは誰なんだと、それをまた作ろうとするのが再稼動ですよ。決して「原子力をなくそう」とは言わないわけですよ、「こういう時だから、それを全国に一律化していこう」という。こんな言い方はないでしょう。われわれはそういう責任を絶対にとらせる、そういうやり方をしていこうじゃないか。あらゆる現場であらゆる地域で、ガレキ処理の問題で住民説明会なんていらないだろうと、だったらそれに対して反撃を開始しようじゃないか。そういう中から今の政治、社会の問題を提起し、知らしめていく、このままじゃだめだということをはっきりさせていく。

 TPPの問題にしたって、日本の圧倒的多数はね、まだまだ実態を知らないんですよ。そのことをわれわれは本当にほじくりかえし、そして満天下に示していくと。そして、今の、「がんばれ日本」じゃなくて、日本はもう、われわれがつくるんだというところに展開していく。今日のこの英気をそこにもっていきたい。

 まあ………(無言で宙を指差して)、そこに謙太郎いますよ。そして幸司オヤジもいます。それからあの高台には、本当にわれわれの指導者であった戸村(一作)さんが、「あの飛行機を撃ち落せ」と、そういう発言をなされたここ第一(公園)でね、われわれが誰はばかることなく、他から見たら「なんの団体だろうか?」と、そういう中でね、大胆に花見を今日できたのはね、本当に嬉しいと思う。彼らが作ってきた“葵の御紋”をね、われわれが踏み潰すんじゃなくて、それをもっともっと、二つも三つも全国に作っていく、そういう闘いをしたいと思います。よろしくお願いします。

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地球に酷似した惑星見つかる-せっかくの夢をオカルトまがいにしないでほしい

※昨年の12月初旬に書いたミクシィ日記からの逆輸入です。基本的にミクシィとブログでは、なるべく違うことを書くように努力しています。が、最近はちょっと重なりつつあります。頑張ります(汗
———–

ケプラー22
 昨2011年12月5日NASAより、太陽系外にある地球型惑星を探すために2009年に打ち上げた探査機「ケプラー」が、「生命誕生の可能性がある圏内に位置する、極めて地球に似た惑星を初めて発見した」との発表があり、大きな話題になりました。

 この惑星は「ケプラー22b」と名付けられ、半径が地球の約2.4倍で、地球からの距離は約600光年。生命にとって必要不可欠な水が存在する可能性があり、仮に同惑星に地表と大気が存在すれば、気温は摂氏約22度という「非常に快適」な温度になるとか。地球外生命体調査の大きな手掛かりになると期待が寄せられているそうです。(参照記事→CNNロイター

 子供の頃からこの手の宇宙の話やSFは大好きで、こういう話題には胸が踊ります。けど、一部の方のミクシィ日記を読んで思ったことなのですが、やはりオカルトと科学をごっちゃにするようなことはいけないと思います。それは男性で言えば、ポルノ小説と現実の恋愛をごっちゃにして女性を見るような態度です。何百光年先までの恒星間飛行や「ワープ航法」、それを前提とした未知なる生命体とのコンタクトの話は楽しいですが、空想と現実のけじめはつけないといけないと思うんですよ。

 今回のニュースで話題の「ケプラー22b星」は約600光年先にあるそうです。600光年というと、光の速度で600年の距離というのは、今時子供でも知っています。で、この単位に慣れてすぎると「1光年」とか「0.5光年」というと、なんか比較的近いように感じてしまう。光の速度で8分ちょっとの太陽なんてすぐそこだとか(笑)。

 さっぱり実感がわかないので、人類最速の移動手段であるロケットでどのくらいかかるか計算してみました。
 ネットでざっと検索すると、一光年は約9兆4千600億キロだそうです。なら600光年はざっと5京6千760兆キロになる。
 ロケット(スペースシャトル)の速度は27875 km/時だそうだから、66万9千km/日、2億4418万5千km/年。
 これで1光年進むためにはだいたい3万8636年くらいかかる計算になり、600光年先の「ケプラー22b星」を目指すとすれば、片道だけで2324万4671年!往復だとさらにその倍。

 地球上に、直立二足歩行をする猿人が出現してからでも、まだ600~500万年くらいしかたっていない。なのに2300万年ですよ。って、思わず24万4671年も端数扱いしちゃったよ。その「端数」の24万年前でも、まだ現生人類(ホモ・サピエンス)は登場していない。一人の人間にとっては最後の71年でも無理。

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動画】これは「事故」ではありません!

カナダ職場安全保険局の公共広告より

[翻訳(抄)]


1)事故?事故なんかじゃないわ。会社がずっと前にハシゴを取り替えてくれてたら。だいたいあんな高いとこ届くわけないし。働いてる人が少ないのになんでちゃんとした規則がないの?

2)私はここの副シェフなの。運が良ければ来年までにはシェフになれそう。素敵な婚約者もいる。でも週末の式は挙げられないの。私がひどい事故に遭ってしまって。本当に私はこのあたりの床の油を掃除しておくべきだった。そうしておけば私が「揚げ物」になることもなかったのに。

3)これは事故なんかじゃない。会社はあんな上に重い荷物を積むのが規則違反だってことはわかってるはずだ。オレもやってることに集中してなかったけど、上司たちが壊れた棚も買い換えられないとはね。

4)オレは家族をいい休暇に連れていってやりたくて残業してるんだ。でも、もうすぐ家族はオレが「事故」で殺されたって電話を受けるんだ。オレもイカれたハーネスを着けてたけど、会社はタンクを点検するべきだった。

字幕:アクシデント(自然発生的な事故)などということは決してないのです

——-
 かなり前に反戦動画集で紹介して、ブログにもあげておこうと思いながら、例によってそのまんま忘れてしまった動画です。サイト整理中に目に留まったので、あらためて紹介しておきます。

 日本の経営者の感覚じゃ、みんな「労働者の不注意」ですませられそうな事例ですね。これは事故から経営破綻まで、さらには貧困すらすべて労働者に「自己責任」を押し付けようとする日本の経営者や政治家に見せてやりたい

 子供たちがこういうCMを当たり前に見て育つカナダ社会と、「ストで何万人に影響が出た(=迷惑をかけた)」という偏向報道で、まるでストやデモ、団交などの正当な権利の行使が悪いこと、あるいは少なくとも抑制的であるべきだと子供の頃から教育され続け、今や若者がストや組合運動などを見かけると声援するべきなのにしかめ面さえするまでに洗脳された日本社会、その住みやすさの違いは歴然です

 本心から「愛国心」を語るなら、まずこういうことを一番に問題にしてほしい。その真逆である国家主義的でイデオロギーに満ち満ちた「愛国」運動で、日本がちょっとでも住みよくなるとは全く思えないし、私たちが幸せになれるはずもありません。

😕 参考:フレンチ・スト[/url](イルコモンズのふた。)←カナダだけじゃないぞ!

「英霊」こそが死者を冒涜する言葉だ-11・3 ブッシュ来日抗議 緊急アクションに参加して


報告動画(旗旗バージョン)
 今週の火曜に取り組まれた「戦犯ブッシュを裁く!11.3緊急アクション」に参加してきました。いつの間にかジョージ,W,ブッシュ前アメリカ大統領が日本野球機構の招きで来日しており、しかもこの日東京ドームで行われた日本シリーズ第三戦で始球式を行うというのでびっくりした。しかも「盟友」小泉純一郎元首相まで同席するという。

◆そもそもブッシュとは何者か

 オバマ・鳩山の「政権交代フィーバ」でくらまされて、政治家としては、もはや「失敗した過去の人」にすぎないブッシュ・小泉には、この対抗行動も含めてマスコミの注目もあまり集まっていませんでした。しかし私はこの前後の集会・デモの中では、あまり注目されていないこの行動にこそ一番参加したかった。他の集会やデモもそれぞれに意義深いものなのでしょうが、この日の行動については理屈ぬきです。政策とか社会のあり方とか、左右の立場とか、そういうものを超越し、たとえ小さくても人として抗議の声をあげたかった。

東京ドーム・ブッシュ小泉 そもそも日本野球機構は何を考えているのか。ブッシュ氏と言えば大量の民間人を殺傷したアフガン・イラク戦争、アブグレイブ刑務所での拷問、国際法違反のグアンタナモ収容所と、数限りないくらいの戦争犯罪人じゃないですか。
 もし彼がアメリカのような大国の元大統領ではなく、ユーゴのミロシェヴィッチやイラクのフセイン、チリのピノチェトや韓国の全斗煥、ペルーのフジモリくらいのクラスの国の「元大統領」であったなら、現在確実にその逮捕と処罰が国際社会の課題として浮上しているはずです。私にしてみればアルカーイダのウサマビンラディンを始球式に呼ぶのとさして違う行為とは思えません。それが言いすぎだというなら、上に並べたような連中と同じようなもの。つまりブッシュとはそういう男なのです。

 たとえば日本野球機構は彼に靴をぶつけようとしたイラク人ジャーナリストが、アメリカに気を使う各国政府の「配慮」を尻目に、アラブ全体で「民衆の英雄」として、とどまるところのない拍手喝采が続いていることをどう思うのか。それこそ各国政府の公式発表や、それを下敷きにしたアメリカ中心の大マスコミの表面的な報道を見ているだけではわからない、「ブッシュ氏がしたことは何だったのか?」という問いに対する、雄弁な回答ではないですか。そして幸いにも私たち日本人も、この靴投げ事件の波紋を意外なことでもなんでもなく、「まあそうなるだろうな」程度には受け止められる常識感覚を失っていないと思います。対して日本野球機構はアラブの人々に真っ向から対決する政治的な意思表示をしたといえます。

 日本野球機構が百万回の理屈を捏ね回し、どんなに言いつくろってみようが、彼の責任で全くその必要のなかった何十万、何百万の人々が殺され、家や家族を無くし、極貧にたたきこまれ、今現在も眠れぬ夜を過ごしているのです。そういう結果を無視して、彼の行為を正当化しようとしてみたところで、結果が「トンデモ」なのですから、普通そういうものを世間では「屁理屈」というのです。

◆「英霊」こそが人の死を冒涜する言葉なのだ

イラク・バスラ空爆被害者
    ブッシュに法の裁きを!
 侵略・虐殺・戦争行為の正当化は悪しき意味での「政治」そのものだと思います。そしてそういう悪しき意味での「政治」は、罪なく殺されていったイラクの人々のみならず、侵略者として銃を握らされ、人々の憎しみの中で死んでいったアメリカ兵をも含む、すべての死者に対する冒涜です。

 悪しき意味での「政治」は人の死を分類し、侵略者の側で死んでいった者だけを英雄やら英霊やらと祭り上げて自分たちのために利用しますが、そういう利用行為こそが最も忌むべき人の死を汚す行為であり、戦争政治屋どもの冒涜行為に他なりません。「死者の分類・差別」と「死者の再利用」(総じて言うところの英霊サイクル)」は被害者と加害者の両方の死を冒涜し汚しています。

 対して、そういう侵略・虐殺・戦争行為に純粋素朴な怒りを燃やし、糾弾し、その責任を問い、ましてや自分が(被害者であれ加害者であれ)当事者になることを拒否することは、ごく普通の人間の素朴で当たり前な行為です。つまりそれは「政治」ではありません。政治や理屈はその次の段階で出てくる話であり、こういう当たり前の人間としての普遍的な叫びを真摯に受け止め、実現していくことこそが「政治」に求められる役割なのです。
 だいたい私たち日本人は元来「敵味方関係なく死を悼む」ことができる感性と文化さえ内包していました。それが明治天皇制-靖国的イデオロギーによって捻じ曲げられ、西欧的利己主義の悪い側面ばかりが輸入され、日本文化の「古きよき」側面のみが天皇主義によって破壊されてきたように漠然とですが感じています。

Go to Jail Bush !  もちろん私は多くの人がそうであるように「民衆の受苦に対する抗拒」としての暴力(革命行為)を全否定するものではないし、その「暴力」の多くはヒューマニズムの荒廃ではなく、全く逆に自己犠牲的なヒューマニズムの高揚として歴史に刻印されており、今なお私たちの心を打つのは誰もが認めるところでしょう。それは文学、芸術、あるいはアニメやマンガのテーマとしても、繰り返し取り上げられてきました。

 しかしながら、それもまた、政治や理屈以前の「人間の自然な感情」の発露としてあったがゆえに、今でも私たちの心を打つのだということを忘れてはなりません。自国や自分の都合で行われる戦争や虐殺・侵略などの暴力行為には怒りをかきたてられこそ、決して心を打つものはありません。それに対する抵抗こそが感動を呼ぶのです。ですから右であれ左であれ、そういう政治以前の人間の自然な感情に逆行する、あるいはそういった逆方向に人々の意識をからめとって扇動していこうとするすべての行いや屁理屈政治を、私たちは強行、圧制の政治と呼ぶことができます。

 大切なことだと思うので、本編とは直接の関係のない話を長々と書いてしまいましたが、まさしく私が数ある集会の中でも、このデモにこそ一番参加したいと思ったのは、「政治的動機」以前の、人としてやむにやまれぬ気持ちからでした。イラクでブッシュによって無残に殺されていった人々は、あるいは今でも苦しんでいる人々は、彼が安穏と他国を行き来し、彼に協力した盟友小泉と共に始球式を行うなどと知ったらどう思うでしょう!そしてどんなに悔しいでしょう!「日本ではブッシュが暖かい歓迎を受けた」。そんなことで終わらせていいわけがありません

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自己責任論の本質(と引越しのご挨拶)

引っ越しました ◆引越しのご報告とお詫び

 みなさま、お久しぶりです。実は事情があって引越しました(単身赴任)。京都に住みながら、広島・岡山の西国に滞在して出稼ぎの生活でしたが、このたび東下りいたしまして、現在は東京都内の某市に住んでいます。
 ついでに、使わないと消滅してしまう未消化の有給休暇がありましたので、この機会に消化しています。結局は引越しのあれやこれやで忙しく、特に何か「リフレッシュ」のために使うことはできませんでした。考えてみればこの2年間、ほとんど有給も使わず、毎日12時間働いてまいりましたので、収入は下がる(残業代がつかない)けど、一週間くらい休んでもバチはあたるまいと思っています。

 引越しの前後、数週間にわたってネットにつなげない環境におりました。サイトの更新はもちろん、メールの閲覧も全くできませんでした。あらかじめお知らせしておりませんでしたので、ひょっとしてご迷惑をおかけした方もおられるかもしれません。申し訳ございませんでした。昨日からやっとネット環境も復活しましたので、『旗旗』の更新も再開していきたいと思います。

 なお、以前に中国地方に出稼ぎで働いていた時、「草加さんは非正規労働運動をはじめるらしい」とか一部で噂があったらしくてびっくりしたんですが、それでいくと今回の「東京進出」も、なにやらへんな勘繰りをする人もいそうで恐い。「夜逃げした」と噂されるほうがまだいい(笑)。特に公安関係者の皆さんは、そういうゲスの勘繰りをするのが商売ですからねえ。
 西日本の公安の皆様は、誠に正しくも私のような個人は歯牙にもかけず放置しておられたのですが、話に聞くところによれば、東京の公安さんは、私たちのようなただの一般市民にもしつこくつきまとう蒙昧なことを未だにしておられる旧態依然な状況だとか。それが本当なら、きっと東京は公安刑事の人数が多すぎるので、予算を削られないよう必死に「仕事」を捏造しておられるんでしょうねえ。税金のムダ使いご苦労様ですが、残念ながら今回の引越しも、今までの出稼ぎと同じく「政治的な動機」は全くありません(笑)。ただただ生きていくための引越しです。公安関係者の皆様に限らず運動圏のみなさんも、どうかそっとしておいてくださいますようお願い申し上げます。

◆「自己責任論」の本質

 つか、私としては一刻も早く京都に帰りたいくらいなんですよ。ただそれも昨今のご時世ではなかなか厳しく、生きていくためには自分の希望なんて二の次三の次ぎですわ。とにかくあれやこれや、あらゆる手段をつくして生活を防衛していくしかありません。そのためには日本中どこでも行くし、弱いものイジメや非合法でなく体を壊さない仕事ならなんでもするということです。来年の今頃はどこにいるやらわかりません。今や「すべり台社会」となってしまった日本社会では、ちょっとでもすべり落ちたら、元の生活レベルに戻るのは容易なことではありません。必死に歯を食いしばって頑張り、それでやっと現状維持ができるかどうかです。何かの拍子にほんのちょっと足を踏み外したら、そのまんま何のストッパーもなく下まで転げ落ちてしまうのです。
 ネトウヨのみなさんは、「民主党政権になったら中国が攻めてくる」とか現実離れしたバカな妄想を絶叫している暇があったら、民衆がみんな当たり前に日々の生活を守るため、必死に闘っていることを知るべきです。

愛の反対は憎しみではなく無関心です(マザー・テレサ) それはともかく、家族の生活を守って現状を維持し、今より「すべり落ちない」ためには全く気が抜けないし、そういう意味では、みんなが上を向いていた『三丁目の夕日』みたいな、かつての日本の「貧乏」とは質的に全然違う(だからこそこの作品に多くの人が郷愁を感じるのでしょうが)。現在のように小泉改革に代表される新自由主義が幅をきかせる時代には、昔のような「貧乏人」の明るさも消えうせ、貧しい人はみんな暗くなってうつむいていく。利己主義が蔓延し、その資本主義に特有なエゴイズムの土壌に「自己責任論」のアダ花が、まるで便所の裏の隠花植物のように花開く。それが今の日本の姿なのです。
 そんなところに日本古来の「助け合いの精神」なんぞ生まれようもない。惻隠の情もどこへやら、「他人なんぞどうでもいい、自分だけは損をしないぞ、逮捕さえされなきゃ何をやっても『合法』だ、合法なんだから文句あるか」、これが自己責任論の(そして資本主義の)イデオロギー的な本質です。これがエスカレートすると、自分の邪魔をする者は目障りだから逮捕しろというまでになり、ついにはそれに応えて凶暴化していったのが新自由主義政府でした。

 そこでは他人がどんなに困っていても、「自己責任!」とドラクエの呪文みたいなレベルで吐き捨てるように唱えておけば何もしなくていいのです。ちなみにこの呪文は政治家や大金持ちのようなレベル20の人でなくても、レベル1のニートやヒッキーの方々でも使えます。
 確かに誰でも使えるし、自分よりも弱くて困っている人に向けて使うことで優越感を得たい誘惑にもかられるのもわからないではないけれど、実はこの呪文は本当の敵ではなく、自分もろとも味方だけを全滅させる逆メガンテみたいなものです。
 自己責任の一言で貶められている「自分よりレベルが下の人々」が、実はすべり台社会における「明日の自分の姿」であり、世界の民衆の姿なのです。これを貶め、貧困問題なんて放置して当然、ましてや三里塚や辺野古、京浜ホテル争議など、国や資本によって苦しめられ抵抗している人々なんて助けるどころか逆にむしろ弾圧・抑圧・排除せよと言うことは、すなわち自分たち自身の首を絞めていることに他なりません。

 たとえば池袋の炊き出しなど、貧者へのボランティアに対する、行政さえも一体化した妨害や「苦情」に、こういった自己責任論・資本主義イデオロギーの端的な発露が見て取れます。私には「派遣村」など反貧困活動を担っている人々のほうにこそ、よほど「古きよき日本人」の精神を見て取れるようにさえ思います。
 今やこういった当たり前の助け合い活動さえ、「見えない所でやるのは勝手だが、自分のそばでやられるのは迷惑」という人が出てくるまでに、日本人の精神文化や、次代を担う子供たちの教育現場などは、自民党政府や新自由主義によってそれこそ「貧困化」させられ荒廃してきたのです。
 あげくには、新自由主義政策によって生み出されてきた自分たちの閉塞感を、全く逆にそれを生み出してきた自民党政府などの強者に対して擦り寄りながら、老人や子供、在日外国人のような自分たち以上の弱者を、権力の庇護の下に大人数で迫害してまわることで晴らそうとする「在特会」のようなファシズム運動(というか勝って当たり前の安全な所にしか絶対に出てこない単なる卑怯者の吊るし上げマニア)さえ幅をきかせているではありませんか。いったい「日本文化を破壊」しているのはどっちなんだと言いたい。

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選挙で「変わる」ことを望むもの-公共性の回復を



 投票にいってきました。私の選挙区は、今の情勢では当選確実の民主党前職に、前回は比例で当選した自民党前職と、共産党新人の二人が挑むという構図でした。その民主党前職はと言えば、いざとなればどっちに転ぶかわからない中間派ながら、一応は9条護憲派らしい。

 そいでまあ、ちょっと考えた末に、「保守2大政党制」そのものへの批判票として、選挙区は死票覚悟で共産党候補に、比例区は「絶滅危惧種保護」と民主党右傾化の防波堤という二つの観点から社民党にいれてきました。もちろん最高裁国民審査では、自分で呼びかけた通りに竹内行夫さんに「×」をつけてきました。

 まあこれで政権交代になって何かが「変わる」かと言えば、わたし的には変わらないだろうと言うしかないです。それはまず何をもって「変わる」と言うかの認識から議論しないといけないわけで、私としては民主党政権になったところで、現在の体制の枠内での同じ保守政党同士の政権たらい回しを、とても「変わった」とは表現できないわけです。民主党支持者の皆さんみたいに浮かれてはいられません。

 それはともかく、それでも私のような下層の人間にとっては、理想がどうあれ、現実問題としてとにかく少しでも「マシ」になってほしい。それは切実な願いです。

 そういう意味で、例の民主党の「子供手当て」なんか例にとってみますとね、自民党は「ばら撒きだ」とか言うし、共産党まで「配偶者控除を廃止するので増税になる」とか言っているわけです。しかし、もともと配偶者控除というのはなんだかんだ言っても「(専業)主婦の座」を保護するもんであって、昔はともかく今の時代ではかえって女性の社会進出を阻み、その非正規化を固定してきた制度なんですよね。それを廃止し、かわりにどのような家庭であれ、今まで「私事」とされてきた子育てに国家が手当てを出したり、さらに高校教育を無償化していくという行き方も私は「あり」かなと思うわけです。

 たとえば、ついこのあいだまで日本人が思い浮かべる「福祉」といえば「高齢者」や「障がい者」くらいしかないような現状だった。そのせいで「ホームレス支援」などは他の先進国では当たり前にボランティアのメニューに入っているのに、日本では長い間、いわれなき偏見の目で見られてきたんだろうと思うわけです。そこに「若くて健康な人々が人間らしい暮らしをするために税金を投入する」、それも福祉なんだという考えを導入するのは悪くない。決して「景気対策」とかそんなケチな話じゃなくてね。

 それを麻生さんは(賛成・反対はともかく)「ばら撒き」だの「景気対策としての効果」としてしか議論できなかった。麻生さんはこれを「福祉」という観点から、国家の大きな路線のあり方として政策論争していくなんて全く考えもつかない古臭い人なのではないか。それこそ麻生自民党政権の貧困な「福祉観」を表現しているのではないだろうか。そんなふうに漠然と考えていたところ、広島瀬戸内新聞のさとうしゅういちさんが、「控除から給付・サービスへ」という表現で的確に表現してくださいました

 私ら貧乏人からしてみたら、税金をまけてくれというよりも、「人間らしい生存を保障してくれ」というほうが断然に優先レベルが高いです。税金は取ってもいい。ただし収入や社会的な責任に応じて公平に。そのかわり、真面目に働いてきた人間が、突然に路上に放り出されて明日食べるものもなくなったり、子供が病気になっても医者にも見せられないとか、職を失って学校にもいかせてやれないとか、収入がないから子供を作れないとか、そういうことをなくしてほしい。

 一言で言って「自己責任から生存の保障へ」ということです。「自己責任」とセットのように「官から民へ」などという偽りのスローガンの元に進められてきた小泉改革は、まさしく行政や国家の「公から私」への転換にすぎなかった。今の世の中でこそ、政治が「公共性」を取り戻さないといけないのです。その主体が「官」だろうが「民」だろうがそれは問題ではないのです。むしろ在野の人々の努力を政治が後押しするのは良いことでさえあると私は思うのですよ。

 ところが小泉改革のやってきたことは、むしろ「公共性」を「私=資本の論理」に丸投げする結果でしかなかったのではないか。それとセットになった金持ちや企業優遇の減税や規制緩和は、(民衆の目線から見れば)すべからく行政が「安かろう悪かろう」化していく結果しか生み出さないのではないでしょうか。それは体制の危機を民衆に押し付けることで乗り切ろうとする発想であり、付け加えるならば、そういう社会の中でこそ「在特会」のような排外主義やファシズムが育っていくのは以前に書いた通りです。決して民衆をこそ守ろうとする努力は「無駄遣い」ではないし、私たちは寛容性を取り戻していかねばならないのです。

 「私から公へ」、今回の選挙がそういう政治の転換点になって、死ななくてもいい人が一人でも助かるならば、そして真面目で不器用な人が生きやすい社会になるならば、たとえ「体制内の改良」レベルでも、ちょっとくらいは今回の選挙も意味があろうというものだし、つけ加えれば、こういうことを議論してくれてこその「政策論争」だと思います。そんな観点からみれば、麻生自民党のほうがよっぽど「ばら撒き」の名にふさわしいのです。

※映像は日本以上に新自由主義と民営化の嵐が吹き荒れたアルゼンチンで、国鉄労働者の家族を描いた映画『今夜、列車は走る』と、日本の国鉄労働者の家族を描いた記録映画『人らしく生きよう』の予告編です。

新着】「左翼思想入門の入門」を追加

昔の中国のポスター「世界革命萬歳」 告知もなくひっそり(こっそり?)オープンさせていた「懐古的資料室」の中に、「左翼思想入門の入門」というコーナーを設けました。とりあえず3本ほど掲載しましたが、いずれはまっぺんさんとこのレッドモール党の「文献・資料室」や「懐古闘争の記録」に負けないものに成長させていきたいと思います。

 まっぺんさんとこの資料室は「社会主義・共産主義のお勉強をめざす人たちのために」となっておりますが、うちはなんせバカ左翼御用達サイトなんで、そんなにたいそうなもんではありません。まっぺんさんとこは本を一冊まるごとテキスト化したものがゴロゴロあるというすごさですが、旗旗では「入門の入門」という名に恥じず(?)、比較的短くて帰宅してから晩飯前にすぐ読めるものばかりにしていくつもりです。

 たとえば左派に限らず右派の人でも、一応はマルクスだの左翼思想だのも、どんなもんか「とりあえずチェックしときたい」という方もおられますでしょう。さらに、右派に限らず左派の人でも、「今どきいちいちマルクスなんぞ読んでられるかぁ!」という人は多いでしょう。特に我々バカ左翼には「なんとかズルして難しい本を読んだようなふりをできなものだろうか?」という需要があるだろうということで、そういう皆様の今宵のお供にいかがでしょうか?というくらいのコンセプトです。だから現役バリバリのマルクス-レーニン主義者の皆さんは、あんまり大真面目に噛み付いたりしたらダメよ(笑

 とりあえず実家の押入れをひっくり返していたら、私が青春ド真ん中なガキの頃に書いた「マルクス『賃労働と資本』学習ノート」が出てきたんで、これを載せました。つーか、これが出てきたから思いついたコーナーだということは秘密です。せっかくなんで、コーナー開設記念にブログのほうにも載せておきます。

 「はじめに」の部分は左翼のお約束ということで、ついて行けない人は飛ばしてくださっても結構です。しかし今読むとまぶしいわ、この部分(泣笑)。本題は「1. 労働力商品の価格としての賃金」からです。

 一読してマルクスは、別に現代の私たちの生活実感とかけ離れた難しいことは何も言っていないことに気がつかれると思います。特に工場労働や日雇い派遣を経験した人なら「うんうん」とごく普通に納得できる内容のはず。まあ、今の資本主義はもっと複雑で、金融資本はこんな産業資本みたいに牧歌的な「労働者の搾取」なんてレベルじゃない。まさに鬼が鬼を喰らう世の中で、私らはその足元で右往左往して逃げ惑いつつ、明日のオマンマの心配しているわけです。もうここまで巨大化して世界政治をコントロールする資本の動きは、こりゃ~誰も止められんわって感じですが、でも誰かが止めないとなーと思います。

 また、国家が経済過程に介入して矛盾を調整したりおこぼれの「福祉」政策(それもできなくなってきましたが)で労働者階級を買収する国家独占資本主義が多かれ少なかれ今の世界の主流なわけで、ここに書いてあることは資本主義の根本、または出自というような感じになります。しかしおこぼれもらってきた労働貴族なんかは、「お前らのせいでダメになった!」と上(政府・与党)からも叩かれ、下(労働者・大衆)からも突き上げられ、自己保身に汲々です。ああいうのを「左翼」とおもっちゃだめよ。しかし左翼が頑張らないと、こういう資本主義の危機が全部大衆にしわ寄せされ、あげくの果てにその不満がファシズムに回収されて無力化されてしまいます。

と、いうわけで、以下、「マルクス『賃労働と資本』学習ノート」であります。

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石原慎太郎さんについて考える

ishihara1984 今日はちょっと、つれづれなるまま、まとまらない雑感を書いてみようと思います。

●やはり石原さんは生粋のファシストだと思う

 都知事の石原さんは、言葉の真の意味でのファシストだと思います。念のために申しますが、これは決して石原さんを罵倒して言っているのではありません。今や「ファシスト」という言葉は、政治用語としてよりも単なる「罵倒語」として定着してしまいました。左翼がちょっと安易に使いすぎたからかもしれません。ゆえに誤解や冷静な議論にならないことを恐れて、今まで私はあまり使ってきませんでした。だって「ファシスト石原」と言ったところで、一般には「石原のアホ~!」というのを左翼用語で表現したくらいにしか思われないでしょうから。

 しかし本来のファシズムというのは、体制べったりではない。「反体制の改革派」として登場します。旧体制の腐敗を攻撃し、社会を牛耳る大資本を糾弾し、庶民の強い味方として現れる。ごちゃごちゃした利害の調整(民主的プロセス)をすっとばし、「抵抗」する者を粉砕して「庶民の望む政策」を実現しようとします。だから資本主義に余裕があって安泰な時代には、ファシストは冷や飯を食わされていて主流にはなれないのです。せいぜいが最右翼の「タカ派」として温存されているだけなわけです。もっとも最近のファシストは、自分達は極右ではなく「中道」だと自称することが多いですね。それは世界的な傾向です。フランスのルペンも、オーストリアのハイダーも、「自分は中道だ」と自称しています。政治的なマヌーバ以外に、そう言いたくなる深層心理(劣等感?)も興味があるところです。

 さて、現在のように、資本主義体制が危機に陥って、にっちもさっちもいかなくなったような時、いよいよファシストの出番がやってくる。左翼的に表現するなら、ファシストの一番の特徴は「擬似革命性」ということになるのです。この「革命性(今風にいえば改革姿勢)」で、本来なら反体制でなければ解決できない大衆の不満を右翼的に吸収し、結局は体制の改革ではなく、全く逆に体制を維持・強化するための道具として使われる。体制にとって危機の時代を粗暴にのりきっていくための「資本主義最後の切り札」がファシズムということになります。

 思い出してみてください。石原都政2期8年の中で、石原さんが一番「カッコいい」のはどんな時でした?国と喧嘩している時や、銀行などの大資本と喧嘩している時だったんじゃないですか?

●もう一つの特徴「自民族中心主義」

 ファシズムのもう一つの特徴は、自民族中心主義です。やはり左翼的な表現にすると「民族排外主義」ということになります。歴史をからめていろいろ言いますが、そんなものは歴史というよりイデオロギーです。国粋主義と言ってもいいでしょうか。もちろん石原さんもそうですが、都知事という立場から、強烈な「東京中心主義」としても表現されています。だいたいが自民党の旧体制というのは、都市部で集めた金を地方でばらまくという利権・腐敗構造で成り立っていました。大切なことは何でも庶民には見えない裏で決まる。表では当たり障りのない意味不明なことしか言わない。それを石原さんは「東京で集めた金はすべて東京に使え」と言い、(自分に冷や飯を食わせてきた)国や政治家の都合など糞食らえみたいな言動をとって都民を喜ばせた。ワンマンで独裁的な手法は逆にすべてが見えてわかりやすくもあります。東京を「国」におきかえれば、そのまんま、非常にわかりやすいファシズムになります。

 この民族排外主義の変形バージョンである東京中心主義というのは、石原さんが右翼以外からも支持されていく上で、非常に重要なキーワードになっていったように思います。それまで都民以外から東京を見た時のイメージは、華やかな首都としての印象以外に、「一極集中はよくない」「地方分権が必要」「首都移転を」「東京砂漠」「ふるさとへのUターン」とかいう言葉で表されるものありました。でも、石原さんは「中央集権のどこが悪い」「首都移転断固阻止」の立場であり、同時に上記のような「東京の金は東京で」という、富の再配分の否定という保守的な志向が、偶然にも地方への利権ばら撒きに対する批判となり得ました。一言で言えば都民に「自信」を取り戻したということなんじゃないかと思います。

 因みにですけど、「真の愛国者の党」を掲げる共産党は、この民族排外主義に対する警戒心が左翼としては極端に薄い。北朝鮮とからめて共産党を批判しようとするネット右翼の方とかみますと「わかってないなあ」と思いますね。自民党が急に拉致拉致言い出すまで、日本の政治勢力で最も北朝鮮(と中国)が大嫌いで今にいたる先鋭に対立し続けてきたのが日本共産党なんですから。共産党は、その矛先が共産党にさえ向かなければ、いくらでも反北キャンペーンをしますよ。ですが本来の左翼は、「国」や「民族」ではなく、非人道的な犯罪を犯した「人」と「罪」を糾弾し、それが差別的な民族排外主義に利用されそうな時には、警鐘を乱打するのが与えられた役割のはずなんですがね。

 まあそれは余談として、他にも数え上げれば、中央集権、軍事立国、自己責任、はみ出した者(例:同性愛者、ホームレスなど)への極端な蔑視、男尊女卑(古典的「家庭」の重視)、民族浄化、教育や芸術への介入と統制、、権力による「道徳」の強制、など、まあ一言でいって「美しい国」ってことなんでしょうね。とにかくいろいろあるんですが、そんなの全部あげていけば、本が一冊書けてしまいます。でも、みんな石原さんにはどんぴしゃり当てはまることばかりでしょ?あたしゃ全部まっぴらですけどね。

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リビング新聞と階級闘争

家計はどこへ●はじめに(言い訳)

 実質一年半ぶりの「左翼的発想の研究」カテゴリーへの記事投稿であります。実は今、私の職場では、「サンケイリビング新聞」の「家計簿診断」というコーナーが、ちょっとしたブームになっております。で、今回のエントリーは、私の職場の「パートのおばちゃん」達が、リビング新聞を読みながら大きな声で話していた内容を、左翼的に翻訳してみようという試みであります。さらに、その文章形式を、2ちゃんねるで一般に『吉牛コピペ』とか『小一時間問い詰めたい』とか呼ばれているテンプレートに当てはめて作りました(これが一番しっくりきたので)。よって今回は多少下品であり、とりわけ文中の登場人物に対して非常に失礼な表現が多様されておりますことをご了承ください。と、あらかじめお断り&言い訳しておきます。(_ _(–;(_ _(–; ペコペコ

●本文ここから

そんな事より1よ、ちょいと聞いてくれよ。スレとあんま関係ないけどさ。
「リビング新聞」って知ってる?サンケイが出してるフリーペーバーなんだけどさ、そこに「家計診断」っていう相談コーナーがあるわけよ、で、このあいだ、それを読んでみたんです。
そしたらなんか、毎回、新聞を破って踏みつけたいようなアホな「相談」が一杯あるんです。
で、先日読んだやつには、夫月収60万、妻月収25万、子供二人の夫婦からの相談で、必要なものを買うとお金が残らないので「どうすれば貯金ができるようになるでしょうか?」とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。

お前らな、月収が85万円ないと買えない「必要なもの」っていったい何なんだよ、ボケが。
世の中には、その「妻月収」の25万以下の収入で、一家4人が立派に生活している家なんて普通にあるんだよ。15万とか18万とかで暮らしている家だって、ちっとも珍しくなんてないんだよ。そんな家でも、将来の子供の教育費とか言って、ちゃんと毎月コツコツ貯金してたりしてるんだよ。
サンケイ側の相談員も相談員で、こんなアホな質問に「資産運用という観点が必要です」とか言いながら、大真面目に答えてやんの。おめでてーな。
そんなに貯金したけりゃ、「妻月収25万」だけで生活して、「夫月収60万」を全額貯金すればいいじゃねえか。相談の回答、一行で終わりだよ。

また、別の日の相談には、夫月収80万円の妻から「老後を考えると将来が不安です」とか書いてあるんです。
もう死ねと。夫が月に80万稼いでも遣り繰りできないような人に、どんなアドバイスしても無駄だろうと。もう諦めて野たれ死んでしまえと。

で、たまにはまともそうな相談もあるんです。夫月収15万、妻月収10万で、妻が出産のために一時的に仕事を辞める予定だから家計が心配とかね。これなら理解できる。相談したい気持ちもわかる・・・とか思っていたら、この夫婦、夫のこづかいが月5千円なのに、自動車の維持費関係で月に3万も使っているんです。生命保険にも月2万5千も使っている。
お前ら実は、「家計が苦しい」つーよりは、下層労働者階級なのに「中流」のふりをしたい、自分が「中流」だと思い込みたいだけじゃないのか、と問い詰めたい。
小1時間問い詰めたい。

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「馬鹿左翼」万歳!

元画像<菅孝行/貝原浩著「全学連」>より
馬鹿で結構!自身は「ノンポリ」(←すでにこの言葉自体が懐かしの響きですが)だとおっしゃるアプリオリ・アポリアさんからのコメントをいただきまして、ちょっと思うところがありましたので書いてみます。まあコメントに正面から答えることにはなってないかもと思いますが。(アプリオリ・アポリアさんのコメントはこちらです

さて、まず「石原某なんかに馬鹿左翼と言われて悔しくないんですか?」ということについては、「馬鹿」であることは否定しがたいので、特に悔しくはないという。「だって馬鹿だも~ん」(笑)ってことで。黒目さんなんかは名刺の肩書きに「バカサヨク」って印刷してるくらいだから。

今の世の中、うまく立ち回って自分だけは損をしない、傷つこうとしない、小さくまとまった「お利巧さん」ばっかりです。そんな世の中で、左翼や左派をやってること自体が「馬鹿」以外の何者でもないじゃあないすか?だから左翼は全員が「馬鹿」だし、むしろそうであるべきです。

石原某がわれわれを「馬鹿左翼」と呼ぶのであれば、
私は千回でも答えよう。「その通りだ!」とね。


ただ、もし注意するとすれば「馬鹿左翼」ではあっても、「左翼馬鹿」にはならないようにしたいと思います。つまり他人の意見や思想に対する柔軟性を失いたくないということですね。「馬鹿だから左翼」になったのであって、その逆には決してなりたくないということです。要は「硬直左翼」にはなりたくないってことですね。

ところがあーた、いるんですと、左翼の世界でもね、上の「硬直左翼」以外にも、自分は傷つこうとしない、批判されないことばかりに気を使って、小さくまとまった「お利巧さん左翼」がね。そんな「お利巧さん」なんて左翼じゃない!と思うんですけどね。そういう意味でも「馬鹿左翼」大いに結構です。いくらでも「恥」かいたろうじゃないの(まあ「今更これ以上かきようがないやろ」という話もあるが)。

「馬鹿万歳じゃ!」(ちびまる子ちゃんのおじいちゃんの声で)

さしずめ何の見返りも1円の得もなく、警官隊の拳銃に身をさらしてまで管制塔に突入し、あげくに8年もの獄中生活を余儀なくされ、さらに得をするどころか27年を経て突然に1億円を請求されている管制塔戦士達は、まさしく大がつく「馬鹿者」ですよね。そんな「大馬鹿左翼の鑑」たる彼らを、絶対にこのまま見殺しにはできないと思うのです

さて、続いて「朝生」を見ても分かるとおり、すでに思想や意見というのが「消費」さるべき「商品」と化している現状にはアプリオリ・アポリアさんならずとも、私も不満があります。現在の「論客」という用語の使われ方には正直に書いて反吐が出る思いです。「評論家」や「学者」の諸氏のうち、テレビ受けするようなタレント性の高い人間に冠せられる称号のようだが、まじめに学問をしているなら、わけのわからんタレントと並列にこんなよばれ方して恥ずかしさや不快感を感じないのか不思議です(このことについては、もう少し「穏やかな」表現でエントリーを書いたことがあります)。

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