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小説・三里塚

小説・三里塚 戦後最大の住民闘争、三里塚。実在の開拓農家をモデルに、敗戦、開拓、闘争と、その波乱の道のりを感動で描く。

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市東さんの農地取り上げに反対する会 親子3代90年も耕してきた農地を、違法に取り上げる動きを見過ごすことができません。

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戦旗派コレクション 20世紀、1970~80年代を駆け抜けた「戦旗派」の写真集。かつての同志たちへ、そして……。

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現役活動家時代に一般の方からよく聞かれた質問、100問100答集。過激派FAQ。
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救急車に乗っちまった―記憶ないけど(笑

工事中 昨日(17日)に職場でぶっ倒れて気を失い、救急車で運ばれて一晩入院、んで、本日の昼ごろ自宅に帰ってきました。

 毎日12時間以上も体力勝負の工場労働で、帰宅してからはこのサイトも更新したりいろいろ改造していましたので、睡眠時間も3時間くらいになっちゃって、少し体力を消耗していたかも。いっぱい検査されて治療費を2万円近くとられたのが痛い!

 同僚には迷惑をかけました。本心から反省です。会社からは「今度倒れたら首にする」とか言われましたが、言われなくても今後はネット生活をセーブします。基本的にネットは一日平均一時間くらいにするつもりですので、休日にまとめていろいろ書くような感じになると思います。休養ということばかりではなくて、ちゃんと活字の本をまとめて読まないと、ネットばかりで「情報収集」してたらアホになってしまう。と、言いつつ、ついついまた長時間やっちゃいそうなのが怖い意志の弱い私ですが(笑

 すみませんが、基本的に「返事なくてもごめんなさい」ということにしてください(今までもそうだろとの突っ込みはなしで)。ただ、ブログなどへのレスは遅れても、少しずつでも、できるだけ書いていくつもりですので、どうか今後ともよろしくお願い申し上げます。

長野聖火報道で見たショックな光景

先のエントリーの続きです)
ショックな光景
bar008.gif 投稿者:草加耕助 投稿日:2008年 4月28日(月)20時25分59秒

 せっかく盛り上がってきているところ、ちょっと空気を壊してしまいかねないので書くのを我慢していたのですが、三浦さんが長野現地に行っておられたとお聞きしましたので、おたずねいたします。中国の人権侵害に抗議する運動に、従来から真面目に取り組んでこられた人権派は別として、人種差別主義者民族差別主義者といった中国当局以下の唾棄すべき「糞のような輩(=嫌中派)」が大量に流れ込もうとしていることに対して、何らかの反省や批判は内部で行われていないのですか?

 実はこう申しますのも、先日、仕事から帰って朦朧とした状態でたまたま見たニュースで、在日の反体制中国人団体の話題が取り上げられていたからです。「祖国民主化」というのが彼らのスローガンのようですが、基本的には反共団体だという印象を受けました。一昔前なら、「反革命団体だ」ということで無視されるか、あるいは現在的にも、国際共産主義運動が人民内部にこういう部分を生み出してしまったことを“自分の問題”として反省することはあっても、彼ら自身と直対応しようとは思わなかったと思います。

 ただ、とても気になる光景が映し出されていました。
 彼らの一人が長野で抗議行動が行われると聞いて、それに参加しようとわざわざ出かけていったのです。自分も抗議の声をあげようとして参加できる集会などをさがして回りますが、最初に出かけた集会はいわゆる「嫌中派」の民族差別的なもので途中で参加を断念します。「特定の民族を『憎い』というような運動には参加するべきではないと思う」という理由で。
夜には市民団体のシンポに参加され、会場から挙手で「私は漢民族ですが、これは自由と独裁の争いであって、漢民族とチベット民族の対立にしてはいけない」と発言して、まばらな拍手がおこっていました。

 そして私が一番ショックを受けたのは次のシーンでした。
 聖火リレー当日、とうとう参加できる抗議行動が見つからなかった彼が、聖火リレーに抗議する人々に混じり、個人的に中国当局を批判するプラカードを掲げて抗議していた時のことです。彼が中国人だとわかると、なんと!この聖火リレー抗議隊は、プラカードを掲げる彼を取り囲んで吊るしあげはじめたのです!びっくりしました。聖火リレーに抗議している人々は、中国の人権侵害ではなく、それに抗議する人も含めて、手当たり次第に中国人をなじっていたのです。すごくショックな光景でした。

 追い出された彼は仕方なく、今度は聖火リレーを応援にきた中国人の集団に近寄って、プラカードを掲げながら説得と対話を試みます。当然にここでも猛烈な罵声を浴びせられて対話は成立しませんでした。テレビ局の人間から「どちらに行っても少数派ですね」と声をかけられると、「私が多数派ならとっくに中国は民主化されていますよ。仕方がありません。これからです……」とさみしそうにこたえておられました。

 私はそれからずっと今日まで、ショックで食事ものどを通らないような状況です。中国の人権侵害に抗議する日本人の運動自身が人権侵害を助長してどうするのか!中国当局と同じ穴のムジナそのもの、いや、人種や国籍を理由に「人権」や「民主」を掲げる人々まで迫害するなんて、中国政府以下ではないのか。本当に「同じ日本人として恥ずかしい」という気持ちにひさびさにさせられました。

 三浦さんはこの反共の中国人団体と交友はありませんか?あったら伝えてほしいのです。考え方は違う日本の左翼の一人だけれど、長野での日本人の仕打ちは本当に申し訳なかったと、日本人の一人として心から謝罪する、毎日思い出しては胸を痛め、ため息をついて泣いていると。

 こういう光景を見た後では、警察を賛美するメナール事務局長の談話なんぞ、全くの噴飯ものです。日本の警察は右翼の「抗議行動」には激しく甘いだけなのです。左翼が同じことをしたら激しい暴行を加えて引きずって逮捕していたでしょう。

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チベット問題・長野聖火リレーに関する議論より

(写真は反米嫌日戦線さまよりお借りしました)
写真は反米嫌日戦線さまよりお借りしました どうも右派系の中のごく一部の悪質な人(私がネトウヨと呼んでいる人々)が、チベット問題を文字通り単なる<ネタ>として使って、左派系のブログや掲示板を荒し回るという唾棄すべき行為を行っている(いた)ようです。これは命がけで闘うチベット人民に対する最大限の侮辱行為以外の何者でもないでしょう。

そういう現状もふまえて四トロ掲示板に以下のような投稿をしました(一部の抜粋)。

(抜粋開始)
『まず、「チベットを反中国のネタにしているに過ぎない人」というのは、左派系のサイトやブログに対して、チベットとは何の関係もないエントリーで唐突に「チベットはどうした」みたいなコメントをつけて荒し行為のネタにしている下品な輩のことでしょう。こういう人に限って自分ではチベット民衆のために指一本すら動かしてはいない偽善者であり、これはもう右や左の問題ではない。チベットの人々の闘いを、自分が気に食わない言論や人権への抑圧のネタにしているのあって、チベットの人々の思いを最大限に踏みにじって侮辱する行為として、左右を問わずにこぞって批判するべき行為です。こんな糞のような輩はもう問題外ですが、チベットについての書き込みで一番目だっているのが、こういう糞のような輩だということに、チベットを真面目に支援している人はもっと危機感があってもいいのではないかと思いました。

 次に、チベットを反中国(あるいは反共)のネタにしてはいけないというのは、私のような立場からはそう思いますが、もとから反共や右翼的な思想を持っている人にまで要求するのはちょっと酷かなと思います。別の言い方をすれば、それでは沖縄の米兵の少女暴行事件を「反安保や反基地のネタにするな」というナンセンス極まりない主張の裏返しになってしまうのではないかということです。

 私たちは少女暴行事件を「ネタ」にしたわけでは断じてありません。安保や基地の存在こそが沖縄や世界の人々の人権を踏みにじっている現状を一貫して問題にし続けてきたのです。では私たちと同じように、真面目に世界の人々の人権を一人の市民として考え、その結果として「反中国」を人権擁護の観点から訴えるような人まで、上記のような糞のような輩と同列において批判してもいいのかと思います。

 チベット問題の何が問題かと言えば、それは人権抑圧であることです。いっさい「反中国」を言うなというよりも、人権擁護の観点からなされた主張かどうかという視点のほうが重要であるように思います。
 すなわち、民族排外主義や外国人排斥などの差別、人権抑圧のネタにチベットを使うような言論の名に値しない「擬似言論」とは徹底的に闘うべきだと思いますが、人権擁護の観点からの「反中国」は通常の議論の対象であって、決着は大衆からの支持によって決まると思いますよ。たとえばチベット支援の大衆的な集会にそういう「反中国」な「右」の人がいたってかまわないし、自由に発言したらいいと思う。それは米軍糾弾の会場に「左」な人が来るのと同じことでしょう。ちょっとでも「反中国」だからと目くじらたてるのもどうかと思います。

 結論的に言えば、むしろどちらの主張が人権擁護に寄与するものかを競い合うくらいの心構えがないと、右であれ左であれ、泥仕合的になじりあっても大衆から呆れられるばかりです』
(抜粋ここまで)

 左翼が心配しているのは、中国批判が真面目な人権侵害への抗議ではなく、民族差別や排外主義(一言で言って“嫌中派”の運動)に捻じ曲げられて利用されるのではないか、そいう差別や人権侵害の尻押しをしてしまうのではないかということです。だいたいが中国への批判は体を張ってでも中国にしろと言うのが筋であり、左翼(とマトモな人権団体)はみんなそうしてきました。マトモでない人だけが上記のような悪質な行為をしています。

 こういうネトウヨたちは完全に勘違い(あるいは意図的に無視)しているようですが、日本の政治勢力で「現在の中国」と最も親密な関係にあるのは公明党-創価学会ブロックであり、2番目が自民党です。批判したいのならそちらにどうぞと言いたい。左翼各派は(毛沢東主義派も含めて)現在の中国とはほとんどが絶縁関係にあり、日本共産党ですら、文化大革命当時からすでに中国とは犬猿の仲です。そのことを知っていないと、以下の文章はわかりにくい部分もあるかもしれません。

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サーバ移転(一応)完了しました

パソコンの絵 サーバーの移転を一応完了いたしました。「移転する」と言ってもすでにサイト容量が2GBに迫っているので、移転先も限られています。まあ、実際には「結衣ちゃんは革命家」のゲームデータだけで800MBを占めるし、それにいくつかある動画データを足したらそれだけで容量の半分を占めますので、別に文章とか資料がすんごくある充実したサイトというわけではないです。今となってはゲームも動画も、この6割程度の容量で作れたということが、なんとなくわかってきましたが後の祭です。もう一度このゲームや動画を作り直せと言われてもゼッテー無理!一年はかかる。

 容量の増加には悩んでいましたが、このあいだまで使っていたサーバーが「月額250円、容量無制限」という爆安サーバだったので、「遂に安住の地を見つけた!」と思っていたんですけどね、実際に使ってみたらもう、コケるコケる。夜ともなれば数回のアクセスで必ず一度はコケていてアクセスできない。おそらく一日数百アクセスくらいの個人サイトなら何の不満も問題もないのでしょうが、ここは一日に千~2千アクセス後半くらいの誠に中途半端なアクセス数なもんで、これくらいになるともうダメみたいですね。まあ、これだけ安いのですから、夜間はアクセスが遅くなったりするのは仕方がないというか、覚悟はしていたんですけどね。まずはブログ関係のコンテンツからコケているみたいなので、トップページが表示されなくなるのを防ぐために、トップからブログ関係のパーツを全部はずしたりして、いろいろ努力はしてみたんですが……もう堪忍袋の緒が切れましたわ。

 現在のサーバーはいっさいコケることもなく、スピードもまずまずでストレスはなしです。ブログ関係のパーツもトップに戻しました。ただしその分、お金がががが!そっち方面でストレスが(笑)。なので荒す奴には今まで以上にもう容赦なしです(爆
さらに容量も3GBしかないので、新しいコンテンツをつけたす時にもよく考えないといけません。なんとかこの容量であと2年はもたしたいです。その後はビジネスクラスか自宅サーバーかというところでしょうか。

 ただ移転しただけでは何の変化もないので、この機会にあちこちメンテナンスしました。一番大きな変更は、サイトのコアシステムであるXoopsを、Legacyに入れ替えたこと。と、言っても知らない方にはわからないと思いますが、Macで言えばMacOSからOSⅩに、WindowsならMeからVistaに入れ替えたようなものです。今のところはその便利さよりも、今までのXoops上で動いていたモジュール(部品)が動かなくなることの恐怖のほうが大きいですが、時期的にそろそろ乗り換えるべきタイミングかなと。実は今使っているこのブログモジュールは「Legacyでも一応動く」というというレベルでして、このままLegacy完全対応の新バージョンが出ないなら、早晩のりかえざるを得ないです。

 あと、いろいろ細かいところをいじり倒しております。こういうのはやりはじめると凝ってきて止まらなくなるんですが(笑)、一つだけ例をあげますと、中央コンテンツ部分の一番上に、現在地を示すパンくずリストが自動で表示されるようになったことです。自動なんでちと不細工な表示になることもありますが、いやーこれはなかなか気持ちいいですわ。
 ちなみにこれだけだと、トップのホームページ上部には、このリストが「Home」とだけ自動で表示されて不細工きわまりないです。それでトップページにだけはこれが表示されないようにするにはどうしたらいいかと試行錯誤しました。まあ、見ている方には「ふーん」程度なもんでしょうが、苦労したので書いてみたかったということで(笑

 実はまだまだいっぱい、山ほど直したい所があって、その半分も終わっていないのですが、それは老後の楽しみ……じゃなくて、暇な時間(あるのかね?)の余暇にとっておくことにします。いい加減、入れ物ではなくて中身をつくらないと、誰も見に来てくれなくなるしなー。
まあ、何と申しましょうか、一時的に注目されたりして人様にいっぱい来ていただけますと、それはそれで好き勝手にアホなことが書けないような気がして窮屈なんですけどねー。いやほんま、人ってわがままなもんで。

石破防衛大臣に注目しています

石破防衛大臣 もし、私が今、何か政府に要望することがあるとすれば、とにかく「普通に怒らせてほしい」と思うのです。
 まずもって、すべての話はそれからです。

私は、最近の出来事にすっかり動揺してしまって、自分が憤っているのか、悲しんでいるのか、悔しがっているのか、何も分かりません。
(ブログ「壊れる前に…」 エントリー「無邪気なねこ」より)


 全く同感です。こういうのを指して一言でいえば「脱力」というのでしょうか?

 「敵にさえ敬意を抱かせるほどの……」という言葉があります。
 レーニンの著書「何をなすべきか」の中にこの表現が見え、元戦旗・共産同の議長(当時)だった荒岱介さんが初期の著作で時折使っておられた言い回しです。そしてこの言葉は私に強い印象を残し、いつしか私の人生における重要な指針の一つになりました。好んで人と敵対することはさけていますが、それでも全世界の人間すべてから好かれることは不可能ですから、嫌われたり、時には「敵」として認識されることがあるのもやむを得ません。むしろそれは誠実に生きていることの結果でもあるだろうと思っています。そして私はどうしても敵対してしまう相手、つまり「敵」に対してこそ最も誠実であり、自分の言葉に責任を持つべきだろうと考えてきたのです。

 ですから敵に対して軽々しく悪態をついたり、たとえば「殺してやる」など責任を持てない暴言を吐いてはいけません。私の嫌いなある種のタイプの人は、常に「自分が味方からどう見えるか」ばかりに気を使っていますが、とりわけ政治を志すような人こそ「自分が敵からどう見えるか」に気を使ってほしいと思います。敵から憎まれるのは仕方ないが、人間的に軽蔑されるようではいけない。そして時には敵に対する筋を通すために味方からブーイングを浴びることさえ恐れてはいけないと思います。

 なぜなら、敵に対して誠実であるということは、実はとりもなおさず自分と自分の言葉に対して誠実であるということだからです。たとえば運動現場に現れる機動隊や公安刑事です。彼らは私たちを「法律に違反している」という理由で弾圧してきます。ところがその彼ら自身が法律を守らない。彼らは自分に都合のいい時だけ法律を持ち出してくる。だから言葉に全然重みがない。「また公安が何か適当なこと言ってるよ」としか思えない。機動隊はこちらが普通に歩いているだけなのに、見えないようにむこうずねを安全靴で蹴り上げてきたりする。そして平気でウソをつく。だからウソをつかれないように、仕方なくこちらが法律を学ばなければならなくなる。いまだかつて「法の執行者として政治的に中立な立場から毅然とした警備をする機動隊」を見たことがありません。だいたい警備がはじまる前から、集会参加者にヤジや罵声を浴びせている時点で失格です。私は彼らを「税金で雇われた自民党の私設ガードマン」だと思ってそういう対応をしています。

 さらに共産党や民青の一部の諸君です。「権力の暴力に対してどう対応するべきか」という争点に対して、「絶対に暴力はいけない」という理由で私たちを批難しますが、その彼ら自身が私たちには平気で集団暴力をふるって運動を潰そうとする。そして私たちとは無関係の団体の事例をかき集めて「許せるか!この暴力集団!」というネットウヨみたいなビラをまく。思わず「いや、暴力集団って、それあんたらのことやし…」と軽くつっこまざるを得ない。他党派に対しては肩をつかまれただけで「暴力をふるわれたぁ!」と大騒ぎするくせに、自分達に対しては集団暴行しても「仕方がなかった」とか「そんな事実はない」とか言って仲間をかばう。だから論争相手(敵)としてさえ全く信用できませんでした。

 もちろんそうでない民青もいたと彼らの名誉のために言っておきますが、少なくとも彼らが多数派をとっている場所ではどこでもそうでした。とにかくちゃんとした「団体」の形をとっているか否か、右派か左派かにかかわらず、特定の政治傾向の人々が閉じられた空間で多数派になると全くロクでもない集団心理を形成することに軽い絶望感を感じます。

 で、前置きが長くなりましたが、なんでこういう言葉を思い出したかと言えば、自衛隊のイージス艦が漁船に衝突して沈没させた事件のニュースを見ていたからです。しかしこの事件のニュースだけならこの言葉は思い出さなかったかもしれません。自衛隊(防衛省)関連のニュースの中で、最近この言葉を思い出したのは、例の佐藤議員による「かけつけ警護」発言の時で、あきらかにこいつは軍人としては3流以下の、敵としても尊敬できない人間であると思いました。そのあたりはまた別エントリーにしますが、そのあまりの言葉の軽さから、米軍ヘリが沖国大に墜落した時の町村外相(当時)の発言を連鎖的に思い出しました。

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新着】ショップ旗旗を復活しました

ショップ旗旗にいらっしゃい! サーバーを移転した際に動作があゃしくなって、いったん閉鎖した「ショップ旗旗」を再開しました。
ただし今のところ試験運用中で、以前に旗旗舎の自前であつかっておりました書籍やDVDなどはまだ購入できません

 実は以前のシステムで、御注文のメールを受け取るのにYahoo!のアドレスを使っていたのですが、注文メールの大半が「迷惑メールフォルダ」に送られていたことにわりと最近気がつきました。しかもどういうわけかちゃんと普通に届く注文メールもあるので気がつかなかった。今ではYahoo!アドレスは使っていませんが、うちの場合、迷惑メールは三日も放っておいたら1000通くらいたまっていましたから中身も見ずにまとめて削除していました。「注文こないな」と思っていたら、かなりの方にすんごいご迷惑アンド失礼をしていたと思います。本当にすみませんでした。

 こういうアホな失敗のないように、ヒー言いながらも慎重に動作確認しながらどうにかこうにか形にしましたが、スキルと根気がないもんでチェック作業とかしんどかったですわ(笑
ショップ用のプログラムに関しては、当初は無料のもんばっかり使うつもりでしたが、どういじくり倒しても改造やカスタマイズをしきるだけの腕がないもんで、結局は一部有料の改造版をいれました。
 しかしそのおかげで、手持ちの商品だけでなく、他の方が扱っておられる商品についても、リンクショップの形で手軽に紹介・支援することが可能になりました。まあそのあたりは「ちょっと手の込んだリンク集」みたいな使い方しかしていませんが、それでも商品の数を飛躍的に増やして、なおかつささやかながらでも販売のお手伝いができるのはありがたいです。ダウンロードレビューのコーナーもあんまり賑わってないし、現状の使い方ならこの機能でショップに統合してしまってもいいかもしれませんね。

 とりあえずはリンクばっかりで、なおかつ商品の数もまだまだ少ないですが、今月中には何とか形にして手持ちの商品も販売できるようにしたいと思います。「ちゃんと完成してから公開せいや」の声も聞こえてきそうですが、まあ、毎日、ヒー言うてるのに、ずっと更新をさぼっていると思われるのもアレなんで(笑)、ここから先はその過程も含めて公開していこうかなと。

 実はやってみて一番難しいのは、「カテゴリわけ」と「代金収納方法」だとわかりました。カテゴリとナビゲーションは使いやすさの基本ですしね。どういうカテゴリを設定したらよいものやら、こういうお店では悩みますね。あんまりサブカテゴリを深く掘るのも個人的には好みではなくて、できれば2階層かせいぜい3階層までにしておきたい。「反戦、改憲阻止」などのジャンルわけをメインにするか、「書籍、DVD」などの形態別にするかも悩みます。

 次に自前商品の代金収納方法については、決済手段は多ければ多いほど良いわけで、とりわけ今どきのネットショップではクレジットカード決済は必須ですよね。でもそういうのを導入していくためには、自宅の住所や電話番号を公開したり、あるいは法人化する必要があったりします。私は別に今さら住所や電話番号を隅っこで公開するくらいいいかと思っていまして、更に男前の顔写真(藁)も掲載したいというたくらみさえあるのですが、やはり家族の同意が得られない(そりゃそうか)。それでしょうがないので、郵便振替口座一本でいくか、それとも業者に販売(発送・流通と代金収納)を委託するかのどちらかで考えています。今のところ後者の方向で進めています。個人的には郵便局やそのATMになかなか行けない生活なので、郵便振替オンリーだとちょっと困った経験があるもんで。

 まあ、そんなこんなですけど、それなりに苦労していますので、時々は「どこまで出来たかな~?」くらいの感覚で覗いてやってください。それから物販を行っている皆様には、「うちも掲載して」というご希望や「リンクすなや!」の苦情などありましたらこちらからお知らせください。
 そんで皆様にもたまには「ショップ旗旗」経由で何か買っていただけると非常に嬉しいというか、はりもでるのであります。今後とも旗旗をよろしくお願いします。

京都府警の「トラメガ弾圧条例案」批判

Warning Fascism 先日のエントリーの関連ですが、洞爺湖での首脳会談と並んで外相会談が開催される京都でも「トラメガ弾圧条例」の制定の動きが進んでおり、全国的にも注目されています。これは形式的には従来から他の自治体でも制定されている暴騒音規制条例(以下、騒音防止条例という)の「改正案」を京都府警が独自に作成したものですが、内容的にはそれまでの生活に密着した一般的な騒音防止条例を一変させ、全く異質な治安条例に変えてしまおうという試み(たくらみ)です。警察の言いなりに2月の府議会で可決成立が目論まれています。

■騒音防止条例と京都府警「改正」案の内容

 騒音の規制そのものは不当とは言えません。そして通常の騒音防止条例は行政が騒音発生の停止などを求めるさいの根拠となるものです。警察官にも現場で「勧告」する権限を認めたりしていますが、この条例で逮捕するといった刑事的な性質のものではありません。つまり行政規定としての色彩が強いものだと思います。

 確かに私たちの日常感覚でも、「隣の部屋のステレオの音がうるさい」といった場合、それは迷惑行為であって即時にやめてほしいとは思いますが、泥棒や強盗と同レベルの犯罪行為とまでは思いません。あるいは夜中に洗濯したという理由で刑務所に叩きこまれたのではたまりません。確かにまれには嫌がらせなど確信犯的に他人の心身を害するため、あるいは害してもかまわないと思って騒音を出す人もいるでしょうが、そういう「もはやこれは犯罪だ!」というレアケースには、騒音防止条例ではなく傷害罪などの刑事法で対応することになります。つまりそういう極端な事例は騒音防止条例とは全く別次元の問題ですし、それが常識感覚にもマッチしていると思います。

 これに対して京都府警の案では「迷惑行為」の段階でいきなり自分たちに逮捕する権限を与えろと求めているのが特徴です。しかも最高で懲役6ヶ月という重刑です。そして何より一番の問題点は、改正の目的が6月のサミット外相会談への反対や対抗などの運動を取り締まるために必要だから(京都府警自身がそう説明している!)とされていることです。つまりこの条例でトラメガ(肩掛け式の簡易スピーカー)を使って行う市民団体などの活動を規制しようということです。

 くりかえしますが、騒音の規制そのものは不当とは言えません。そもそも特に条例などがなくても、住宅密集地で「10メートルの地点で85デシベル以上」の騒音は国の基準でも規制されており、騒音防止条例でもこの基準を踏襲しています。ですがこの「10メートルの地点で85デシベル」というのは、市販の拡声器をごく常識的な範囲で使用しても容易に達する非常に厳しいレベルであり、実は商業施設を含む街中の拡声器(とりわけ宣伝カー)は、多くがこのレベルを上回っているということに注意が必要です。そのため騒音防止条例には、「この条例を国民の権利を侵害するために使ってはいけない」など、濫用を禁止する付帯条項がついているのが普通で、今までは警察も比較的穏健な運用をしてきたと思います。そういう柔軟な運用とミックスすることによって、この規制の厳しさも生きてくるのです。

 まあ、穏健と言うより、この条例だけでは逮捕することができないので、警察にとってはあんまり「美味しい」条例ではなかったのですね。本来ならこういう強権的でない条例を主要に使って、市民生活を守る立場からその利害の調整をはかり、穏健・妥当なスタンスで汗をかく活動をしてほしいものだと思いますが、警察(特に公安)はこの条例には今まであんまり興味がなかった。私もこの条例を口実に弾圧された経験はありません。つーか、デモの時に出てくる警察の宣伝カーが、デモ隊のトラメガの声が聞こえないくらい街宣右翼も顔負けの大音響でデモの妨害をしまくっていますから、自分たち自身があきらかにこの条例を「無いもの」のように扱ってきたわけですしね。

 さらに今回の京都府警の案では、別の団体が近くで拡声器を使用した場合には、音量が規制レベルに達していなくても取り締まれるという条項を新設したほか、音量の計測方法を簡易にして「10メートルの地点で85デシベル」あるかどうかを実際に計測しなくても取り締まれるようにしました。

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機動隊は日雇い労働者を練習台にするな!

レーガン来日時も山谷労働者が機動隊の練習台にされた今年のG8サミットは洞爺湖での首脳会談をはじめとして各地で開催されますが、公安警察ではこれを奇貨とし、行きがけの駄賃に市民運動などを弾圧してやろうと手ぐすねひいている姿が各地で見え隠れしてきました。「サミットの警備」と言えば多少のことならなんでも通ると思って大喜びなんでしょうが、不当なものについてはちゃんと監視していかなくてはなりません。仕事がなくなって巨大なる無用の長物と化した公安警察の存在アピールのためだけに、無辜の市民があちこちで逮捕されるような事態が頻発するのではないかと大変に心配しています。

たとえば今年の1月14には東京の山谷で日雇い・野宿の底辺労働者たちが「反失業デモ」を行ったところ、いつもと違う機動隊の動きが見られ、機動隊の側からデモ隊を積極的に襲撃してこれに抗議した参加者を隊列からゴボウ抜きにし、3名を逮捕するという機動隊の「訓練」が行われました。うち2名はいつものように事後に逮捕容疑をこじつけることすらできず即日に釈放されました。資料として主催者からの抗議声明をエントリーの巻末に転載しておきます。

ところでこの抗議声明にある通り、公安警察はマスコミの取材に対しこの釈放せざる得なかった2名のデモ参加者について、なんと「(あれは逮捕ではなく)目撃証人として同行を願い聴取したんだ」と冷や汗タラタラで言い訳したそうですが、これは全くの大嘘です。2名は当人の意思に反して機動隊に暴力的に拘束されたのだからこれは「逮捕」です。つまり警察ですら言い訳が不可能な明々白々な機動隊の不当逮捕だったことを公安刑事自身が自白しているのです。残りの1名も同様の状況で逮捕されたものであり、ただただ警察のメンツのために留め置かれただけです。

参加した方の証言によると、今回機動隊は、コースに面したすべての路地の入り口に阻止線を張るというデモの警備としては全く意味のない体制を敷いており、初めからG8サミット警備の「練習」ではないかと思ったそうです。デモの後半に機動隊が無意味な挑発を繰り返してわざと現場を大混乱させ、多数のケガ人や逮捕者まで出してしまったことについても全く理解しがたいということでした。

これで思い出したのは1983年の米レーガン大統領来日の警備に際して、やはり山谷の日雇い労働者たちが事前の「練習台」に使われたことです。たまたま見ていたテレビニュースで「レーガン来日時の警備体制」の話題を報じていたのですが、その時、すでにデモを終え公園で解散集会を開いている日雇い労働者たちに対し、機動隊員が公園にいっせいに突入して日雇い労働者を蹴散らしていく映像が流れました。機動隊の指揮者が白い指揮棒を振り回して大声をあげつつ先頭にたって突入すると、公園の入り口付近で警戒していた女性を含む4,5人の支援ボランティアの人たちが、あっという声をあげる間もなく機動隊の紺色の乱闘服の波に飲み込まれて見えなくなっていく姿を今でもはっきりと覚えています。

公安警察作成のコスプレポスターニュースのアナウンサーは「こういう動きは予行演習的な警備ではないかと一部で批判も出ています」と言ってましたが、そういう声は大きくならなかった。同じことを共産党や社会党(当時)の隊列に対して行ったら目立ちすぎてもっと大きな問題になったでしょう。日雇い・野宿労働者に対する社会的な注目は、当時は今よりさらに低かったため、彼らになら少々のことをしても抗議してくる人が少ないだろうということを見越した上での「訓練」でした。80年代においてすでに街頭での大規模な大衆的反乱は消滅していましたから、若い隊員たちに「実戦感覚」を身につけさせるにはかっこうの練習台だったわけです。この時には機動隊はガス銃部隊まで投入して「訓練」しました(さすがに命にかかわるので実際には使用しませんでしたが)。おそらく彼らの年代ではガス銃なんて一度も使ったことはないでしょうからね。

ですから私は前述の山谷労働者逮捕のニュースを聞いた時、「え~!いまだにそんなことやってんのか!」とほとほと驚き、また呆れはてました。時代は進むどころか退歩しています。運動の側はどんどん変化して進んでいるのに、公安警察の頭の中は今でも’69年あたりの冷戦構造で止まったままです。そして現在では通用しないそのアナクロな時代認識を、今の市民運動などに無理やり当てはめて「過激派がくるぞ!」「危険だぁ!」と狼少年のように叫んで一人でむなしく走り回っています(それはネトウヨも同じですが)。そのアナクロさは駅に貼ってある「過激派のアジト摘発に御協力ください」という、もはやプロパガンダ(政治宣伝)として以外には何の意味もなくなった超時代遅れのポスターを見れば一目瞭然ではないですか(こんなもんに税金使うな)。

いや、まだ昔の公安は、自分たちが相手にしている「過激派」のメンバーの実存が、実はちょっと正義感が旺盛な普通の人間にすぎないことを知っていました。むしろ自分のほうが特殊な人間であるという自覚もあったかもしれない。ところが「過激派」なんて存在しない時代の今の公安は、伝聞情報でしか昔のことを知らないから、何かしら反体制派全般が特殊な人間のように思いこんでいるだけに、本当にたちが悪い人たちばかりになっちゃっているということだろうと思います。
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フォークゲリラと『古いヨーロッパでは』

フォークゲリラ■「古いヨーロッパでは」

 超有名サイトであるバーチャル歌声喫茶『のび』さまに、畏れ多くも掲示板でリクエストをしてみたところ、なんとこれに応えてMIDI音源を作成していただきました。感動です!しかも1月29日にリクエストしたものが、なんと2月2日にはもう完成版としてアップされているという素早さでした。同サイトでは今日現在1,207曲ものMIDI音源が楽しめますが、そのすべての著作権をクリアしておられます。要するにリクエストに応えるにもそれは「タダ」ではなく、苦労して音源を作成した上に、ご自身でお金を負担してまでみんなのリクエストに応えておられるわけで、本当に頭が下がります。

 私がリクエストしたのは『古いヨーロッパでは』という曲です。私がこの歌を聞きたいと思い続けてきた理由は、以前に読んだベトナム戦争当時の本で、新宿西口広場で反戦歌を歌ったというだけの容疑で令状逮捕されたキリスト者の女性が書いた手記にすごく感動したからです。この手記の中に警察の留置所で同房になった恐喝容疑のお姉さんにこの歌を歌ってあげたらそのお姉さんがすごく感動し「出所できたら彼氏と二人で西口に聞きにいきたい」と話してくれたというエピソードがあります。

 この本を読んだのは80年代のことで、本には歌詞と楽譜は掲載されていましたが、音楽の素養が全くない私に楽譜が読めるわけもなく、どんな曲なのか一度は聞いてみたいとずっと思い続けてきました。少し長いですが多くの皆さんに是非とも読んでいただきたいと思い、この本の該当の手記を、このエントリーの後半に引用しておきます。この女性の手記は、きっと今の皆さんにも共感を呼ぶものだと思います。最近は「反・反体制」でさえあれば統一教会でもなんでもいいみたいな愚かな人がいて、市民運動を暴力的に襲撃する街宣右翼に対してさえ「左翼に抗議する一般市民」とか注釈いれてるアホがいますが、もし「運動現場に登場する一般市民」というものが想定しえるのであれば、この手記の女性こそがまさにそうだったと思います。

フォークゲリラ 新宿西口 ■フォークゲリラへの弾圧

 簡単に背景を説明しておきますと、この本が書かれた1969年当時はベトナム反戦運動の真っ最中で、新宿駅の西口広場ではいつの頃からかギターを抱えて反戦歌などのフォークソングを歌う若者が見られるようになりました。それが通りがかった人たちの共感を得て一緒に歌っているうちに、いつしか自然発生的に毎週大勢の人が集まるようになっていったのです。彼らは俗に「フォークゲリラ」などと呼ばれ、発祥は京都のようですが、そのムーブメントは東京に飛び火することでそこから若者を中心に全国に広がっていきます。具体的に彼らのやっていることは集まって歌を歌っているだけであり、そのムーブメントの全国的な中心が新宿西口広場だったわけです。

 ところが当時の佐藤自民党政権は、「西口広場」という看板を単に「西口通路」と書き換えることをもって、この平和的な「運動」ならぬムーブメントを禁止するという政策をとりました。当然に「民衆が歌を歌うこと」を禁止するための唐突な看板書き換えに納得するような人は一人もおらず、ゆえに人々が集まるのをやめないと見るや、今度はなんと大量の機動隊を投入し、ただ歌を歌って広場の清掃をしているだけのフォークゲリラたちを棍棒で殴りつけて蹴散らすということをやったのです。それを目撃した通りすがりの一般大衆までが、怒って機動隊に投石をはじめ、騒乱状態になることもありました。

歌を弾圧 フォークゲリラ 新宿西口 これはまさしく現在の私たちが見聞きする独裁政権下の国となんら変わらない光景です。さらに自分たちの弾圧こそが騒乱の原因であるにもかかわらず、まるでフォークゲリラのほうが暴力的であるかのように宣伝したところも古今東西の独裁政権と全く同じ手口です。あげくに西口広場に大量の植え込みを置いて人が大勢集まれない構造にしたのですが、いったい大衆の不満に対するこれが「政治」と呼べるものなのでしょうか?

 どうも最近は人々の自国の大衆運動に対する無知につけいり、人の文章を意図的に曲解して印象操作を行う人も多いので念のために注意しますが、『のび』さんやそこで紹介されている「うたごえ運動」はこの「フォークゲリラ」の末裔ではありません。全く別物です。フォークゲリラで登場した人々は小田実さんらが中心になっていたベ平連などの市民運動に参加していた人々と重なる部分が多く、また、当時の学生運動などに同情的な人が多かったと思われます。歌う歌も新作・創作が中心でした。それに対してうたごえ運動は、共産党系の人と重なる部分が多く、学生運動やベ平連などの市民運動などには、どちらかといえば批判的な人が多かったと思われます。歌う歌もロシア民謡などの古典の比重が高かった。

歌を弾圧 フォークゲリラ 新宿西口 まあ、今となっては共産党系だの非共産党だの、お互いの違いばかりを強調して反目するのは愚かなことです。安易な野合はいけないかもしれませんが、お互いに協力しあえるところは協力し(特に権力からの不当な弾圧への抗議)、一緒に手をたずさえるべき時だと私は思っています。

 ともあれフォークゲリラはムーブメントの中心である西口広場を警察の圧倒的な暴力で制圧され、その後はちょっとでも街頭で歌を歌うだけで片っ端から公安刑事が令状逮捕していくという徹底的な自民党の思想弾圧下で急速に鎮圧されてしまいました。そのため今はその系譜を引き継ぐ運動は基本的にないのです。もともとが自然発生的なもので「運動」と呼べるような系統的なものではありませんでした。私が読んだ本はちょうどこの頃に書かれたものです。

■権力の暴力にどう対応すべきなんだろうか

 同じ頃に手塚治虫さんが西口広場への弾圧をテーマに描いたマンガがありましたタイトルも忘れて(『がらくたの詩』と判明「手塚治虫全集37巻」に収録)内容もうろ覚えですが、今でも印象に残っています。

フォークゲリラへの弾圧 幼い頃に両親を亡くした兄弟が主人公ですが、兄は警察官でしかも機動隊員です。弟のことを何より大切に思って親代わりとなって育ててきました。しかし弟はフォークゲリラの現場で無抵抗の人々に暴力をふるう機動隊を何度も目撃し、そのため内心では自分を育ててくれた兄を慕いつつも、今の兄の仕事を認めることができません。
 いつしか弟は「キリスト」とあだ名される非暴力主義者に心惹かれて、一緒に広場で歌うようになります。ところがそこに機動隊が押し寄せていつものように暴力をふるいはじめました。怒った民衆が投石をはじめると「キリスト」は投石をやめて非暴力で闘うよう必死で民衆を説得するのですが、そこを機動隊につかまってリンチされてしまいます。今まで一度も機動隊に手出しをしたことがなかった弟はその姿を見て、ついに目の前の機動隊員に投石しました。ところが生まれてはじめて投石したその機動隊員は彼の兄だったのです。ショックを受けた兄は目に涙をうかべながら、弟を棍棒でめった打ちにしてしまいます。
 やがて機動隊に蹴散らされて誰もいなくなった広場に一人の中年の野宿者が通りかかります。彼はそこに落ちていたフォークゲリラの歌集を拾いあげると、愛の大切さを歌い上げた詞を朗読しながら去っていくというというようなお話だったと思います。

非暴力とは何だろう いったい権力の圧倒的な暴力の前に、私たち丸裸の民衆はいかに対応すればいいのでしょうか?フォークゲリラという平和的な非暴力の試みが、これを恐れた政府の暴力でその初期段階で潰されていった過程は、私たちにこのことを考えさせずにはおきません。これは常に古くて新しい問題です。
 手塚治虫さんの作品も、抵抗する民衆の側に同情的ながらも問題提起だけで終わっていますが、それは当時の知識人たち全般にも共通していることでしょう。このフォークゲリラの敗北とは別の行き方をしたのは、全共闘という一言では言い尽くせない多様性に満ち満ちたムーブメントでした。しかしそれも大きく見れば「大学」という枠組みのあり方を(根本的に)改革するためには、結局は日本全体を改革して政府を打倒する以外にないという壁にぶつかり、これを超えることができずに敗北していきます。常に「権力問題」を意識し続けた新左翼運動だけがその後も長く粘り続けます。そしてこれらのありとあらゆる「今とは違う世界を求めるムーブメント」の集大成として三里塚闘争の位置と可能性があったと思います。

 ですが今や新左翼運動も、全体としては終焉の直前にあると考えていいかと思います。その遺産は否定的にせよ肯定的にせよ、どういう形でか引き継がれるべきとは思いますが、今後何かの可能性があるとすれば、それは単純な「新左翼運動の再生」というような直線的な形ではなく、何か別のものだろうと思っています。そこにおいて権力からの暴力をどう考えどう対応するべきか、それは私自身にもまだ見えていません。

■曲を聴いてみての感想

 さて、話を『古いヨーロッパでは』に戻します。実際に聞いてみますと、本を読んで想像していたのとは違って随分とアップテンポな曲でした。ただ、ギター一本やアカペラで歌われる分には、随分と歌い手の個性が出るのでしょうね。歌う人が男性か女性かでもかなり印象が違うかも。また、掲載にあたって『のび』の管理人であるえーちゃんさんが、いろいろと曲の情報を掲載してくれています。なんでも中川五郎さんの「終わり はじまる」というアルバムに収録されていた曲なのだそうで、えーちゃんさんはMIDIを作るための参考にわざわざこのCDを購入しておられます。なんでも原曲は「ベースがガンガンなるフォークロック系」なんだそうです。また、レコード会社から発売される時に、当時一般に歌われていた元の歌詞が変更されていることも知りました。ただしこれは変更の内容から察するに、政治的な配慮というより作者の意向なんではないかと思います。

 とりあえずこちらがリクエストに応えて掲載していただいたページです。『のび』はフレームを多用した作りになっていますので、こういう個別ページへのリンクだとメニューが消えてしまいますが、ちょっと他にうまい紹介の方法が思いつかないもので御容赦。トップページからも是非閲覧してみてください。

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新着】「左翼思想入門の入門」を追加

昔の中国のポスター「世界革命萬歳」 告知もなくひっそり(こっそり?)オープンさせていた「懐古的資料室」の中に、「左翼思想入門の入門」というコーナーを設けました。とりあえず3本ほど掲載しましたが、いずれはまっぺんさんとこのレッドモール党の「文献・資料室」や「懐古闘争の記録」に負けないものに成長させていきたいと思います。

 まっぺんさんとこの資料室は「社会主義・共産主義のお勉強をめざす人たちのために」となっておりますが、うちはなんせバカ左翼御用達サイトなんで、そんなにたいそうなもんではありません。まっぺんさんとこは本を一冊まるごとテキスト化したものがゴロゴロあるというすごさですが、旗旗では「入門の入門」という名に恥じず(?)、比較的短くて帰宅してから晩飯前にすぐ読めるものばかりにしていくつもりです。

 たとえば左派に限らず右派の人でも、一応はマルクスだの左翼思想だのも、どんなもんか「とりあえずチェックしときたい」という方もおられますでしょう。さらに、右派に限らず左派の人でも、「今どきいちいちマルクスなんぞ読んでられるかぁ!」という人は多いでしょう。特に我々バカ左翼には「なんとかズルして難しい本を読んだようなふりをできなものだろうか?」という需要があるだろうということで、そういう皆様の今宵のお供にいかがでしょうか?というくらいのコンセプトです。だから現役バリバリのマルクス-レーニン主義者の皆さんは、あんまり大真面目に噛み付いたりしたらダメよ(笑

 とりあえず実家の押入れをひっくり返していたら、私が青春ド真ん中なガキの頃に書いた「マルクス『賃労働と資本』学習ノート」が出てきたんで、これを載せました。つーか、これが出てきたから思いついたコーナーだということは秘密です。せっかくなんで、コーナー開設記念にブログのほうにも載せておきます。

 「はじめに」の部分は左翼のお約束ということで、ついて行けない人は飛ばしてくださっても結構です。しかし今読むとまぶしいわ、この部分(泣笑)。本題は「1. 労働力商品の価格としての賃金」からです。

 一読してマルクスは、別に現代の私たちの生活実感とかけ離れた難しいことは何も言っていないことに気がつかれると思います。特に工場労働や日雇い派遣を経験した人なら「うんうん」とごく普通に納得できる内容のはず。まあ、今の資本主義はもっと複雑で、金融資本はこんな産業資本みたいに牧歌的な「労働者の搾取」なんてレベルじゃない。まさに鬼が鬼を喰らう世の中で、私らはその足元で右往左往して逃げ惑いつつ、明日のオマンマの心配しているわけです。もうここまで巨大化して世界政治をコントロールする資本の動きは、こりゃ~誰も止められんわって感じですが、でも誰かが止めないとなーと思います。

 また、国家が経済過程に介入して矛盾を調整したりおこぼれの「福祉」政策(それもできなくなってきましたが)で労働者階級を買収する国家独占資本主義が多かれ少なかれ今の世界の主流なわけで、ここに書いてあることは資本主義の根本、または出自というような感じになります。しかしおこぼれもらってきた労働貴族なんかは、「お前らのせいでダメになった!」と上(政府・与党)からも叩かれ、下(労働者・大衆)からも突き上げられ、自己保身に汲々です。ああいうのを「左翼」とおもっちゃだめよ。しかし左翼が頑張らないと、こういう資本主義の危機が全部大衆にしわ寄せされ、あげくの果てにその不満がファシズムに回収されて無力化されてしまいます。

と、いうわけで、以下、「マルクス『賃労働と資本』学習ノート」であります。

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