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で、荒に期待しろとでも???
お名前 : 協賛しゅみ゛者 <wasedanomori@hotmail.com>
登録日 : 2004年5月10日1時44分
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中核からではないのですが、当時の三里塚無党派活動家(労農合宿所系)
の立場から一言
>大党派として自分たちのような小党派の批判を受け止める度量があると
>思っていたらしい。
三里塚においては中核派は第2または第3勢力でしかありませんでした。
当時は、三里塚といえば管制塔占拠のイメージが強く、
3・8分裂当時は、動員力ははるかに「熱田派」が優勢でした。
少なからずいたノンセクトもほとんどが熱田派・インター・日向派
にシンパシティーを感じていたのは事実です。
(実際、私のように公然と「北原支持」を表明したのは、びっくりする
ほど少数派でした。)
したがって、北原派支持第一党派である中核派は、三里塚闘争的には
きわめて追い詰められていました。
(この当時、中核派は一切の大衆運動を三里塚闘争に集約するという
「三里塚基軸論」を打ち出していましたから、一歩も二歩も先を行く
日向・インターに対してコンプレックスを抱いていました。
(そのように解釈すれば、あの度外れた「脱落派」呼ばわりも
インター・日向の「大セクト」にする「弱小党派」の精一杯の
強がり、と理解できます。)
#もっともだからといってインターへの襲撃が免罪できるものでは
#ありません。(念のため)
インター・日向の現在の姿からすると80年代初頭の
隆盛は想像することができませんが、中核派を凌駕する
潮流であったことを踏まえておかないと、当時のことは
よく理解できないかもしれません。