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五、八〇年代主流派としてのわが同盟の任務
以上八四年3・25三里塚闘争の組織化をめぐる政治攻防、6・17反トマ闘争における諸問題、7・1反対同盟文書への反論、反トマを領導する戦略的観点と諸派見解への批判につき述べてきた。春期攻防をめぐる総括点とわが同盟の勝利の要因は、これまでの内容においてばぼ明らかになったと思う。そこで次に7・29政治集会以降の階級攻防につき問題を整理し、われわれの勝利の展望を明らかにしていきたい。
まず七月五日未明三時五十分、中核派が第四インターの青学共闘委員長ら二名を襲撃し、アパート内に乱入、両足骨折全治五ヵ月などの重傷を負わせたテロ襲撃についてであるが、これは予測されていた事態の再発生ということでしかない。
現在の中核派の政治展開は、大衆的批判があろうとなかろうと、一切を軍事問題に収斂して把握し、絶対戦争=相互絶滅戦での勝利をもって力でおしきることを基調としており、「奴は敵だ、敵は殺せ」という以上の如何なる意志統一も持ち合わせていない。
これが日本階級闘争の全体的発展にとり疎外要因をしか作り出さず、大衆の離反をまねき、ブルジョアジーの「過激派は社会の敵」というキャンペーンに口実を与えるのみであるといった常識性、政治的対象化は、対カクマル戦争十年間の過程で既に完全にケシ飛んでしまっているのだ。われわれはいまや独断的セクト主義にこり固まり、自分達以外のすべての存在を反革命規定してテロ攻撃を続ける中核派に対し、何らの党派的幻想を抱いてはならない。
つまりレーニン主義の政治展開、階級攻防へのかかわり方などの原則性からとらえかえした場合、中核派のやっていることがボリシェヴィキ的だとか、レーニン主義の政治の継続だ等とはもはや絶対に言えないのであり、むしろ黒田寛一理論の悪辣な教条的セクト主義に反発しつつ汚染された革共同イズムヘの完全転化、その絶対的陥穽の表出として、これを受けとめねばならない。
このテロ攻撃は当然、熱田派主力のわが同盟にも向けられる以外ないものであり、防備を固めて政治攻防においてこれをしのぐこと、それがわれわれが確認すべき方向である。
わが同盟戦旗・共産同はテロ攻撃を断じておそれない。何故ならば戦旗・共産同は一九七〇年代初期、野合右派や叛旗、情況などの第二次ブント全分派を敵に回し、テロったりテロられたりの内ゲバを縁り広げ、大変な犠牲を払って第二次ブントの「党の革命」を完遂した歴史的蓄積を持つからである。そこでのわれわれの政治展開に対する歴史的対象化作業において、われわれはテロの凶暴さで世界を変革したり、革命運動の勝利を収めることはできないと主体化しつつ現在に至ったのである。
テロ行為そのものについていえば中堅活動家の多くがそれを経験しており、七三年法大社自への攻撃において多くが逮捕・勾留されたり、七一年関西に遠征して関地区と闘い、何名もをせん滅したり、或いはその逆に新潟での叛軍闘争で中核派活動家をテロ・リンチして数カ所で報復を受けたりの、幾多の内ゲバ経験をそれ自体としては有し、蓄積しているのである。
しかしそんなことを誇っても一体何になるというのか。
極道じゃあるまいし何人を血祭りにあげたかを競うような世界に革命家は生きていないのだ。党が判断し、必要と認められた時にはわれわれは何でもやるが、それは鮮明な政治目的のもと、プロレタリア革命運動のスターリン主義的歪曲を内在的に克服する視点にたち、プロレタリア革命運動の大局的な勝利のために闘うのである。
第四インターをテロることが三里塚闘争の勝利の道なんて、とんでもない中核派の自己絶対化であり、高慢な発想である。そしてわれわれが忘れてはならないのは、「誰でも知っているように、諸政党が失敗したり、衰退する前には、これらの政党がうぬぼれをおこしかねないような状態にある場合が非常に多かった」(全集三十巻P550)というレーニンの忠告である。
現在の政治展開を続ける限り中核派は必ず衰退する。否、一九七〇年代初期、第二次ブントの崩壊期、全学連大会だけでも日比谷野音を満杯にし、革共同政治集会に五千名以上の人民結集を実現した革共同の姿は既にない。八四年六・一五日比谷への中核派の動員は××××名である。中核派は明らかに革命党として衰退する方向にむかっており、三・二五××××名の北原派動員のすべてが中核派の内ゲバを支持し、現在の政治展開を承認しているのでは決してないことを、われわれははっきりと見すえなければならない。
われわれがここで意志統一すべきことは、これまで幾度も繰り返し習熟してきた組織防衛のマニュアルを守り、防備を固め、テロ攻撃を恐れず闘いぬくことである。自宅や下宿に帰らず、アジト生活を基本にし、追尾は必ずまき、黒電話にたよらず組織活動を遂行すること、それが革命と戦争の時代たる八○年代を生き抜くわが同盟の活動原則である。
そして現実のテロ攻撃に対しても、うろたえる必要は決してない。「原爆が落ちてもあわてふためいてはいけない。戦争になったら戦って死ぬだけだ―生き残った者はまた戦うのだ」という毛沢東の言葉を今こそ想起せよ。わが同盟が何であるのか、真の強者であるのか、口先だけのペテン的組織なのかは、この生の実存のるつぼの中でこそ実証される。わが同盟は屈せず闘い、不屈の戦旗の底力を見せつけてやる。第二次ブントの廃墟の中から不死鳥のようによみがえった戦旗派が、死をも恐れず闘う気概を真実有していることを、全党全軍は日本革命運動の真の主力党派にのしあがることによって実証せよ!
中核派の自己満足的テロ攻撃に対し、屈せず闘い、必ず勝利をもぎとろうではないか。これが七・二九を皮切りとする秋期大攻勢にむかうわれわれが、第一に意志統一すべき点である。
第二には、われわれ戦旗・共産同は、光州の血の虐殺者、光州市民二千名殺害の張本人全斗煥の九・六来日、天皇ヒロヒトとの反革命会談に対し、闘う韓国民衆との革命的連帯をかけ、血債にかけて死力の決起を実現することを意志統一したい。
われわれは八〇年五月の光州民衆蜂起のすさまじさ、そこに示された韓国民衆の素晴しさを決して忘れない。韓国民衆の血の弾圧に対する報復の感情、恨の心はわれわれのものである。プロレタリア国際主義をかけ、韓国民衆との真実の連帯を求めてわが同盟は決起する。投獄も死をも恐れず、鬼神となって戦旗・共産同は決起するのだ。
しかも全斗煥の来日には、天皇ヒロヒトとの反革命会談が準備されている。そこで日帝三十六年間の朝鮮植民地支配に対し、中曽根訪韓時の四十億ドル対韓援助供与などをテコに反革命的ひらき直りをおこない、侵略の歴史を正当化し、現下の侵略反革命戦争体制構築への共同歩調を確認する筋書きなのだ。
現下の安保-日韓体制の戦争体制への再編は、レーガン訪韓・訪中をつうじての南北分断固定化のための四者会談提案、米帝が「北」共和国を承認するかわりに、中国が韓国を承認するという新「朝鮮処分」構想を中心にすすめられようとしている。
日帝はこれに反発して日・ソを交えた六者会談などを主張しているが、米帝レーガンの狙いは、中国への資金と技術の供与を行ない、21世紀までに工農総生産を1980年の四倍にするという鄧小平の近代化政策を支持するから、そのかわりに「平和な国際環境作り」に協力しろ、朝鮮半島の現状固定化をつくり出し、反ソ包囲網形成の一翼をになえと中国を懐柔し、三十八度線分断の固定化→反ソのための韓国全斗煥体制の護持をめざすものである。
八二年九月、主敵なき全方位外交を打ち出し「ソ連覇権主義に対しては米・中・日・西欧その他が対抗して連合する」路線を放棄したかに見えた鄧小平の中国は、この米帝の武器供与さえおこなうという甘言に絡めとられ、「中国は米国が軍事力を増強するのに異議は唱えないし、長い間この政策を支持してきた」等と八四年四・二八レーガン・鄧会談で鄧が述べるまでに変質をとげ、安保-日韓体制に繰り込まれる方向さえ示している。
米帝レーガンの狙う新「朝鮮処分」、南北クロス承認の構想こそ、中国が「北」共和国に肩入れしなければ、韓国全斗煥政権は韓国民衆決起さえ鎮圧しつづければよいことになり、ファッショ支配を保持できる、それを通じベトナム失陥後のアジアでの米帝の失地回復をはかり、孤立と没落に歯止めをかけ、巻き返しをはかるという策謀なのだ。
しかも金日成の「北」共和国もまた八四年一月に「わが方は互いに武力を使用せず、相手方を攻撃しないことを確約し、軍隊と軍備を大幅に縮小し、軍事的対峙状態を解消することを目指した不可侵宣言を北と南の開で採択すべきだと主張する」と三者会談提案(北と韓国と米帝)の趣旨にあるように、米帝の侵略政策をおさえることを至上目的にし、一国社会主義建設の自己目的化をはかり、「北と南を互いに異なる思想と制度をそのままにしたまま、自治制に基づいた一つの連邦として統一する」「祖国統一方途」とかの本当の空論をいって、金日成から金正日への全く世襲的な親子権力移譲の前近代的・反マルクス主義的国家支配体制護持を画策し南北分断の固定化に埋没する方向にむかっているのである。
われわれはこの帝国主義とスターリン主義の相互取り引き、矛盾的共存体制の構築による南北分断固定化、統一をめざす韓国民衆決起の鎮圧策動を絶対に認めてはならない。
米帝の軍事力増強を支持するという中国スターリン主義、三者会談提案に見られる「北」共和国の自国防衛主義は、それ自体不屈の決起を続ける祖国解放をかかげた韓国民衆の闘いを見殺しにし、圧殺する役割りしかはたさないものである。米帝レーガンと全斗煥への綱領的屈服であり、革命の裏切りなのだ。
ここでは韓国民衆のみが正しい政治判断を示し、安保-日韓体制打倒をかかげ、全打倒・民主回復の死力を尽した戦闘を繰り広げている。アメリカ帝国主義にもソ連スターリン主義にも反対し、日米帝国主義の新植民地主義支配からの脱却をめざし、民衆主体の確立、独自の民衆運動の形成をかかげて、真剣に現状の変革を望み闘いつづけているのである。
例えば一九七二年十月より七九年十月までの朴の「維新」時代に学園を追われた除籍学生は七百八十六人にのぼったといわれるが、一九八〇年五月光州蜂起以降、今日までの数はその二倍にあたる千三百六十三人にのぼるという。闘争展開(学園内外でのデモなど)も一九八〇年21件、八一年56件、八二年40件、八三年134件と着実に増加しはじめ韓国民衆闘争は光州の敗北をのりこえて火の鳥の如くよみがえりつつあるのだ。
八四年においては全国九十九大学のうち既に五十五大学でデモが打ち抜かれ、五月四日高麗大での各大学共闘集会には四千名が決起しぬいている。しかも労働運動の復活も現実のものとなりつつあり、三月「韓国労働者福祉協議会」が結成され、元豊労組、東一紡績、YH貿易、清渓被服などのなつかしい名前がこの結成集会に顔をつらねている。
そして今われわれが注目すべきは、そのすべての闘いが弾圧に抗し闘うことにより打ち鍛えられ、すさまじいまでの主体的階級的成熟をとげるに至っていることである。
この民衆解放闘争の現在的主流こそ「民主化運動全国青年連合」(八三年九月三十日結成)であるが、われわれは全斗煥来日阻止を死力を尽してむかえうつ内的根拠として、この韓国民主化運勤全国青年連合がまさにわれわれ戦旗・共産同と同じような世界対象化をおこない、作風をめざして闘っていることに注目したい。
プロレタリア国際主義をめざした連帯が空語ではなく、われわれと血肉化されるものであることは、彼らの次のような内容性を見れば全くはっきりするのである。
「米・ソの覇権主義は世界核戦争の危機を高めており、とりわけ第三世界の民族の生命と人間性を根こそぎ踏みにじっています。この二大強大国は、自らの国益護持に必要であれば、いつでも第三世界諸国の政権を倒し、戦争を勃発させたり準備するであろうし、侵攻・侵略さえもためらわずにいます」「だが世界の良心と民衆は、強大国の恐喝と侵略に強力に反対しています。ヨーロッパでは反核平和運動が、第三世界では民族解放闘争が展開されています」
「われわれは現時点において、レーガン大統領の訪韓に反対します。アメリカは、自分たちの対ソ戦略のための韓半島核基地化と兵器市場の確保に関心があるのであって、彼らの虚偽のもくろみがどうであれ、結果的には独裁権力の強化をもたらすだけであろうからです。われわれはいまもはっきりと億えています。無数の光州市民を虐殺した軍隊の移動に同意したのは誰であるかを。釜山・光州アメリカ文化センター放火事件はまさしく光州市民大虐殺と軍事独裁権力の暴挙を正当化させているアメリカに対するわが民族の憤怒と抗議の表われでありました」「日帝統治下三十六年の苦難に耐えぬいたわれわれに、アメリカの軍事戦略だけのために韓・米・日軍事同盟を強要するならば、われわれは一層力強く反対するしかありません」
「七〇年代が良心、人権を中心として叫んだ感性運動の時代であったならば、八〇年代は組織運動の時期とならなければなりません」「いま切実に要請されるのは果敢な実践家であって、運動に対し厳粛な責任をとろうとしない評論家・解説家ではありません」「民主化運動は犠牲と献身を通じてのみ発展するものであって、高尚な論理展開だけでは実現できません」
「われわれは一方的な偏向を警戒しなければなりません。スローガンのみを大きく叫ぶようであっては、名望家運動に転落するでありましようし、大衆性獲得のために権力が一線を画した所にとどまるようになれば、それは大衆追従となり運動性を失って敗北的になり、堅固な力量建設だけの主張は一種の閉鎖的エリート主義に陥り自滅を招くことになります」(以上いずれも「民主化よ、民主化よ、民主化よ!」八三年十一月五日)。
ここでそのすべてを引用することができないのが残念であるが、韓国民衆運動はいまその政治的観点において階級的に大きく前進しているのである。われわれ戦旗・共産同もまた八〇年五月光州民衆蜂起の対象化、その意義のつかみとり(=八〇年八・三政治集会)から飛躍をとげてきたのであるが、運動展開における「大衆追従」と「閉鎖的エリート主義」を批判し、「八〇年代は組織運動の時期」といい「果敢な実践家」を求め、「韓・米・日軍事同盟」の打倒をめざし、「釜山・光州アメリカ文化センター」粉砕闘争を「光州市民大虐殺と軍事独裁権力の暴挙を正当化させているアメリカ(帝国主義)に対するわが民族の憤怒と抗議の表れ」とみなすこの見解、しかも「レーガン大統領の訪韓に反対し」「米・ソの覇権主義」を批判し「ヨーロッパ反核平和運動」と「第三世界民族解放闘争」への連帯を表明する主張に対しては、玄海灘をへだて、誰が闘っているのかも知らなければ条件も違う韓国での闘いなのであるが、しかしそれらのすべてを越えて連帯しうる内実を、大きく感じないわけにはいかないのである。
わが同盟が彼等を真似たのではない。彼等がまたわれわれを真似たのでもない。しかし闘いに生きようとし、勝つことを考え、命をかけて全斗煥と中曽根等支配階級の打倒をめざしたとき、奇しくもわれわれと彼等の対象化は全く似かより、同じようなことを考え、闘うに至ったのである。われわれはこのことを非常な歓びに感じている。否、誇りにさえ思っている。闘う全世界人民の主体的階級的成熟というのは、決してただの空論的提起ではないのだ。光州民衆蜂起で二千名もの死者を出した韓国民衆の主体的歩みは、すさまじいものであり、すべての痛みは力に変化しつつあるのだ。
この歴史的事実をはっきりと確認して、われわれ戦旗・共産同は血債にかけた決起を貫徹し、ゲリラ・パルチザン戦闘を全斗煥来日に対して叩きつけ、七・二九政治集会の大爆発、全来日阻止闘争の大高揚を闘いとらねばならない。今こそわれわれは煮えたぎる血潮を胸に韓国民衆に学び、連帯して、持てる力のすべてを尽くして総決起する。全党全軍は聖戦(ジハド)を宣言し、己を捨てて人民の解放のために闘い抜け!
九月全斗煥来日阻止を頂点とする秋期大攻勢において第三にわれわれは八月成田用水着工をめぐる攻防に、二期決戦必勝の死活をかけて決起する。そして十・一四三里塚闘争の勝利を、中核派のテロ攻撃に抗して断固として守りぬかねばならない。
七月六日の事業認定取消し請求訴訟判決にあって東京地裁は「事業認定は適法であり公共の利益にかなったものである」との判断を下し、「公共用地の取得に関する特別措置法」にもとづく事業の認定処分取消し請求を却下した。同時にこれは「土地収用法」の規定による空港事業の認定処分取消し請求に対しても、その適法性を認めたものであり、特措法が一期工事を特定公共事業と認定(一九六九年十二月)するものであるのに対し、土地収用法は空港全体の事業を認定した(六八年十二月)ものであるので、二期工事分に対する土地収用法の適用は今なお適法であり、代執行は可能であるとの判断を裁判所が下したことになる。
連帯する会の上坂氏が「違法、非合理、不経済の二期工事計画を断念せよ」などと主張していたが、法律上は「違法ではない」ことに、現在控訴中であるとはいえなってしまったのだ。だが司法当局がこうした判断を下すであろうことは、そもそもわかりきっていたことだ。
三里塚闘争は法文解釈をめぐる闘いではなく、国家権力の理不尽に対する人民の実力闘争である。法律というのは、国家意志として表現される支配階級の意志以外の何ものでもない。そして物質的生産手段を所有する階級が精神的生産手段をも所有するのである。そうであるからこそ、その時代における最も支配的な意識はつねに支配階級の意志となるのだ。司法当局とてもブルジョア階級の意志を、法つまり「国家」という共同幻想体の意思として改めて宣言しているだけなのだ。その意味では支配階級の打倒をめざす闘いはいつでも「違法」であり、「合法」になどなるわけがない。上坂氏の考えている枠組がブルジョア的な枠の中の思考でしかないのだ。
まさに三里塚闘争は成田治安立法にみられるような、御都合主義的な法律の適用により、支配者の意志を押し通す理不尽、その過程での国家権力の発動、暴力装置との全面対決をとおして、打ち鍛えられ発展を克ちとってきたのである。暴力革命の思想を内包した反帝実力闘争としての意義を守り、非妥協・不屈に闘いぬくことこそが、だからこそ勝利への道なのである。
問題は上坂氏の法文解釈闘争をのりこえた地平で、地裁判決をテコに政府-公団が二期用地内への土地収用法適用にふみきり、一気に攻撃に打って出ることに全面対決し、これと闘いぬくことである。決戦のときは近づいており、二期決戦必勝の戦闘陣形をわれわれはただちに作りあげねばならない。
しかもなおかつ成田用水事業の菱田工区区画整理八月着工が発表されるに至っている。菱田工区圃場整備事業七十ヘクタール区画整理、七十一ヘクタール暗渠排水工事(総工費十億四千百万円)のうち、十七ヘクタール分の区画整理は八五年三月がその完成予定である。
成田用水事業はまぎれもない空港関連事業であり、空港に反対するために用水に賛成する等というまやかしは絶対に許せない闘いである。二期工事の強制着工により立ち退きを強制される用地内農民には成田用水の「恩恵」などうけられないのであり、用地内を孤立化させ、空港周辺の成田用水により利益をうる地権者と対立させ、もって反対同盟に分断を持ち込み、空港反対闘争を条件闘争化させるもくろみが成田用水攻撃の本質なのだ。
熱田派反対同盟はこれと対決することが全くできなくなっている。その地権者の多くを用水賛成にひっぱりこまれ(反対は菱田地区百三十戸のうち十数戸にすぎなくなっている)反対同盟として共同歩調をとることができなくなっているのである。
わが同盟は用水粉砕の現行隊(第十一次~)をこの数少ない反対農家に派遣して援農を行い、たとえ少数でも用水粉砕・二期決戦勝利をかかげる革命的農家を作り出していかなければならない。
「抵抗の田」を現出させ、唯一田植えを敢行した小川進氏や小川剛正氏を支えぬき、権力との実力攻防をもって勝利をもぎとっていくのだ。現行隊や現闘団は政治工作者としての気概をもち、不屈の信念をもって現地攻防にかかわりきれ。成田用水の粉砕なくして二期決戦の勝利はありえない。死力を尽くして孤立を恐れず闘いぬこうではないか。
以上の諸内容を持ち、十一月反トマー万人集会をも射程に入れて秋期大攻勢の戦取に向け七・二九の大勝利を実現すること、これをガッチリと確認しようではないか。わが同盟は韓国民衆のように不退転の決意を固め、さらなる動員の拡大、武装の推進、レーニン主義的意志結集の実現をめざし秋期大攻勢に突入する。全党全軍はまなじりを決して、死活をかけた秋の勝利をもぎとれ。八四年春期攻防は八〇年代主流派への闘いであった。破防法弾圧と中核派の内ゲバどう喝をはねかえし、わが同盟は一歩大きく前進した。
苦難に耐えぬくことだけが主体を鍛える。われわれ戦旗・共産同は成長し、日本革命的左翼の主派派にのしあがり、一切のスターリン主義的疎外を克服した素晴らしい階級闘争のうねりを、この日本の地に必ずやうちたてようではないか! 勝利か死か! 戦旗・共産同は必ず勝利する!
最後に秋期大攻勢の獲得目標を列記する。
(1)7・29政治集会、9・2~6全斗煥来日阻止闘争、10・14三里塚、11月反トマー万人集会、12月労学総決起集会の五波の全国結集を貫徹し、この過程で戦略的××××名動員の地平を打ち固める。
(2)全斗煥来日阻止闘争に対し、韓国民衆との革命的連帯をかけた死力を尽くしたゲリラ・パルチザン戦闘を炸裂させ、革命党としての機構化、半公然化をふかめぬき武装し闘うレーニン主義党への飛躍をかちとる。
(3)もって第四インターの大衆ブラ下り路線、中核派の独断的セクト主義と別個の地平において、独自の戦略的総路線にもとづき安保-日韓体制打倒をめざす全人民的政治闘争派=反帝第三潮流としての政治的プレゼンスを確立しきる。
(4)いかなる困難にも組織として対処しえる組織的主体性・政治性をすべての活動家が一層身につけ、政治活動に自己を投影しきる内在的発展を死力を尽してつくり出す。以上、四点てある。
この獲得目標を貫徹する中で中核派の内ゲバどう喝に対しそれへの対抗を、独自の革命的理性にもとづきなすわが戦旗・共産同にこそ階級的正義かおること、それが日本階級闘争の窮極の勝利をもたらす道であることを全人民に訴えきり、不抜のボリシェヴィキ勢力への飛躍を克ちとっていきたい。
同志諸君!八〇年代主流派への道はけわしいが前途は洋々である。団結して前へ前へと進もう!
(一九八四年七月)
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