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八四年秋冬期の政治展開を対象化せんとする時、わが同盟が中核派の党派戦争宣言、日帝権力の八・二一白色テロにみられる破防法弾圧に抗し、動員保持と運動展開に追いまくられるというだけでなく、「党のための闘い」として十~十一月を位置づけきり、本部ビル建設に勝利したことも是非とも捉え返されねばならない重要点である。
ここでいわれる「党のための闘い」とは一体如何なる内容をさしているのか。また「党としての闘い」とは何か。その内容性の整理を、われわれの政治展開の骨格をなす考え方として、ここでまとめておくことが必要である。
その場合まず第一におさえられておくべき点としてはわれわれが「党のための闘い」とか「党としての闘い」というとき、そこではマルクスが『共産党宣言』において「共産主義者の当面の任務」として「a.階級へのプロレタリアの形成、b.ブルジョア支配の打倒、c.プロレタリア階級による政治権力の奪取」をあげていることとの関連で、われわれがこの内容を提出している点である。
トロツキーが『内乱の諸問題』などにおいて、「党のあらゆる分野の活動は定められた蜂起の時期に従属させられなければならない」と提起していることでも明らかなように、革命党の任務は武装蜂起を準備する、すなわち権力闘争にむけて一切を組織することに収斂されていかなければならない。そのための主体的・客体的条件を如何につくりあげていくのかが、革命党によって対象化されねばならず、そこで必要な二つの領域での闘いをさすものとして「党のための闘い」と「党としての闘い」は措定されるのである。
まさしく革命党は武装蜂起を準備するためには、一方においては蜂起を領導する主体となる革命党の実体的形成を押しすすめ、多量の共産主義的カードルの輩出をおこないつつ革命勢力の増大をなし、1)蜂起の機関であり、2)社会的生産組織体であり、3)執行権力機能をも内包する性格を有するソヴィエト建設の現実性を作り上げていかねばならない。と同時に革命党は、直接性においては個々の政治課題の実現、例えば帝国主義国家権力の反人民的な諸政策の阻止とか、その政策の人民の側にひきつけた政策転換をかちとるとか、制度・政策の改革を通じての改良の果実の獲得などをなしつつ、権力闘争=武装蜂起の実現を可能とするような革命情勢の形成を、大衆闘争の戦略的領導をつうじ作りあげていく任務を担う必然性があるのである。
そうした革命党の役割りに対する対象化としてわれわれが用いている概念が、「党のための闘い」と「党としての闘い」なのである。
つまり第二に、われわれが「党のための闘い」というとき、そこには武装蜂起を実現する可能的条件を実体的に支える、1)革命党そのものの現実的物理的形成、2)武装蜂起を担い、勝利の現実的展望を切り拓く革命軍の形成、3)プロレタリア統一戦線の最高形態であり、蜂起を通じての権力奪取を支える社会的生産組織体であって、なおかつ執行権力機関となるソヴィエトの形成が、内容的に指定されているのである。
それに対して「党としての闘い」という場合には、革命党が武装蜂起を可能とするような客体的条件を切り拓くために、プロレタリア革命運動の戦略的領導、個々の課題における大衆運動の活性化をつうじての階級的流動化の実現と、それを全人民的な反日帝闘争の爆発による階級情勢そのものの革命化にまで高めあげる闘いが概念規定されているわけである。しかも「党のための闘い」にあっては、たんに「党・軍・ソヴィエト」を作りあげるというにとどまらず、プロレタリア革命を担う共産主義的主体を、広範なプロレタリアートの意識変革をつうじ物質化していく、文字通りの「多量の共産主義者の産出」の闘いが内包されているのである。
われわれはこれを革命運動の内延的発展の過程として捉えている。それは外延的発展、つまり情勢の革命化を作りあげ、勝利の展望を人民が見い出していける現実性をつみ上げる闘い、そのための革命党による政治闘争の戦略的領導との対比のうちに用いられる概念である。この両者の弁証法的止揚にもとづく同時一体的進行が、革命党の骨格的任務となる連関構造の下に、われわれは闘い抜くのでなければならないのだ。
八四年秋冬期において、とりわけて十~十一月において「党のための闘い」の必然を訴えたのは、この脈絡のうちに理解されるべきものである。つまりわが同盟は、全斗煥来日阻止とか成田用水決戦に対しわれわれが全力を注ぐというだけでは、階級闘争の本質的領導をなしているとはいえず、その過程にあっての革命党の実体的構築、「党のための闘い」の物質化によっての革命党と革命勢力の物理的=現実的前進の獲得こそ必然的課題でありそこに本部ビル建設の意義を位置づけることにおいて闘い抜かんとしたのである。
ただの大衆運動主義でしかない政治勢力にあっては、こうした階級主体みずからを内的=精神的、思想的に高めあげつつ、実体的にも組織建設の前進をかちとっていく政治=組織思想が欠落している。わが同盟が他のブント系諸派に対し有する独自性とは、まさに一九六六年十月第二次ブントの再建以来一貫して、レーニン主義党建設にむけての意識的な取り組みを主張し実践せんとした点にあり、その問題設定に対しサークル的反撥をくらい、第二次ブントの「党の革命」にまで至らねばならなかった経緯はあるものの、今日の圧倒的な主流派としての形成を内的に可能とさせてきたのは、そこでの問題把握の当為性にこそ根拠があると言えるのだ。
またそもそも『何をなすべきか』におけるレーニンの展開も、「運動がすべてであり、他は無である」として意識的な前衛党の形成をネグレクトし、権力奪取を展望せず、社会改良主義=修正主義に流されていった第ニインター、ベルンシュタイン主義に対し第三インターナショナルを再建し、ボリシェヴィキ党を打ち鍛える必然性を訴えた点に、その先駆性、根底的な革命性は求められていかなければならないのである。
八四年秋冬期を政治的思想的に対象化せんとする時、必ずおさえられなければならないことは八三年三月中核派の党派戦争宣言に対しても左から反応し、党の武装をもって打ち返していく意識性、革命性をわれわれが有していたように、八四年八・二一破防法弾圧-白色テロ襲撃に対しても、本部ビル建設の勝利をもって攻撃に対峙していく構え、問題の立て方を、われわれが内在化させていることである。
それは長い年月をかけて意識的につちかわれたものであるが、勝利をもたらす要因としての、己を捨て党と人民の勝利のために献身する思想、自己よりも党を第一と考え、その勝利のためにすべてをなげうつ政治的観点の形成こそ、ゆえにわが同盟の生命線をなすガイストそのものであることがガッチリと把握されねばならない。
そして第三に「党のための闘い」の実現にしろ、「党としての闘い」の貫徹のためにせよ、その具体化のためには、それを如何に物質化するのか、如何に作りあげていくのかの解明と方策が必要であり、それを「組織戦術」として対象化していかねばならないことが理解されるべきである。目標を立ててもそれを物質化できない、具体化できないのは、そのための組織戦術を駆使できない、つまり方針はあっても「如何にして」がないからなのだと捉えねばならない。精神主義も必要だし、根性ももちろんなければならないが、問題の核心となることは実現のための合理的方策である。
一九八五年の階級攻防を完全なるブント主流派として領導せねばならないわが同盟にあっては、いまや組織末端に至るまでがそうした組織戦術をもっての展開に習熟せねばならない必然性がある。一九八四年秋冬期、本部ビル建設に遂に勝利した革命的意義とはまさにその貫徹性にこそあり、さらなる不抜の革命党の形成をめざし、アマチュアリズムを克服した組織創造のプロフェッショナルとなるために組織戦術の駆使に習熟することをいとわない主体となることを、共にめざしていこうではないか。
もちろん「党のための闘い」とそのための組織戦術はあっても、「党としての闘い」、階級闘争の戦略的領導を革命的に担っていく意識性や問題把握がなければ、われわれはカクマル主義に陥ってしまう危険性がある。他方「党としての闘い」はあっても、階級闘争を担う革命主体の内延的発展を作り上げていく契機をもたなければ、いわゆるブント主義に先祖がえりをするだけである。問題となることは両者の統一と止揚であり、そこでの組織戦術の駆使もまた人民の正義に立脚した枠組みに裏打ちされねばならない。そうでなければ独断的セクト主義としてスターリン主義的疎外におち込むだけである。
それらのことを明確に対象化したうえでのサークルから党への飛躍をかけた政治展開での習熟性の獲得、それこそを意識化して、八四年十~十一月本部ビル建設闘争勝利の革命論的意義を把握しておきたい。