戸村一作:著『小説三里塚』(目次へもどる)
話はきまって、女の話から猥談だった。時には近隣の三里塚や多古などに出かけて行って、料理屋の女を相手に酒を飲み、女と戯れ遊ぷのが唯一の楽しみだった。それを見越して料理屋では若い酌婦を置いて、在の若い衆連をおびきよせた。彼女たちを「玉」といった。新しい「玉」がくると、そこが一時、流行るのが常だった。
料理屋は農村青年のレクリエーションの唯一の場だった。女と戯れ猥談し、その果ては喧嘩が関の山だった。そして、器物を破損して思わぬ弁償を請求され、酔が覚めるということもあった。
料理屋には各地を渡り歩いたいろいろな女たちがいて、在の青年を相手に売春をした。彼等はそこで女を知ることが多かった。そして、性病に感染した。性病ははしかのようなもので、青年になれば誰でも一度はかかるものだと思っていた。むしろ、それを知らない者は一人前の人間ではないと、恥のように考えている者さえいた。
料理屋には関西の方から流れてきた若い女がいて、春画や性交の写真を見せびらかせ、それを売りつけながら売春した。その中には「やくざ」の「紐付き」もいて、思わぬところで因縁をふきかけられ、大金をゆすられた者もいた。
バス停では、年長の青年が浴衣の袂から、一枚の写真をとり出した。そしてうす暗い外燈の光に照らして、見せびらかした。昨日三里塚の「花屋」へ飲みに行って、買ってきたものだといった。みんな寄ってたかって奪い合って見ようとしたので、年上の青年がそれを制して取り上げた。
料理屋遊びは金のかかることで毎晩とはいかず、それに替えてこうした夜遊びが、唯一の娯楽となった。最終バスが行ってしまうと、彼等はぞろぞろと、連れ立って移動した。そこはバス停の筋違いにある、県道っぷちの小さな神社の境内だった。そこは彼等の寄り合いの場だった。ギターを抱えた一人の青年が、神社の敷石に腰かけて、弾きながら歌った。先日、多古の料理屋で東京から新しくきたという女から習った流行歌だった。
「おーい、みんなあれ見ろっ」
県道っぷちに立っていた一人が声を殺して叫んだ。みんな一斉に立ち寄って、その指さす方向を兄た。天神峯の方向から俗にいう「夜這い道」という農道を伝って、一人の男が足早にこちらに歩いてくる――。白い浴衣を着ているので夜目にもはっきり、それが誰だとわかった。
「関根のおやじだ」
「夜這いだ!」
「こないだ天野のとこで刃傷沙汰があったのに、未だ止められねえだな、おやじ」
「今夜は暫く振りで楽しめるど……」
「馬鹿野郎っ、静かにしろっ」
と、年上の青年がかえりみて、これを制した。
「まだ早いよ、そんなに焦るな。奴らは一杯飲んで、おっ始めっだから……」
ここからは天野よし子の家は、すぐそこだ。ちょうどその時、県道をよぎった裕一の姿が天野よし子の家の垣根の陰に消えていくところだった。年長者に従って、彼等はぞろぞろと農道を畑伝いに一列に並んで、天野の家の方に向かって歩き出した。近づくにつれて年長者の足どりが抜き足差し足になった。みんなそれに歩調を合せた。
彼等は暗がりを選んで、音もなく近づいていった。檜葉の生垣の間に顔を入れて覗くと、雨戸から隙間漏れの燈火が見えた。家の中から何かぼそぼそいう裕一の嗄れた声がし、続いて、咳ばらいが聞こえてきた。
わか子の刃傷沙汰があってから、よし子は夜になると必ず雨戸の鍵は忘れなかった。よし子は今日畑で、関根と会うのを密かに約束していた。あんな事件があって以来、今夜で三ヵ月振りだった。よし子は柱時計を見ながら、裕一の来るのを待ち惚けていた。一二時頃になって、雨戸をコツコツ叩く音がした。よし子は下駄をつっかけて土間に下り、雨戸を開けて、裕一を迎え入れた。
「よく来られたな」
「うむ……」
裕一はそっと、子供の寝ている部屋を覗いた。
子供はいつもの習慣で、宵のうちから早く寝てしまっていた。寝つくと、朝まで覚めることはなかった。
台所では鉄瓶の湯のしゅんしゅんと湯き立つ音がしていた。よし子は裕一のために用意してわいた銚子を一本、鉄瓶に入れて燗をした。
よし子の生垣を抜けて庭に入ると、後の誰かがクスクスッと笑った。すぐ年長者が暗がりを振り返り、口に人さし指を当てがって、「しっ」といって注意した。
まず抜き足で音もなく、年長者が雨戸に近づいていく。それを後の四人が、少し離れたところで待った。年長者は雨戸の節穴から、息を密ませ、片目をつぶって中を覗いた。彼はそのままの格好で、右手を振って手招きした。四人が抜き足で近づいた。年長者が節穴から退がると、かわるがわる彼等は中を覗いた。
吊られた蚊屋の中では、もう裕一がよし子を抱いて情事の最中だった。暑いせいか障子を開け放ってあったから、部屋中は丸見えである。電気は薄暗くしてあるが、はっきりその行状がわかる。
時々、裕一が団扇をバタバタ動かす音が聞える。よし子が息をはずませて長く呻く声が聞こえた。
その時、誰かがくくっと笑った。瞬間、バラバラっと彼等は散り生垣の陰に潜んだ。逃げ遅れて、縁の下に潜り込んだ者もいた。
ガラガラっと雨戸が開いた。生垣の隙間から覗くと、裕一が立って外を見回しているのが影絵のように見えた。いくら見回しても何も見えないのか、裕一は戸を締めた。
それからというものは裕一がよし子の家に行くと、きまって電燈が消されていた。電燈の消えているということは裕一がきている証拠だった。
それを知って、若者らはその後も身を忍ばせ、雨戸にへぱりついては、耳を澄ました。
これは彼等にとって無聊な夏の夜をいやす楽しみだった。
部落の大人の中には賭博、若者には料理屋遊びの常習者がいた。好きな女を身受けし、妾宅を構えて遊び暮らすうちに、祖先伝来の財産を蕩尽し、一家離散の悲運に陥る者もあった。未だに旧態依然としたしきたりが残り、これが部落の発展は元より、反対運動を阻害している場合が多かった。