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三里塚闘争

「小説三里塚」第四章 岐路

戸村一作:著『小説三里塚』(目次へもどる

第33話 妖怪変化

 東藤は断食後、すっかり天浪に惚れ込んでしまった。そして、団結小屋の傍にどうしても平和塔を建てたいといい出した。
 彼の要請で武治と戸田は東藤を伴って、小屋の地主・大清水の山岡源二を訪ねた。その後も二、三度足を運んだ。が、家族の反対を理由に、断られてしまった。そこで四〇〇〇メーター滑走路西端にある駒井野団結小屋を次の予定地とした。
 早速、武治が駒井野に地主の藤崎米吉を訪ね相談したところ、一決してしまった。東藤の喜びは、並大抵ではなかった。彼は新春早々、定礎式をやりたいといった。団結小屋は成田から小見川行バスの通る県道沿いにあった。地主の藤崎が立ち会って、その団結小屋の後の畑の中に、平和塔の位置を定めた。定礎式は一月二一日となった。

 その日は朝早くから、同盟の農民が、揃って鍬を担いで出てきた。直径二〇メートルもある溝が円形に掘られた。それを取り囲んだ数人の黄衣の僧侶たちが、一斉に団扇太鼓を打ち鳴らし始めた。
 どこからきたか自転車の荷台に石を積んだ二十数人の若者たちが、その石を一つ一つ、掘られた溝の中に投げ込んだ。そしてその真中には東藤の書いた二〇センチ角材の杭が、打ち込まれた。杭には「南無妙法蓮華経軍事空港絶対反対」と、墨痕鮮かに書かれていた。
 東藤が溝を越えて、その杭の傍に立った。太鼓が止んで、読経が始まった。

 やがて読経が終ると東藤は周囲に集まる人々を見渡し、恭しく合掌して目礼した。
「みなさん。私は天浪団結小屋で一週間の断食を終って、未明の空に明星を見つめた時、お釈迦様にお会いしたような何ともいえない清々しい気持になりました。私はここに平和塔を建て、お釈迦様をお祀りして、日本の平和のためみなさんとともに空港阻止を闘う決意です」
 東藤は再び一同を見回した。武治と東堂の視線が、ふと合致した。武治は東藤に、頼もしい信頼感を覚えた。黄衣の彼の姿から放つ、後光のようなものを見て、思わず眼をしばたいた。
 定礎式は無事に終った。後は資材の整い次第、一日も早い起工をとりきめた。

 ところがその翌々日だった。
 地主の藤崎米吉が人を介して、武治のとこへ一通の手紙を届けてきた。見ると、平和塔の断り状である。
 そのくわしい理由は断り状には、書かれていなかった。聞くところによれば同盟から排除された日共に、東藤が深い関係を持っているというのが、その主な理由だった。
 それを東藤は曲解し、逆に同盟幹部達が藤崎をそそのかし、平和塔建設を妨害したのだと、ふれ回った。

 結局平和塔は全く方向違いの南端桜台に移っていった。桜台には岩山部落で、若い頃日共党員だったという斎藤文雄らの所有地があったからである。
 日共系の斎藤や日蓮宗の麻生の手引きで、東藤は岩山部落に足場を求めて、足繁く通うようになった。東藤の岩山入りにつれて、千葉大から「民青」の学生が部落に入った。東藤も学生と一緒になって、道普請などをやった。三日に一ぺん、東藤は東京からやってきては麻生の家に泊まった。

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