戸村一作:著『小説三里塚』(目次へもどる)
色とりどりの旗が風にひらめいて、林立していた。子供連れでピクニック姿の男女が、集まってきた。
東藤ら黄衣の僧侶が尼僧を交えて、平和塔を前にしてずらりと並んだ。念仏を唱えながら、団扇太鼓を盛んに打ち鳴らした。それが終わると胸に楽器を抱えた一人の青年が立ち上がった。腕には「民青」と青地に白く抜かれた字が映えていた。青年が奏楽すると、一群の男女が「がーんばーろおー」と歌い出した。
武治はどこかで聞いた歌だと思った。あの一〇月一〇日、二〇〇〇人の機動隊に守られた立入測量の日――駒井野で測量阻止の座り込みをしていた。そのとき、この歌を唱いながら、日共民青は「挑発に乗るな」とスクラムを解いた。そして、戦列から逃亡していったのだ。
武治には、そのときのこの歌の調子が心に焼きつけられていて、忘れようとも忘れられなかったのだ。
武治はそのとき、以来どこでもこの歌を聞くと、「一〇月一〇日の駒井野」を思い出して仕方なかった。
今日の落成式でも、またこの歌を聞かせられたのだ。
平和塔の前では青年男女は盛んに歌ったり踊ったりして、大賑わいだった。その傍ではむしろの上に座った人々が、飲んだり食ったりして戯れていた。その周辺では間断無く、ブルドーザーが動き回っていた。すぐ傍まで怒濤のように土塊を、押し寄せてきては引き返していた。まるで威嚇するようだった。
武治はひとり離れ、塔の陰でじっとそれを見つめていた。歌って踊って戯れる青年男女の群、そしてそれに攻め寄せるように押し寄せてくるブルドーザーとの対照に、全くチグハグなものを感じて、そこを立ち去ろうと決心した。
すると、武治の肩をポンと、叩く者がある。見るといつか東藤に連れられて行ったことのある東京の集会で会った共産党代議士の遠間良雄だった。遠間の胸の議員バッジが、印象的だった。
「や、木川さんしばらく……」と、いって武治に手をさし延べた。武治は一瞬手を出そうか出すまいかとためらった。――が、握手を交した。そこへ東藤がやってきた。
「木川さん、平和塔にはいろいろ尽力して下さってありがとう。東藤先生から聞いています」
「……」
遠間は東北弁でニコニコしながら、武治に愛想を振りまいた。
「そうです、木川さんがいなかったら、この落成式もまだまだできなかったかも知れません」
東藤の言葉に武治は脇の下をくすぐられるような気がして、嘔吐を覚えるのだった。
若い青年が二人、武治の傍を挨拶して通り過ぎて行った。どこかで見た青年だった。武治は東藤と遠間を振り切るようにして、そこを立ち去った。東藤と遠間は不審そうに、武治の後姿を跳めていた。
武治は塔の後に置いた自転東のハンドルを握ると、ポーンとサドルに飛ぴ乗った。飛び乗ると、木の根に向かってペダルを踏んだ。
「木川さん!もう帰るんですか」
誰かが背中で呼ぶ声がした。武治は振り向こうともしなかった。一刻も早く、そこから逃れたい気持で、いっぱいだった。しきりにペタルを踏んではいるのだが、ダンプのために破壊された道路は、凹凸で、思うように走れなかった。
後から歌声が追いかけるようにして聞こえてきた。武治は両耳を塞ぎたかったが、ハンドルから手を放すことができなかった。
ペダルを踏みながらも、武治の脳裡を去来するものがあった。学生から何度も聞いたことのある佐藤訪米阻止闘争の日の、多摩湖畔の「赤旗祭」のことだった。飲んで歌って踊るという「赤旗祭」は、今日の平和塔落成式と同じものではなかったか。
「ああ、なるほど、これがよく学生のいう日共民青の正体なのか」と、武治はペタルを踏みながら思い続けた。だんだん後に遠ざかる歌声に、自らの足枷が解かれ、身の軽くなる思いだった。
武治の頭上で突然、耳をつんざく炸裂音――思わず空を見上げた。平和塔で打ち上げる花火だった。
空は澄んで、青かった。花火の炸烈音とともに飛び出す落下傘が、青い空を風の間に間に、南に流れていく――。武治はペダルを踏みながら、それを眺めた。
あの空の下は踊り狂う人々で賑わっていることだろう。
われわれは近日、強制立入測量と代執行を迎え撃たねばならぬ。ごの落成式とそれとはどんな因果関係にあるのだろうか。あの「歌声」の若者たちに、本当に体を張って国家権力と立ち討ちする勇気があるのだろうか。
いや、絶対にない。一〇月一〇日の駒井野が、それをよく証明しているではないか。自分が二ヵ月余りも東藤に伴われて、各地の集会にカンパ要請したことも、今思えば全く無意味で徒労ではなかったか。武治は今日の落成式を見て、実感としてつくづくそう思わされたのである。
向こうからもうもうと砂塵を上げて、ダンプが暴走してきた。武治はそれを避けた拍子に、自転車もろとも、道端の壕の中に転倒した。武治は壕の中から立ち上がり、埃を払った。
ダンプの運転手が、窓起しにそれを見て通り過ぎていった。すると次から次へと砂利を満載した大型ダンプが通り過ぎていく――。そのたびに表土が波のようにグラグラと揺れた。
武治の姿は、砂塵の中に掻き消されて見えなくなった。
その翌朝、武治は未明に床を蹴立てて起き上がった。彼は一枚の辞職書、というよりも絶縁状を書いた。書くと早速、それを持って平和塔の東藤のところに走った。
武治は黙ってそれを東藤に突き出した。
白い封筒の上には「辞職書」と、筆字で黒々と書かれていた。東藤は突き出された封筒を手にして、じーっとそれを見つめた。呆気にとられている間に武治はくるりと踵を返して背を向けた。
「木川さん、一体どうしたんですか。えっ、木川さん……」
武治はかえりみようともしなかった。東藤は慌てふためき、叫んだ。
「木川さん、木川さん……」
東藤は叫びながら武治の後を追ったが、彼は自転車に跨るが早いか一散に走り去った。
武治にとって東藤は最早、何の魅力もなかった。
彼はそのまま真すぐに木の根に帰ってきた。帰ってくると、その足ですぐに畑に出た。説子と並んで畦間の草むしりにはげんだ。長い悪夢から醒めて、今は晴々とした心境だった。
桜台で上げる花火が、頭上で炸烈した。ポッカリ浮かんだ落下傘が、青空に咲いた白い花のように美しく、風をはらんで西へ流れていく。
武治夫帰は空を見上げてそれを眺めた。
「第六章 欺瞞(後編)」了 目次へもどる