戸村一作:著『小説三里塚』(目次へもどる)
丘に沿って谷地田(やつだ)が細長く延びて、香取部落の方まで続いていた。ここには藤崎米吉や、清宮力の田んぼがあった。
米吉の伜の正雄は田んぼの傍に腕かけて、田の面をじーっと眺めながら握り飯を噛っていた。正雄はすでに五〇を過きた歳だが、家の中は八○歳になる米吉爺が実権を握っていた。正雄は農民によく見る実直な性格だった。その正雄が弁当を食べ終わると、包んできた新聞紙を丸めてぽんと田の面に棄てていった。
「おらあよ、この田んぼへはちいせえ時からよく来たもんだよ」
突然いい出した正雄の方に、皆一斉に注目した。正雄ははにかんだ。
正雄にとってのこの田んぼは、忘れがたい思い出の数々を秘めていた。それが今、公団のブルドーザーによって半ば埋められようとしている。
正雄は八、九歳の頃からの思い出を語った。タ方一人で田んぼの溝(みよ)まで、「ず」をかけにやってきたものだった。かけた夜に折よく雨でも降り出すと、胸がわくわくして容易に寝つかれなかった。雨が降ると溝の流れが増すので、それにつれ雑魚が「ず」いっぱいにひっかかるのだ。
そんな経験を正雄は何度かしたので、「ず」をかけた日の雨の夜は、朝のくるのが待ち遠しくて眠れなかった。
そんな朝、起きむくれに雨戸を手繰って、空を見上げ手を外に差し出した。雨が降っていないのを知ると、そのまま裸足で土間に降り立った。田んぼまでは部落を出て坂を上り下りして、三〇〇メー下ルぐらいあったろうか。そこを正雄は、田んぼへとひた走るのだった。
案の状、「ず」はずっしりと詰まって重かった。八歳の正雄にはなかなか水揚げできなかった。漸くのことで引き上げるごとができた。
水がざーっと、「ず」から流れ落ちて、見ると肥えた土鰻や鰻で、「ず」ははち切れそうだった。
春先になると正雄はよく友だちと誘い合って、田の溝にいって鮒やたなごや蟹などを、笊いっぱい掬った。たまに鯰(なまず)を捕えることがあった。鯰はグロテスクな格好をして、長い顎髭を生やしていた。これを味噌汁にしてもらうと、いいだしが出ておいしかったのは、子供心にも忘れられない。
夜になるとカンテラを提げ、田の区路(畦道)を渉り歩いて、土鰻たたきをした。その頃になると田んぼの代掻も終わり、区路は塗りたてだった。せっかく新しく塗り上げた区路をみんな潰してしまうので、土鰻たたきは農家の者からは嫌われることもあった。
土鰻たたきは石油を燈したカンテラを竹竿の光に吊るして、田の面に水を透かして見るのであるが、田植を間近に控えた田は、水を五センチぐらい湛え、澄んで綺麗だった。透して見ると丸々と肥えた土鰻が、累々と眠っている。これを叩いて獲るのであるが、その捕獲器は櫛の歯のように取りつけた針を、手頃な棒の先に結えつけたものである。
カンテラを左手に、右手に土鰻針を持って、水面を水中の土鰻を狙って打つ。うまくいくと白い腹をくねらせて土鰻が一ぺんに数匹も刺さってくる。水は浅くとも、透かして見るから土鰻の位置が屈折して見える。直接水底の土鰻目がけて打つと、土鰻は瞬間逃げて、堤の中に一斉に潜り込む。当たらないのだ。
透して見る土鰻から多少位衝を変えて打つのが、そのこつだった。上手になると、一晩に笊に一升も二升も獲る者もいた。
正雄は五〇を越えても子供心を失わず、つい最近まで「ず」をかけたりして、土鰻を獲っていた。
木川武治は戸田のところへ、よく山芋を持ってきた。
ある日「委員長、おらあ昨日はあんまり気持ちがくしゃくしゃするんで、一日中芋掘りやったよ」と、山芋を藁に包んで、それを自転車に積んで持ってきた。武治は山芋掘りが好きで、特に空港問題に頭が悩まされると、いつも芋掘棒を肩に、籠を担いで山野を歩き回るのが習しだった。
武治にとっての鬱憤晴らしは山芋掘りだった。ガサゴソと木の根や天浪の林の中をひとりで歩くのである。樹を見上げて山芋の蔓を見つけると、蔓を手繰ってそこを掘るのだ。「寿年じょう」という芋は一メートルも深く穴を掘らないと取り出せなかった。
武治は山芋を掘るとそれを摺って蕎麦粉を伸し、手打蕎麦を作った。作るとそれを戸田の家に持って行った。太くてこりこりして、どこのそば屋で食べるものよりおいしかった。戸田はその味覚を忘れられなかった。戸田がそれをいうと、武治は喜び、得意になって、「委負長、また作ったら持ってくるからな……」といった。
武治の山芋掘りは、終戦直後の入植当時、食物のなんにもなかった頃、一家の飢えを凌いたことから始まった。
武治は弁当を食べ終わって、丘の上を見上げた。秋になるとこの丘の辺りを、武治はいつも山芋掘りに歩いたものだった。
地下壕の入口の上には、一本の松の木があった。松の木には赤い葉を二、三つけた蔦葛と一緒に山芋の蔓が絡まっていた。もうすっかり葉をふるい落として蔓だけだったが、武治の眼には、それとすぐわかった。
「おお、大きい芋だな」
「うん、ここには山芋があるだよ」
武治の傍で正夫が相槌を打った。一本の松は武治の郷愁をそそるとともに、怒りの心を燃やした。そして「土地は奴らに渡せねえ」と、正夫にいうとキッと光る眼で、丘の上の公団の見張り塔を見上げた。
二人の間に、しばし、沈黙が続いた。その傍で小瓶から焼酎を出して、さっきからチビリチビリとやりながら、二人の話を聞いていた清宮カが、突然いい出した。
「百姓は土地売っちゃおしめえだあ」
彼はただ一言ポツンといったきり、焼酎を呑みつづけた。
正雄と力の家は田んぼのある坂道を越えた同じ部落の駒井野だった。当初の頃は隣部落の香取も駒井野もごぞって空港反対に起ち上がった。それが政府、公団の恫喝と誘惑が加わるにつれて、いつとはなく一人去り、二人消え、今では駒井野の正雄と力の二人を残すのみとなった。
「どうだい藤崎さん、駒井野のこの頃は……」
戸田は正雄に語しかけた。彼はニタニタ笑って、「ああ、みんな腑抜けらで駄目だよ、代替地をもらってすっかり浮足だって……」と、あっさりいった。
その時、武治の合図で作業が再び開始された。
丘は雑木林を茂らせて駒井野団結小屋の方までも続いていた。丘の上を成田駅から小見川行きのバスが、団結小屋の前の県道を走っていた。小屋前を少し過ぎたところから県道を右に折れて、公団専用の資材道路がその丘の上を走って、谷を越え、天浪の公団分室まで通じていた。去年早くに掘られた穴は、すでにこの資材道路の下を潜り抜けて、その奥に延びていた。
土は間断なく穴の奥から送り出されてくる。運び出すのが間に合わないくらいだった。土質は粘土、砂岩と、時により変わって運び出されてきた。掘り手は土をできるだけ崩さず、土塊のまま掘り取るのがこつで、崩れて土の量が増すと運び出すのに、手間が倍もかかる。
運び出された土塊が、前方に山と築かれた。公団がそれを見て、「そこは公団の領地だから、置くな」と、使いの者をよこして抗議してきた。そんなことには頓着せず、土塊はどんどん公団の整地した土地の上に積まれていった。
武治はなぜか作業中でも一瞬蹲って、じーっと限をつぶる時が、間々あった。鼻の頭に汗をかいて、何か苦痛に堪えるような格好をする。戸田はそれを見て、不審に思って尋ねた。
「うん、何でもねえよ」と、武治はいい、すぐまた立ち上がって作業に取りかかった。