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三里塚闘争

「小説三里塚」第八章 地に落ちて

戸村一作:著『小説三里塚』(目次へもどる

第60話 「土地は売るなよ」(1)

晩年の小川明治さん

その翌日だった。武治の小学校時代の同窓会が、久し振りで芝山町の「千代の家」という飲食店で開かれた。
 同窓会が終わって木の根に帰ろうとした時、武治は急に胸部の激痛を訴えて倒れた。驚いた千代の家のお内儀が部屋に蒲団を敷いて武治を寝かせた。
 久し振りの旧友との会合で、すっかり浮かれた武治は酒を呑み過ぎたか、急に体に変調がきたのである。聞けば時々こうした発作で、激痛に襲われることがあったが、胃痙攣だといってはその都度、薬を呑んでおちつけていたとのことだった。

 武治は蒲団の上に蹲るようにして臥せた。全身からは玉のような油汗が滲み出た。彼は眉をしかめ体を震わせて、一心に苦痛に耐えていた。
「木川さん、医者を呼びますか」
 千代の家のお内儀が、武治の背中を両手でさすりながらいても、武治は黙って頭を左右に振るのみだった。
 そして苦痛の中から、言葉にならない言葉で、
「大丈夫……少し……たつと……落ちつく……」と、一度もたげた頭を再び蒲団の中に埋めた。
 お内儀は部屋を出ていくと、間もなく盆にお湯と胃腸薬を乗せて戻ってきた。武治はお内儀の差し出す薬を、やおら身を起こして呑んだ。かと見ると崩れるようにして、再び臥せたきり何もいわなかった。その背中は、大きく痙攣した。

 旧友が帰って誰もいなくなった千代の家は、深閑とした静けさで、ただ武治の呻きが、一際はっきり聞こえてくるばかりだった。
 千代の家の店は四〇〇〇メートル滑走路の間際で、もし飛行機が飛べば二一〇ホーンの騒音になる。人間の住めるところではなかった。芝山町の千代田という部落で、多古・八日市場の県道沿いで、そこには農協や商店のある小さな部落だった。最近は代替地を捜して、移転していく者もチラホラ現われて、県道沿いには無惨に取り壊された家屋の残骸が置き去られていた。それが陰惨な雰囲気をかもし出していた。
 その中でも反対同盟員として、頑として止まり闘い続けてきたのが、千代の家の出山夫婦だった。そんな関係で反対同盟の者は、よく千代の家に出入りしていた。

 千代の家の別棟には以前から、同盟の加山進が住んでいた。加山は寝ようとしていたが、千代の家のお内儀の知らせで、武治の倒れたことを知った。
 加山が急いで部屋に行ってみると、武治は蒲団に腹這いになって寝ていた。加山は武治が眠ったのかと思って、傍に立って武治を見下ろしていた。武治は眠ってはいなかった。時には薄目を開いては、苦痛に耐えている様子だった。加山は枕元に侍んで、
「木川さん、大丈夫ですか」と、静かにいった。
「うーん……加山さんか…。今、薬呑ましてもらったから、いくらか落着いた……」
 武治の声は蚊の泣くように細く、もの哀れだった。そのうちに薬が効いてか、うとうと眠気が差してきた。苦痛が徐々に遠のいていくと、けだるさが全身を覆って、武治を次第に眠りに誘っていった。眠りに誘われながら武治は、今夜の苦痛は今までとは違った苦しみだと思った。事実、心臓が圧迫され、今にも鼓動が止まるかとも思われる苦痛だったのだ。

 朝になって加山がそっと寝ている部屋に行ってみると、夕べの疲れのせいか、武治は鼾をかいて眠っていた。そのまま寝かしておこうと思って、加山が静かに障子を締めようとした。その時、武治は眼を覚まして、加山を見た。彼はむっくり起き上がると、キチンと床の上に端座した。夕べの苦痛のせいか、その面には憔悴の色が見えて、未だ疲労がありありと残っていた。
「加山さん、夕べはお世話になりました。千代の家には世話になった上、泊めてもらって……。いくら払ったらいいでしょうか」
 彼は傍らに脱ぎ棄ててあった上衣のポケツトから財布を取り出した。
「木川さん、千代の家は旅館じゃないから、そんな心配はいらないよ」
 加山が武治を手で、抑えるようにしていうと、武治は何を思ったか、急に緊張した表情になっていった。
「俺も夕べはみんなに、空港反対の話を聞かしてやったよ。まだ全然、わかっていねえ者も随分いるよ。宣伝が足りねえよ」
 武治はタペの同窓会で空港問題について、一席ぷったことを、加山に伝えたのである。すると苦痛に意気消沈したタベの武治とも見えない、別人の武治に蘇るのだった。
「じゃ加山さんの方からも、千代の家のお内儀さんによろしくいって下さいよ、いいかい」
「わかったよ、木川さん、心配するなよ」
 武治はやっと安心したようにして、蒲団から立ち上がった。――途端、よろけて危く倒れそうになったところを、とっさに加山が抱きかかえた。
「俺も今度ばかりは死ぬと思ったよ。夕べばかりは生きた空がなかった」

 その時、説子と息子の直次が部屋に入ってきた。やっと洋服を着込んだ武治は、説子の肩に寄り綻るようにして外に出た。
 千代の家のお内儀が、台所の方からバタバタと走ってきた。武治は繰り返し礼を述べると、説子の肩に手をかけて、自動車に乗り込んだ。加山と千代の家のお内儀が、心配そうな顔つきで自動車を見送った。
 武治の顔色は勝れず、その足取りも不確かだった。自動車に乗っても彼は両手で、胸を抱きかかえるような格好をして、自動車の震動に耐えていた。

 武治はその日、一日中家で寝て休養した。
「この分なら二、三日静かにしていれば、地下壕掘りに出かけられるな」と、武治はひとり床の中で思った。いくらか気分もいいので、風呂にも入った。
 ところが、その夜の九時頃だった。再び激痛に襲われ、武治は悶え苦しみだした。説子が胸をさすろうとしたが、苦痛に耐える武治のカでたちまち突き飛ばされてしまった。
 すぐに弟の源二に来てもらい、やっと自動車に乗せた。説子が付き添い、直次が運転して、成田の日赤病院に駆けつけた。

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