北小路敏さんに謹んで哀悼の意を表します

北小路 敏 さん ブログを更新したり、レスをお返ししたりの時間がほとんどとれない中、迷ったのですが、やはり先人への敬意という意味でも書いておくことにします。中核派の元幹部で病気療養中だった北小路敏さんがお亡くなりになったそうです(→ニュース記事)。以前から療養中との噂は風の便り程度には聞いていましたが、突然の訃報で少々驚きました。

 北小路さんは、大衆的に運動現場に登場して指揮をとる、いわゆる「公然指導部」とか「表の指導部」と言われる部分のトップだった方でした。理論家や組織指導者というより、私はいわば「中核派のスポークスマン」というかアジテーターという印象を持っていました。指導部の中でも独自の意見や立場で引っ張っていくというよりも、その時々の組織の主流的な方針を、大衆的に噛み砕いて上手に説明(正当化)するのが得意な方だったのかなあと思っています。あと、関係ないけど、若い頃の北小路さんって、石田純一に似ているよなと常々思っていたのが思い出です。

 中核派については、私が現役の左翼だった時代には、随分と嫌な思いをさせられた経験ばかりが残っています。それを当事の政治的言語をもって説明するならば、中核派はソ連スターリン主義の暴虐=人民圧殺の政治思想(ロシアマルクス主義)について、所詮は「一国社会主義論」などのマルクス主義からの変節を理論主義的に批判しえただけであり、思想・イデオロギー的には全く乗り越えていなかった。そのせいで、彼らが実践的に打ち出してくる政治方針は、往々にしてスターリン主義そのものであったということです(→参考:スタ克論文)。

 言い出せばも~~~う、次から次から「恨み言」は出てきますよ(笑)。でも、私なんかまだ「笑」なんて書けるからいいほうでしてね。中核派に睨まれたせいで人生を台無しにされた左翼活動家が実際に何人もいるわけです。私は自分のことならいくらでも忘れることはできますが、そういう方々のことを忘れて不問に伏すことは、やはり彼らに申し訳なくて到底できないんです。

 それを忘れないということを充分に踏まえた上で、それでも60年-70年安保闘争や三里塚闘争等への指導・尽力など、北小路さんの権力を恐れず果敢に闘った(とりわけ人生の前半期における)功績に思いを馳せて、去り行く老将に哀悼の意を表したい。私は本心からそう思っています。北小路さんが指揮をとった「6・15全学連国会突入闘争」は60年安保闘争の頂点をなす闘いであり、そこにおいて東大女学生だった樺美智子さんが機動隊によって撲殺されたこともあり、この闘いを契機に民衆の怒りは沸点を通り越してまさに爆発。革命前夜を思わせるような状況の中で岸自民党政権は文字通り木っ端微塵にされたのでした。

 思えば、私が左翼活動に飛び込んだ10代の頃、北小路さんは最も有名な中核派の指導者の一人として活躍しておられました。考えてみますと、今の私はその当事の北小路さんよりも年上になっているのだという事実に愕然とします。全く当たり前のことなのですが、こうして並べてみますと、あらためて私は、あらゆる面で北小路さんの足元にもおよばないちっぽけな人間だということがよくわかります。

 かつて表のトップだった時代には、ポスターに「北小路敏氏来る!」と書くだけで聴衆が満員になったといいます。また、これは全然関係ない話で恐縮ではありますが、私と同郷(京都)の方でもあることですし、今はただ心よりご冥福をお祈りしたいと思います。

 以下、70年安保当事のものですが、北小路さんへの週刊誌のインタビュー記事を採録しておきたいと思います。まだ、中核派が内ゲバなどにのめり込まず、民衆からの信頼を集めて最も輝いていた時代のものです。北小路さんの経歴も含めて、北小路さんの元来の人となりがよく現れていると思います。「他の“教祖”にくらべてよくしゃべった」という結びの一文には思わず吹き出してしまいました。中にはこのインタビューを「しらじらしい」と感じる人もおられるかもしれませんが、追悼の意味を込めて、論評ぬきでそのまま掲載させていただきます。

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全学連の“教祖”たち(1968年「週刊朝日」より)

北小路敏インタビュー 反代々木系全学連の学生デモ隊は羽田、佐世保両事件で警官隊に真正面からぶつかった。この事件で逮捕された学生は905人、第一羽田事件では、ついに死者まででた。
 無謀とも思える学生たちの行動だが―この学生たちの心を支える理論的指導者はだれか。各派の学生たちが“教祖”とする人たちの横顔はこうだ。
(下の写真=佐世保橋上で機動隊と激突した三派系全学連)

 「なぜ、君たちはあれほどまでに警官隊の壁にぶつかってゆくのか。恐くはないのか」
 「ボクたちは何もメクラ(原文ママ)滅法で突込んでるんじゃないんです。若さのせい? いや、そんなものだけでは、とてもできませんよ。信条というか、それだけの理論武装があるからこそできるんです」
 米原子力空母エンタープライズ寄港阻止の闘争がくり広げられた長崎・佐世保市で闘争資金カンパをしていた全学連学生とカンパに応じた市民との間で、こんな会話がかわされていた。
 反代々木系全学連―『ゼンガクレン』の名は、昨秋の第一、第二羽田事件、こんどの佐世保事件でひさびさに世間の注目を集めた。いったい学生たちを催涙ガスと警棒の乱打の中にかり立てる信条とはなにか。

 一口に反代々木系全学連といってもさまざまの系列に分かれている。今度の羽田、佐世保事件で主役を演じた三派系全学連の中核派(マルクス主義学生同盟中核派)、社学同(社会主義学生同盟)、社青同(社会主義青年同盟)解放派と、革マル派(革命的マルクス主義派)がそれである。彼らが“教祖”とも理論的指導者とも呼んでいる人たちは、どんな意見と生活を持っているのか―。

◆北小路敏 変節をしない魅力

 まず、反代々木系全学連が生れていく過程を北小路敏氏の歩みと共にながめてみよう。
 三派系全学連の「主流派」を名乗るのが中核派だ。中核派は革命的共産主義者同盟全国委員会の傘下にある。元全学連委員長北小路敏氏(31)はその革共同幹部だ。
 北小路氏が第一羽田事件で逮捕されたとき、「彼はまだ学生運動の先頭に立っているのかね」と、驚いたゼンガクレンOBも多かった。が、学生たちにとってはその変節しない生き方が魅力なのであろう。ある中核派の学生は、
「たいてい、大学を出ると、みんな変わっちゃうんですね。終始一貫、革命運動をつづけているのは北小路さんくらいのものですよ。いい指導者をもったことをしあわせだと思います」
 と、大変なホレこみようだ。

 京都市立紫野高校を卒業した北小路氏は31年、京都大学へ入学。高校三年の7月に共産党へ入党していたが、活動家仲間では「北小路」という名はすでに知れわたっていた。父親の北小路昂氏が28年暮れ、偏向教育かどうかで全国的に注目を浴びた京都・旭ヶ丘中学事件の教頭だったからだ。父親はその後、日共に入党した。
 しかし、父が共産党員であったとき、彼は共産党のやり方に真っ向から反対して、33年9月、自ら脱党していったのだ。父はコミュニスト、子はトロツキスト-当事、“政治親子”として格好の話題になった。

 「火炎ビン闘争、スターリン批判、ハンガリー事件などを通して、共産党への疑問が強くなっていった。共産党を唯一の前衛だと信じていたぼくたちは、共産党をでていくかどうかの瀬戸際に立たされた。共産主義は正しいが、共産党はまちがっている。その結論に達するまでは本当に苦しみました」
 北小路氏は当事を思い起こしながら語る。

 こうして共産党を脱党した約二千人のうち千人は、33年暮れ、新たに共産主義者同盟を結成した。全学連を牛耳っていた共産党の威信は崩れた。
 しかし、安保闘争は共産主義者同盟にとって大きな試練となった。共産主義者同盟は三派に分裂し、それも半年ほどのうちに崩壊してしまった。なぜか?北小路氏はこう説明する。
 「簡単にいえば、共産主義者同盟には“共産党によって歪められたマルクス主義を修正しなければならない”という共通のことばはあったのですが、その内容ではマチマチだったのです。だから安保闘争をどう評価するか、今後どう進むべきかという点で意見が対立してしまった」

 崩壊した共産主義者同盟のメンバーの多くは、あとに登場する黒田寛一氏のひきいる革共同全国委員会(のちの革マル派の母体)に合流した。北小路氏もその一人であった。革共同は22年に誕生した組織で“トロツキスト・グループ”と呼ばれていたが、その主流は「トロツキーの理論を機械的にあてはめるのはまちがっている」として、34年に革共同全国委員会を結成していた。
 この中の学生組織がマルクス主義学生同盟で、その中心が三派全学連の“主流”と自称する「中核派」である。
 一方、共産主義者同盟崩壊後、黒田氏のもとへ走らなかった人たちは37年、新たに共産主義者同盟を再建し、安保以後も生き残っていた社会主義学生同盟を、その傘下におさめた。これが三派のひとつ「社学同」である。

 北小路氏は、「37年当事、全学連中央執行委員会の多数派を占めていたのは革マル派で、わたくしたちは全学連の中に足場を失いかけました。しかし、全学連は一派の私有物ではありません」
 と、強調する。
 彼は、いま新しい労働者党の結成にも夢中である。毎日の仕事は労働者を中心とした職場活動、地域活動の連続だ。
 東京・杉並のアパートには妻の○子さんと二歳になる×子ちゃんがいる。「子どもは、その時代の人間としてはずかしくないように育ってくれればいい。ただ日共に入られるのだけは困りますね」
 とニガ笑い。法律事務所に勤めている○子さんとの共かせぎ。「どうやら生活はしていけますが、親せきや、友人に、まだ借金が20万円ほど残っているんです」という。

 学生運動について-「政治を動かす先進的な役割をになってもらう。学生生活を通じて革命的活動家や知識人を社会に送り出し、卒業したら労働者の側に立つ人間になるんだという信条を一般学生に植えつける。少なくとも、自民党総裁や警視総監になろうという学生が出ないようにしたい」

 いまの彼にとっては、読書の時間がないことが一番の苦痛だそうだ。テレビは「三匹の侍」「七人の刑事」「シャボン玉ホリデー」のファンと、他の“教祖”にくらべてよくしゃべった。

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参考リンク

北小路敏(wikipedia)
中核派:元最高幹部の北小路敏氏が病死(毎日新聞)
中核派元最高幹部 北小路敏氏死去(日経新聞)
中核派最高幹部の北小路敏氏が死去(産経新聞)

北小路敏同志が逝去 お別れ会など1千人が送る(週刊『前進』)
「北小路敏同志の逝去を悼む」 革共同政治局(週刊『前進』)
「万感の思いを込めて心から追悼の意を表す」 革共同議長 清水丈夫(週刊『前進』)
「革命家の魂に触れ 力ある演説に敬服」 三里塚反対同盟 萩原進事務局次長(週刊『三里塚』)

お別れ会 広範な人々が世代超え盛大に(週刊『前進』)
北小路敏同志 闘いの軌跡(週刊『前進』)
1960年6月15日ルポ うなる警棒命を奪う(週刊『前進』)
DVD「北小路さんの闘いの軌跡」上映(週刊『前進』)

北小路敏の死(比叡平通信)
北小路敏の死 (風と自由と空と)
内ゲバ/北小路敏(中核派最高幹部)/74歳(サーカスな日々)
中核派の幹部、北小路敏さん死去。74歳(旧「ベ平連」運動の情報ページ)

北小路敏同志のご冥福を祈ります(アメブロは芸能人のゴミネタばかり)
全学連、国会議事堂突入(Blue in Green in Blue)
北小路敏同志が逝去(hiryuの写真日刊紙)
北小路敏さんの逝去を悼む(北島邦彦の「すぎなみ未来BOX」)

星野哲郎さんの「男はつらいよ」(おんさま日記)
『がんばれ! 新左翼』のこと(鈴木邦男をぶっとばせ)
北小路敏氏が死去(マル共連BBS再建協議委員会)
北小路敏氏が死去していた!(「怒りをうたえ」上映実行委員会)
北小路敏(きたこうじ・さとし)死亡は共同通信のスクープか?(阪東100本塾(阪ゼミ)のブログ)

北小路敏さんの逝去を悼む(日本国憲法擁護本当の自由主義と民主主義連合)
【訃報】中核派元最高幹部北小路敏氏死亡(ボリューム(G:)
北小路敏(死亡欄)
中核派:元最高幹部の北小路敏氏が病死(ミイ&クロ のブログ)

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