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本稿の最後に八三年秋期総反撃の大勝利を戦取するために留意すべき諸点を明らかにしたい。
帝国主義の戦争体制構築に抗する秋期総反撃において予定される闘争過程は、九・一五二期着工阻止三里塚闘争、十月反戦反核集会、十一・九レーガン来日阻止闘争、十二・一八労共闘集会などである。そこでの闘争展開を基底づける戦略的課題としては、米帝レーガンによるニカラグア革命への反革命介入およびエルサルバドル人民解放闘争への圧殺策動に対する中米人民連帯闘争を作りあげていくことが第一である。
第二にはソ連スターリン主義と米帝によるSS20、パーシングⅡなどの戦域核ミサイルヨーロッパ配備への反撃を中心として盛りあがる全世界の反戦反核闘争の高揚をひきつぎ、この日本の地においてそれを反帝反侵略闘争にまで高めあげる大衆運動を構築することである。
この場合忘れてならないことは、米帝レーガン政権による中米革命の封殺攻撃を日帝中曽根政権が本年五月の日米外相会談での「中米・カリブ開発構想」の承認などにより積極的に支持し、加担する方向にあることを、闘う日本人民の前にあばき出し、中曽根ファシスト政権の中米介入を粉砕する闘いとして、ファラブンド・マルチ民族解放戦線やサンディニスタ革命政府への連帯闘争を作りあげていくことである。
同様にウィリアムズバーグ・サミットでの個別会談などで「欧州へのパーシングⅡと巡航ミサイルの配備を断行することが必要だ」といった反人民的発言をくり返し、NATOへの政治的参画と、日本への戦域核ミサイル配備承認の方向を打ち出し、もって「国際核軍縮の日」(六月二十日)などには米国内においてさえ1100人もの逮捕者を出すほどの高揚を示す数十万数百万人民決起による全世界反戦反核闘争に真向うから敵対し、レーガン主義への100%同調と、「日米運命共同体」論を振回す中曽根ファシスト政権の反革命策動を許さず、これを打ち破る日本人民の安保-日韓体制打倒の反核軍拡闘争を作りあげることがわれわれの課題である。
とくに中米人民決起への反革命介入については日帝中曽根政権は、七九年ホンジュラスヘ七十九億円、八三年百億円、ジャマイカ・ドミニカに二百億円、エルサルバドルヘ三億円といった借款を供与しつつ、ニカラグア復興援助は中止するといった露骨な中米革命への圧殺策動をおこなっている。
米帝のニカラグアからの砂糖の輸入九〇%カットに同調し、昨年の政府援助はわずか救急車一台というようにニュージャージー出動による海上封鎖を側面援助する経済封鎖を実践しつつあるのだ。中米最大の塩化ビニール製造工場を三井物産と信越化学が五〇%出資してニカラグアに設立した(=ポリカサ社)が、それが革命後ただちに国有化され、中米革命の発展によってはコスタリカの輸出自由地域(日帝資本が十数社進出)の存続も危ぶまれることに対し、日帝は直接の帝国主義的利害を保持すべく、レーガンの反革命介入を支持してるのである。
中米の「第二のベトナム化」は米帝にとっての危機であると同時に、日系企業の進出を大量に抱えこむ日帝にとっての危機でもあり、プロレタリア国際主義の精神にもとづく中米人民との国際連帯の実現は、われわれ闘う日本人民にとり焦眉の課題であるのだ。
米帝の中米反革命介入を支えるのは他方ではイスラエルであり、例えばグアテマラにはその軍備の九割を提供し三〇〇人の軍事顧問を派遣している。のみならず中米全体に対し、例えばホンジュラスにも武器援助をおこない、ハイチ、コスタリカ、コロンビア、パナマにも軍事協力関係を有し、武器の大量販売をおこなっているのである。
このようなパレスチナ人民を圧殺するイスラエルが中米人民をも圧殺し、それを日帝中曽根が側面援助する、米-日-イスラエル反革命支配者共のリンクによる各国革命運動の圧殺構造ができあがっている以上、中東人民、中米人民、米国人民との国際連帯は必須のものであり、ヨーロッバ反戦反核闘争とも連動しての国際的視野にたった闘いが、帝国主義の戦争体制構築に抗する秋期総反撃として闘いぬかれる必然があるのだ。
米帝内においてさえ、レーガンの強調する「エルサルバドルの共産化を阻止するために米軍を役人する必要」への支持は、わずか二〇%であるという結果が最近のギャラッブ世論調査で出ている。全世界の人民は誰も米帝の侵略戦争を認めておらず、不戦を誓っているのだ。
この基調的情勢下にあって、安保―日韓体制打倒潮流として反戦反核闘争を闘い抜いてきたわれわれが、社共の闘争放棄と無力性をのりこえる広範な大衆闘争を構築すること、なかんずくレーガン来日を中米人民との連帯をかけて大爆発させることは、秋期総反撃の最重要環をなす闘いであるといわねばならない。これへの一大決起を何としてでも成功させなければならないのだ。
三里塚二期着工攻撃の切迫性に抗する闘いも、日本における反戦反核闘争の構築、それを反帝反侵略闘争にまで高めあげていく闘いとの連動において打ちぬかれていかなければならず、B・C二本の滑走路建設をつうじた中曽根ファシスト政権の軍拡・軍事大国化攻撃への対決をなす位置において、文字通りの全人民的政治闘争として三里塚二期決戦は準備されるべきものである。
つまりは日帝自民党政府打倒闘争にまで高めあげられていく反権力闘争として、中米人民との連帯闘争、反戦反核闘争、三里塚二期着工阻止の闘いはつくりあげられていく必要があり、日帝国家権力との対決性をはらまない「国際連帯」「支援」「反戦一般」の闘いに対しては、これを反帝反侵略闘争に高めあげる観点において、われわれは闘いを領導しなければならないのである。
端的にいえばこのことは、レーガンの中米への反革命介入を糾弾するのみならず、日帝中曽根ファシスト政権のそれへの加担を粉砕する闘いとして、中米人民との闘う連帯をかちとっていくことがわれわれの課題なのだということである。
又、パーシングⅡや巡航ミサイル(例えばトマホーク)、SS20など戦域核ミサイルのヨーロッパ配備競争を米帝とソ連スターリン主義がくり広げる問題についても、そのNATO配備を中曽根が推進するよう発言し、ソ連の「脅威」に対しては極東-日本配備もやむなしとする対処をとることによって、日帝独自の原発推進による核開発を準備し、大型ロケット打上げをつうじての核軍拡を事実上おしすすめることを糾弾する闘い、すなわち反日帝闘争として反戦反核闘争をつくりあげることがわれわれの課題である。
これを正しく対象化することができず、「いかにもやばいトマホーク」とか「核はまっぴら市民行動」などへの埋没において、闘う日本人民の戦略的打倒対象をあいまい化させ、戦争一般、核兵器一般の反対闘争につねに切り縮めさせようとしているのが無党派市民主義を標榜する第四インターであり、三里塚闘争のエコロジー化もそうした戦略的観点の欠落から生み出されているものである。
中核派にあっては「脱落派と一坪共有化運動の粉砕」が戦略的課題にされ、それだけで何ヶ月もさわぎまくるという全くのトリビアリズム(=瑣末主義)に党全体が落ち込んでおり、日本人民の反帝反侵略闘争を戦略的に領導する観点など、とっくの昔に喪失してしまっているといわねばならない。
われわれ戦旗・共産同はこうした誤った風潮の蔓延の中で、安保-日韓体制打倒を真向うからかかげた原則的組織化をつづけているのであり、それが今日までのわれわれの伸張を基礎づけているのでもある。ゆえにわれわれはこの戦略的方向の鮮明化、反日帝反中曽根闘争への大衆闘争の領導を目的意識的にかかげて闘いぬかねばならず、それが八三年秋期総反撃を闘うにあたっての第一の確認点とされるべきことである。
第二には必要に応じゲリラ・パルチザン戦闘にふみきれる党的構えと組織的意志統一を更に強固に打ち固めつつ、安保-日韓体制打倒潮流としての独自的党建設を推進し、単独決起も辞さぬ方向をとることが問われていることである。
七・五ゲリラ・パルチザン戦闘にたいするヨコスカ現地での反発は、われわれが戦略的方向性を守りぬき、ボリシェヴィキ党への飛躍をかけて闘い抜く限り、反党・反前衛の小ブル市民運動の「党」への反発として、今後も予測されることであり、決して楽観は許されない性格のものである。しかもそこには、日本革命運動の発展を如何なる方向性において戦取するのかをめぐる綱領上、戦略上の基本的対立が存在しているわけであり、説得とオルグにあたることは絶対必要であるが、だからといって、その傾向をくつがえずことは厳しいことも知らねばならない。
もちろんわれわれが実行委などに溶解し市民運動の形態をとるならば共存は全く可能なのであるが、それはわれわれにとり路線の放棄を意味するだけである。
ここにおいてわれわれが決意すべきことは情況の進展いかんによっては、必要に応じ単独決起も辞さない心構えを打固めることであり、その単独決起の下に広範な大衆を如何にして結集させるのかが、追求されるべき内容である。
そうした決意に支えられないならばそもそも第四インターの右翼日和見主義・無党派市民主義を突き破る全人民的政治闘争の領導など構築しようもないのであり、市民運動への拝跪ではない革命党としての牽引こそが、われわれの使命として意志統一されねばならないのだ。
昨秋の十・二四大阪、十一・一四東富士、そして今年の八・七パイプライン供用開始阻止闘争の取組みにおいて、既にわれわれはそういった闘いの萌芽をつくり出しており、××××名の隊列をもってこれに臨む気概さえもつならば、そうした闘いの構築は全く可能である。これまでにもわれわれはこの決意性を常に背骨としてすえることによって幾多の困難を乗り越えてきた以上、秋期総反撃での単独決起の必要性(例えば十一・九レーガン来日阻止闘争)は、がっちりと把握されなければならない。それはわれわれが革命党として戦略的総路線を守り抜く必然において導き出されるものであり、積極的意味を持つのである。
以上述べてきたことから八三年秋期総反撃を闘いぬくわれわれの方向、獲得目標として設定されることは、以下の五点の内容になる。
第一には集会動員××××名以上、闘争動員××××名以上の、春夏大攻勢でのぼりつめた党的動員力をキープしつづけることである。
既に闘争動員力としては第四インターを完全に凌駕しつづけ、革共同両派につぐ位置にいるわれわれなのであるが、それは革労協・解放派が分裂・分解し、第四インターが自滅している結果としてもたらされたものであり、決してわれわれの組織力、党的広がりが、それら両派を完全にこえでたといえるものではない。われわれがめざすべきことは大衆運動上の一日的動員として××××名以上を出し、××××名にせまるということではなく、戦略的打ち固めをもっての党的結集としてこの数をキープしつづけることである。
第二には九・一五三里塚現地闘争に対しては××××名以上の動員をもって臨み、主力党派として闘争を牽引しぬくことはもちろんのこと、三里塚闘争および反対同盟の防衛のために中核派系列の矮小な敵対、「脱落派の存在そのものを認めない」といった理不尽な抹殺策動を許さず、闘い抜くことである。
それは端的には九・一五の闘争防衛を実現することとして意志統一されねばならず、そもそも反対同盟主催の横堀現地集会が開催できなくなるようでは、もはや三里塚闘争は死滅してしまうに等しいのである。ゆえにわれわれは三月攻防過程で示された反対同盟農民の信義に応えぬく意味からも、全力を傾注してこれにあたる必要があり、春夏大攻勢でつちかった党的団結力を全的に動員して対処しきることを、決意しなければならない。もちろん核心は九・一五闘争の防衛であり、内ゲバヘの突入では全くないが、その場合でも振りかかる火の粉は払わねばならないのである。これを決意しようではないか。
第三には必要に応じゲリラ・パルチザン戦闘に踏みきれる党体制の確立をひきつづきおし進め、武装し闘う革命党建設にむけての意志統一を強化することである。
党の武装の推進なくしては日帝権力との攻防に打克つことは全く不可能であり、同時に内ゲバ党派の暴力的どう喝にも対決する方途を失ってしまうことは確認してきたとおりである。第四インターの後退は、七八年三・二六、五・二〇の開港阻止決戦の権力弾圧に抗しきれず、党の武装解除をなしたことに最大の根拠をおいており、それが彼らの党的意志統一を腐らせ、内部矛盾を深めさせてきたのである。われわれはボリシェヴィキ党建設の原則的観点において、党のかかわる全領域を広め、労働運動の拠点建設に着手し、選挙戦にも積極的に取組んでいくが、同時に公然面の拡大と同様の重要性において、党の非公然領域の拡大を推進していかねばならない。
光州民衆蜂起の敗北の教訓に学びつつ韓国民衆が「アバン・タバン」などで次々と打出す戦略内容は、われわれの経験に照らしても全く正当なものであり、それに応える方向をとることがわれわれの使命でもある。「武装闘争に反対するが中米人民とは連帯する。三里塚ではいいが、ヨコスカではいけない」等という第四インターの矛盾的見解は、「社共にかわる前衛党建設をめざす」第四インターの「社共化」の現実をさし示すだけであり、われわれとは相容れないものである。勝利にむかっての試練として党の武装を推進しつづけること、それを秋期総反撃の過程でもやり切ること、これを是非とも体認したい。
第四には六・一九構造などわれわれがこれまで闘いぬいてきた、市民運動・労働組合・闘争団体・党派の結合体としての運動構造から武闘派を排除しようという策謀に抗し闘い抜き、そこから排除されないよう耐え抜くことである。
特定の運動構造からとび出すことは容易であり、そのあとで開き直るのもよくある話だが、われわれ戦旗派はそういった対処をとってはならない。われわれは独自の政治的観点にもとづき、六・一九構造には残り続けることを希望し、回りをみんな説得しオルグすることによって、反七・五シフトを構築させないよう闘い抜かねばならないのである。
何故ならば市民運動なり労働運動が、反前衛とか反武闘を表現する場合には、多くの場合、党派くずれの政治ゴロとでもいうべき部分がそこに介在しているのが常であり、そうしたノンセクトとの党派闘争、イデオロギー闘争として問題はたてられるべきだからである。
ヨコスカ市民グループの場合でも第四インターのKが騒ぎまくることに端を発してるわけであり、結局それはインターとの路線論争でしかないのだ。
第五には、しかしながらわれわれは、戦略的課題の遂行のためには、戦略内容をあいまい化させ、水でうすめきってしまうような中間的態度をとらず、単独決起も辞さないで闘いぬく決意を固めるということである。
市民グループとの歩調がとれないから仕方なく単独でなどという消極的な意味ではなく、例えばレーガン来日阻止闘争の戦略的重要性をかんがみ、中米人民との連帯をかけて単独でも闘い抜くものとして、これはうけとめられなければならない。
安保-日韓体制打倒潮流としての独自の党建設は、そうした背骨ある党的構えの存在において勝利できるのであり、闘いの主動性、能動性をわれわれみずからがつかみ続けること、それが勝利への道である。以上五点の内容を確認したい。
八三年春夏大攻勢を闘い抜き「三・一八」の後退をのりこえて前進を克ちとったわれわれの力は、今やかつてなく高まっている。革命党としての威信も日ましに強まりつつあり、次第にわれわれはメジャー党派の一角に喰い込みつつある。この機運を生かしきり、守り抜くことによって、日本労働者階級人民の不抜の前衛にまでのし上がっていかねばならない。
すべての同志諸君!われわれがめざすのは日本のボリシェヴィキになることだ。第二次ブントがはたせなかった安保粉砕・日帝打倒の闘いを担いぬける不抜のボリシェヴィキ党をめざし、闘いぬくこと、それがわれわれの天与の任務である。人民の解放闘争に貢献するには、党建設に勝利することは絶対的課題であり、武装し闘う革命党をつくり上げることは、それ自体人民の解放に献身しぬいていることと同義である。この真理をがっちりと把握し、八三年秋期総反撃の勝利を以上述べてきた基調的方向にもとづき、共に闘いとろうではないか。団結を打ち固めた武装し闘う革命党がある限り、われわれはすべてに打ち克つことができるのである。
ニカラグア人民、エルサルバドル人民のように闘い、勝利をもぎとろう!
安保-日韓体制打倒! レーガン来日絶対阻止!
中曽根ファシスト政権の戦争体制構築を許すな! 秋期総反撃の大勝利をもぎとろう!
(一九八三年八月)